第四十四話
深い紺色の車が高速道路を走って行く。
黒を基調に整えられた車内。
車窓を流れていく景色。
「…………彰良くん、朝から……騒いで、ごめんなさい……」
助手席に座り、羞恥心に体を小さくする葵が呟く。
「しかも……気が付けば、車の中ですし……いつの間にか、バックと靴まで……」
泣いてしまった葵を優しく慰める彰良。
家族以外の異性に対し、初めて覚えた安心感。
初めての感覚が擽ったくて、少しだけ動揺する。
「本当に……先輩なのに、彰良くんに迷惑ばっかり……」
「いえ……自分は、とても嬉しいので問題ありません。」
彰良よりも小さな体を余計に縮こませる葵。
真っ直ぐに前を向いたまま、彰良は微笑む。
「……葵先輩は……泣いたとき、と言いますか……素は少しだけ幼い雰囲気の喋り方になるんですね。」
意外でした、と彰良は笑みを深める。
「それはっ……その……うぅ…………職場とかは、ちゃんとしなきゃ、ですから……」
後輩であり、年下の彰良から幼いと言われ、頬がさらに赤くなる。
「自分は……素の先輩の喋り方、好きです。」
「み゛っ……?!」
「……何ですか、今の可愛い鳴き声は……?」
「かわっ……?!」
目をグルグルさせて、葵は動揺する。
「……すみません、慣れる練習と思っていたんですが……?
もう少し調整した方が……良いですか……?」
「あ、え……うっ……が、がんばります……」
「……自分も、葵先輩のために頑張ります」
葵を見なくても、林檎のように赤くなっている姿が想像できる。
「……そうだ……葵先輩」
「はい……?」
「自分との会話は、素の喋り方で……その、してみませんか……?」
「……彰良くん……と……?
いや、でも……今でも、十分に言葉遣いが崩れてしまう時も有りますし……。
それに……彰良くんに嫌な思いをさせるかも……」
他者との関わりは最低限の大学生活。
社会人になってからも、他者との関わりは業務上のみ。
敬語で固めた社会人としての葵の鎧。
素の葵は……十六歳で他者との関わりをほぼ断ち切っていた。
「だからこそ……その、自分は練習相手に丁度いいかと。
それに……葵先輩の言葉遣いが崩れた程度で嫌な思いなどしません。
……逆に、葵先輩に頼ってもらえて嬉しいです。」
「えっと……彰良くんは、本当にイヤ……じゃない、ですか……?
職場の先輩でしかない……私、が砕けた言葉を使って……」
「嫌ならば、最初から提案しないかと。」
躊躇うことのない返事。
「(……前に進むって、決めたんだから…………。
彰良くんが善意で手伝ってくれる……甘えるのは悪いけど……でも、がんばるって……言ったもの……)」
ぎゅっと手に力を込める。
意を決した様子で、彰良へ視線を向ける。
「あ、の……彰良くん」
「はい」
「…………言葉遣い、変える……けど……い、やだったら、すぐに言って……ね……?」
「っ……はい、葵先輩。
その時は、必ずお伝えしますね。」
「う、うん……お願い、ね」
安心したように微笑む葵。
「…………」
一瞬だけ横目で葵を伺う。
視線を戻す。
葵の表情に安心の色が強いことを把握する。
「……葵先輩、少し休憩しましょうか?」
「休憩……?」
「ちょうど、SAが有ります。」
「サービスエリア……!」
葵の声音に微かな喜色が滲む。
「……葵先輩は……SAが好きですか?」
「……こ、子どもっぽい?」
「いえ……自分には、あまり縁のない感覚だったもので……」
「……?」
葵は首を傾げる。
「SAとは、トイレに行く程度の場所だと……認識していたもので……」
「彰良くんは……トイレしか行かないの……?」
「……水分補給が必要な場合は、自販機程度は使用します。」
「…………」
彰良の言葉に迷う。
……これは、彰良を困らせるだろうか?
「……お土産……とか、見に行くの……ダメ?」
勇気を振り絞る。
家族以外に自分からやりたいことを伝えたのは……何年ぶりだろうか?
「……買わないけど、お菓子のパッケージを見たりするのが……すき、で……」
嫌がられないだろうか?
ちょっとだけ俯いてしまう。
「……っ……」
無言の彰良。
ハンドルを握る手に力が籠る。
SAに向かう車の速度が心無しか上がった。
ウインカーの音。
音もなく静かに止まる車体。
「……葵、先輩……」
「っ……ダメならいいの!
ごめんね、急に変なことを……」
「駄目じゃありません。」
「……彰良くん……?」
葵の言葉を遮った彰良に、恐る恐る視線を向ける。
「葵先輩……葵先輩のやりたいこと、教えて貰えて嬉しいです。」
「え……」
驚きました、と優しい笑みを浮かべる。
予想外の返答に、葵は目を丸くする。
「自分は……先輩の好きなことを、あまり知りません……。
だから……葵先輩の好きなことを、葵先輩のことを知れて……嬉しいです……!」
喜びに満ちた声。
穏やかな微笑み。
「葵先輩の好きなことを、また一つ知ることが出来ました。」
「っ…………!
彰良くんは……!
やっぱり、私のことを甘やかし過ぎだと思います……!」
「そうでしょうか?
葵先輩は、すぐに遠慮します。
自分のことを後回しにしていると認識しています。
……だから、甘やかしても問題ないかと。」
「……っ……彰良くん、は……卑怯だよ……!」
羞恥心なのか。
焦りなのか。
様々な感情が胸の中で渦巻く。
……だが、彰良が相手だからなのか?
それは、嫌な感情ではなかった。
「……お互い様では?」
くすりと笑う彰良。
葵の心に、確実に根付いている彰良の存在。
少しずつ許されている心の境界線。
「……葵先輩」
「…………?」
手を差し出す。
「自分に……葵先輩の"すき"を教えて頂けませんか?」
「……うん」
差し出された大きな掌。
……少しだけ躊躇う。
だか、葵は己の意思で……手を重ねたのだった。




