第20話
追い詰められた男は、一体何をする気なのか。
その執念の刃がどこへ向かうのか、まだ誰も知る由はなかった。
村の入り口付近では、新たな防衛線の構築が急ピッチで進められていた。
俺は空中に青い光の線を走らせ、即席で物理障壁を展開していく。ただの壁ではない。外敵の魔力に反応して硬度を増し、同時に衝撃を分散させる自律型の防御陣だ。指先で魔力の流れを微調整し、地面に打ち込んだ杭と術式を連結させる。
「何度見ても規格外だな……」
傍らで腕を組んでいた防衛隊長のダルクが、深い感嘆の声を漏らした。歴戦の戦士である彼や隊員たちは、展開されたばかりの強固な光の壁を剣の柄で叩き、その凄まじい反発力を確かめては目を見張っている。
「これほどの防壁を、息をするように即席で張り巡らせるとは。あんたは間違いなく、この村の救世主だ。俺たちが何十年かけても作れなかった安全を、たった数日で実現しちまったんだからな」
ダルクの言葉に、周囲で作業を手伝っていた村人たちも深く頷いた。
インフラ整備や農業支援にも応用された俺の術式によって、この辺境の地はすでに難攻不落の要塞都市へと変貌を遂げている。豊かな水路が村中を巡り、農地は天候を制御する天蓋に守られ、人々は魔物の怯えから解放されて日々の生活を謳歌していた。
そこへ、ひどく足を引きずるような重い足音が近づいてきた。
街道の向こうから現れたのは、泥と埃にまみれた一人の男だった。
かつて宮廷魔術師団で俺の上司だった男だ。豪奢だったはずのローブは無惨に引き裂かれ、あちこちに血の滲んだ傷跡が見える。王都からこの辺境まで、護衛もつけずに死に物狂いで辿り着いたのだろう。血走った眼球がギョロギョロと動き、荒い息を吐き出している。
男は村を覆う巨大な光のドームと、活気に満ちた人々の姿を目の当たりにし、その場に立ち尽くした。信じがたい光景に口を半開きにし、やがて視線を俺へと向ける。
「レオン……」
掠れた声が響いた。
かつての高圧的な態度は微塵もない。男はふらふらと歩み寄り、俺の数歩手前で突然、膝から崩れ落ちた。
そのまま地面に両手をつき、泥だらけの地面に額を激しく擦りつける。
「頼む……! 戻ってきてくれ!」
なりふり構わぬ土下座だった。
周囲の空気が凍りつく。ダルクや村人たちが怪訝な顔で男を見下ろす中、俺はただ淡々とその頭頂部を見つめていた。
「王都が……王都がもう駄目なんだ!」
男は地面に顔を押し付けたまま、泣き叫ぶように言葉を紡いだ。
「防壁の修復が途絶えてから、あちこちに綻びが生じている。今や小規模な魔物が連日のように市街地へ侵入し、被害が拡大する一方だ。宮廷の魔術師たちでは、あの端末の使い方も、修復の手順も全く理解できない……!」
実用的な防御術を軽視し、派手な攻撃魔法ばかりを評価してきた結果がこれだ。
対照的な二つの地の運命は、すでに明確に分かれていた。片や魔物の脅威を完全に退け、繁栄を謳歌する要塞都市。片や、原因不明の異常事態に混乱し、破滅へと向かう王都。
「私が間違っていた! お前は無能なんかじゃなかった! お前がいなければ、国は守れないんだ! だから、どうか……!」
必死にすがりつく惨めな姿。
だが、俺の心には何の感慨も湧かなかった。同情する余地など一ミリもない。
「あんたが不要だと言ったんだろ。俺には関係ない」
冷酷なまでに平坦な声が出た。
男がビクッと肩を震わせ、泥だらけの顔を上げる。その目には、すがるような絶望が浮かんでいた。
「そんな……水臭いことを言うな! お前だって、長年守ってきた国が見捨てられるのは忍びないはずだ! 今なら、私の権限で特例として師団に復帰させてやる。いや、副団長の地位でもいい! だから、頼む……!」
「お断りだ」
俺は短く切り捨てた。
事実を客観的に見れば、俺が王都に戻るメリットは一つもない。自分の実力を正しく評価し、自由な研究と実践を許してくれるこの場所を手放す理由など、どこにも存在しなかった。
「待ってください」
俺の隣から、凛とした声が響いた。
アリアが一歩前に出たのだ。彼女は軽装の鎧を鳴らし、地面に這いつくばる男を冷ややかに見下ろした。
「あなたたちは、彼の真の価値を理解しようともせず、ただの道具のように扱い、不当に追い出した。その結果が今の惨状でしょう」
アリアの言葉には、静かだが激しい怒りが込められていた。領民を守るために命を懸ける彼女にとって、恩人を不当に扱った王都の人間は許しがたい存在なのだ。
「ここは彼が自らの手で築き上げた、彼を正当に評価する場所です。今更になって都合よく連れ戻そうなどと、虫が良すぎるのではないですか。辺境を見下してきたあなたたちが、どの口で助けを求めるのです」
毅然とした態度で俺を支持するアリアの姿に、男は言葉を失った。口をパクパクと動かすが、反論の糸口すら見つからないらしい。
「まったくだぜ。今更泣きついても遅すぎるだろ」
頭にタオルを巻いたカシムが、呆れ返ったように肩をすくめた。腰の工具袋を鳴らしながら、彼は男を指差す。
「あんたらの目は節穴か? こんなすげえ技術を持った人間を追い出すなんて、正気の沙汰じゃねえよ。俺たちは彼を辺境の守護神として頼りにしてるんだ。とっとと帰りな」
村人たちからも、同意するような厳しい視線が男に注がれる。
誰一人として、男に同情する者はいなかった。
男は完全に拒絶されたことを悟ったのだろう。
顔面を蒼白にし、わなわなと唇を震わせながら、ゆっくりと立ち上がった。
「……破滅だ」
虚ろな目で宙を見つめ、男はうわ言のように呟く。
「もう……終わりだ。すべてが……」
自分の無能さが露見し、築き上げた地位も名声も、そして命すらも失う。その絶望と取り返しのつかない後悔に苛まれながら、男は力なく背を向けた。
崩壊が迫る王都へと、重い足取りで引き返していく。
その背中は、かつて宮廷で絶対的な権力を誇っていた人物とは到底思えないほど、小さく惨めだった。
俺は男の姿が見えなくなるまで、ただ静かに見送った。
一度見限った相手に、二度と妥協するつもりはない。俺はここで、自分の選んだ道を生きるだけだ。
「行きましょう、あなた。まだ水路の拡張作業が残っています」
アリアが普段の穏やかな微笑みを取り戻し、俺に声をかける。
「ああ、そうだな」
俺は頷き、村の中へと歩き出そうとした。
◆ーーーー◆
その時だった。
ズズズズズ……!
男が去っていった王都の方角から、不気味な地鳴りが響き渡った。
足元の地面が微かに震え、空気が重く沈み込むような感覚。
村人たちがざわめき、ダルクが険しい顔で地平線の彼方を睨みつける。
「なんだ、今の音は……」
俺は視線を上げ、遠く離れた空を見つめた。
空の向こう側、王都があるはずの方向の雲が、不自然に渦を巻いている。
ついに、あの巨大な防壁が限界を迎えたのか。
確かなことは分からない。
だが、この辺境の要塞都市がどれほど強固であろうと、国の中枢が崩壊すれば、その余波は必ずここまで届く。
俺は手元の魔力を練り直し、次なる事態への備えを静かに始めた。




