第15話
青白い火花が散った直後、地響きと共に巨大な影が防壁の前に姿を現した。
全身を黒い鱗で覆われ、頭部には禍々しい二本の角を生やした魔人、ガルム。その後ろには、地平線を埋め尽くすほどの無数の魔物の群れが控えている。
夜の闇に紛れるような黒塗りの軍勢は、ただそこに存在するだけで周囲の空気を重く沈ませていた。彼らの放つ殺気が、物理的な圧力となって村を包み込もうとしている。
「矮小な人間どもめ。こんな薄皮一枚で、我が軍勢を防げると思ったか!」
ガルムの傲慢な咆哮が夜気を震わせる。彼は巨大な拳にどす黒い魔力を集中させ、結界の最外周へと力任せに叩きつけた。
轟音が響き渡り、物理的な衝撃波が周囲の木々を薙ぎ倒す。巻き上がった土煙が視界を遮り、大地が悲鳴を上げるように揺れた。
だが、村を覆う防壁にはひび割れ一つ起きない。
それどころか、結界表面に浮かび上がった複雑な幾何学模様が、ガルムの放った魔力を瞬時に吸収していく。光の波紋が広がり、敵の暴力を静寂へと変換していく。
「な、なんだと……?」
ガルムが目を見開いた瞬間、吸収された魔力が無数の光の矢に変換され、魔物の群れへと降り注いだ。
自動迎撃システム。俺が新たに組み込んだトラップだ。
光の矢は正確に魔物たちの急所を射抜き、悲鳴を上げる間もなく次々と灰に変えていく。圧倒的な数で押し寄せていたはずの軍勢が、自らの将の力によって削り取られていく皮肉な光景が広がった。
「すげえ……」
防衛隊長のダルクが、城壁の上から呆然と漏らした。彼の手には槍が握られているが、出番は全くない。
「歴戦の魔物たちが、手も足も出ずにやられていく。お前さん、本当に人間か?」
「ただの魔力変換だ。相手の力を利用しているだけだから、こちらの消耗は少ない。驚くようなことじゃない」
俺は淡々と事実を述べた。
隣に立つアリアが、目を輝かせてこちらを見上げてくる。彼女の亜麻色の髪が、結界の放つ青白い光に照らされて揺れていた。
「素晴らしいわ、レオン。あなたの結界は、ただ守るだけではなく、攻防一体の完璧な要塞ね。これほど頼もしい防壁は、王都にだって存在しないはずよ」
「全くだ! この防御力があれば、どんな大軍が来ようと恐れることはないな! 我らが辺境の守護神に乾杯したいくらいだ!」
バルドも豪快に笑い飛ばす。彼の太い腕が、俺の肩をバンバンと叩いた。
彼らの称賛は、王都にいた頃には決して得られなかったものだ。
この村に来てから、俺は防衛だけでなく、地下水脈からの水路形成や、魔力草を用いた農地の土壌改良など、インフラ整備にも結界術を応用してきた。
結果として、この寂れた辺境の村は、今や難攻不落の要塞都市へと変貌を遂げている。
村人たちは俺を辺境の守護神と呼び、全幅の信頼を寄せてくれている。自分の技術が正当に評価され、人々の生活を直接豊かにしているという確かな実感があった。
誰に媚びる必要もない。自分の価値を認めてくれる場所で、やるべきことをやる。それだけで、これほどまでに満たされた気持ちになるのかと、俺は密かに息を吐いた。
◆ーーーー◆
一方、王都の宮廷魔術師団執務室は、重苦しい空気に包まれていた。
かつては優雅な談笑が絶えなかったその場所は、今や怒声と悲鳴が交差する野戦病院のような有様だった。
「また第三区画に魔物が侵入しただと!? 警備隊は何をしている!」
団長ガイウスの怒声が響き渡る。彼の顔は疲労と焦燥で土気色になり、かつての傲慢な余裕は見る影もない。
「結界の綻びから、小型の魔物が次々と入り込んでいるのです。我々の攻撃魔法では、すばしっこい魔物を街中で仕留めるのは困難で……」
報告に上がった若手の魔術師が、震える声で答える。
ガイウスは苛立たしげに舌打ちをし、手元の書類を床に叩きつけた。
これまで、王都の大結界は維持不要の永久機関だと信じられていた。だが、実際には毎晩の修復作業によって辛うじて保たれていたのだ。
実用的な結界術を地味な仕事と軽視し、その担い手を追い出した代償は、あまりにも大きかった。
派手な攻撃魔法しか評価してこなかった宮廷魔術師団は、防御という概念そのものが欠落している。被害を食い止める術を持たない彼らは、ただ後手後手に回るしかなかった。
「ええい、あの忌々しい引き継ぎ資料とやらは解読できたのか!」
「それが……術式が高度すぎて、誰一人として理解できず……。専門用語の羅列にしか見えないのです」
原因不明の異常事態に、ガイウスたちはただ混乱するしかなかった。
結界の崩壊は確実に進行しており、取り返しのつかない破滅の足音が、すぐそこまで迫っていた。
自分たちが無能と切り捨てた男が、実は国の命運を握っていたという事実。それを認めることは、ガイウスのプライドが許さなかった。だが、現実は容赦なく彼らを追い詰めていく。
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辺境の村を覆う結界の外では、ガルムが怒りに身を震わせていた。
「ふざけるな……! 我が力が、こんなただの壁に防がれるなど……ありえん!」
彼は幾度となく結界に猛攻を仕掛けるが、そのすべてが吸収され、自らの軍勢を削る刃となって跳ね返ってくる。
強者が弱者を蹂躙するのは自然の摂理。
そう信じて疑わなかったガルムにとって、自分の攻撃が全く通用しないという現実は、耐え難い屈辱だった。
力だけで成り上がってきた彼にとって、防御や戦術といったものは臆病者の戦い方でしかない。それゆえに、自分が絶対の自信を持つ一撃が完封されることは、存在意義を根底から破壊されるに等しかった。
「知性があるふりをしたただの的だな。力任せに叩けば壊れるとでも思っているのか」
俺が結界越しに静かに告げると、ガルムの顔が怒りで醜く歪んだ。
「貴様……! 矮小な人間風情が、我を愚弄するか!」
ガルムの全身から、これまでとは桁違いのどす黒い魔力が噴き上がり始めた。
周囲の空気が震え、地面に亀裂が走る。彼の肉体が内側から膨張し、鱗の隙間から不気味な赤い光が漏れ出していた。
「レオン、あれは……!」
アリアが息を呑み、剣の柄に手をかける。
「どうやら、自分の命を削ってでもこの結界を壊す気らしいな」
俺は冷静にガルムの魔力収束を観察した。
奴の周囲に渦巻く魔力は、確かに規格外だ。まともに受ければ、いくらこの結界でも無傷では済まないかもしれない。
力こそが全てという信念が崩れ去り、我を忘れた魔族の最後の一撃。
「我のすべてを懸けて、貴様らの希望ごと粉砕してくれるわ!」
ガルムの咆哮と共に、極大の魔力弾が形成されていく。
俺は小さく息を吐き、手元の起動式にさらなる魔力を注ぎ込んだ。
奴の最後の一撃を、どういなすか。
少しだけ、本気を出す必要がありそうだ。




