第38話 今際
ネルは絶句していた。
あの黒煙からノラリーが出てこられたら、もう再び太刀打ちすることは出来ない。
つまり――
黒煙から姿を現した者が、この戦いの勝者となる。
それなのに、固唾を飲んで見守った黒煙から出てきたのは――
「やはり、勝ったッ! あの出血量と部位欠損、中々にしぶとい奴だったッ! が、俺にゃあ敵わなかった様だなぁ!!」
――副司教ノラリーだった。
ネルも、そんな気はしていた。
あれだけの傷を負った挙句、爆発を二度も受けて死なない人はいないだろう。
ノラリーの服は黒ずんでおり、顔の中心はボロボロ。
だが、エザスタほどではないだろう。
なんたって彼は、足と腕の各一肢を失っているのだから。
「さぁ! あとはお前だけだぜ? 折角勝てる確証があるところだが、今回は痛ぶるのは辞めておこう。仲間がやられそうだ」
前までは、仲間を呼べば勝てると考えていた。
だが、あの高威力で応用が効き、一切の間合いへの干渉を許さない腕の閃光刀と、彼自身のアビリティで太刀打ちできる術を、仲間は持っているのだろうか、と。
ネルの答えは――持っていない、だった。
ノラリーは震える腕をこちらに伸ばす。
紫色に光っている閃光刀の方だ。
ネルはノラリーから目を離さない。
離したが最後、彼の攻撃を免れることはできないからだ。
次の瞬間――閃光が光の速さで向かってくる。
あまりの速さ。
目を瞑ってしまった。
だが、左足踝から脛までに感覚を覚える。
誰かに押されたのだ。
そのまま地面に倒れ込む。
戸惑ったネルは押された方向を見つめた。
そこには――半目のエザスタがいた。
――――――――――――――――――――――――
――薄れゆく意識の中、僕は夢を見ていた。
(あれ……? また走馬灯……?)
見渡せば、草原が広がっている。
爽快な風が漂っている。
それ以外は何もなく、地平線が地をなぞる。
僕はそこで寝そべっていた。
上半身を起き上がらせてみる。
死後の世界には見えなかった。
それでも、風の感触があるのに、現実感がない。
「――どうだった?」
聞き覚えのある声。
僕は振り向かずにはいられない。
だが、振り向かなかった。
「ヘルムド……?」
「あぁ。ヘルムドさんだぜ」
ここは死後の世界ではない。
それなのに、彼はそこに立っていた。
彼は怒りに来たのだろうか。
それとも――
「あ〜あ、まただよ……」
「え……?」
「また自信なくしちゃってるぜ!? 言ったろ!? 俺は信じているって! 何でエザスタは、テメェのことも信じれないんだッ!」
ヘルムドは僕を指差しながら、眉を顰めた。
見ていないけど、分かるんだ。
多分……そうしている。
怒りに来ていたんだ。
でも――優しすぎる。
「何で……? 何でもっと怒らないの!?」
ヘルムドは黙り込んだ。
僕はヘルムドに怒鳴る。
僕は彼が怖い。
怖いのだ。
彼が何を考えているのか、分からない。
だが彼は、優しい声で返答した。
「……怒って欲しいのか?」
その優しさが、またしても怖く、僕の癪に障る。
「ふざけんな!! 俺はお前らを見捨てたんだぞ!? 逃げたんだ! なのに、何で……何でそんなに、けろっとしていられるんだよッ!!」
僕の怒鳴り声は地平線の彼方へ飛んでいった。
声を張ったつもりが、言葉が詰まってしまう。
「それは、俺が命令したことだろ?」
「そうだけど……! そうだけど……」
違う。
違うんだ。
何で僕はヘルムドに怒鳴っている?
