第39話
探査光条の波長は、青白い残光となって石壁の表面を滑り落ちていった。
俺は手すりに指を添え、空気に残された魔力の揺らぎを皮膚で測る。波長の間隔はきっちり指四本分、屈折角は正確無比な六十度。魔導書の定石を狂いなくなぞった、幾何学的な術式構築だ。
敵の首席術式士の手つきは、予想通り机上の理論そのものだった。完璧な計算に陶酔している様子が、伝わってくる波形から透けて見える。
「……レオン、あれを」
隣に立つアリアが、細い眉をひそめて平原の先を指さした。
車列の先頭から、白旗を掲げた騎馬の一団が砂煙を上げて進み出てくる。三騎の轡を揃え、まるで整列行進でも披露するかのような整然とした足取りで、要塞都市の外郭正門前へと迫ってきた。
「使者ですか。この期に及んで何の用でしょう」
「形ばかりの手続きだろうな。自分たちの行動を正当化するための書類を読み上げに来ただけだ」
中央の騎手が手綱を引き、外壁の真下で馬を止めた。黒地に銀の刺繍を施した豪奢な軍服をまとった男が、仰々しく胸を反らせて羊皮紙を掲げる。見張り台の上にいる俺たちの姿を認めると、唇の端を歪めて大声を張り上げた。
「辺境都市の代表者に告ぐ! 我が軍は、隣国正規軍直属・術式破壊特科独立部隊である! これ以上の無用な流血を避けるべく、我が軍総司令の寛大なる慈悲により、最後通牒を申し渡す!」
使者の声には、圧倒的な軍事力を背にした者特有の尊大な響きがあった。
「貴領が不法に占拠する魔力草の全株および全種子を即時、無条件にて引き渡すこと! また、都市の全防壁を開放し、我が軍の駐留と治安管理を直ちに受け入れよ! これに従うならば、都市民の生命財産は隣国の慈悲の下に保護されるであろう!」
城壁の上に並ぶ防衛隊の兵士たちの間で、低いざわめきが広がった。
不法占拠とはよく言ったものだ。荒れ果てた痩せ地に汗を流し、魔物の群れから守り抜いて育て上げた作物を、ただ力で奪おうとしているに過ぎない。
「無条件の引き渡しだと……? ふざけるな!」
「誰が貴様らなんかに渡すか!」
兵士たちの怒号が飛び交う中、アリアは静かに右手を挙げた。その凛とした仕草だけで、周囲のざわめきがすっと引いていく。
「下へ降りましょう、レオン。門前で直接答えます」
「了解した」
俺たちは見張り台を後にし、第一外郭正門の上回廊へと足早に向かった。
回廊の石造りの手すり越しに、眼下の使者を見下ろす。
使者は苛立ちを隠そうともせず、懐から取り出した携帯用の時告げ盤を苛立たしげに睨んでいた。
アリアは背筋を伸ばし、一歩前へ出た。亜麻色の髪が夜風に揺れ、胸当ての金属板が冷たい月光を跳ね返す。
「隣国軍の使者へ通告します。私はこの都市の領主バルドの娘、防衛指揮補佐を務めるアリアです」
澄んだ声が、静まり返った平原に響き渡った。
「貴軍の要求は、到底受け入れられるものではありません。この地で実を結んだ魔力草は、過酷な開拓を耐え抜いた領民たちが自らの手で育んだ実りです。他国の不当な略奪に屈する筋合いは微塵もありません」
使者は鼻で笑い、顎をしゃくった。
「領主の小娘が何を寝言を言っている。後ろ盾だった王都は魔物の被害で瓦解寸前、孤立無援の吹き溜まりに過ぎん分際で。我ら正規軍の魔導兵器が一撃を加えれば、その泥細工のような城壁など砂山のように崩れ去るのだぞ?」
「泥細工かどうかは、試してみれば分かります」
アリアは眉一つ動かさず、まっすぐに使者を見据えた。
「私たちは自らの足で立ち、自らの手でこの都市を守り抜くと誓いました。貴軍が不法な侵略を続けるというのなら、私たちは持てる力のすべてをもって徹底的に抗戦します。即座に兵を退きなさい」
理路整然とした拒絶に、使者の顔が怒りで赤黒く染まった。書状を握りしめる革手袋がギリギリと軋む。
「思い上がるなよ、野蛮な開拓民どもが! 正規魔導軍の鉄槌を受け、灰になってから後悔するがいい!」
唾を飛ばして叫ぶ使者に対し、俺は淡々と口を開いた。
「言いたいことはそれだけか。なら、さっさと帰って陣地で震えていろ。あんたたちの几帳面な計算通りに事が運ぶとは思わないことだな」
「なんだと、無礼な雑兵風情が……!」
使者は罵声を浴びせながら、馬首を巡らせた。その拍子に、男の腰から一つの金属片が投げ捨てられた。平原の小石の上に転がったのは、手のひら大の通信魔導具だった。
チリ……と小さな放電音が鳴り、魔導具の水晶から乾いた男の声が漏れ聞こえてくる。
『――まったく、辺境の田舎者相手に時間をかけすぎだ。交渉など最初から不要だと言っただろう』
