第五話
「……という訳で、今に至ります。」
「…………」
黒縁眼鏡の奥で目を見開き、無言で話を聞いてくれた彰良へと葵は苦笑を向ける。
「要するに、黒木さんにとって私は賭けの対象でしかないんです。
彼にとって重要なのは、三ヶ月以内に私とセックス出来るかで……」
「どうして怒らないんですか?」
「え……?」
無言を貫いていた彰良の言葉に、葵は一瞬だけ戸惑う。
「…………アイツ、殴ってやれば良かった……」
「え、あの……犬飼君?」
眉を寄せて不快感を顕にボソリと呟かれた彰良の言葉は、葵には聞き取れなかった。
「はぁ……立花先輩、危機感はありますか?
推測ですが、先輩の話からするとそろそろ三ヶ月が経つのでは?」
「そうですね。
ちょうど明後日の金曜日で三ヶ月らしいですよ。」
「……待ってください。
その日は兼子さんが幹事で、総務と営業の若手を集めて親睦会とか言ってませんでしたか?」
まさか参加しませんよね?、と目線だけで問い掛ける彰良へ葵はニッコリと笑顔を返す。
「バッチリ参加する予定です。」
「そうですよね、流石に参加しません……は?」
「参加しますよ。」
「っ……自分から罠に飛び込んでどうするんですか?!」
ガタリと音を立てて立ち上がった彰良に、葵は苦笑してしまう。
「他人の気持ちを弄ぶ真似をする下衆共ですよ?
黒木だけじゃなくて周囲も先輩の味方ではない可能性の方が高いのに、無謀な真似はやめるべきです!」
「(ゴールデンレトリバーが飼い主に危害を加えられて怒ってる……。
なんか……意外だなぁ。
犬飼君って、もっと他人に興味がない人種だと思ってた……。)」
自分をもっと大切にしてください、と頭を抱える彰良を見て、葵はぼんやりと考える。
「……本当に……何でそこまで馬鹿にされて怒らないんですか……?
自分が先輩の立場なら、怒りに任せてぶん殴るくらいしますよ……」
怒りも悲しみも出さず、感情を表に出さない葵を見て、彰良は脱力して椅子に座り込む。
「……泣いても、怒っても、相手を楽しませるだけですから。
感情を見せた方が、面白がられる……。」
過去の経験が葵に語り掛ける。
「現実なんて……そんなものですよ。
綺麗に整えられたお伽噺みたいに、都合のいい王子様や魔法使いなんて現れない。」
傷付いた心を抱えて泣いて、苦しんで……葵が閉じこもっていても、現実は変わらなかった。
アイツラは嗤って今を楽しんでいた。
「だから……強くなるしかないのよ。
何があっても、笑って吹き飛ばせるように。」
この先の未来を自分の足で立って歩けるように。
「私はシンデレラのガラスの靴はいらないわ。
自分の未来くらい自分で掴むって決めたから。」
強くなると決めても……血をにじませ、痛む心を抱き締めて。
「あんなヤツらに負けたくないの。」
「……っ……」
晴れやかとは言えない。
痛みを引きずってなお、強く立とうと微笑む葵の姿に魅了され、彰良は頬を微かに染めて言葉を失う。
「なんて、格好良く言ってみたけどダメダメなんですけどね。」
彰良へと誤魔化すように微笑み、葵は自分のデスクの上にあった書類の束へと手を伸ばす。
「……つまらない話に付き合わせて、ごめんなさい。
もう一時間くらい付き合って貰ってますし、そろそろ犬飼君も帰った方が……」
「最後までお付き合いさせて下さい。
……あんな話を聞かされて、一人になんて出来ませんから。」
華乃が残していった書類のチェックを始めた葵の横で、彰良がチェックの終わった書類をまとめ始める。
「あと、自分も金曜日の親睦会には参加しますので。」
「…………ありがとう」
不器用な彰良の優しさを感じ、葵は素直に微笑むのだった。




