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第33話

夜が明け、作戦室の窓から差し込む朝陽が、大きな机の上に広げられた地図を照らしていた。


昨日トビアスがもたらした情報は、この都市の優先順位を一段階引き上げた。旧王都の混乱に乗じるようにして、隣国の正規軍が北東の国境山脈付近で蠢いている。ただの噂で片づけるには、俺の結界が捉えた波形はあまりに整いすぎていた。


「避難民の受け入れ態勢と、新しく開墾した魔力草の圃場……その双方を収容するには、現在の外郭では到底足りません」


机の向こうで、アリアが細い指先を地図の上で滑らせる。彼女の横顔には、領主の娘としての強い責任感と、父とともにこの都市の民を危険に晒すまいとする固い意志が宿っていた。


「ああ。だからこそ、昨日決めた通り都市の防衛線を一段階外側へ押し広げる。予定している『第二外郭防壁』の建設だ」


俺は携えてきた羊皮紙を地図の上に重ねた。昨夜のうちに書き上げた青写真だ。既存の外郭からさらに半里ほど外縁を囲む、全周二里にも及ぶ巨大な城壁ライン。防壁そのものが自律循環結界の余剰魔力を吸い上げ、常に硬化作用を維持する構造になっている。


作戦室の重い扉が開き、荒っぽい足音が二つ響いた。入ってきたのは、現場を仕切る大工のカシムと、都市の石工たちを束ねる建築親方のボイドだ。


「おう、レオンの旦那、アリア様。朝っぱらから呼び出しなんて、ただ事じゃねえな」


頭に手ぬぐいを巻いたカシムが歯を見せて笑う。その背後で、煤と泥にまみれた作業着を着たボイドが、太い腕を組んで眉をひそめていた。


「話は聞いたぜ。外郭をさらに広げる計画だそうだな。だが大将、無茶を言っちゃいけねえ。いくら旦那の魔法が凄かろうが、あんな広大な荒野に防壁の基礎を打つなんざ、通常の石工が総出でかかっても半年は下らない大工事だぞ」


ボイドの言葉は、長年現場で石と格闘してきた職人ならではの、極めて真っ当な懸念だった。魔法を万能の解決策として安易に扱う連中に、職人が反発するのも無理はない。


「半年もかける気はない。基礎工事は今日一日で終わらせる」


俺が淡々と告げると、ボイドの顔が引きつった。


「はあ!? 一日だと? 基礎の溝を掘って、巨石を運び込んで、地盤を固めるだけで何日かかると思ってやがる! 魔法で土を盛っただけの柔な壁なんざ、魔獣の一撃で崩れちまうぞ!」


「手抜きをする気はないさ。土を盛るんじゃない。本物の城壁石を隙間なく積み上げる。石材の運搬と配置に、俺の結界術を組み合わせるんだ。ボイド、あんたたちの積みの技術を貸してほしい」


俺の揺るぎない視線を受け止めたボイドは、毒気を抜かれたように息を吐き、首をぼりぼりと掻いた。


「……ちっ、そこまで言うなら見てやろうじゃねえか。もし基礎がガタついてたら、どんなに偉い魔術師だろうと怒鳴り飛ばすからな」


「頼りにしてるよ」


アリアが小さく微笑み、作戦室の空気が一気に熱を帯びた。



日が高く昇る前、俺たちは都市外郭の荒野に立っていた。


予定地には、以前から切り出して集積してあった巨大な城壁用の岩石が、小山のように積み上がっている。一つあたり大人の背丈ほどもある玄武岩のブロックだ。通常なら頑丈な木製の台車と何頭もの輓馬、そして数十人の工夫がかりでようやく一つを動かすような代物だった。


俺は息を整え、両手を広げた。


足元から淡い燐光が走り、予定地の地面全体へと幾何学的な紋様が染み渡っていく。自律結界から引き出した魔力を地脈へと流し込み、土中の砂礫と粘土の結びつきを根底から締め上げる『地盤硬化術式』だ。


