第十六話
地下にある備品室。
決して広くは無い、微かに埃っぽい部屋に残された二人。
「(……何でかしら……最近、犬飼君が側にいると……変になる……)」
華乃に背を向けて備品チェックに集中しようとする葵。
……だが、頭の中には彰良の姿や言葉が浮かんでは、消えていく。
「(いけない……仕事中は集中しなきゃ……!)」
葵は頭を振って、仕事に集中しようと試みる。
「……先輩?」
「っ……あ、兼子さん……そっちは終わった……え、あの……?
(え、え……あれ、何か距離が……近い、ような……?)」
振り向けば、すぐ側に華乃の笑顔。
「ずっと難しい顔をして……何を考えているんですかぁ?」
「た、大したことじゃないですよ……それ、よりも……ちょっと近くない、かな……?
(な、んだろ……いつもとは雰囲気が、違う……?
ライオンに……狙われた気分って、いうか……)」
音もなく背後に忍び寄った華乃。
後退ろうにも、葵は背中には棚の感触。
「……先輩って……鈍いって言われませんか?」
「え……いや、そんなことは……」
華乃の微笑み。
微笑んでいるはずなのに、細まった瞳が感情を裏切っている。
「……妬いちゃうなぁ……犬飼さんと、名前で呼びあって……」
「っ……!
(聞かれてた……!
……あ、もしかして……トイレで言ってた……兼子さんの本命って……)」
脳裏に浮かぶのは約三カ月前のトイレの個室。
確か、本命は別にいると言っていた華乃。
「あの、もしかして……兼子さんは、犬飼君のことが……好き、だったり……」
「……ふっ……ふっ、ふはっっ……」
恐る恐る尋ねた葵。
一瞬だけ虚を突かれた顔をした華乃は、心底面白いとばかりに笑い出す。
「あーもう……笑わせないでくださいよ、先輩。」
「…………えっと……ごめんなさい……?
(……私、そんなに変なことを言ったかしら……)」
目尻に涙を浮かべて嗤う華乃に、葵は戸惑う。
「やあっぱり、先輩って可愛いですよねぇ。
……世界に二人だけになっても、私は犬飼さんだけは無いですね。」
「そ、そうなのね……。
(そこまで否定しなくても……。
あれ……だったら……妬いちゃうって……)」
あまりに強い華乃の否定。
「ねえ……先輩?
気が付きましたよね……?」
肉食獣が獲物を追い詰めたような瞳。
「私が、妬いた相手は……犬飼さんに、です……」
「か、ねこさ……ん……」
どんどん近付いてくる欲を孕んだ、熱い瞳。
「……好き、ですよ……葵、先輩……」
「っ……」
互いの距離がゼロとなり、耳元で囁かれた言葉。
「……もちろん……恋愛的な、意味で……です」
動揺しつつも、華乃の肩を掴んで離そうとする。
「ま、まって……私は……」
だが、首に腕を回され、視界には妖しい色香を纏った華乃だけになる。
「女同士、でしょ?」
「そ、そう……です……私達は……」
クスリと笑う華乃の赤い唇。
「……女だから、葵先輩が好きなんじゃありません。
葵先輩、だから……先輩の全部が欲しくなる……先輩が誰といても……最後に欲しくなる相手は……私にしちゃいます。」
吐息が触れ合うほどに、近付く二人の距離。
遠くから近付いてくる足音。
「……泣き顔も、笑顔も……全部、ぜんぶ……私だけのモノにしたい……ね?」
「っ……ん……?!」
重なる唇。
交わる吐息。
「……っ?!」
二人の距離が無くなったその時、音を立てて開かれた扉。
「……離れろっ……!」
「…………あら、犬飼さん。」
黒縁眼鏡を外し、息を切らせた彰良の声。
唇だけを離した華乃が色香と悪意が混ざった笑みを向ける。
「……っ…………あ……。
(見られた……!
いま……私……逃げられなかった……わた、し…………)」
確かに重なった唇を押さえ、葵は呆然と瞳を揺らす。
「っ…………!」
唇を噛み締めた彰良が、葵の腕を掴み引き寄せる。
「……っ、か弱い女相手に乱暴ですね。
ああ、それとも……葵先輩を奪われそうで、余裕がないんですか?」
物理的に華乃を葵から引き離し、抱き寄せた。
「……っ……あ、きら……く……」
シトラス系の彰良の香り。
包まれた瞬間に、強張っていた力が抜ける。
「…………先輩っ……!」
呼ばれた名前に、抱き締める力が強くなる。
「あはっ!
図星ですね。」
無言で睨む彰良に、心底楽しそうに笑う。
「せーんぱい!」
「っ……」
彰良の胸板に隠された葵を覗き込むように向けられた視線。
愉悦を含んで呼ばれた声に、ビクリと震える肩。
引き寄せ、抱き締めた腕に力が籠る。
「続きは次の機会に取っておきますね。
……今度はお犬様の邪魔がはいらない時に……ね?」
赤く色付いた唇に人差し指を当て、色気を含んだ笑みを浮かべる。
「……次はない……絶対に、だ」
奥歯を噛み締め、拳に力が籠る。
「…………」
腕の中の葵を傷つけないように。
渦巻く怒りと殺意を視線に込める。
「あら、怖い……でも、最後に選ぶのは……葵先輩だわ」
「…………」
無言で威圧する彰良。
妖しげな微笑みだけを残し、華乃は立ち去るのだった。




