第一章3 『魔法』
「ここが……」
牢屋で丸一日ほど眠ってしまっていた俺は、アイリスに連れられて王都を出て、小一時間ほど歩いていた。
固く閉ざされた鉄門の向こうに佇んでいる、巨大な建築物。
白を基調としたそれは、空を切り取るように高く伸び、左右に広がる『翼』のような構造をしている。
何重にも重なった屋根の縁には繊細な装飾が施されていて、さながら一つの芸術品のような雰囲気を漂わせていた。
……とまあ、文学的な感想を述べてみたものの。
とにかく、デカい。
本当に俺なんかが入ってもいいのだろうか。
そして何より、
「こんな森の奥にあるんだな」
「ええ。こんなに大きな屋敷、王都には建てられないし」
俺たちはエルダリア王国の王都を出てからすぐ、森へと入った。
森というだけで既視感を覚えていやに緊張したが、何事もなく森を抜け、ここまで辿り着いた。
「入るわよ」
「おう……」
森を抜けたことで緊張が解けたのに、また緊張してきた。
俺は今、明らかに場違いな格好をしている。
だって俺、寝る時に着るジャージのまんまだぞ……。
***
「おかえりなさいませ、アイリス様」
「おかえりなさいませ、アイリスしゃま……ふぁ……」
短く切り揃えられた黒髪の奥に光る、アイリスによく似た青い瞳を持つ少女。
ゆるい三つ編みにされたピンクゴールドの髪に、眠そうにタレている桃色の瞳を持つ少女。
そんな二人が、屋敷の巨大な扉の前に出て出迎えてくれた。
(うおー! メイドさんだー!)
心の中に潜む小さな俺は、盛大にガッツポーズを決めた。
「ただいま」
「その人が、アイリス様の言ってた人なのです?」
「ええ、ミナトよ。助けてくれたお礼のためにお屋敷に連れてきたの」
桃髪のメイドさんにそう尋ねられ、アイリスは俺の腕を一瞥して頷いた。
「とりあえず、ルリ。ミナトの腕の治療をしてやってくれないかしら」
「アイリス様のご命令とあらば」
「おお、助かるぜ。サンキューな」
俺はルリと呼ばれた黒髪メイドにふっと微笑みかける。
ルリは表情を変えず、飄々とした態度で一礼し、中へ招き入れてくれた。
王様候補の従者だもんなぁ。すげぇ礼儀正しい……
靴を脱いで中に入るとすぐに、赤い絨毯が広がっていた。
まさか、俺がレッドカーペットの上を歩くことになるなんて。
左右に伸びる廊下はどこまでも真っ直ぐで、壁に等間隔に並んでいる燭台は淡い光を揺らしている。
壁面にはいくつか肖像画のようなものが飾られているが、誰も分からない。
きっとどれも、有名な人なのだろう。
アイリスを王にすると宣言したのだから、この世界のことをたくさん勉強しなきゃな。
長い廊下の壁には、無数の扉がある。
この屋敷には、どれだけの数の人間が住んでいるのだろうか。
この二人のメイド以外にも使用人がいるのかもしれないな。
「客間はこちらでございます」
ルリは丁寧にお辞儀をして、俺を部屋へ入るよう促す。
高い天井には大きなシャンデリアがあり、煌々と輝いている。
「ありがと」
椅子を引いてくれたルリに感謝を述べ、ゆっくりと腰を下ろす。
椅子、高いな……
「ちょっとお手洗いに行ってくるわ」
「おう」
アイリスはそう言って、客間を後にした。
そして、初対面のメイドさん二人と同じ空間に取り残されてしまった。
一人はまだ名前すら知らないし。
「クロエ、お茶をご用意してきま~す」
ちょうど知りたかった名前を口にしたメイドもまた、客間を出て行った。
結果として、ルリと二人きりになってしまった。
「ミナト様」
「ミナト、でいいよ」
「では……ミナトくん。腕の治療を施すので、その布を外していただけますか?」
「その、一応聞くけどさ。治療って、何するんだ?
まさか腕をメスで開いて、中にボルトを入れるとか……?」
「いつの時代の話をなさっているんですか。
ルリは治癒魔法を使えますので、そちらで治療します」
治癒魔法……!
ラノベで幾度となく出てきたあの魔法を体験できるのか!
異世界ってすげー!