ぐぐぐ、と低く重い地鳴りが響き、職人たちがざわめいた。柔らかかった荒野の土が、まるで一枚岩のように硬質化していくのが、足の裏を通じて伝わってくる。


「地盤の沈下対策は完了だ。次はこれだな」


俺は石材の山へと歩み寄り、詠唱を紡ぐ。青白い光の膜が、積み上げられた巨石群をふわりと包み込んだ。


石材そのものの重量を魔力で受け流す術式——範囲限定の『質量浮動結界』の展開だ。魔素の膜で石を包み込み、物質本来の重みを術式で肩代わりさせる。


「よし、カシム。一番上の石を引っ張ってみてくれ」


「へへっ、また旦那の軽量化結界だな。工房の魔導管でも世話になってるが、こんなデカい城壁石でもいけるのかい?」


カシムは軽口を叩きながら、ひょいと手を伸ばして巨石の角を掴んだ。指先に力を入れた瞬間、大人十人がかりでも動かない玄武岩の塊が、まるで羽毛のようにすんなりと持ち上がった。


「おおっ、やっぱりすげえや! 指先一つでひょいと浮き上がるぜ!」


それを見ていたボイドの顎が外れんばかりに落ちた。


「バ、バカな……! 大人数人がかりでもビクともしねえ城壁石を、片手でひょいひょい動かしてやがる……!? おいカシム、てめえ何しやがった!」


「何って、旦那の術式のおかげさ。工房の作業台でも同じ仕掛けを使わせてもらってるが、まさかこの巨石の山全部に効かせちまうとはな」


「持ち上がっても、石そのものの強度や密度は変わっていない」


俺が説明を補足する。


「結界を解除すれば元の重さに戻る。だから、配置を決めてから結界を切るんだ」


ボイドは信じられないといった足取りで巨石に近寄り、武骨な手のひらで表面を撫で回した。叩けば確かに重厚な石の音が響く。だが、押せば羽毛のように滑らかに動く。


「……すげえ。おい、お前ら、突っ立ってんじゃねえぞ!」


ボイドが腹の底から怒声を響かせた。驚愕に固まっていた石工や大工たちが、一斉に背筋を伸ばす。


「運搬の手間がゼロになったんだ! 俺たちの仕事は、狂いなく最高精度で組み上げることだけだ! 寸分の隙間も許さねえぞ、腕の見せ所だ!」


「「「おおっ!!」」」


荒野に職人たちの雄叫びが轟いた。


そこからの光景は、もはや建設工事というより一種の芸術だった。工夫たちが巨石を両手で軽々と抱えて走り、ボイドの指示に従って硬化した地盤の上へ次々と据え付けていく。石が定位置に収まった瞬間、俺が結界を部分解除して本来の重量を戻し、地面と完全に噛み合わせる。


カシムが水平器を当てて確認するが、狂いは一切ない。目にも留まらぬ速さで、何百個もの巨石が寸分の隙もなく噛み合い、頑強な基壇が地平線に向かって伸びていった。



夕刻、茜色に染まり始めた空の下に、すでに人の背丈を越える厚重な石積みの基礎が整然と立ち並んでいた。


視察に訪れたアリアが、作業の手を止めて休憩に入った職人たちの間を歩き、感嘆の息を漏らした。


「信じられません……。本当に、わずか半日でここまで組み上がるなんて」


「ボイドたちの腕がいいからだ。石同士の噛み合わせに一切の妥協がない。これなら、結界を重ねたときの頑強さは当初の想定より三割は増す」


俺が額の汗を拭いながら答えると、木樽から水を汲んでいたボイドが、照れくさそうに頭を掻いた。


「へっ、旦那の魔法が完璧だからよ。石の重さに邪魔されずに、面の合わせだけに集中できたのは生まれて初めてだ。こんな楽しい現場なら、いくらでも腕を振るってやるぜ」


職人たちの間には、かつてない達成感と高揚が満ちていた。魔法を小手先の誤魔化しではなく、職人の技術を極限まで引き出すための力として使う。それが彼らの誇りを刺激したのだ。


