第14話
王都の地下倉庫は、カビと埃の匂いが充満していた。
薄暗いランプの灯りを頼りに、僕は山積みになった廃棄物の山を必死に掘り返していた。指先は汚れ、爪の間には黒い泥が詰まっているが、気にする余裕などない。
地上からは、時折くぐもった悲鳴と怒号が聞こえてくる。王都の防壁に生じた亀裂から、小規模な魔物の群れが侵入し始めているのだ。
宮廷魔術師団の先輩たちは、得意の攻撃魔法で迎撃に追われている。だが、防壁そのものを直さなければ、魔物は無限に湧いてくる。ジリ貧になるのは目に見えていた。
「どこだ……あの時の資料は……」
僕は震える手で、古い木箱をどかした。
かつて、レオン先輩が退職する際に置いていった分厚い束。団長がゴミと吐き捨てて放り投げた、あの引き継ぎマニュアルだ。
あれがあれば、結界の修復手順が分かるはずだ。いや、あれにすがるしかない。
埃まみれの羊皮紙の束を見つけた瞬間、僕は思わず声を上げた。
急いで表紙をめくり、ランプの光を近づける。
だが、そこに記されていたのは、僕の理解を完全に超えたものだった。
「なんだ、これ……」
幾重にも折り重なった多重術式。魔力回路の微細な調整パラメーター。見たこともない古代文字の羅列。
宮廷魔術師団の誰一人として、いや、王都の最高峰の学者を集めても、これを解読できる者はいないだろう。
先輩は、こんな神業のような術式を、たった一人で制御していたというのか。
絶望が、冷たい泥のように胃の奥へと沈んでいった。
◆ーーーー◆
「団長! 要石の魔力残量が完全に枯渇しています!」
地下制御室に響き渡る部下の報告に、私は舌打ちをした。
「馬鹿なことを言うな! この石は永久機関のはずだ。なぜ急に魔力が尽きる!」
私は制御卓に置かれた黒い石を睨みつけた。表面には無数の亀裂が走り、かつての輝きは見る影もない。
「それが……過去の監査ログを解析した結果、信じられない事実が判明しました」
部下が震える声で差し出した報告書を、私は乱暴にひったくった。
そこに記されていた数値を見て、私は息を呑んだ。
毎晩、深夜から未明にかけて、膨大な量の魔力がこの要石に注ぎ込まれていた記録が残っていたのだ。その魔力波形は、間違いなくあの男のものだった。
「レオンだと……? あいつが、毎晩これを……?」
頭の中で、かつての光景がフラッシュバックする。
毎朝、酷いクマを作って出勤してくるレオン。周囲はそれを夜の街で遊び歩いていると嘲笑し、私もまた、素行不良の無能だと見下していた。
だが、違ったのだ。
彼は毎晩、自分の魔力を限界まで削り、人知れず王都の大結界を修復し続けていた。あの異常な疲労感は、国を守るために命を削っていた証だったのだ。
「ふざけるな……」
書類を持つ手が小刻みに震える。
私が追放した雑用係が、実は王都の命運を握る唯一の存在だった。
その事実が公になれば、私は確実に処刑される。築き上げた地位も名声も、全てが崩れ去る。
「団長、このままでは大結界が完全に崩壊します! どうすれば……!」
「黙れ! 私に指図するな!」
怒鳴り散らしたものの、解決策など何一つ浮かばない。
取り返しのつかない破滅の足音が、すぐそこまで迫っていた。
◆ーーーー◆
「おいおいおい! 冗談キツイぜ、あんた!」
集会所の扉を勢いよく開け放ち、カシムが血相を変えて飛び込んできた。
「森の奥から、とんでもない数の魔物がこっちに向かってるってよ! しかも、見たこともないデカさの化け物が先頭だ!」
彼の言葉に、周囲にいた防衛隊の男たちも顔を青ざめさせる。
俺は手元の図面から顔を上げ、静かに頷いた。
「ああ、知っている。結界の感知網に引っかかっているからな」
「知ってるって……あんた、なんでそんなに落ち着いてんだよ!」
カシムが頭に巻いたタオルを引っ掴みながら叫ぶ。
無理もない。これまでは小規模な魔物の群れを撃退してきたが、今回接近しているのは、明らかに統率の取れた軍勢だ。
だが、焦る必要はない。
俺は立ち上がり、集会所の外へと出た。
村の周囲には、俺が構築した多重防壁が青白い光を放ちながら展開している。
インフラ整備のために地下水脈から引き上げた水路の魔力。農地を覆う天蓋の余剰エネルギー。それら全てが、防衛用の結界と連動するように設計してある。
「カシム、西側の水路のバルブを開放してくれ。魔力草の触媒ラインにエネルギーを回す」
「お、おう! わかった!」
カシムが慌てて駆け出していく。
俺は空中に指先を走らせ、迎撃用の特殊な結界トラップの術式を編み上げ始めた。
複雑な幾何学模様が空中に浮かび上がり、村全体を覆う防壁に新たな層が追加されていく。
「すげえ……」
防衛隊の男の一人が、呆然と呟いた。
「これほどの規模の術式を、一瞬で……。あんた、本当に人間か?」
「ただの応用だ。大騒ぎするほどのことじゃない」
淡々と事実を述べる。
王都では、こうした実用的な防衛技術は誰にも評価されなかった。だが、ここでは違う。俺の技術が、村人たちの生活と命を直接守っている。
難攻不落の要塞都市。
いつしか彼らは、この村をそう呼ぶようになっていた。
王都が今頃、結界の綻びに怯え、原因不明の異常事態に混乱しているであろうことなど、今の俺には関係のないことだ。
俺の価値を正しく認めてくれるこの場所で、やるべきことをやるだけだ。
「来るぞ」
結界の最外周が物理的な衝撃を受け、青白い火花を散らした。
ガルムと名乗る魔族の軍勢が、すぐそこまで迫っている。
俺は静かに息を吐き、完成した結界トラップの起動式に魔力を込めた。
果たして、この新しい仕掛けが奴らにどこまで通用するか。
少しだけ、試してみる価値はありそうだ。




