↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

PR
24/40

第24話

避難民を乗せた最後の馬車が、要塞都市の外門をくぐり抜けた。


薄暮の光が石造りの防壁を淡く照らしている。門の内側では、防衛隊の兵士たちが湯気の立つ大鍋を運び、温かいスープと黒パンを手際よく配給していた。泥と汗にまみれた人々は、震える手で木椀を受け取り、その温もりに触れた瞬間、堰を切ったように涙を流し始める。


「助かった……本当に、ここは安全なんだ……」

「魔物が一匹も入ってこないなんて……信じられない……」


あちこちから漏れ聞こえるすすり泣きと安堵の声。頭上に広がる薄青い光の天幕――俺が敷設した多重防護結界を見上げ、祈るように手を合わせる者もいた。


結界の境界線に立ち、術式の循環状態を指先で確認する。魔力の流れは極めて安定しており、外部からの干渉や魔物の接近による負荷も正常に分散されていた。


「レオン、お疲れではありませんか?」


歩み寄ってきたアリアが、ねぎらうように声をかけてきた。その隣には、警戒を怠らず周囲へ鋭い視線を巡らせるミリアの姿もある。


「問題ない。結界の術式循環も完全に噛み合っている。これなら何千人受け入れようと、防壁としての強度は落ちない」


「ありがとうございます、レオン。あなたの力のおかげで、これほど多くの命を救うことができました」


アリアは穏やかに微笑み、避難民の群れを見つめた。その表情には、領主の娘としての誇りと、守るべき人々への慈しみが宿っている。


「ですが、気になる情報も届いております」


ミリアが硬い声で割って入った。投げナイフの柄に軽く指を添えたまま、彼女は俺たちに顔を近づける。


「先ほど到着した難民たちの話によれば、王都の大結界は完全に砕け散ったとのことです。維持を怠り、過負荷に耐えきれなくなった要石が粉々に破砕し、直後に発生した大規模なスタンピードが市街地を直撃したと」


「……そうか」


俺は短く応じた。驚きはなかった。あの防壁は、毎日の精密な魔力調律と劣化箇所の補修があって初めて成り立つものだ。雑用と切り捨て、まともな管理を放棄した時点で、こうなる結末は決まっていた。


「宮廷魔術師団長ガイウスは、砕け散った要石のログを最後に確認して、ようやく事態の真相を理解したそうです」


ミリアの言葉には、侮蔑の色が混じっていた。


「毎晩、誰が王都を守っていたのか。自分たちがどれほど愚かな真似をしたのかを思い知ったガイウスは、半狂乱になって土下座し、あなたの名前を叫びながら助けを乞うていたとか。ですが時すでに遅く、王都は甚大な被害を受け、ガイウス自身も国家反逆と職務放棄の罪で地下牢へ投獄されたそうです」


因果応報、という言葉すら生ぬるい。俺が退職時に残した引き継ぎ資料を『ゴミ』と切り捨て、要石を『文鎮』と嘲笑った男の末路としては、あまりに当然の結果だった。


「自業自得ね。あれほどレオンの忠告を無視し、不当に扱っておきながら、破滅に瀕して泣きつくなんて」


アリアが凛とした声で吐き捨てる。その瞳には、かつて辺境を見下していた中央の権力者たちへの怒りが静かに燃えていた。


その時、避難民の列の最後尾から、場違いな身なりの男がこちらへ歩み寄ってきた。


泥こそ跳ねているものの、仕立ての良い豪奢なローブ。頭から被っていたフードを払いのけると、冷徹そうな細い目と、計算高い笑みを貼り付けた顔があらわになる。


王都の宰相、ローレンスだった。


王都が壊滅の危機に陥る中、いち早く私財と護衛をまとめて脱出してきたのだろう。供の騎士数人を従え、彼は周囲の難民たちを汚らわしいものでも見るかのように一瞥すると、俺の前で足を止めた。


「やあ、久しぶりだね、レオン君。まさかこんな最果ての地で、これほど立派な結界都市を築き上げているとは。噂以上の才覚だ」


慇懃無礼な口調で、ローレンスは両手を広げてみせた。


「……ローレンス宰相閣下が、護衛も連れずにこんな辺境まで何の用だ」


俺が抑揚のない声で問いかけると、ローレンスは芝居がかった仕草で首を振った。


「単刀直入に言おう。王都は今、未曾有の危機にある。無能なガイウスのせいで大結界は失われ、都は魔物の脅威に晒されている。だが、君のその卓越した結界術があれば、王都を元通りに再建できるはずだ」


