第一章10 『誰かを守るために』
翌朝。
眠い目をこすりながら顔を洗い、歯を磨く。
当たり前だが、この世界にも歯ブラシがあるのは助かる。
ただし、歯磨き粉はとんでもなくまずいが。
そうしてすぐに執事服に着替え、キッチンへ向かう。
「おはよ、クロエ」
「おはようなのです、ミナト様。
よく眠れましたか?」
「うーん、微妙だな。ちょくちょく目が覚めた」
「うなされたのですか?
そんな時は、いつでもクロエを呼ぶといいのです。
一緒に寝てあげるのです」
「い、一緒に!?」
小悪魔的な笑顔に翻弄される俺を見て、クロエは顔をくしゃっとさせて豪快に笑った。
やられたぜ、畜生。
隣にいるルリはゴミを見るような目で見てきてるし。
「る、ルリもおはよう」
「おはようございます。
早く朝食の用意を始めますよ。モタモタしないでください」
「すみません……」
相変わらず手厳しい……
どうしてこんなに冷たいのだろうか。
悩みごとがないかとか、不用意に尋ねにくいんだよな。
この間、消えろとか言われたしよ。
「……あの」
「ん?」
「昨日、ゼルヴァイン様と何をされていたんですか?」
「昨日? あー、権能の強化だよ。腕を丸ごと壊すんじゃなくて、どうにか力を小分けにして使えるようになりたいなって思ってな」
「――」
その瞬間、ルリの手が止まった。
一点だけを見つめ、呼吸により上下する肩以外が動かなくなった。
やっぱり、あの時の窓の中に見えた影はルリだったか。
「ルリ?」
「……いえ、そうですか。使えるようになるといいですね。
ルリにはまったく興味がありませんが」
「もっともっと強くなって、アイリスを守ってやれるくらいになんねえとな」
「笑わせないでください。アイリス様はあなたとは比べ物にならないほどお強いんですから」
「俺は本気だぜ? 可愛い女の子は、強い男の背中に隠れておくべきだからな」
「このお屋敷で誰よりも弱い人がそれを言いますか」
今日はやけに毒を吐いてくるなぁ。
まあいつものことではあるけども。
でも、そうか。
アイリスも、ゼルヴァインと一緒に『忍耐』と戦って生き残ってるんだもんな。
あの子がどうやって戦うのかはまだ見たことがないが、俺なんか片手で捻られるんだろうな。
俺にもチート級の能力がほしかったぜ……
俺の能力は威力こそ一級品だが、肝心の器がこれだし。
「かなり、痛そうに叫んでましたが」
「まあ、何回も骨を折りながらの特訓だったからな。
ゼルヴァインが毎回治療してくれたから何とかなったけど」
「……どうして、そこまでするんですか?」
「どうして、か。うーん……」
ルリは再び手を動かし始めながら、俺にそう尋ねる。
その質問に、俺は口ごもる。
どうして、俺は強くなりたいのか。
何度も骨を折ってまで、俺は何を得たいのか。
……悩むのは、野暮ってもんだ。
「さっきも言ったけど……アイリスのためかな」
「……そこまでアイリス様に肩入れする理由が分かりません。
昔からあの方と交流があるわけでもないですし、知り合ったのはたかだか数日前でしょう?」
「……初めてだったんだ。誰かのために生きたいって思ったの」
聞いているのか否か分からない顔で調理を進めるルリを見ながら、俺はそう話す。
「辺境伯という位に就かれているゼルヴァイン様がおられる時点で、あなたにできることなんて微塵もないと思いますけど」
「ゼロってわけじゃない。少なくとも、アイリスは俺を受け入れてくれた。
あの子は優しいけど、仮にも王選候補者だろ。使えないと思った人材はバッサリ切り捨ててもおかしくない。
それでも俺を受け入れてくれたってことは……」
「ただの慈悲では?」
ああ言えばこう言うなぁ。
まあその可能性も捨てきれないけど。
「理解、できません。その力は、何もかもを破壊するくせに……」
「お前の言う『忍耐』は、そういう権能の使い方をしてたかもしれない。
でも、俺は違う」
俺は、ルリの顔を見つめながらそう言った。
もちろんルリは目を合わせてくれないが、
「――俺はこの力を、誰かを守るために使いたい」
「――」
淡々と包丁で食材を刻むルリの顔を見て、はっきりとそう言った。
ルリは手を止めることなく、俺の言葉を聞き流した。
「……そう、ですか」
ルリは冷たく突き放すようにそう言って、野菜を真っ二つに切り分けた。
別に、伝わっていなくてもいい。
誰がなんと言おうと、俺はこの権能をアイリスのために使う。
破壊のためではなく、守るためにだ。
うむ。
我ながら、いい言葉だ。
「ミナト様の権能、クロエはまだ見たことがないのです」
「確かに、まだ見せたことはなかったな。……ってか、いい加減俺に『様』をつけるのはやめろ。同じ使用人だろ」
「もう癖がついちゃったのです」
「たかだが一週間くらいしか経ってないのに!?」
俺が客人や貴族といった立場ならまだ分かるが、俺とクロエはあくまで対等な立場だ。
いやまあ、厳密には先輩と後輩になるんだが。
「クロエにも、また今度見せてほしいのです。
いつでも相手になるのです」
「おう。でもお前、メイドなのに戦えるのか?」
「イマドキのメイドを舐めると痛い目を見るのです」
クロエはそう言いながらキッチンを離れ、どこかへ去っていった。
しばらくルリと気まずい空間をともにしたが、ほどなくしてクロエは戻ってきた。
大きな……なんだ、これ。
「錨? どわっ!」
「そうなのです。クロエ御用達の武器なのです」
「こんなゴッツい武器で戦うの!? まあメイドが大きな武器を使うのはロマンあるけども……」
クロエがそれを床に置いた瞬間、キッチンの床板が悲鳴を上げ、並んでいた鍋が微かに跳ねた。
……これ、武器っていうか、もはやただの鉄塊だろ。
「こう見えて、ゼルヴァイン様とフィーネ様の次に強いんですから。
ルリなんて足元にも及ばないのです」
と、平らな胸を得意げに反らすクロエ。
へえ、ってことはアイリスよりもクロエの方が強いってことか。
……恐ろしいな。
「お前はもっと、メイドの本来の仕事をこなせ。
その分野に関しては、完全にルリの方が上だろ」
「ふん。新米が何か言ってるのです」
「あなたも口ばかり動かしていないで、手を動かしてはどうですか?
