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第29話

王都から届いた最後の一報は、冷え切った紙面に数行の事実だけを淡々と記していた。


大結界の完全崩壊。押し寄せた魔物の群れによる外郭の壊滅。そして、要石に残されていた膨大な修復ログの解析結果――。


かつて俺が毎晩欠かさず注ぎ込んでいた魔力の循環経路と術式補正の記録を前にして、ガイウスたち宮廷魔術師団の上層部は、ようやく自分たちが何を手放したのかを悟ったのだという。だが、その理解はあまりに遅すぎた。失われた術式の構造を再現できる者など誰一人おらず、防壁を失った王都はスタンピードの直撃を受けて甚大な被害を被った。


かつてガイウスが泥にまみれ、額を地面に擦りつけて泣きついてきた日の光景が、ふと脳裏をかすめる。


『頼む、レオン! 戻ってきてくれ! お前がいなければ王都は滅びる! 副団長の座でも何でもくれてやるから!』


見苦しく懇願するかつての上司に対し、俺が返した言葉は極めて簡潔だった。


『規定通り引き継いだはずだ。書類も要石も全て置いてきた。あれをゴミだと切り捨てたのはあんただ』


一切の妥協も温情も挟まず、俺はその場で彼を冷徹に突き放した。自分の技術をただの雑用と侮り、搾取し続けた者たちに差し伸べる手など、持ち合わせているはずもなかった。


その後、王都の崩壊を招いた最大の戦犯としてガイウスは投獄され、貴族たちも権威を失って没落の途を辿ったと聞く。だが、今の俺にとって、それらはもはや遠い異国の昔話に過ぎなかった。



執務室の重厚な扉が開き、現れたのは屈強な体躯を誇る領主の男だった。


「精が出るな、レオン殿」


白髪交じりの髭を揺らし、バルド様が豪快な足音を立てて歩み寄ってくる。その手には、新しく拡張された外郭区画の図面が握られていた。


「バルド様。外縁部の魔力循環路の調整は終わりました。これで隣接する農地への地脈干渉も完全に遮断できます」


俺が作業完了を告げると、バルド様は深く息を吸い、姿勢を正した。普段の豪放磊落な態度を改め、真摯な眼差しで俺を見据える。


「……辺境の領主として、改めて礼を言わせてほしい。この土地がこれほどの発展を遂げ、民が誰一人飢えず、魔物の影に怯えることもなく眠れるようになったのは、すべて君の力のおかげだ。私にとって、君を迎えることができたのは生涯最大の幸運だよ」


領主としての誇りと深い感謝が、飾り気のない低い声に滲んでいた。


かつては寒村同然だったこの地は、多重結界による防衛とインフラ整備を経て、いまや難攻不落の要塞都市へと変貌を遂げている。俺の技術を都合のいい道具としてではなく、確かな価値を持つ専門技術として遇してくれた彼らだからこそ、俺も持てる知識のすべてを惜しみなく注ぎ込むことができた。


「大袈裟ですよ。俺は任された仕事を片付けただけです」


「ははっ、その規格外の働きを平然と仕事と言い切るあたり、君らしいな」


バルド様は愉快そうに喉を鳴らし、俺の肩を軽く叩いた。


「さて、あまり引き留めては娘に叱られてしまうな。外でアリアが待っているぞ。少し風に当たってくるといい」



執務館の階段を下りると、中庭の陽だまりに佇む人影があった。


亜麻色の髪を風になびかせ、軽装の鎧を身につけたアリアが、こちらに気づいて微かに目を細める。


「レオン。執務は一段落つきましたか?」


「ああ、ちょうど終わったところだ」


「でしたら、少しお付き合いいただけますか? 見ていただきたい場所があるのです」


アリアに促され、俺たちは都市の中央にそびえる見張り台の高台へと向かった。


石造りの階段を上り、最上階のテラスに出ると、心地よい風が一気に吹き抜けていく。そこからは、要塞都市の全景が一望できた。


視界の下に広がるのは、規則正しく敷き詰められた石畳の通りと、新設された水路を巡る澄んだ水の輝きだ。広場では露店が軒を連ね、商人や住民たちの笑い声が風に乗って微かに届いてくる。さらにその外側には、魔力草の触媒によって活性化した見渡す限りの豊かな農地が広がり、黄金色の穂先が波のように揺れていた。


そして都市の最外周を、幾重にも重なる半透明の結界光が優しく包み込んでいる。外から魔獣がどれほど群れを成して押し寄せようとも、この防壁を突破することは絶対に叶わない。


「素晴らしい眺めです」


アリアが欄干に手を置き、遥か彼方まで続く街並みを見つめながら呟いた。


「以前のこの場所は、いつ魔物に踏み荒らされるかもわからない、貧しく閉ざされた土地でした。王都の貴族たちからは見捨てられた辺境と蔑まれ、私たちもただ今日を生き延びるだけで精一杯だった」


彼女は横を向き、真っ直ぐな瞳をこちらに向けた。


「あなたが来てくださってから、すべてが変わりました。守るべき壁ができ、豊かな水が巡り、人々が明日の希望を語れるようになった。レオン、あなたがもたらしてくれたものは、単なる防御の術式ではありません。この地に生きる全員の、未来そのものです」


その言葉には、一片の諂いも打算も含まれていなかった。


自分の成した仕事が、誰かの生活を支え、安全を保証し、確かな敬意をもって受け止められている。暗がりの中で誰にも知られずに壁を直し、翌朝には無能と嘲笑われていたかつての日々とは、何もかもが違っていた。


「あんたたちが信じて場所をくれたからだ。どれほど強固な術式を組んだところで、それを受け入れ、街を動かす人間がいなければただの空論に過ぎない」


事実をありのままに返すと、アリアは小さく吹き出し、それから穏やかに微笑んだ。


「本当に、どこまでも謙虚な方ですね。でも、そういうところも含めて、私たちはあなたを誇りに思っています」


夕暮れが近づき、空が茜色から深い紫へと移ろい始めていた。傾いた陽光が要塞都市の屋根瓦を赤く染め上げ、家々の窓には一つ、また一つと暖かな灯りが灯っていく。


喧騒と温もりに満ちた光景を見下ろしながら、俺は静かに息を吸い込んだ。


誰かに強いられた理不尽な義務ではなく、自らの意志で選び取った役割。自分の技術を正当に評価し、信頼を寄せてくれる仲間たちと共に築き上げた、揺るぎない生活の基盤がここにある。


穏やかな夕風が頬を撫でていく中、俺の口元には、かつて王都にいた頃には決して浮かぶことのなかった満ち足りた微かな笑みが自然と宿っていた。

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