第一章9 『力の節約』
それから、数日が経った。
掃除がないだけでかなり楽だ。
なんて思っていたが、それを抜きにしてもかなり大変である。
昨日は、高枝切りバサミで自分の髪の毛を切り落としそうになってルリに呆れられたばかりだ。
たまたま見ていたクロエとアイリスは「下手くそ」とバカにしながら笑っていた。
そして何より、ルリのことだ。
この間、草原のように広い庭に独り、座っているのを見かけた。
恐る恐るそれに歩み寄り、「なんか、悩みでもあったら聞くぞ?」と言ったところ、
『……あなたの存在そのものが私の悩みです。消えていただけますか?』
と一蹴されてしまった。
存在ごと否定されたので、さすがにちょっとヘコんだ。
それでも気にかけなきゃならないんだよな。
「ミナト君、ちょっといいかな?」
「ゼルヴァイン?」
庭の植木の剪定に苦戦している俺のもとに、ゼルヴァインがやってきた。
モノクルを指で押し上げ、俺の指を見ながら、
「色々苦労しているみたいだねぇ」
「そりゃ、いきなり莫大な数の仕事こなさなきゃならなくなったからな。
高みの見物してる気分はどうだ?」
「いやぁ、実に気分がいいよ。キミたち使用人のおかげで、快適に過ごすことができているから、感謝はしているよ」
「……まあ、ゼルヴァインも大変なんだろ。領主としての仕事とか、忙しいって聞くし」
「そうだね。大変な時期もあるけど、今は繁忙期を抜けて割と時間を持て余しているんだ。
だからこうして、屋敷の中を散歩したりしている」
「暇人じゃねぇか」
それだけ暇なら、仕事を手伝ってほしいものだ。
そうじゃなくても、「手を貸そうか」と聞いてくれるだけでもだいぶ気が楽になるんだぞ。
まあ、屋敷の当主に手伝わせてるところをルリに見られでもしたらたまったもんじゃないからな。
「よし、いっちょあがりっと」
「おぉ、始めたてにしては上出来じゃないか」
「だろ。昔っから、吸収力はある方だって言われてたからな」
俺は得意げに胸を張り、剪定を終えた植木を見せつける。
手を叩いて称賛してくれたゼルヴァインを見て、さらに胸を反らした。
「この後、時間はあるかい?」
「デートのお誘いか? アイリス以外はお断りだぜ?」
「まあまあ、そんなに謙遜しないで」
「謙遜じゃねぇよ。心からの叫びだわ」
「何も、出かけるとは言っていない。
もっと、キミのためになると思うよぉ?」
ゼルヴァインは顎に指を当てて首を傾げる。
俺のためになること、とな。
「――キミの権能、強化してみないかい?」
ゼルヴァインは不敵な笑みを浮かべてそう言い放った。
「強化?」
「そうだとも。ミナト君のその権能は、かなり強力なものだ。
だが現状、キミはその権能を使いこなせていない」
「まあ、それはそうだな。コスパ最悪だし」
「こすぱ、というのが何かは分からないけど、その通りだ。
でも裏を返せば、使いこなせるようになったらかなり強い権能だ」
ゼルヴァインとともに歩き出し、庭にあるガゼボへ向かう。
そして、二人でそこへ腰かけた。
確かに、ゼルヴァインの言葉には説得力がある。
全力で腕を振り抜くだけで、森の一部が吹き飛ぶほどの衝撃波を起こせる権能。
それだけ聞けば、一見最強の権能だが、問題はその代償だ。
「ワタシは、キミと同じ権能を持った人間と戦ったことがある」
「『忍耐』の大徳聖卿だっけか?」
「そう。彼は確かに、全身を破壊しながら村を破壊していた。
だが、キミとは決定的に違ったものがあるんだ」
「決定的に、違うもの?」
「彼はね。――力を節約しながら使っていたんだ」
どこか懐かしむように、ゼルヴァインはそう言った。
懐かしむもんじゃないと思うが。
「節約ってどういうことだ?」
「ミナト君は、全力で腕を振り抜いて魔獣を撃退したんだろう?
