↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

PR
32/40

第32話

第一外郭関門の直上、狭間壁の隙間から見下ろす荒野の土煙は、みるみる輪郭を鮮明に変えていた。


「先頭の騎兵、速度を落としました。陣形を展開する気配はありません」


アリアが冷徹な観察眼で告げる。その指先はすでに腰の長剣の柄にかかっていたが、無駄な力みは微塵もない。彼女の指示で、門上の弓兵部隊は矢を番えつつも弦を引き絞る寸前で待機している。


俺は石壁に片手を置き、張り巡らせた広域感知結界の波形を指先でなぞった。整然と並ぶ三十頭余りの軍馬、大型の荷馬車が八台。随伴する兵の数は優に百を超える。だが、その全員の魔力循環に、攻撃衝動特有の乱れや昂ぶりは一切混じっていなかった。


「敵意も、攻撃魔術の励起反応もない。全員、ひどく消耗しているな。……長旅の警戒態勢そのものだ」


俺が淡々と事実を伝えると、アリアは小さく息を呑み、即座に頷いた。


隊列の先頭から、一頭の栗毛の馬がゆっくりと関門の射程限界手前まで進み出てくる。跨がっていたのは豪奢な毛皮の外套を羽織った初老の男だった。男は鞍から滑り落ちるように地面へ降り立つと、護衛の制止を制し、両手を天にかざしてみせた。


「私は旧王都の大商人連合で会頭を務めております、トビアスと申します! 武器を交える意志は毛頭ございません! この地を治める領主様、ならびに防壁を司る術式士殿との、対話と通商の機会を賜りたい!」


よく通る、腹の据わった声だった。手入れされた口髭の下で、細められた眼が関門の構造を抜け目なく値踏みしているのが見て取れる。


「……通しましょう、レオン。彼らの背負っている事情を聞く必要があります」


「ああ。ただし、武装兵の進入は外郭前庭までだ。結界の拘束術式は起動待機のまま維持しておく」


俺が術式環の術式線を一本だけ組み替えると、重厚な鉄格子が鈍い軋みを立てて巻き上がった。



通された領主邸の応接室は、乾いた外気とは対照的な静けさに包まれていた。


湯気の立つ茶を一口啜ったトビアスは、ふうと深い吐息を漏らし、その細い目をわずかに見開いた。テーブルを挟んで向かい合うアリアと俺、そして記録係として控えるノアへと視線を巡らせる。


「単刀直入に申し上げましょう。旧王都の魔導具市場は完全に麻痺、資材の流通網は壊滅いたしました」


トビアスの語り口は淡々としていたが、数字と損益を冷徹に見極める商人の実感がこもっていた。


「大結界の崩壊以降、中央ではまともな防衛体制の再建すら目処が立っておりません。高純度の魔石も、防護結界を編むための触媒も、貴族どもが己の屋敷を囲うために買い占め、今や底をつきました。我ら商人は、生き残るための新たな供給源を求めて西へ逃れるしかなかったのです」


「……王都がそこまで逼迫しているとはな」


俺が呟くと、トビアスは懐から小さな黒檀の木箱を取り出した。厳重な封蝋が解かれ、蓋が開かれる。中に収められていたのは、乾燥させた数本の青黒い野草だった。


「道中、この地の外縁で採取させていただいたものです。我が連合の主席鑑定士が三度見直して、三度とも腰を抜かしましたよ」


トビアスはその草を一本、テーブルの中央へ滑らせた。


「『魔力草』……それも、旧王都の最高級品として扱われていた深山産を、純度と魔力親和性において三倍以上も上回る化け物じみた逸品だ。これがこの要塞都市の周辺一帯に、まるで雑草のように自生している。……鑑定額を弾き出せば、荷馬車一台分で旧王都の豪邸が二軒は建ちます」


背後で羊皮紙を構えていたノアが、目を見張って息を呑むのが気配で分かった。


「れ、レオン様から計測を仰せつかったときも、魔力の吸い込みと通りの良さは桁外れだと分かりましたが……王都の豪邸が二軒も建つほどの価値になるのですか……!?」


「驚くのも無理はない」


俺は机の上の草を指先で軽く弾いた。微かな燐光が散り、空気中の魔素が自然と引き寄せられる。


「元々はごく普通の野草だ。だが、この都市の防壁は自律循環核によって、地脈から余剰魔力を吸い上げ、外郭へと常時還流させている。結界の漏れ出た魔力流にさらされ続けた植物が、魔導触媒としての性質を極限まで先鋭化させた。理屈としては極めて自然な変異だな」


かつて王都にいた頃、俺が夜間の修復作業で何気なく使っていた路傍の草も、思えば大結界の微弱な漏出を吸って育ったものだった。だが、あの歪な環境とは違い、ここでは循環が完璧に保たれている。触媒としての質が桁違いに跳ね上がるのも当然の帰結だった。


「……自然、ですか」


トビアスが手入れされた口髭を震わせ、苦笑とも感嘆ともつかない笑みを漏らす。


「その『自然』を人為的に作り出せる技術が、中央では神話の領域なのですよ、レオン殿。ぜひとも我が連合に、この草の独占供給権を譲っていただきたい。代金は貴殿らの望む物資、金貨、いかなる形でも即座に工面いたします」


「その話に乗るかどうかは、現物を見てから決めていただこう」


俺は立ち上がり、扉の向こうを顎で指した。



傾きかけた陽光が、外郭農業区の広大な黒土を赤く染め上げていた。


石組みの水路から心地よいせせらぎが響き、自律結界の余剰魔力の導管から規則正しく蒼白い脈動が地面へと送り込まれている。その周囲に広がっていたのは、青黒い絨毯のように波打つ、無数の魔力草の実験圃場だった。