ほとんどルリがやっているんですけど」
「ごめんなさい」
ルリの味方をしたはずなのに、何故か責められた。
元はと言えば、ルリが色々聞いてきたからなのに。
はぁ。
いつまで、この鬼メイドと一緒に生活しなきゃならないんだろうか……。
「ミナト君、ちょっといいかな?」
朝食を食べ終わり、後片付けまで済ませた後。
俺が一人になったタイミングで、ゼルヴァインが声をかけてきた。
ゼルヴァインの部屋へと招かれ、その広さと豪華絢爛な装飾に目を見張る。
「どうした?」
「キミに一つ、頼みがあるんだ」
「その顔、さては面倒事押しつけるつもりだろ」
「いやぁ、バレてしまったかぁ」
そう言いながら頭をポリポリと掻くゼルヴァイン。
しかしすぐに、神妙な面持ちへと変わった。
「最近、ヘコネ村で厄介なことが起こっていてね」
「ヘコネ村っつーと、ルミナリア領にある村だったか。
何かあったのか?」
「うむ。村の近くには、大きな森があるんだ。
その森の中で、立て続けに行方不明者が出ているとの報告があってね」
「行方不明者……ちなみに、その森の中には魔獣とかがいたり……?」
「鋭いね。そう、中には恐ろしい魔獣が蔓延っている」
そう言って、ゼルヴァインはモノクルに指を当てる。
それは、かなりまずそうな話だな。
「特に若者や子供を中心として、深夜帯での行方不明が相次いでいるとのことなんだよねぇ。
そこで、キミに頼みがあるんだけど」
「ここまで分かりやすい頼みはそうそうねぇよ。
森を調査してきてくれ、って話だろ?」
「勘がよくて助かるよ。そういうことさ」
「でも、俺一人じゃ心細いぜ? まだ権能を使いこなせるようになってねぇし……」
「安心したまえ。同行人はつけるとも」
さすがはゼルヴァイン様。分かってるじゃないか。
俺にすごい魔術の才能とかがあれば一人でもよかったんだが、生憎まだまだ諸刃の剣なもので。
同行人とは一体誰なのだろうか。
アイリスは忙しいだろうし、ゼルヴァインが直々に同行人を申し出るとは考えづらいし。
そもそもゼルヴァインが来るなら、一人で事足りるだろう。
フィーネは言うまでもなく来るはずがないし……
となると、クロエかルリになるが。
く、クロエだといいな。
「――――ルリが、調査に同行してくれるんだとさ」
「ゼルヴァイン様がご勝手にルリを指名したんでしょう」
「なっ……」
最悪のパートナーが、扉の奥から姿を現した。
何でこうなるんだよ!
「最近キミたちのことを観察していると、かなり相性が良さそうに見えたからねぇ」
どこがだよ!
目ん玉後ろについてんのかテメェは!
「ミナト君が何か冗談を言うたびに冷たくあしらったり、研修中も二人でいることが多いだろう?」
あしらわれるってレベルじゃないんだよ。
それに、研修中なんだから先輩であるルリと一緒にいるのは当たり前だろうが!
まあ後者に関しては、クロエがあまりにもルリに任せきりなところがあるけれども。
「それに、特にミナト君には好都合なこともあるだろう」
「好都合?」
「権能を、ワタシ以外の相手に試すチャンスになるかもしれないじゃないか」
……なるほど。
そう言われれば、確かにな。
そういう意図も絡んでいるのか。
「そういうわけだから。今日の深夜に、森へ潜って調査に行ってきてくれ」
「……承知いたしました」
ルリは深々と頭を下げてそう言った。
承諾しないでほしかったな。
声色から、すでに嫌がっているのが分かる。
だがやはり当主には逆らえないのか、承諾以外の選択肢はないようだった。
「……へい」
俺も、渋々ゼルヴァインの頼みを受け入れ、返事をした。
「助かるよぉ」と憎たらしい笑顔を見せたゼルヴァインを白い目で見て、俺は部屋を後にした。




