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その恋、賭けですよね? ~地味OLは全部知った上で三ヶ月後に叩き潰す~  作者: ぶるどっく


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第五十八話



 秋の夜長の月。


 満月よりも柔らかな月の光。


 静かに漂う黒い海。


 落ちてしまえば…………何処に流れ着くのだろうか?


「…………」


 月に向けていた瞳を落とす。


 静かな海を見つめる。


「(逃げないって決めたのに…………結局、にげてたんだ……)」


 逃げない、と。


 向き合うと決めたはずの自分。


 でも、無意識とはいえ……逃げ続けていたのだ。


「(……強く、なりたかった……)」


 華乃のように。


 有馬主任のように。


 強い、強い女性になりたかった。


 恋に敗れて……泣くだけの女なんて、嫌なのに。


 弱すぎる自分に吐き気がする。


「…………」


 黒い海を見つめる。


「(……この、黒い海の底には……何があるのかな……?)」


 心が吸い込まれそうになる。


「(……おちる……?)」


 落ちてしまえば、分かるだろうか?



 "彰良くんが一緒なら……大丈夫だもの"



 奥多摩湖の記憶が蘇る。


 この暗い海の底には…………彰良は、いない。


 それだけは確かなことで…………暗い海の底に、吸い込まれかけた葵の心が現実に引き戻された。


「(……私の……幸せってなんだろう?)」


 葵に幸せになってほしいと叫んだ華乃。


 幸せが分からなくなった葵。


「(……でも……このまま、逃げたら……逃げ続けたら、格好悪い)」


 負けられない。


 強くなりたい。


 前に進むと決めたはず。


「…………」


 瞳を閉じる。


 思い出すのは、彰良と過ごした思い出の数々。


 あの時……あの、二人でスーパーで買い物をした時……すでに葵は彰良に恋をしていたのだ。


「…………」


 なんてことはない。


 葵はもう……選んでいたのだ。


 月を見上げる。


 ……もしも、彰良が現れたら…………振られる覚悟で、想いを伝えて……消えてしまえばいい。


 消え去ってしまうのは、其れからでも遅くはない。


「…………」


 微かな足音が聞こえた。


「…………」


 葵の背後に立つ。


 言葉が出てこない。


「……華乃ちゃん?」


 振り返ることなく葵は華乃を呼ぶ。


「葵、先輩……」


 彰良ではなく、華乃の名前を呼ばれたことに、葵が選択したことを思い知らされる。


「っ……?!」


 ビクリと跳ねる肩。


 振り返る。


「…………い、ぬかい……くん……?」


 なんで?


 どうして彰良がいるのか?


「葵、先輩……その……」


 怖い、恐ろしい。


 葵に拒絶されて、嫌われることが……堪らなく恐ろしい。


「……犬飼、くん……?」


「っ…………?!」


 確かめるような葵の声音。


 三歩離れた距離。


 大きな肩が揺れる。


「(…………華乃ちゃんが……呼んでくれたのかな……?

 ……顔、強張ってるし…………好きで、来たわけじゃ……ないんだろうな……)」


 彰良の様子に自嘲の笑みを浮かべる。


 どうせ嫌がられているなら…………。


「(……最後まで迷惑ばっかり……駄目な先輩でごめんね……)」


 多少追加で迷惑をかけても……これ以上、嫌われることはない。


「犬飼くん……今日は月が綺麗だから。

 だから……最後に一つだけ……伝えてもいい……?」


 静かで、儚い笑顔。


 諦めに満ちていることに、彰良は気付かない。


「…………選んだんですね」


「……うん」


「そう……ですか……」


 白くなる程に、拳を握りしめる。


 遅かったと望まない結末に、唇を噛みしめる。


 それでも、逃げない。


 逃げてたまるか。


 心の奥が音を立てて、凍り付いても。


 死んだ方がマシなくらいに痛んでも。


 これは……葵の心を無視した彰良への罰なのだから。


「…………犬飼くん、月がきれいですね」


「…………は?」


 覚悟を決めた彰良の耳。


 耳を疑う。


 拾った音は、想像と違った。


「貴方と見る月が……一番、綺麗です」


 戸惑う彰良。


 届かなくて構わない、と葵は続けた。


「それは……」


 夏目漱石。


 もし、彰良が考えた言葉を引用しているなら……!


 信じられない気持ちと歓喜が、複雑に混ざり合い、暴れる。


「犬飼くんにとっては迷惑ですよね。」


「っ……何をっ……」


 自嘲の笑み。


 葵は、想いが届くとは微塵も信じていなかった。


「ちょっと優しくしただけ……もう、異性としてみていない先輩にこんな気持ちを抱かれて。」


 壊れかけた笑顔。


 痛々しい姿。


「……気持ち悪いですよね……」


「違っ! そんなことはありませんっ!」


 不思議そうな葵の瞳が、初めて彰良に向けられる。


「違う! 違うんですっ!

 じぶ……おれ、はっ!

 気持ち悪いなどっ! 思っていないっ!」


「…………?」


 まるでビー玉のような、歪なガラス玉のような瞳。


「……私は……これ以上、迷惑を掛けません。

 お金も……支払います。

 出来るだけ早く……転職して、迷惑をかけないように……します。」


 彰良の言葉が届かない。


 嫌われていると思い込んでいる葵には、届かない。


「逃げないために……ケジメなんです。

 だから……笑って良いですよ。」


 恋に敗れた十六歳の夏休み明け。


 クラスメート達が笑ったように。


「笑えるわけないだろうっ!

 惚れた女がっ!

 絶対に側から離したくないっ!

 全部を奪って閉じ込めてしまいたいっ!

 ただ一人の愛する女がっ!

 俺のせいでっ壊れ掛けてるのに……笑えるわけ無いだろうっ………!」


「っ…………?」


 離れていた三歩。


 激情のままに詰め寄り、華奢な体を引き寄せ……力いっぱい抱き締める。


「ケジメもっ!転職もいらないっ!

 そんなものっ認めてたまるかっっ!」


 泣きそうに歪んだ顔。


 低く掠れた声。


 余裕のない言葉選び。


 震える体。


 痛いほどに締め付ける腕。


「…………?」


 ポタリと雫が落ちる。


 葵の頬を流れ落ちていく雫。


「……犬飼、くん……?」


 息苦しいほどの彰良の腕の中。


 葵の瞳に微かに光が灯り始めるのだった。


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