と内心で大興奮しつつ、俺は左手で首から吊ってある布を取り外した。
片手だと何かと不便だなぁ。
そして――、
「大地の神よ、この者に癒しを。――ルーア」
ルリがそう唱えた瞬間、彼女の小さな手から温かい緑色の光が生まれた。
それはゆっくりと俺の腕を包み込み、優しく温かいものが腕全体に通った。
砕けた骨がまるでパズルのように組み合わさるような感覚。
そして青紫色だった右腕はみるみるうちに本来の色を取り戻していき、やがてすっかり元通りとなった。
「す、すげぇ……!」
「治癒魔法を受けたことはないんですか?」
「初めてだよ。何なら、人生で初めて見た魔法がこれだ」
「……変わった人ですね」
まあ、まだこの世界に降り立って二日目だからな。
初めて見る魔法が派手なものじゃなく、治癒魔法ってのがリアルな感じがする。
「お待たせしました、お客様ぁ~」
「ありがと、クロエ」
「鎮痛効果があるお茶だから……って、もう腕治ったのか。意味なかったのです」
「いやいや、助かるよ。いただきます」
白い湯気が立ち昇るティーカップを手に、クロエが戻って来た。
長いテーブルへ置き、俺の目の前までスライドさせてきた。
俺は差し出されたお茶を口にすると、五臓六腑に染み渡るような温かさが流れ込んできた。
すごく温かくて、それでいて……
「ゲホッ! ゲホッ!」
それでいて、すごく苦かった。
なんじゃこのお茶は!
良薬は口に苦し、ってやつか。
「クロエの淹れるお茶は、美味しかった試しがありません」
「おかしいのです。ちゃんと分量も合ってるはずなのに、どうしても不味くなってしまうのです」
「いや、大丈夫……。美味しいよ……」
「えっ、本当なのです!?」
クロエはこちらへ駆け寄ってきて、ティーカップを持ち上げた。
そして、そのお茶をグイッと口にした。
平然と間接キスしやがったぞ、このメイド!
「ブオオオオオ! ゲホッゲホッ!
ミナト様、嘘をついたのです! すんごく不味いのです!」
飲んだかと思われたお茶をすべて吹き出し、クロエは涙を浮かべながら怒った。
これ、俺が悪いのか。
ルリはどこからともなくタオルを取り出し、クロエが吹き出したお茶を拭いた。
……いやこれ、俺の腕吊ってた布じゃねえか。
「――おやおや、お客人かなぁ?」
騒がしくなった客間に、アイリスではない人間が現れた。
長い銀髪を一つに束ね、モノクルを着けている男。
老人のような髪の色をしているが、顔つきはかなり若い。
「キミが、アイリス様の言っていたミナト君?」
「あ、ああ。そうだけど」
「ワタシはゼルヴァイン・R・ルミナリアだ。この屋敷の当主、それとこの辺りの辺境伯を務めている」
当主様が直々に客間まで赴いてくれたのか。
両隣にいるルリとクロエはすぐさま背筋を伸ばし、深々と頭を下げた。
メイド様も大変だなぁ。
……って、この声、どこかで聞いたことがあるような。
「森の中で竜車を救ってくれたのはキミなんだろう?
アイリス様から聞いているよ」
「……あんたまさか、昨日アイリスと一緒にあの森にいた人か?」
「ああ、そうだとも。キミがあの時助けてくれなかったら、ワタシたちはあのクマに襲われて……ってわけでもないけどねぇ。一応ワタシも魔法が使えるから」
「そうすか」
最後の一言は余計だろうが。
じゃあ、俺が命を賭してまで助けに行く必要はなかったってことか。
いやまあ、あの時飛び出してなかったら今俺はどうなっていたか分からないしな。
運命のめぐり合わせってのもあるのだろう。
「魔獣を殴り飛ばし、その反動で腕を壊す……。
実に面白い権能だねぇ」
「権能? 何だそれ」
「人の持っている特異能力のことさ」
「――」
ゼルヴァインは、すっかり治った俺の腕を見てそう言った。
その瞬間、俺の右隣に立つルリの口から微かに吐息が漏れた気がした。
彼女が手に持っていた布が、微かに震える。
ルリの瞳から光が消え、ただ一点……俺の、今しがた治ったばかりの「右腕」だけを凝視している。
そんな不穏な空気に、鈍感な俺ですら背筋が凍るのを感じたのだった。




