第五十七話
東京郊外、武蔵野エリア。
車が無いことに気が付き、すぐにタクシーを捕まえた。
メッセージアプリを起動する。
『オットセイより、葵先輩がちょー可愛い』
『所在地〜?英語の看板が見えまーす!』
『夜はレインボーブリッジが見たいなぁ。』
『綺麗な夜景を見ながら、愛の告白って素敵よね!』
タクシーの中で所在地を確認しても、適当に返されるメッセージ。
「………………っ」
渦巻く感情を吐き出し、冷静さを保とうとする。
『ホテル予約しちゃった♡』
ミシッとスマフォのケースにヒビが入った。
「…………すみません、今すぐに降ります。」
「ひっ……は、はいぃぃっっ!」
タクシーが急停止する。
一万円札を数枚置いて下車する。
「…………う、埋められるか……と……」
残された運転手は半泣きだった。
夕方まで水族館で過ごした葵と華乃。
楽しさの中に、何処か諦めや自暴自棄な表情が見え隠れする葵。
夜空に月が昇る。
月明かりに照らされても尚、真っ暗で静かな海。
「寒くないですか?」
「……大丈夫、かな?
……よくわかんないの。」
月を見上げる。
欠けて細い三日月。
まんまるではない……葵の欠けた心に似ていた。
「華乃ちゃんは、寒い?
……何処か……建物の中に行く?」
「えー……そんなことを聞いちゃいますぅ?
私が葵先輩を連れ込みたい場所なんて、決まってるじゃないですかぁ?」
「…………良いよ、華乃ちゃんなら……ぜんぶ、わたすよ」
壊れかけた笑顔。
「…………本気で、言ってます?」
真顔で見つめる。
「……うん……私が、華乃ちゃんに渡せるモノって……ソレしかないから……」
何も返せない。
華乃が一番欲している恋愛感情を返せない。
「だから……華乃ちゃんが欲しがってくれるなら……ぜんぶ、わたすよ……」
自分にとっては価値がないけど……
華乃にとって、価値があると思ってくれるなら。
「……賭けの時間は、まだ残ってますよ」
「……来ないとわかってるよ。
最初から……私の負けは決まってたもの。」
微笑む。
「……だから……いいの……」
涙さえ、流れない。
「…………何ですか、それ。」
華乃は唇を噛みしめる。
「っ…………路地裏で……」
「…………?」
「路地裏で怪我して動けない、普通の人なら関わりたくない人種に!
……自分が、壊れかけてるクセに……手を伸ばす馬鹿な女がいました。」
「華乃ちゃん……?」
「……その人が言ったんです。
私を助けるのは"自分が後悔したくないから"って!」
怪我をした見るからに不良と分かる女。
関わったら碌なことにならないと、通り過ぎる人間達。
そんな中で、手を差し伸べて来たのは…………明らかに壊れかけた葵だった。
「……傷付いても、壊れかけても……後悔したくないって、普通の人間が見捨てるような奴を助けようとするなんて……!
しかも、手を引っ掻いても、払い除けても、諦めないしっ!
こっちの方がガキかよって、馬鹿みたいじゃんっ!」
「…………」
「……そんなお人好し、ほっとけないじゃん。
頑張って勉強して、近付いてみたら……予想以上に……守りたくなって……」
過去の傷に魘されても、唇を噛み締めて立っている葵。
恐怖に耐えながら、一人でも生きて行こうと足掻く姿に…………守りたくなった。
「私がっ一番大好きで、尊敬する……葵先輩なのに!
価値がないみたいにっ!
ソレとか言わないでくださいっ!!」
肩で息をする。
必死の想いに、感情が昂る。
想いが暴れ出す。
「私のっ!
私自身よりも大切な葵先輩にっ!
私は誰よりもっ! 幸せになってほしいんですっっ!!」
葵が幸せなら……その隣が華乃じゃなくてもいい。
葵の一番が華乃じゃなくてもいい。
葵が幸せだと微笑んでくれるなら…………華乃は、自分の恋心を手放したって構わない。
だって……華乃が欲しいのは、葵のぜんぶ。
葵が自分を肯定して、幸せになる未来……その全部だから。
「か、のちゃ……」
華乃のスマフォが鳴る。
「謝んないでくださいよ……葵先輩」
「っ……ありが、とう……」
ぎこちなく微笑む葵。
「……まだ、受け取りませんよ。
賭けは……終わってませんもん。」
おせーんだよ、クソ犬と心の中で悪態をつく。
「葵先輩……ちょっと缶コーヒーでも買ってきます。」
葵の返事も聞かずに歩き出す。
「私もいっしょに……」
「……ダメでーす!
葵先輩は、此処でベンチが取られないようする係りですから。」
振り返る。
自分の中で一番可愛い、最高の笑顔を浮かべて見せる。
「ま、すぐに戻ってきますから!」
振り返ることなく進んで行く。
前を睨みつければ、遠くから走り寄ってくる馬鹿な男の姿。
「…………腹立つ」
腸が煮えくり返ってしょうがない。
何で、こんな馬鹿な男に…………。
葵しか目に入らない、不器用で同仕様もないクソ犬に、華乃の一番を渡さなきゃいけないのか?
「…………もっと殴っとけば良かった」
でも、華乃は知っている。
同仕様もなく、馬鹿で、執着心と独占欲を拗らせたクソ犬じゃなければ…………葵は幸せに、もう微笑めないのだ。
「へえ……?
死にそうな顔してたくせに、来ちゃったんだ?」
遠くのベンチに月を見上げる葵の背中が見える。
「…………葵、せんぱいっ……は……」
整わない呼吸。
流れ落ちる汗。
走り回って。
探し回って。
……やっと見付けた、無様な男。
「でも、もう遅いわよ?
だって……葵先輩は、もう選んじゃたもの」
「っ……」
息を呑む。
ふふ……と意地の悪い笑顔を浮かべ、少しだけ溜飲が下がる。
「でもさぁ……私ってば、ちょー優しいから。
最後に負け犬の遠吠えくらい、吠えさせて上げてもいいわよ?」
「……っ……感謝、する……」
拳を握りしめる。
歯を食いしばる。
視界の奥。
遠くのベンチに月を見上げて、一人座る最愛の女性の背中。
「…………」
大きく息を吐き、華乃から顔を背けて歩き出す。
「…………遅いのよ、お犬様」
ボソリと呟かれた華乃の声。
「……だから……何時迄も、私に犬っころ扱いされんのよ。」
狼は番を大切にする生き物でしょう?と華乃は遠くなる彰良の背中に小さく呟くのだった。




