第2輪 世界の始まり
『人は生まれた場所ではなく、出会った人によって世界を知る』
__アストレア学園 初代学園長の言葉
期待を抑えきれず、ゆっくりと窓の外へと目を向ける。
「…」
思わず言葉を失った。
視界いっぱいに広がるのはこれまで見たどんな建物よりも大きな白亜の学園。
いくつもの塔が空へ向かってそびえ立ち、それらを繋ぐ渡り廊下には魔法で淡く光る装飾が施されている。
校舎の奥には広大な庭園。
さらにその先には魔法や剣の訓練場と思われる広い敷地まで見えた。
王宮よりも大きい。そんな言葉が真っ先に頭へ浮かぶ。
「ここがアストレア学園…」
静かに告げるカイルの声でようやく我に返る。
学園の正門前には色とりどりの馬車か何十台も並んでいた。
紋章も形も様々だ。
豪華な装飾が施された王族の馬車、荷物を山ほど積んだ商人の馬車、教会の紋章を掲げた白い馬車、見たことの無い魔法具を積んだ一団までいる。
「本当に世界中から来てるんだ…」
思わず漏れた言葉にカイルは短く頷く。
「あぁ」
窓の外では私と同じくらいの生徒たちが次々と馬車を降りていた。
初めて見る制服。初めて聞く言葉。
笑いながら歩く子もいれば、緊張した表情で周りを見回す子もいる。
きっと、それぞれ違う国から来たんだろう。
知らない景色なのに不思議と怖くはなかった。
むしろ___
「楽しそう」
思わず呟く。
カイルが驚いたのか少し目を見開いてこちらを見た。
「緊張してないのか」
「んー、少しは?」
「少しか」
「うん。でもそれより楽しみ」
そう答えるとカイルは小さく笑い呟いた。
「お前らしい」
馬車はゆっくりと速度を落とし学園の正門前で静かに止まる。
扉が開き、春の風がふわりと吹き込んできた。
胸の奥が少しだけ弾む。
今日からここが私の新しい世界になる。
御者が馬車の扉を開く。
カイルが先に降りると、こちらへ振り返りいつものように手を差し伸べた。
「ほら」
「ありがとう」
その手を借りて馬車を降りる。
足が石畳に触れた瞬間不思議と胸が高鳴った。
ここがアストレア学園。
世界中から生徒が集まる世界一の学び舎。
ふと顔を上げると大きな校門の上には金色の紋章が掲げられていた。
剣と杖、そして一輪の花。
三つを囲むように星が描かれている。
「花…」
思わず見つめているとカイルが紋章へ視線を向けた。
「学園の校章だ」
「意味はあるの?」
「剣は力、杖は知恵、星は信念、花は慈愛」
「へぇ…」
「全部揃って一人前ってことらしい」
私はもう一度校章を見上げる。
剣も杖も星も大切。でもその中に花があることがなんだか少し嬉しかった。
門の向こうでは新入生たちが次々と受付へ向かっている。
制服姿の上級生たちが慣れた様子で案内をしていて、緊張していた新入生も少しずつ笑顔になっていく。
「行こう」
カイルが一歩前に出る。
「うん」
私もその隣に並んだ。
校門をくぐるその一歩が。
私の知らなかった世界への本当の始まりだった。
門をくぐると目の前には大きな噴水広場が広がっていた。
白い石畳の中央には空へ向かって水を噴き上げる大きな噴水。その周りを囲むように色とりどりの花壇が整えられている。
同じ花は一つとしてない。季節の違う花まで咲いているのは魔法のおかげなのだろうか。
「綺麗」
思わず足を止める。
「気になるか」
「うん」
花壇に近付くと小さな札が立っていた。
【植物には触れないで下さい。魔法薬研究科が管理しています。】
「研究科?」
「学園には専攻ごとの研究棟がある」
「へぇ」
何気なく返事をしながら周りを見回す。
広場のあちこちでは初対面同士で自己紹介をしている人達がいた。
保護者と名残惜しそうに話す人、荷物を抱えながら多分迷子になってる人、緊張で肩に力が入っている人。
みんな少しずつ違う。
だけど今日という日を迎えたのは同じだった。
「なんか安心したかも」
「何が」
「みんな緊張してる」
「当たり前だ」
「私だけじゃなくて良かったぁ」
そう呟くとカイルは少しだけ表情を緩めた。
「本当に少しは緊張してたんだな」
「少しはね」
そんな話をしながら歩いていると制服姿の女子生徒がこちらに駆け寄ってきた。
