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第40話

地平線の端が、白みがかった閃光で焼き切れた。


音よりも先に光が届き、夜空を昼間のように切り裂く。敵の先遣小隊が放った魔導砲の初弾――擬装死角である北西防壁を狙った極光の奔流が、大気を灼きながら一直線に迫ってきた。


『来ます!』


指令塔の通信魔導具から、北西の現場に詰めているノアの鋭い叫びが響いた。


俺は息を吸い、掌を床面の術式盤へと沈める。

迎撃の初動に迷いはない。外郭の外縁、城壁からおよそ百五十メイルの空中に、六層からなる多層分散結界を展開した。羊皮紙一枚ほどの極薄の皮膜が、夜の帳を剥ぎ取るように青白く立ち上がる。


直後、敵の閃光が第一層に激突した。


耳を劈く炸裂音は起きない。激突の瞬間、薄膜の表面に幾何学模様が網の目のように走り、砲撃の推進力を横方向へ引き裂く。初弾の破壊熱と運動エネルギーは、外郭へと到達する前に細かな光の粒子へと解体され、結界の膜を滑るようにして足元へと誘導された。


「導管への魔力流入、受け入れ開始」


俺は短く呟き、すでに全開にしてある主弁へ向けて術式の同調環を滑り込ませた。


足元を走る太い導管が、ゴウと低い唸りを上げる。直結された水路と結界が完全に噛み合い、捕捉した敵の攻撃エネルギーは都市を破壊する暴力ではなく、純粋な魔力流へと変換されて地下水路へと流れ込んだ。水路の底に根を張る膨大な魔力草群が、そのエネルギーを一滴残らず吸い上げ、淡い燐光を放って脈打つ。


「おいおい……冗談だろ」


首に巻いた汗拭き布を握り締め、計器の針を覗き込んでいたカシムが、呆れたような声を上げた。


「外壁の振動計、目盛りが一つも動いてねえぞ。あんな化け物みたいな砲撃を食らって、埃一つ落ちてこねえなんて……」


『エネルギーの九割八分を熱と光のまま水路へ流しました! 都市の基礎構造への負荷は、そよ風が吹き抜けた程度です!』


通信魔導具の向こうで、副制御キーを握るノアが興奮に声を上ずらせて報告してくる。かつて王都で顔色ばかり窺っていた少年の面影は、そこにはない。


「完璧な消殺ですね、レオン」


隣に立つアリアが、腰の細剣に置いた手に力を込めた。凛とした声が、指令塔の室内に心地よく響く。


「敵はまだ、自分たちの砲撃が完璧に吸い取られたことすら理解していないはずです。反撃の布石、これで整いましたね」


「ああ。向こうの頭脳が教科書通りの優等生なら、この結果を都合よく解釈してくれるはずだ」


俺は窓の外、暗闇に沈む平原の彼方へと視線を据えた。



◆ーーーー◆



国境平原に展開した隣国先遣軍の前衛陣地では、濛々と立ち込める排煙の奥で、首席攻城術式士のジークムントが単眼鏡を覗き込んでいた。


几帳面に整えられた灰色のローブを揺らし、彼は細い銀縁の眼鏡の奥で神経質そうに目を細める。


「……衝撃波の減衰が早すぎるな」


ジークムントは独り言のように呟いた。傍らに控える副官が、恐る恐る尋ねる。


「閣下、初弾の着弾地点から爆煙が上がっておりませんが……防壁を穿てたのでしょうか」


「愚問を口にするな。我が計算に狂いはない」


ジークムントは冷ややかに副官を一瞥し、手元の羊皮紙に素早く数式を書き殴った。


「北西区画は防衛結界の展開角から外れた構造的死角だ。初弾の消失は、防壁の土台が魔導熱によって瞬時に局所融解し、内部へ崩落したことによるエネルギーの急激な熱拡散に過ぎん。野蛮な開拓民どもの粗製防壁など、理論上、我が術式の一撃に耐えられる道理がないのだ」


彼は確信に満ちた笑みを口元に浮かべ、指先で銀縁の眼鏡を押し上げた。


「全攻城部隊へ伝達せよ。北西死角へ向けて車列を直進させよ。あの崩落地点へ全砲門を集中させ、一気に要塞の心臓部を蹂躙する。幾何学の美しさを知らぬ田舎者どもに、本物の魔導攻城戦を教えてやるのだ」


