第23話
地平線から押し寄せる避難民の列は、途切れることなく続いていた。
街道の後方から迫っていた魔物の群れは、俺が都市の外郭に展開した遅延結界の光芒に触れた瞬間、進路を阻まれて霧散していった。追撃の脅威が去ったと知るや、泥と汗にまみれた王都の民たちが、門前でへたり込むように安堵の声を漏らす。
「……なんとか、間に合いましたね」
隣で肩で息をしていたノアが、震える手でローブの裾を握りしめながら呟いた。
彼の顔にはまだ王都から逃げ延びてきた際の疲労と恐怖の色が濃く残っている。かつて宮廷魔術師団の執務室で、上層部の理不尽な振る舞いを前に視線を彷徨わせていた青年の面影は、過酷な現実を突きつけられて削ぎ落とされていた。
「ああ。だが、本当の作業はこれからだ」
俺は城壁の上から、門をくぐり抜けていく群衆を見下ろした。
王都を呑み込んだスタンピードの規模を考えれば、防壁の崩壊とガイウスたちの投獄、そして都市機能の完全な麻痺は必然の帰結だった。失われたものは二度と戻らない。中央の権力者たちがどれほど喚こうと、現実を直視しなかった代償を払わされているだけだ。
だが、この辺境の地に逃れてきた者たちをそのまま野ざらしにするわけにはいかない。受け入れ態勢を整えるには、現行の居住区だけでは到底足りなかった。
「あの、レオン先輩」
ノアが意を決したように俺の前に進み出た。彼は姿勢を正し、深く頭を下げる。
「僕に、手伝わせてください。王都にいた頃、僕は保身ばかり考えて、先輩の仕事をただ遠くから見ているだけでした。結界の本当の構造も、日々の修復がどれほどの技術と労力で成り立っていたのかも、何も知ろうとしなかった」
頭を下げたまま、ノアの声がわずかに震える。
「ガイウス団長たちが失脚して王都が崩壊した時、僕はただ逃げることしかできませんでした。でも、先輩が残した記録を読んで、ようやく気づいたんです。結界術は雑用なんかじゃない。誰かの日常を守るための、最も尊い技術なんだって……。だから、一から結界魔術を学び直したいんです。僕を、先輩の助手にしてください」
宮廷で派手な攻撃魔法の訓練に明け暮れていた若者が、泥臭い補助魔術の教えを乞うている。その瞳に浮かんでいるのは、かつてのような曖昧な怯えではなく、自らの足で立とうとする意志だった。
俺は静かに視線を向け、手元にあった携帯用の魔力計測具を差し出した。
「高度な術式を一朝一夕で教える気はない。まずは外郭の魔力流量の監視と、要石の設置ポイントの整地だ。派手な成果を期待しているなら、他を当たってくれ」
「はい! どんな下働きでもやります!」
ノアは両手で計測具を受け取り、力強く頷いた。
口先だけの謝罪や甘えではなく、自らの手を動かしてやり直そうとする姿勢があるなら、拒む理由はない。即戦力として動ける魔術師が一人増えるのは、今の要塞都市にとっても合理的な利点だった。
「おいおい、レオンの旦那! 新人のお出ましかい?」
階段をドタドタと踏み鳴らしながら、頭にタオルを巻いたカシムが上がってきた。腰の工具袋をガチャガチャと鳴らし、豪快に白い歯を見せる。
「噂の王都の魔術師様かい? へえ、ずいぶん殊勝な顔をしてるじゃねえか。だが旦那、居住区の拡張現場は待ったなしだぜ。木材も石材も山積みになってる。どこから手を付ける?」
「ノアには基礎の測定杭を打つ位置を指示させる。カシム、大工衆にはその杭の周囲に土台用の補強枠を組んでもらいたい。今回は居住区の区画全体を一気に覆う大型の生活防壁を敷く」
「がってんだ! 旦那の描く図面通りに木を組めば、びくともしねえ家が建つからな。おい坊主、足手まといになったら工具箱担がせるから覚悟しな!」
「は、はい! よろしくお願いします、カシムさん!」
ノアは慌てて頭を下げ、カシムの背中を追って足早に階段を駆け下りていった。
外郭の拡張予定地では、すでに多くの職人や防衛隊員が忙しなく立ち働いていた。
領主のバルド様自ら腕まくりをし、荷馬車から下ろされる木材や食料の配分を指揮している。彼の太い怒号が現場に響き渡るたび、運び込まれた物資が整然と分類されていった。