「新入生の方ですか?」
「はい」
「でしたら、このまま真っ直ぐ進んだ先が受付です。入学証をお持ちでしたらそのまま手続きをお願いします」
「ありがとうございます」
女子生徒はにこりと笑って一礼するとまた別の新入生のもとへ駆けていった。
「みんな優しいね」
「今日だけかもな」
「え」
「冗談」
「…今の絶対本気で言ったでしょ」
「さぁな」
少し口元を緩めるカイルを見て私は肩をすくめた。
「意地悪」
「そのくらいでちょうどいい」
そう言ってカイルは私より半歩前を歩く。
昔から変わらないその背中を見つめながら私は小さく笑って後を追った。
受付へ向かう列で並ぶ。
思っていたよりも長い列だったが、係の先生たちは慣れた様子で次々と新入生を案内していった。
「入学証をお願いします」
順番が回ってきて私は大事にしまっていた封筒から入学証を取り出す。
「フィーアさんですね。アルメリア王国より王宮魔法士推薦での入学、お待ちしておりました」
先生は書類を確認すると小さな革製の冊子と金色の校章を手渡してくれた。
「こちら学生手帳と校章です。校章は制服に付けて下さい」
「ありがとうございます」
受け取った校章をそっと掌へ乗せる。
先程校門で見たものと同じ紋章だった。小さいのにずっしりと重みを感じる。
「大切にしてくださいね。その校章は卒業まで皆さんと共にありますから」
「はい…!」
なんだか少し嬉しくなって小さく頷いた。
その時。
「すみません!ちょっと通して下さい!」
元気な声が列の後ろから聞こえてきた。
「やばい、絶対遅れる!!!」
振り返ると一人の少年が大きな荷物を抱えたまま、人混みを器用にすり抜けて走ってくる。
…いや、
器用ではなかった。
「わーーーーー!!!」
少年の体制が大きく崩れる。
荷物が傾きそのまま私の方へ倒れてくる。
「フィーア」
名前を呼ばれた瞬間、視界の端で銀色の髪が動いた。
次の瞬間カイルが私の前へ出る。
大きな荷物を片手で受け止め、そのまま地面にゆっくり下ろした。
「…危ない」
「…!ありがとう」
私が礼を言うとカイルは小さく息を吐いた。
そんなやり取りをしていると荷物の持ち主である少年が急いで駆け寄ってきた。
「ご、ごめん!怪我ない!?ぶつかってない!?」
「私は大丈夫」
「ほんとか!?」
「うん」
私が頷くと少年はホッとしたように胸を撫で下ろした。
その様子を見てカイルも少しだけ警戒を解く。
「次からは周りを見て走って下さい」
「はい…」
少年はカイルの言葉に素直に頷いた。
その時後ろから落ち着いた声が聞こえる。
「だから申し上げましたよね、走れば危ないと」
どこか呆れたような落ち着いた声が聞こえた。
振り返ると一人の少女がゆっくりとこちらへ歩いてくる。
肩まで伸びたダークブラウンの髪を揺らしながら大きな旅行鞄を片手で軽々と持っていた。
その服は侍女服やメイド服ではなく、学園の制服。
それでも立ち振る舞いは長年誰かに仕えてきた人そのものだった。
「リズ!」
「"リズ!"ではありません。荷物を取りに行った隙に勝手に走り出したのはどちらでしたか?」
少女はピシャリと言う。
「えっと、俺…」
「覚えてらっしゃるなら結構です」
ニコリと笑う。笑っているのに何故か怖いのはいつかのエレノアを思い出して少し懐かしく思わず笑ってしまった。
「え?」
「あ」
思わず口元を押さえる。
「ご、ごめんなさい」
「いやいや!笑ってくれるくらいがちょうどいいって!巻き込んでしまってほんとにごめんな!」
少年は少し照れくさそうに笑い、そう言って太陽みたいに笑った。
裏がない。
そう思えるほど真っ直ぐな笑顔だった。
「ううん、怪我がなくてよかった」
私がそう返すと少年は少し驚いたように目を見開く。
「優しいんだな…」
「え?」
「いや普通だったら怒るだろ?急に荷物に倒されそうになったんだぞ」
「んー、でも怪我してないし大丈夫じゃない?」
「いや、そういうところ」
少年は何故か納得したように頷いた。
「やっぱり優しい」
「…?」
何を言われているか分からず首を傾げる。
そして少年は少し嬉しそうに笑った。
「俺、エリオ。エリオ・ベルカナ」