傲慢な号令が平原に響き渡る。三千の正規兵と、十数台に及ぶ大型攻城装甲車が、一斉に北西へ向けて重い車輪を軋ませ始めた。


だが、彼らは気づいていなかった。

その進軍路の先に、すでに別の『定規』が当てられていることに。



◆ーーーー◆



指令塔の最上階で、俺は平原の地脈図を脳裏に広げていた。


かつて王都で毎晩繰り返していた作業に比べれば、この平原の魔力線は驚くほど素直で、澄み切っている。誰にも見られない暗がりで、ただ壊れかけた壁を繕い続けていたあの頃とは違う。ここには、俺の引いた線を信じて背中を預けてくれる仲間がいる。


敵を確実に北西の迎撃死角へ引き込み、袋の鼠にするために――昨日のうちに平原の要所へ打ち込んでおいた杭を起動する時が来た。


「ノア、平原に伏せておいた伝導杭、励起準備」


『はい! 第三、第五、第八の杭、すべて規定魔力圧で待機しています!』


通信魔導具からノアの明瞭な返答が返る。


「よし。地脈の波長を三十二度傾ける。光学屈折結界、展開」


俺は右手を前に突き出し、指先を複雑に交差させた。


平原の夜気を、目に見えない薄い膜が覆っていく。それは物理的な壁ではなく、光と空間の認識をわずかにずらすだけの、極めて繊細な結界だ。


前進を続ける敵の先遣軍の視界では、北西の防壁がすぐ目の前に見えているはずだった。しかし、結界を通したその視界は、大気の屈折によって緩やかに湾曲している。彼らが「最短距離を直進している」と確信している足元は、実際には北西の開口部から逸れ、その手前に連なる険しい岩肌に挟まれた狭隘な谷間へと誘導されていた。


「……曲がっていく。本当に、大軍があんなにあっさりと……」


カシムが窓枠に身を乗り出し、信じられないものを見る目で平原を見下ろした。


「敵の偵察兵も、魔導波の探査器も、全部あの結界の膜の上を滑らされてるんだ。理論に自信がある奴ほど、自分の計器が狂っているとは夢にも思わない」


俺がそう言うと、アリアが誇らしげに目を細めた。


「相手の傲慢さをそのまま罠の餌にするのですね。レオン、見張り台へ向かいましょう。職人たちも、防衛隊も、次の指示を待っています」


「ああ。ここからが本番だ」


俺たちは指令塔を後にし、外郭の北西監視見張り台へと急いだ。


夜明け前の冷たい風が、城壁の上を吹き抜けていく。見張り台に立つと、眼下に広がる隘路の全貌が一望できた。


そこは、両脇を切り立った岩壁に囲まれた、幅五十メイルほどの天然の袋小路だ。そこへ、ジークムント率いる大型攻城兵器群が、自ら密集して車列を押し込んでいた。車輪が泥に取られ、兵器同士の間隔が狭まり、もはや左右への展開も後退もままならない。


『レオン様! 敵の大型攻城砲、全六門が隘路の最深部に進入しました!』


伝声管から現場のノアの緊迫した声が響く。手元の遠隔探査盤には、密集した敵の魔力反応が真っ赤な塊となって表示されていた。


「アリア、合図を」


「はい!」


アリアが腰の細剣を抜き放ち、夜空へ向けて青い信号弾を撃ち上げた。

澄んだ光条が暗雲を裂いて弾けると、城壁の各防衛区画から、待機していた職人や防衛隊員たちの歓声と足音が地鳴りのように湧き起こった。


「おうよ! 旦那の仕掛けた舞台に、客が揃ったってわけだな!」


カシムが見張り台の胸壁を力強く叩き、後方の防衛隊へ向けて拳を突き上げる。誰の顔にも、三千の大軍を前にした怯えはない。自分たちの足元を支える結界への、揺るぎない信頼だけがあった。


狭い谷底で、異変に気づいた敵陣がにわかに騒がしくなる。だが、すでに遅い。

袋小路の奥深くで、身動きの取れなくなった敵の攻城装甲車が、苦し紛れにその巨大な砲門を頭上の城壁へと向け始めた。


チチチ……と、先ほどとは比べ物にならない密度の放電音が、谷底を満たしていく。六門の大型攻城砲が一斉に臨界魔力を帯び、青白い破壊の光が、夜明け前の闇を灼熱の白昼へと塗り替えていく。


敵の首席術式士の高笑いが、魔導拡声器を通じて谷間に木霊した。


『小細工など無駄だ! この至近距離からの最大斉射を受ければ、いかなる結界とて微塵と化すわ! 撃てぇッ!』


視界を埋め尽くす極大の魔導光が、一斉に解き放たれようとしていた。


俺は荒れ狂う光の奔流を正面から見据え、城壁の手すりに埋め込まれた多層分散結界の最終同期ノブに指をかけた。


手応えは、すでにある。

あとはこの街の全てを使って、その傲慢な一撃を受け止めるだけだ。


俺は静かに、最後の一握りの魔力を込めてノブを回した。

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