「レオン殿! 物資の手配は順調だぞ。近隣の鉱山から魔力伝導率の高い鉱石も確保した。すべて君の指示通りだ」
バルド様が汗を拭いながらこちらへ歩み寄ってきた。その表情には疲労の色など微塵もなく、新たな街づくりに対する活力が満ち溢れている。
「助かります、バルド様。これだけの規模の魔導建材を半日で揃えていただけるとは思っていませんでした」
「なに、礼を言うのはこちらの方だ。中央の貴族どもが逃げ出し、打ち捨てられた民を受け入れる器がこの辺境にできたのは、すべて君がこの都市を難攻不落にしてくれたおかげだからな。領主として、腕の振るい甲斐があるというものだ」
バルド様は豪快に笑い、俺の肩を叩いた。王都の官僚たちのような保身や打算はそこにはない。民を守り、街を発展させるという明確な目的に対して、惜しみない協力を注いでくれている。
「では、防壁基盤の励起を始めます。ノア、測定杭の魔力数値は?」
「え、ええと……北西区画が〇・四マーレ、南東が〇・四二です! 基準値の範囲内に収まっています!」
現場の端で泥まみれになりながら計測器を覗き込んでいたノアが、声を張り上げて報告してくる。初めて扱う機材に手間取りながらも、測定の手順は正確だった。
「了解した。カシム、杭から三歩離れろ」
「おうよ!」とカシムが職人たちを背後に下がらせ、大槌を肩に担ぎ直した。
俺は懐から魔力草の抽出粉末を取り出し、地面に描かれた幾何学模様の中心へと投じた。
意識を集中させ、魔力の流路を大地へと繋げる。指先を滑らせるように宙へ走らせると、青白い光の線が地面の溝を伝って縦横無尽に走り出した。
王都の執務室で誰にも見られず、夜闇の中で一人行っていた作業とはまるで違う。ノアが数値を読み上げ、カシム率いる大工たちが組み上げた木枠が光の通り道となり、バルド様が運ばせた資材が術式の安定を支える。
光の線が拡張予定地の境界を一巡した瞬間、淡い燐光のドームがふわりと立ち上がり、区画全体を包み込んだ。
外の冷たい風が遮断され、領域内の空気が穏やかな温かさを帯びる。地面の凹凸が魔法の力で均され、堅固な基礎が完成した。
「す、すごい……! 複数の属性術式を並列させて、防護と地盤強化を同時に……!?」
ノアが呆然と目を見張り、ノートに何かを書き留めようとしてペンを取り落としそうになっていた。
「へっ、旦那の魔法建築はいつ見ても度肝を抜かれるぜ。よし野郎ども! 土台は整ったぞ! 難民たちの寝床を一気に組み上げるぞ!」
カシムの号令とともに、職人たちが一斉に木材を運び込み、心地よい槌音が響き始めた。
夕暮れ時、作業は一段落を迎えた。
新設された居住区には整然と仮設住宅が立ち並び、誘導された避難民たちに温かい炊き出しが配られている。泣き叫んでいた子供たちも、頑丈な防壁と温かい食事を前にして、次第に落ち着きを取り戻していた。
ノアは疲れ果てた様子で木箱の上に座り込みながらも、配られたスープを口にして、どこか救われたような表情を浮かべている。
「……僕、こんな風に魔法が人の役に立つのを、間近で見たのは初めてです」
「王都では派手な破壊力ばかりが持て囃されていたからな。だが、街を造り、人を守るのは地道な積み重ねだ」
俺がそう告げると、ノアは深く頷いた。
かつて宮廷魔術師団で「雑用係」と嘲笑され、誰にも顧みられることのなかった技術が、今はこの場所で多くの命を支え、確かな形となって息づいている。
自分の能力を安売りすることなく、正当に評価してくれる人々と共に汗を流す。理不尽な搾取に耐えるだけだった過去とは違う、穏やかで満ち足りた実感が胸を満たしていた。ここが、俺が選んだ居場所なのだ。
茜色に染まる空の下、完成した広大な居住区を見渡す。
避難民たちの安堵した顔が広がる一方で、俺の視線は街道から新たに到着した最後尾の馬車へと向けられた。人々の列の影に紛れ、どこか周囲を警戒するように周囲を見回すフードを目深に被った一団の姿が、夕闇の中に溶け込んでいた。