でも『忍耐』は、最初からすべての力を解放していたわけではない」
「……つまり、力を小分けにして使うってことか」
「さすがの吸収力だね。その通りだ」
俺に指をさし、ニヤッとしたゼルヴァイン。
やっぱり、なんか胡散臭い顔なんだよなぁ。
イマイチ信頼しきれないというか。
「そんで、小分けにするにはどうやるんだ?」
「それはワタシにも分からない」
「……は? どういうことだよ」
「いやいやぁ、だってワタシはその権能の使い手じゃないからねぇ。
ただ、彼には一切無駄な動きがなかった。
それと印象的だったのは……彼はデコピンで戦っていたね」
「で、デコピン? このデコピンで?」
そう言いながら、空気を指で弾いてみせた。
すると、それを見たゼルヴァインは「うむ」と言って首を縦に振った。
「指を弾いた瞬間、その軌道に刃のような風が走った。
しかも、彼は指が折れていながらなお、その攻撃の手を緩めなかった。
それに散々苦しめられたのをよく覚えているよ」
「折れてても……とんでもねぇな」
「そう、とんでもないんだ。彼は痛みすらも快楽だと捉えていたんだと思う。
どれだけ攻撃しても、ずっと笑っていたからね」
まだ話を聞いただけだが、それだけで頭がおかしいのが分かる。
でも、戦い方としては賢いのかもしれない。
なるほど、力の節約か。
壊れるという代償を最小限に留めながら、高威力の風圧を生み出す。
試してみる価値はありそうだな。
「良ければ、ワタシが少し相手になろうか」
「いいのか?」
「いいとも」
ゼルヴァインは頷いて、ゆっくりと立ち上がる。
そして庭の真ん中へと移動し、長いマントをなびかせた。
俺もそれに続いて、軽く距離を取った。
「全力でかかってきなさい」
「死んでも知らねぇぞ?」
「なぁに、そんなヘマはしないさ。
あとちなみに、ワタシは一切攻撃はしないから安心していいよ」
そりゃ助かるな。
自分からサンドバッグを買って出てくれたようなもんだ。
相手は世界でも最高峰の魔術師だから、容赦は要らないだろう。
左手を右腕に添え、中指を親指に押しつける。
これまでの腕全体の爆発とは違う。針の穴を通すような、極限の集中。
俺の指先を中心に庭園の空気が歪み、ピリピリとした静電気のようなエネルギーがゼルヴァインへ向かって一直線に伸びる。
そして、
「食らえッ、俺の全力のデコピン、じゃッ!」
パチンッ!
乾いた、しかし鼓膜を直接叩くような破裂音が響いた。
反動で軽く体が吹き飛ばされ、俺とは反対方向へと放たれた不可視の『弾丸』。
それは庭の芝生を、その下に広がる土をも巻き上げながら、ゼルヴァインへ飛んでいく。
生まれた風圧は、ゼルヴァインの体の前で止まった。
まるで見えない障壁があるかのように、その場で風が弱まっていく。
しかし――、
「――っ!」
ゼルヴァインは、慌てて右手を伸ばした。
そしてようやく、俺の放った衝撃波は霧散した。
「――ぁッ!」
同時に、俺は右手を押さえながらうずくまった。
中指の骨が、根元から砕けたような音がした。
「いやぁ、驚いた。まさかあれほどの威力とは」
「いいからはよ治してくれ!」
「分かった分かった、落ち着きたまえ」
「こちとら骨折れとんじゃ! 落ち着けるわけねぇだろ!」
痛みを叫びで中和しようと試みるが、あまり効果はない。
ゼルヴァインは変色した俺の指に手を伸ばし、治癒魔法の詠唱を始めた。
詠唱、とは言っても、唱えたのは「ルーア」という一言だけだった。
「さ、サンキュ……ってか、詠唱はどうしたんだよ」
「ワタシは無詠唱魔術の使い手だからねぇ。無駄な詠唱は省くようにしている」
「無詠唱……すげぇな」
さすがは王国最高の魔術師。
きっと、無詠唱魔術を使えるのは当たり前ではないだろう。
「それにしても、すごい威力だったよ。
威力だけなら、『忍耐』にも匹敵するかもしれない」
「ほんとか? さすがに言いすぎだろ」
「そうだね。ちょっと盛ったかもしれない」
「おいコラ」
「ははは。でも、驚かされたのは事実だよ?」
俺の肩を軽く叩きながら笑うゼルヴァイン。
俺はそれを冷めた目で見て、その顔面にグリグリと拳を押しつけた。
「ただし、まだ改善の余地はある。
今のミナト君は、節約というより、力を集約して使っただけに過ぎない」
「じゃあ、どうしろって言うんだよ?」
「キミはさっき、『小分けにする』と言っただろう。まさにその言葉が正しいんだ。
全力で力を使ったら、今みたいに骨が折れてしまう。
それなら、出力を抑えて使ってみるのはどうだい?」
「なるほど……! それなら、代償ナシで力を使えるようになるかもしれない!」
ゼルヴァインの助言が、俺の体を突き抜けた。
そうか、出力を抑えて使えばいいのか。
どうしてその方法を思いつかなかったんだろうか。
「ゼルヴァイン、もうちょっと付き合ってくれ!
出力を抑える練習がしたい!」
「もちろんいいとも。いくらでもかかってきなさい」
ゼルヴァインはまたニヤッとした笑みを浮かべ、「ほれほれ」と言わんばかりの手招きをした。
***
その後、ゼルヴァインとともに日が暮れるまで練習をした。
何度も骨が折れる感覚を味わったが、ゼルヴァインのおかげで結果として無傷で帰還することができた。
加えて、最小出力でのデコピンに成功したというのが、今日の一番の収穫だな。
とはいえ感覚を掴めるようになるまではまだまだかかりそうだから、継続して練習しなければ。
そんな俺たちの様子を、窓の中から見守っている影がいたのが気になった。
まあ今の俺にできることは、とにかく練習を積み重ねることだ。