神経質そうな、やけに理屈っぽい抑揚。先遣軍の首席術式士の声だろう。
『探査の結果は出ている。北西区画の術式構造は著しく欠損しており、防壁の接続面には致命的な強度の歪みがある。机上の幾何学すら弁えない未開の防衛網だ。我が部隊の標準砲撃手順で、半刻も持たずに突破できる』
通信機から響く嘲笑は、ぷつりと途切れた。アリアは眉一つ動かさず、去り行く使者の背中を見据えている。
「教科書通りの答えを出してくれて、助かったよ」
俺が呟くと、アリアはこちらを向いて、微かに口元を緩めた。
「ええ。レオンの読み通り、彼らは罠に気づいていません」
◆ーーーー◆
深夜。第二外郭の中央指令塔には、冷え切った空気が張り詰めていた。
円形の石机の上には、都市全域の立体魔力図が淡い青光を放って浮かび上がっている。
重い足音とともに扉が開き、現場の作業を終えたカシムが駆け込んできた。
「レオンの旦那、北西の現場から戻ったぜ!」
カシムが首に巻いた汗拭き布を絞り直しながら、太い指で石机の端を叩いた。
「言われた通り、地下水路の迂回工事は完璧に終わらせた。頑丈な土嚢も積んだし、抜け道になりそうな隙間は全部塞いである。現場の多重結界はノアの坊主がしっかり見張ってて、職人連中も気合十分だ。あとは旦那の合図を待つだけだぜ」
「助かるよ、カシム。素早い仕事だった」
「へへっ、これくらい朝飯前よ! ……とは言ったものの、相手は三千の正規軍だろ? さすがに腹の底がスースーするぜ」
カシムは軽口を叩きつつも、どこか緊張を隠せない様子で工具袋を握り直した。
その時、石机の中央にある通信魔導具が青く発光し、北西の現場を守るノアの緊迫した声が響いた。
『レオン様、感知盤に敵軍の動きが出ました!』
声は微かに震えていたが、かつて王都で見せていた怯えはない。任された持ち場を守り抜こうとする、確かな覚悟が宿っていた。
『敵先遣隊の魔導装甲車列が、陣形を横に展開しています。全車両の進路が、僕のいる北西の未完成区画……擬装死角へと収束しています!』
「絵に描いたような誘導だな」
俺は通信器に意識を向け、魔力図を覗き込んで敵の動線を指先でなぞった。
あの首席術式士の頭にあるのは、軍事魔導院仕込みの教程そのままだ。防壁の薄い箇所に火力を集中し、幾何学的な角度から弱点を撃ち抜く。論理としては正しい。だが、その弱点そのものが人工的に整えられた誘導針だとは夢にも思っていない。
「ノア、現場の触媒杭の同調率はどうだ」
『は、はい! 魔力草の根系と水路の流れが完全に噛み合っています。手元の副制御キーの反応も良好で、いつでも負荷を逃がせます!』
「上出来だ。お前が落ち着いて循環を支えてくれれば、防壁はびくともしない」
『はいっ、現場は僕に任せてください!』
通信を終え、俺は中央の操作盤へと歩み寄った。
盤面に埋め込まれた太い真鍮のレバーに手を添える。これは、要塞都市の拡張工事と並行して地下深くに張り巡らせた、魔力余剰変換導管の主弁だ。
この都市は、単なる防御壁に守られた町ではない。全体が巨大な魔力の循環路であり、外部からの圧力を吸収して街の動力へと変える巨大な機構そのものだ。敵が撃ち込んでくる高密度の破壊魔術を、そのまま結界の表層で受け止めて四散させるのは能がない。余剰魔力は、地下の導管を通じて水路を巡らせ、都市の蓄魔槽や夜間照明へと逃がしてやる。
ゴゴ……と鈍い振動を立てて、真鍮の弁が開放された。
指令塔の床下を走る導管が、かすかな熱を帯びて微振を始める。
「主弁の開放を確認した。北西水路と都市全域の導管が直結されたぞ」
俺が告げると、アリアが静かに腰の細剣に手を添えた。
「準備は整いましたね」
「ああ。あとは向こうが、最初の号令をかけるのを待つだけだ」
俺たちは塔の開口部へと並び、遠くの地平線を見つめた。
夜闇に沈む平原の彼方で、重たい地響きが連続して響き渡る。敵の魔導装甲車列が完全に停止し、巨角のような砲身を一斉にこちらへと向けた気配だった。
張り詰めた静寂の中、暗闇の彼方が淡く揺らめいた。
チッ……チチチ……と、遠雷のような放電音が夜気を震わせる。
敵攻城魔導兵器の砲身が、一斉に青白い光を帯び始めた。その輝きは瞬く間に凝縮され、まるで夜空の星を地上へ引きずり降ろしたかのような、冷酷で不吉な光芒へと膨れ上がっていく。
三千の敵兵が放つ殺気と、極限まで圧縮された術式の重圧が、分厚い大気の壁となって押し寄せてくる。
敵の初撃が放たれるまで、おそらくあと数十秒。
俺は呼吸を整え、冷たい夜風の中で、静かに変換導管の制御環へと魔力を通した。




