第一章1『化け物』
数時間前のこと。
「……ふごっ」
自分のみっともないいびきのせいで、目が覚めた。
ろくに学校にも行かず、ボーッと生きている毎日。
何連休目だかも分からないほど、俺はまともに外にも出ていない。
あー、筋トレだけは毎日続けてるけど。
背伸びをして、体を起こそうとする。
だが、どこまででも寝返りが打ててしまう。
ベッドに寝ているなら壁にぶつかるか、床に落ちるかの二択のはずだが。
となると、俺はすでに床に落ちているということに……
「……え?」
違う。
俺はベッドにも、床にもいない。
というか、やけに寝転んでいる床……いや、地面がふさふさしている。
ギョッとした俺の目からは、眠気など吹っ飛んでいる。
パッチリと開いた目を地面に向けると、そこには草が生い茂っていた。
そしてその流れのままに辺りを見回すと――、
「ど……どこだここ」
これまた鬱蒼と生い茂る、背の高い木々。
俺を取り囲むように、上から見下ろしてきていた。
俺は、ベッドで眠ったはずだ。
それなのに、どうしてこんな森みたいな場所にいるんだ?
ドッキリでも仕掛けられているのだろうか。
いや、俺にそんな友達はいない。
近所に森なんてなかったはずだから、かなりの僻地だろう。
まさか……異世界転生とか、そういうヤツか?
いや、バカバカしい。あんなのフィクションだ。
となると、誰かに運ばれた?
でも、一体誰がこんなところに……?
眠っていた俺が勝手に歩き出すわけがないし、明らかに人為的なものだろう。
――もしかして、誘拐されたのか?
そう考えた途端、心臓の鼓動がみるみる速くなり始めた。
だとしたら、一刻も早く動き出した方がいいだろう。
幸い周りに誰もいないみたいだし、逃げ出すなら今が絶好のチャンス――、
「――」
ゆっくりと立ち上がった瞬間。
「――ねえ、まだ着かないの?」
「もうすぐ、エルダリア王国が見えてきますよ」
それに紛れて、少女と男の声が聞こえた。
今、『王国』って言ったか?
この時代、王国なんて響きは歴史の授業でしか出てこないはずだが。
それに、このゴトゴトと動く音。
まさか、馬車にでも乗ってるんじゃ――
「馬車っ……!?」
乗っていた。
少し遠くの方に、二頭の馬が豪華な荷台を率いて歩いているのが見えた。
……いや、あれは馬じゃないな。トカゲか?
気持ち悪!!
「……?」
あの馬車のようなものとは別に、何か大きな動物が動いているような音。
一歩一歩が重く、体の芯にまで響き渡るような足音。
そんな大きな足音を鳴らす動物なんて、この世界にいるのか……?
「ひっ――!」
屈んだまま再び辺りを見回している俺の視界に、何かが映り込んだ。
木々の向こう側をノソノソと歩く、大きなクマのような……
……ってか、あれクマじゃねえか?
だが、その目は赤く光り輝いている。
クマの目なんて、俺たち人間と同じ黒じゃないのか?