俺は石積みの内壁に這わせた細い溝を指差した。


「ここに、魔力草の繊維を編み込んだ導魔路を埋め込む。完成すれば、結界の余剰魔力が壁全体を循環して硬度を保つだけでなく、都市の浄化水路とも連動する。毒素を分解しつつ、攻撃を受けた際にはその衝撃を結界の力に変換する設計だ」


「守りと循環を同時にこなすのですね。……さすがです、レオン」


アリアが誇らしげな眼差しを向けてくる。これだけの防壁が完成すれば、急増する避難民も、開墾したばかりの貴重な魔力草も、完全に外敵の脅威から保護できるはずだった。


だが、その安らぎの空気を裂くように、荒野の向こうから激しい馬蹄の音が近づいてきた。


砂煙を巻き上げて馬を乗り入れてきたのは、国境方面の哨戒に出ていたダルクだった。歴戦の戦士である彼が、兜も取らずに険しい形相で馬から飛び降りる。


「レオン! アリア様!」


「ダルク? どうした、そんなに急いで」


アリアが表情を引き締めて歩み寄る。ダルクは息を荒らげ、背負った大剣の柄を固く握りしめていた。



「国境山脈だ。……妙なことになってやがる」


ダルクの低い声に、作業を終えかけていた職人たちの笑い声がピタリと止まった。俺はダルクを促し、新設された防壁の足場を登って、荒野を一望できる見張り台の上へと上がった。


冷たい風が吹き抜ける中、ダルクが山脈の稜線を指差す。


「山脈の深い谷間に、魔獣の群れが集結し始めてる。それも一種や二種じゃねえ。本来なら縄張り争いで殺し合うはずの獰猛な連中が、密集して同じ方角へ進路を取ってやがるんだ」


「魔獣の密集移動……?」


アリアが息を呑んだ。俺は懐から手のひらサイズの感知盤を取り出し、北東の国境山脈へと意識を同調させた。


針が不吉な赤色に明滅し、微小な魔力反応の波形を描き出す。無数に重なる反応の群れ。だが、その波形には奇妙な規則性があった。


「……自然発生的なスタンピードの波形じゃないな」


俺の呟きに、ダルクが鋭い視線を向けた。


「どういうことだ、レオン」


「魔獣たちの行動を外側から律する、微弱な精神干渉の術式反応が混ざっている。何者かが山脈の魔獣を狩り集め、一定の方向へ誘導しているんだ」


「誘導……!? まさか、この都市に向けてか!?」


「おそらく。しかも、群れの先頭はこちらの出方を探るような、嫌らしい移動速度を保っている」


夕闇が急速に濃くなり、遠くの山嶺が不気味な黒い影となって地平線を塞いでいた。隣国の斥候か、あるいは軍の術式士か。王都が崩壊し、防衛の空白地帯となったこの辺境の力を試すために、魔獣をけしかけてきているのは明白だった。


「やはり、一刻の猶予もないな。この第二外郭を何としても急ぎ立ち上げなければならない」


俺が静かに言うと、背後で聞いていたボイドが拳を打ち合わせた。


「おうよ! どんな化け物が来ようが、俺たちの壁はビクともさせねえ! 明日も夜明け前から叩き起こしてくれ!」


職人たちの気概は頼もしかった。だが、胸の奥底に生じた違和感は消えない。


魔獣を統率し、兵器のように操る術式。王都の魔術師団にも存在しなかった高度な誘導技術を、隣国の軍が平然と実戦投入してきている。


暗闇に沈みゆく国境山脈の彼方から、冷たい敵意がひたひたと押し寄せてくるのを、俺は張り詰めた空気の中でじっと感じ取っていた。

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