僕は僕にムカついているのに……
ヘルムドに逃げろって言われて、僕はそれに甘えてしまった。
口先では復讐のために戻ってきたとか言ったが、本当は地口教に戦いなんて挑みたく無かった。
パリカノティタ会場で地口教を見た瞬間、身の毛がよだつように、一気に血の気が引いた。
今でも怖い。
多分、今回の機会がなかったら、地口教となんて戦わなかったんだ。
逃げていたんだ。
それなのに、僕はヘルムドに、この気持ちをぶつけている。
ぶつけられるのは、僕のはずなのに。
なんて……自分勝手なんだろう。
心底、自分に嫌気がさす。
「――ルマリアは死んでいないぜ」
「え……?」
耳を疑った。
ルマリアが死んでいない……?
そんなバカな。
彼女は僕たちの目の前で死んでいた。
なら、あのルマリアは何なんだ……?
「今は地口教に入信している。俺らが洗礼で食わされそうになったルマリアは、ただの人形だ」
僕は、勝手に彼女たちが死んだと決めつけていた。
僕らが反旗を翻したことで、連帯責任で殺されたとばかり……。
「それでも! ……僕は、君を失った」
あのままヘルムドを見捨てていなければ、一緒に帰れた未来があったのかもしれない。
そんなありもしない期待が、自責を促す。
「失ってなんかいない」
草を踏む音がする。
彼が近寄っているんだ。
足元が見えた。
僕はなるべく、彼を見ないように、顔を背けた。
だが、顔をがっしりと掴まれて、面と面を合わされた。
そして、拳を、僕の胸に押し当てられる。
「俺はお前の中にいる、そうだろ?」
そう言われた一瞬は、なんのことを言っているのか分からなかった。
そして、思い当たる。
――《断固たる信用》だ。
このアビリティは、彼がくれたものなんだ。
「俺はお前に、夢を託した。俺はそれだけで、生きている」
久しぶりに見た彼の雰囲気は、全然変わっていなかった。
それなのに、顔つきが変わっていた。
大人の顔に変わった。
彼は僕の胸の中で、僕と共に成長していたんだ。
「いいか? ルマリアや村の連中はあのイカ野郎の側に仕えている。絶対に、助けるんだ」
嬉しいという感情より先に、安心という感情が先に出てきた。
こんなにも良い日があっただろうか。
僕はヘルムドに出会えて良かった。
本当に、本当に良かった。
僕は胸に突き立てられた拳を握り返す。
「うん……! 絶対に助ける゙! 君の分まで、アイツらを幸せに゙ずる゙!!」
鼻から垂れた鼻水が、僕の会話の邪魔をする。
目から溢れた涙が、僕の視界の邪魔をする。
なんて情けない声で言ってしまったのだろう。
それでも僕は、進まなくてはならない。
信じられたのだから。
「おう! 信じてるぜ。親友!」
そう言われた瞬間、目の前の草原がどんどんと白色を帯びていき、消えていく。
分かっている。
これは夢だ。
ただの夢なんだ。
もっとヘルムドと話したい。
でも、それは出来ない。
任された責務は、全うしよう。
その姿を、見ていてくれ。
ありがとう、
ヘルムド。
――――――――――――――――――――――――
(何だ? 何故こいつは生きている!? あれだけの損傷……まだ這いつくばれる程の気力を残しているなんて……)
エザスタは残った手を使ってゆっくりと進んでいた。
足は既に使い物になっていない。
大量の血を流しながらここまできたのだ。
「ネルさん……貴方ならやれる。信じています」
エザスタから信用されるということは、この場において、最大限の武器となっていた。
ノラリーは警戒する。
(早く仕留めなくては……!)