ローレンスは一歩踏み込み、周囲に聞こえないよう声を低くした。


「君を宮廷魔術師団の最高顧問、いや、新たな魔術師団長として迎え入れよう。これまでの冷遇を補って余りある地位と、莫大な富を約束する。私と手を組むんだ、レオン君。君の力と私の権力があれば、新生王国を意のままに動かすことができる」


耳を疑うような提案だった。王都を見捨てて逃げ出してきた男が、自らの権力基盤を再構築するために、都合よく俺の力を利用しようとしているのだ。


ローレンスの目は、俺の技術や人間性など微塵も見ていない。ただ、自分の地位を保つための『便利な道具』として値踏みしているに過ぎなかった。


俺は視線を逸らさず、淡々と告げた。


「断る」


ローレンスの貼り付けたような笑みが、わずかに引きつった。


「……なに? 聞き間違いかな。君は宮廷での名誉と富に興味がないと言うのかい? こんな泥臭い辺境の村で、貧しい民の相手をして一生を終えるつもりか?」


「俺の仕事に対して正当な対価も敬意も払わず、都合が悪くなれば切り捨てるような連中の下で働く気はない。俺は退職時、規定通りにすべての資料と要石を引き継いだはずだ。それを活用できなかったのは、あんたたちの怠慢と無能が原因だ」


「君ねえ、国家の存亡がかかっているんだぞ! 個人の感情で国を見捨てるというのか!」


ローレンスの声が荒らげられ、慇懃な仮面の下から傲慢な本性が覗く。


「国家と言うが、あんたが守りたいのは自分の権力だけだろう。俺は自分の力を正当に評価し、必要としてくれる場所で使うと決めている」


俺が冷徹に言い放つと、ローレンスは顔を真っ赤にして拳を握りしめた。


「この恩知らずが……! 誰のおかげで今まで王都で暮らせていたと思っているんだ! 所詮は攻撃魔法一つ使えない欠陥魔術師のくせに!」


「そこまでにしていただけますか、ローレンス閣下」


前に進み出たアリアが、氷のように冷たい声で遮った。彼女の凛とした佇まいに、ローレンスは気圧されたように言葉を詰まらせる。


「レオンは我が領の最高魔術顧問であり、この都市になくてはならない守護者です。王都の都合で彼を連れ戻すことなど、この私が決して許しません。それに、国と民を見捨てて真っ先に逃げ出した貴方に、責任や義務を語る資格などありません」


「くっ……辺境の小娘が、宰相たる私に向かって……!」


「それ以上、レオン様やアリア様に無礼な口を利くのであれば、都市からの退去処分といたします」


ミリアが一瞬で間合いを詰め、外套から覗かせた投げナイフの切っ先をローレンスの喉元へ向けた。無駄のない動きと一切の躊躇がない眼光に、ローレンスの背後にいた護衛の騎士たちすら息を呑み、動くことができない。


自分の権威が、この辺境では一切通用しないという現実。


自らが切り捨てて見下していたはずの存在が、今や自分など足元にも及ばない強大な力と確固たる地位を築いているという事実。


ローレンスはその屈辱と絶望に顔を歪ませ、わななく唇を噛み締めた。


「お、覚えていろ……! 後悔するのは貴様らの方だ……!」


捨て台詞を残し、ローレンスはよろめく足取りで夜の闇へと去っていった。その背中は、かつて王国の権力を牛耳っていた宰相の威厳など微塵もなく、ただ哀れな敗残者のものだった。


「……不愉快な男でしたね」


ミリアが刃を収め、吐き捨てるように呟く。


「ええ。ですが、これで王都との因縁は完全に切れました」


アリアはそう言って、俺に向き直った。その瞳には、揺るぎない信頼が宿っている。


「レオン、改めて言わせてください。私たちの街にいてくれて、本当にありがとうございます」


「ああ。ここが、俺の居場所だ」


視線を向けた広場では、湯気の立つスープを囲んで子どもたちが笑い合っていた。


誰かに搾取されることもなく、技術を嘲笑されることもない。自分が施した結界が正しく機能し、人々の生活と笑顔を守る糧になっている。


静かな充実感が、身体の隅々まで満ちていくのを感じていた。


だがその平穏を破るように、監視塔の上から甲高い警鐘の音が響き渡った。


都市を包む空気が一瞬で張り詰める。防衛隊の斥候が、息を切らしながら外壁の階段を駆け下りてきた。


「ほ、報告! 街道の北側から、王都を蹂躙した魔物の大群がこちらへ向かって進行中! その数、およそ数千! かつてない規模のスタンピードです!」


斥候の叫びに、広場の避難民たちから悲鳴が上がった。


王都を滅ぼした災厄の波が、今まさにこの要塞都市へと迫っていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。