案内役として合流したカシムが、肩に担いだ槌を下ろし、得意げに白い歯をこぼす。


「おう、レオンの旦那! 言われた通り、水路のろ過槽に魔力草の根をぎっしり敷き詰めておいたぜ。余剰魔力の通り道になってる土壌は、耕すたびに地面がふかふかになって作物の育ちが桁違いだ!」


圃場の縁に立ったトビアスは、言葉を失っていた。恰幅のいい身体を折り曲げ、泥だらけの草の根元に顔を近づけると、小刻みに指先を震わせる。


「な……なんだ、この量は。視界の端から端まで、すべてが極上の触媒だと……? 王都なら一握りで近衛兵の月給が消し飛ぶような代物が、畑一面に……」


トビアスは立ち上がり、頭を抱えて激しく首を振った。


「あんた方、自分が座っている土地が丸ごと金山だってことに、本当に気づいていなかったのかい……!?」


絞り出すようなその叫び声に、カシムが太い眉を跳ね上げて苦笑いする。


「へっ、金山たぁ大げさだな。煮詰めて石材の目地に流し込む補強材にもうってつけだし、結界の触媒として畑で手厚く育ててはいるが……王都の連中にとっちゃ、そんなに喉から手が出るほどの宝なのかい?」


「宝どころの話ではない! これを王都や他の領都へ持ち込めば、魔導具工房の連中が泣いて金を積むぞ!」


トビアスは目を血走らせ、俺のローブの裾にすがりつかんばかりの勢いで詰め寄ってきた。


「レオン殿! 頼む、全量を我が連合に卸してくれ! 手数料は最低限で構わん、この都市の発展に必要な鉄も資材も、我が連合が総力を挙げて他国から買い集めて運んでみせる!」


「独占取引には応じられないな」


俺は平然と首を横に振った。トビアスが目を見張る。


「この魔力草は、単なる商品じゃない。都市の根幹を支える防衛基盤の一部だ」


俺は水路の分岐点へと歩み寄り、石組みの溝を流れる澄んだ水を指し示した。


「ノア、水路の循環ろ過機構の数値を記録しろ。この草は水流に含まれる微細な魔力不純物や毒物を根から分解吸収し、自らの魔導触媒としての純度を高める性質がある。さらに、吸収した魔力を自律結界へと還流させ、防壁の出力を底上げする中継器としても機能しているんだ」


「は、はい! ……すごい、外縁水路の水質が完全に中和されて、結界の基底魔力が圃場全体で二割増幅されています!」


ノアが記録板に鉄筆を走らせながら、弾んだ声を上げる。


「そういうわけだ」


俺は呆然としているトビアスに向き直った。


「都市の防衛と生活基盤を損なわない範囲での余剰分なら、適正な価格で取引に応じよう。あんたの商隊が持ってきた物資との物々交換、あるいは都市の拡張に必要な建材の調達を優先してくれるなら、連合との定期協定を結んでもいい」


トビアスは口髭を撫で、数秒の間、値踏みするように俺を見つめた。やがて、その鋭い目に商人のしたたかな光が戻り、深々と頭を下げた。


「……まいったな。ただの偏屈な術式士かと思えば、恐ろしく冷静な支配人だ。承知いたしました。我々も無茶な買い占めは慎みましょう。その代わり、正規の取引枠は最優先で我が連合に回していただきたい」


「ああ。交渉の細部は、領主とアリアを交えて詰めよう」


互いに手を差し出し、短く握手を交わす。警戒から始まった接触が、実利に基づいた確かな契約の形を成しつつあった。



日没の時刻、西の空を覆う茜色の光が、外郭防壁の見張り台を赤黒く染め上げていた。


一次会談を終え、関門の前庭へと戻る馬車を見送った後、トビアスが去り際に残した言葉が、静かな風に乗って耳の奥に蘇る。


『――レオン殿、一つだけ忠告を置いていきます。旧王都の混乱に乗じ、北東の国境山脈付近で、隣国の正規軍が不穏な動きを見せております』


見張り台の手すりに寄り添うアリアが、遠く沈みゆく陽を見つめながら、硬い声で口を開いた。


「王都が崩壊し、中央の睨みが利かなくなった……。この要塞都市が富を持ち、強固な防壁を築きつつあるという噂は、いずれ隣国の耳にも届くでしょう」


「だろうな。飢えた狼にとって、太った羊よりも、頑丈な囲いに守られた食糧庫の方が魅力的に映ることもある」


俺は広域感知結界の受信盤に視線を落とした。地平線の彼方、山脈の稜線に沿って、極めて微弱だが規則正しい複数の魔力振動が走っている。魔物による無秩序な移動ではない。統制された軍靴の響きに似た波形だった。


魔力草の発見は、都市に莫大な経済的価値をもたらす。だがそれは同時に、乱世において他国の強欲な軍事介入を引き寄せる火種にもなり得る。


「第二外郭の拡張を急ぐ必要があるな。カシムには明日から防壁の増築に取りかかってもらう」


「ええ。私も守備隊の再編を急ぎます」


アリアは前を見据えたまま、短く頷いた。


夜の帳が静かに降りてくる。暗がりの中、自律循環を続ける要塞都市の防壁だけが、淡い光を放ちながら冷たい風を受け止めていた。平穏の背後に忍び寄る新たな影の正体を、まだ誰も正確には掴めていなかった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。