その逸る気持ちで、ノラリーは腕を伸ばす。
だが、ネルは信用されていた。
ネルはエザスタの手を掴む。
そして、共に攻撃を避けた。
エザスタは意識が朦朧としている。
だが、ここで負けるわけにはいかない。
その気持ちが、彼の意識を保たせた。
ネルは進む。
ノラリーの攻撃は依然として速い。
それでも、ネルはスレスレで避けるのだった。
「何で……何で当たんねぇんだよぉぉぉ!!?」
今までの威勢はなくなり、代わりに厳しい表情が浮かぶ。
ヤケクソで腕をブンブンと振り回すが、それも避けられ、余計に焦っていく。
「何でって――信じられてるからねッ!」
ネルはエザスタをノラリーに投げる。
だが、ノラリーには当たらない。
だがそれは――狙った行為だった。
それに気が付かず、ノラリーは自信を取り戻していく。
「はッ! ヤケクソかぁ!? それがオメェの敗因だぁぁぁ!!」
さっきよりもノラリーはハイになっていた。
ノラリーは腕を伸ばす。
前よりも精密度が上がっていた。
腕はネルの顔に向かっていった――
(これは罠か……?)
ノラリーは腕を止めた。
迷ってしまった。
疑ってしまったのだ。
前にはネルがいる。
あとほんの少し腕を動かせば攻撃できた。
だが、ノラリーの1m以内の背後にはエザスタがいた。
エザスタは這いつくばり、もう出来ることは少ない。
それでも、ノラリーにとってエザスタは脅威に見えていた。
「く……クソぉぉぉぉ!!!」
ノラリーは考えた末に、エザスタにヘイトを向けた。
腕を背後に振りエザスタを襲う。
ノラリーは最後に腕を伸ばした。
これに全てを賭ける。
全身全霊で振り下ろされた腕はエザスタに向かった。
顔の横を掠めた腕は――エザスタの腕のあった場所を通り過ぎる。
ノラリーの顔は青ざめた。
「後は任せました……ネル」
「おりゃぁぁぁぁ!!」
ネルはノラリーの耳の感度を上げ、鼓膜を破る。
耳からは血が出てくる。
怯んだ。
その隙を狙って肩をこちらに向ける。
その反動で、身体と顔がネルに向く。
「嫌だぁぁぁ!!」
ノラリーは足掻く。
肩を掴んでいた腕を振り払う。
そして、拳でネルを狙う。
閃光刀で攻撃をしなかったのは、アビリティで攻撃ができる身体ではなかったのかもしれない。
それか、あまりの同様による末路だったのかも。
そして、その拳もまた、狙いが定まらず外してしまう。
ネルは拳に力を溜める。
すると、エザスタに倒す権利があると思ってしまう。
だが、脳裏にエザスタの言葉が過ぎる。
(信じています……)
信じること。
それは、人に勇気を与えてくれる原動力。
信じる力が、ネルの背中を押す。
ネルは渾身の拳を放つ。
無作為に狙った拳ではない。
放った拳は――鼻を打ちつけた。
皮膚に拳が弾ける音が響き渡った。
それと同時に、骨が崩れる音がする。
拳に伝導したその感触は、脳に致命的なダメージを与えたと告げている。
そんな気がした。
ノラリーはふらつく。
そして、喉に詰まった唾液を吐いた。
それでも、ノラリーは拳を振るう。
だが、その拳に生力はなかった。
ネルはもう一度殴りを入れようか考え、拳を振り上げた。
だが、その前にノラリーはゆっくり膝をつく。
腕も、
顎も、
足以外の筋肉は弛緩して、
遂には白目を剥いて――
倒れ込んだのだった。
―
ネルはそれを、息を整えつつ眺めていた。
肩が上下に揺れる。
その感覚が、長く残っていた。
――バタン
エザスタも倒れ込む。
その音を聞いてネルはエザスタに駆け寄った。
「ははっ……! マジで……?」
ネルはエザスタの表情を見た瞬間、言葉が溢れた。
エザスタは――清々しく笑っていた。
倒してくれると信じていた――
エザスタの顔が、そう告げていた。
安心していると、エザスタの目は閉じてしまった。
「え……? エザスタ? ……エザスタ!!」
エザスタの欠損部位からは、既に少量の血液しか出ていなかった。
笑っていたエザスタの顔も、強張った表情筋が弛緩していったのだった。
〜 第三十六話 完 〜