「ベルカナ…」
聞き覚えのある国名に思わず反応する。
ベルカナ王国。大商会を多く抱え、世界中の情報が集まる商業大国。
「もしかしてベルカナ王国の?」
「そうそう!よく知ってるな!ベルカナ王国第三王子、エリオ・ベルカナだ!よろしく!」
「有名だから知ってたの。私はフィーア。よろしく」
私が答えるとエリオは「フィーアか…」と私の名前を繰り返すように呟く。そしてカイルに目線を向けた。
「じゃあ君は?」
「カイルです」
エリオは私の名前を聞くと笑顔で言った。
「フィーア、カイルよろしくな!俺のことは気軽にエリオと呼んでくれ!」
差し出された手を迷わず握り返した。
「こちらこそよろしく、エリオ」
「こちらこそよろしくお願いします、エリオ」
その横で小さく少女が頭を下げる。
「私はリズです。エリオ様の補佐、簡単に言えばお世話係をしております」
「ちょっと待て、言い方!」
「間違ってません」
「間違ってないけど!」
このやり取りに少し笑ってしまう。
簡単な自己紹介を終えると、私たちはせっかくなので一緒に大講堂へ向かうことにした。
広い学園内はまだ慣れない新入生たちで賑わっている。
「それにしても広すぎないか?」
エリオが周囲を見回しながら言った。
「到着してから同じことを何度も言ってるの気づいてますか?」
「だって広すぎるだろ!?」
「否定はしません」
「なんか俺へのあたりが日に日に強くなってきてないか!?」
エリオとリズのやり取りにまた少し笑ってしまう。
この短時間で分かったがエリオは本当に感情がわかりやすい。嬉しいときは嬉しそうに笑うし、落ち込むときはわかりやすく落ち込む。
本当に見ていて飽きない人だと思う。
「そういえばフィーアとカイルは兄妹なのか?」
エリオはふと私とカイルを見比べた。
突然の質問に私とカイルは顔を見合わせる。
「違うよ」
「違います」
ほぼ同時に答えるとエリオが目を丸くした。
「違うのか!なんか息ぴったりだからてっきり兄妹なのかと思った!」
思わず笑ってしまう。
「兄妹じゃなくて幼馴染。私たち、王宮育英制度の対象者で小さいころから王宮で一緒に育ったの」
「へぇ!育英制度の!昔からの仲だからこんなに自然なんだな!」
その言葉に私は隣を歩くカイルを見る。
記憶を失ってからのことしか覚えてないけど、それでも気づけばいつも隣にカイルがいた。
困ったときも。嬉しいときも。
当たり前のように一緒に。
「今更だな」
カイルが小さく笑う。
「そうだね」
私もつられて笑った。
その時だった。
どこからか大きな鐘の音が響く。
____ゴーン。
学園中に響き渡る、澄んだ音色。
廊下を歩いていた生徒たちが一斉に足を止める。
「あ」
エリオが目を丸くした。
「これ、入学式が始まる合図じゃないか!?」
「ですから申し上げたでしょう」
リズが呆れたように息をつく。
「急ぎましょう」
私たちも顔を見合わせ小走りで大講堂へ向かった。
大きく開かれた扉の向こうにはすべに多くの新入生たちの話し声が聞こえてくる。
大講堂の中へ足を踏み入れた瞬間、思わず息を呑む。
「……」
広い。
高い天井には魔法で灯された無数の光が星のように輝き、磨き上げられた床にはその光が静かに映り込んでいた。
何列にも並べられた座席はすでに多くの新入生で埋まり始めていた。
これまでは本でしか知らなかった国の人たち。
違う文化で育ち、違う言葉や価値観に触れてきた人達。
そんな人たちが今この学園で同じ制服を身にまとい、同じ場所で学ぼうとしている。
それだけでこの学園が特別な場所なのだと伝わってきた。
「見てるだけで時間なくなるぞ」
隣からカイルの声が飛んできた。
「あ、ごめん」
慌てて前を見るとエリオたちが手を振っている。
「こっちこっち!四人で座れそう!」
「本当だ」
「運がよかったな!」
エリオはそう言いながら席へ向かう。私たちもそれに続きそれぞれ腰を下ろした。
その時。
_____コン、コン。
澄んだ鐘の音が二度、大講堂に響いた。
騒めいていた会場が少しずつ静かになっていく。
生徒たちは自然と正面へ視線を向け、壇上へと意識を集めた。
入学式が始まる。