暗い所だと光って見えるとは言ったものだが……
でも、明らかにあれはクマの形をしている。
この目で生のクマを見たことはないが、実物はあんなに大きいのか。
「――っ!」
俺はそのクマのような動物の動向を見つめながら息を呑んだ。
――あのクマの進行方向には、あの馬車がいる。
このままでは、さっきチラッと見えた少女たちが襲われてしまうかもしれない。
でも、あんなに大きな動物、俺一人でどうしろって言うんだ。
そう独白しているうちに、クマは少しだけ速度を上げた。
恐らく、あの馬車を見つけたのだろう。
逃げてくれ。
早く気づいて、そのトカゲみたいなヤツを走らせて逃げてくれ。
俺は反対の方向に走るから、あんたたちも何としてでも逃げてくれ。
言葉にはせず、心の中でそう呟いていた。
呟いていたのに――、
「――ッ!」
いつしか、俺は歩き出していた。
――クマの進む方と、同じ方向へ。
何故かは分からない。
でも、体が勝手に動いた。
ここで逃げたら、一生後悔することになる。
そう、全身が訴えてきているような気がした。
ゆっくりと、クマに近づいていく。
まだクマは、こちらに気づいてはいない。
今からでも逃げ出せば、俺は無事で済むかもしれない。
でも、あの人たちを見殺しにして逃げるなんて、俺にはできない。
昔っから、こういう無駄にお人好しなところがあるんだよな。
クマの動きはトロい。
体が大きいせいか、一歩一歩が遅く、しかし重い。
しかし、このまま後ろをついて行ったところで、何が変わるというのだろうか。
それこそ、ドジって気づかれでもしたら――
「――?」
俺の足元から、パリッという落ち葉が割れる音が聞こえた。
粉々になった落ち葉を見て、そして恐る恐る前を見る。
すると、森のくまさんは俺を優しく温かい……
「ウオオオ――!」
「ひぃぃぃ――!」
そんな目でなんて見てくれるわけもなく、クマは形相を変えて俺を追いかけてきた。
俺はすぐに振り返って走り出し、必死に逃げる。
「ごめんなさいごめんなさいごめんなさい――!」
通じもしない言葉をクマにぶつけながら、俺は足をフル回転させる。
焦燥と恐怖のあまり、涙を散らしながら走る。
だがそんな俺を見逃してくれるはずもなく、あっという間に俺に真後ろまで迫ってきていた。
「――ぐあっ!」
足元に映る大きな影がひと際大きくなったのを見て、とっさに横っ飛びした。
クマは前足を振り上げて俺を仕留めようとしたのだろうが、空振った勢いのまま転げた。
抜けてしまいそうな腰を必死に奮起させ、俺は震える足で立ち上がる。
そして、転んだまま起き上がれなくなっているクマを見る。
野太い鳴き声で喚き散らしながら、起き上がろうともがいている。
その隙を見て、ゆっくりと逃げ出すのが一番正しいのだろう。
だが今の俺には、そんな冷静な判断ができなかった。
「うああああッ――!」
俺はクマの方へ走り出し、思いきりその巨体を殴った。
いや、殴った手応えはない。
代わりに、自分の右腕の中で爆薬が弾けたような衝撃が走り、骨の砕ける嫌な音が脳まで響いた。
そして、その刹那のことだった。
「えっ――?」
クマは、その場から姿を消していた。
残っているのは、確かにいたという形跡と――、
「ぐっ……!」
凄まじい、突風だった。
突如として吹き荒れた凄まじい風は、俺を体ごと飛ばしてしまうほどの風圧だった。
近くに生えている木に掴まろうと手を伸ばすが、
「いっっっつ――!」
右腕から脳みそへと、突き抜けるような痛みが走った。
歪んだ顔で右腕を見ると、すでに青紫色に変色していた。
なんだ、これ……!
とにかく右腕では掴めないため、体を捻って左腕で木を掴んだ。
そしてしばらくして、風は徐々に収まっていった。
冷たく拍動するような痛みに、思わず膝をついた。
そんな俺のもとに、今度は人間のものだと思われる足音が聞こえた。
「何者だ!」
「あっ、その……!」
現れたのは、甲冑のようなものを身にまとった男二人。
その手には剣や槍が握られており、その先端を俺に向けていた。
「魔獣は……?」
「魔獣? そんなものはいない。いるのはお前だけだ」
「でも、確かにクマみたいな――」
「嘘をつくな! この衝撃波と轟音、お前の仕業だろう! 化け物め!」
「へ? いや、その……」
「問答無用だ。この辺りに人間はお前しかいないんだぞ」
え、はい?
俺まだ何も言ってないんですけど……?
そもそも、さっきの風はどういうわけか俺がクマを殴った時に起こったものだ。
それも、あの馬車を助けようとして――、
「大人しくしろ!」
「ちょ、ちょっと待っ――ぎゃぁぁぁ!!」
弁解の余地すら与えてくれない男たちは、俺の変色した腕を強く掴んだ。
激しい痛みに喉が潰れるほどの叫び声を出す俺の手を、容赦なく手枷のようなもので拘束した。
明らかに怪我してるって分かるだろうが、こんな腕を見たら……!
「俺は、見かけた馬車を助けようと――――」
そう弁明しようとした直後。
首に、鋭い手刀が飛んできた。
そして、視界が一瞬で黒く染まる直前。
「――」
奥の方でこちらを見ている、アイスブルーの瞳と目が合ったような気がした。




