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その恋、賭けですよね? ~地味OLは全部知った上で三ヶ月後に叩き潰す~  作者: ぶるどっく


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第三十話



 課長二人が社長室へ向かった総務課内の一角。


 オフラインのPCを前に座る有馬。


 その背後に立ち、必要な情報を纏める葵。


「……管理委員会に提出する書類になりますので、このフォーマットを使用して下さい。」


「分かったわ」


 総務社員達のタイピング音に混じって、有馬のタイピング音が響く。


「……何も聞かないのね。」


 タイピング音と電話の音。


 静かな空気を切り裂き、PCの画面を見つめたまま有馬が呟いた。


「…………聞いた方が宜しいですか?

 ……有馬主任は……私のことが、苦手だと推測しているのですが……」


 静かな言葉。


 暫し逡巡し、葵は率直に答えた。


「半分正解で、半分不正解よ。

 だって……私は貴方の思考が理解できないから苦手よ。

 思考が理解できないだけじゃなくて、能力が有るのに甘えて上を目指さない所も嫌いだもの。」


 有馬の声が静まり返った総務課に嫌に響く。


「黒木の被害にあった他の女性社員に話を聞いていた貴女は知っていたでしょう?

 ……私も未遂とは言え、黒木の被害者の一人だと。」


「…………」


「最も、私は貴女と違って証拠が無かったから、真っ向から対峙したわ。

 ……くだらない賭けの勝敗に拘って、私にハラスメントで訴えられたいかって。

 プライドだけは一人前以上の黒木が、そのリスクを負うとは思えなかったから。」


 黙して語らない葵に業を煮やしたのか、有馬のタイピングが止まる。


「どうして貴女は上を目指さないの?

 今日の貴女の能力を見ていれば、貴女は十分に上を、出世を目指せる。

 戦えるだけの能力があるのにどうして?」


「…………。

 (……真っ直ぐで、間違ったりしない……強い人だなぁ……。

 きっと……何があっても戦える……悪役は……絶対に負けるって……思える、人……)」


 葵は迷った。

 だが……もう、逃げないと決めているのだ。


「……有馬主任は……太陽みたいですね」


「は……?

 太陽?

 いきなりなにを?」


 小さな呟き。


「……離れていれば暖かくて、明るいで済むけれど…………近付き過ぎると、蝋で固めた羽根が溶けて落ちちゃう。」


「…………」


 有馬は不審なものを見るような目を葵へ向ける。


「……有馬主任にとって、能力があれば上を目指すことが当たり前……なんですよね?」


「……そうよ。

 能力が有るのに言い訳して、甘えて戦うことをしない人は嫌い。」


「……有馬主任、当たり前って何でしょうね。」


「一般的な人が普通にできることよ。」


 落としていた視線を上げ、微笑む葵の問い掛け。


 瞬時に、迷わず答える有馬。


「"当たり前"に出来ることって……凄いことなんですよ」


 葵の透明な微笑み。


 彰良が、総務課社員が、葵と有馬の会話に聞き耳を立てていることを感じる。


「私、今回みたいな賭けの対象にされたの……初めてじゃないんです。

 それを切っ掛けに……私は"当たり前"に高校に通うことができなくなりました。」


「っ……!」


 周囲が息を呑む。


 誰かが落としたペンの音。


 途切れたタイピング音。


「だから……私は、有馬主任にとっての"当たり前"を出来ていない、弱い人間だと思います。」


 思い出すのは賭けの対象とされていたことを知らず、初めて恋人と二人っきりになった日。


 ……まだ高校一年だった葵の、一つ上の先輩だった恋人。


 家族が留守にしていた葵の自宅。


 家族が留守と知り、身体の関係を持とうと迫った恋人。


 流されそうになったが、最後の最後で怖がり、嫌がった葵を押さえつけ、笑った恋人。


「"当たり前"に恋をして、想い想われる。

 半年以内に好きにしてみせる……ぜんぶ、賭けのための嘘でした。」


 兄たちが間一髪で帰宅し、葵を助けてくれた。


 そして、その場で恋人の真実を、賭けのことを知った十六歳の夏休み。


 勇気を振り絞って登校した……夏休み明けの学校。


 ……葵はクラス中の笑い者にされ、傷をえぐられた。


「他人を"当たり前"に信じるのが怖い。」


 教室の中には、葵が友達だと思っていた人間もいた。


「そんな私が……"当たり前"に人の上に立てるでしょうか。」


 呆然と、涙すら流すことが出来なかった葵を、隠れて様子を見ていた二つ上の兄が連れ出してくれた。


 ……最も、その前に教室内で大乱闘を起こしたが。


「私は"当たり前"に皆が出来ることを、出来なくなりました。」


 家から、自室から、出ることが怖い。


 他人が怖い。


 好意を向けられることが怖い。


「他の子が出来る"当たり前"のことすら、出来なくなった私。

 ……唯一の救いは……家族が私を見捨てなかったこと。」


 怖がり、苦しむ葵を根気よく支え、責めることなく、大切なのだと手を伸ばし続けてくれた。


「だから……私は生きて此処にいます。」


 微笑む葵に、絶句する周囲。


「……すみません、有馬主任。

 変な空気にしちゃいました。

 えっと……私が出世を目指さないのは、そんな器じゃないからで……」


「ごめんなさい……!」


 空気を変えようと明るく微笑んだ葵。


 有馬は立ち上がり、深々と頭を下げた。


「えっ……え、あの?!

 あ、有馬主任っ頭を上げてください!」


「いいえ、上げないわ。

 私は、私の身勝手な価値観で貴女を傷付けた……本当に最低だわ……!」


 戸惑う葵を前に、決して頭を上げようとしない有馬。


「……以前の私なら……」


 有馬の肩に手を添え、身体を起こすように促す。


「……以前の私なら……有馬主任の言葉に反応を返すことなく"出世には興味がありません"と返したと思います。」


 多忙な両親、大学と高校に通っていた兄たち。


 葵を一人ぼっちにしないために、時間を調整して必ず誰かが家に居てくれた。


「……約束をしたんです。」 


 葵を急かすことなく、ゆっくりと再び外に連れ出してくれた家族。


 再び見た外の世界では、夏休み明けの教室で葵を笑ったクラスメート達が……普通に青春を謳歌していたことを知った。


「……もう逃げない、って……」


 強くなりたくて。


 通信制で猛勉強をして、大学にも通って……自分を磨いて磨いて、鎧をまとった。


「……もう一度、傷付くことになったとしても……」


 思い出すのは……彰良と華乃、そして佐山。


「可愛くて、格好良い後輩たちに……」


 怖いくらいに感情をぶつけてくる後輩たち。


「強い先輩の背中を見せると約束したんです。」


 ふわりと微笑む。


「だって……負けてばかりはいられませんから。」


 真っ直ぐに立つ葵は、確かに強さを身に着け始めていたのだった。


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