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異聞!封神演義 哪吒の妹  作者: 古書堂 箕風


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第四幕 絶望の十絶陣 其の十

第四幕 其の十の投稿となります。よろしくお願いします。

ブックマーク登録ありがとうございます。

今回より毎日更新ではなくなっております。予定については後書きをご参照ください。

※本作は『封神演義』の世界を舞台にしつつ、現代的な言葉遣いや独自の歴史解釈を多分に含んだ「IFファンタジー」です。神仙たちのシリアスな戦いと、メタ的なコメディ要素のギャップを笑って楽しんでいただければ幸いです!

其の十 策謀の交錯、奇貨を投ず


■ 威風堂々たる十絶陣にて

 **時は殷周革命中。冥風蕭々《めいふうしょうしょう》たる落魂陣の門前**


 化血陣の見分を終えた姜子牙と哪吒。秦天君の誘導に従い、中央のもう一つの要たる落魂陣の門前へと至った。

刻限はすでに昼前。本来であれば天高く昇った日輪が照りつけ、眩《まばゆ》い陽光が大地を満たしている。にもかかわらず、落魂陣の結界と思《おぼ》しき領域へ踏み入った途端、まるで蝕に呑まれたかのように薄暗い陰気が立ち込め、悲風が頬を冷たくかすめていく。


他の陣で見られたような素朴な衡門《こうもん》とは異なり、珍しくも重々しい立派な門構えが据えられていた。横木には『落魂陣』と書かれた牌が掲げられている。

その前では、哪吒と同じような小柄な背丈の童《わらべ》が、西方教の修行者を思わせる質素な装束を纏って待ち受けている。とはいえ、剃髪はしておらず、野放図に伸びた前髪が顔を覆い、右目のみが見えている。その隙間から覗く瞳もどこか伏せ目がちに揺れていた。

「よ、ようこそ姜道友。貧道は姚ひ……姚天君と申すもの。よ、よしなに」


これまでの見分では感じなかった圧倒的な陰気。さすがの姜子牙も二の足を踏む。脳裏には昨夜の楊戩とのやり取りが思い出され、折角の忠告を無視する形となった今の現状を悔やむなれど、既に時遅し。虚勢であるが、鷹揚に返礼する。

「うむ、姜子牙である。姚道友よ、よしなに」

そんな姜子牙を尻目に、自分と同じ背格好に共感したのか、珍しく哪吒も挨拶をする。

「哪吒だよ。よしなに」


「…………」


哪吒の勢いに押されたのか姚天君は言葉が続かない。一連のやり取りを、姜子牙の後方から見ていた秦天君。姚天君の後ろに据えられた、見たこともない門を見上げると、その上部に催魂灯が吊るされていることが分かり、得心のいった表情となる。おもむろに、仕方ないと言った体で秦天君が助け船を出す。

「すまぬな、姜道友。姚天君は人前で話すことが苦手でな。どうだろう、まだ四つの陣の見分が残っている故、ここで暇をかけたくない。その門から中を覗き見たら、次の陣に向かうというのはどうであろう」


これまでにない圧倒的な陰気に、一刻も早く立ち去りたい姜子牙は、この提案を僥倖とし、一も二もなく頷いた。飽くまでも仕方がないといった風情の秦天君は、姚天君に頷いた。

姚天君は、ほっとしたような雰囲気をだし、ふわりと閾《しきみ》を乗り越えて陣の中に入る。

姜子牙と哪吒は恐る恐るといった体で、門より陣内を覗き見る。

そんな姜子牙と哪吒に説明を始める姚天君であるが、ごにょごにょと何を言っているのか要領を得ない。早く切り上げたい姜子牙は、門柱を支えに身を乗り出し、何を言っているか聞こうとした。


「もう! その辺でよいであろう」

いつになく大きい秦天君の呼びかけに、姚天君は驚いて飛び上がり、姜子牙は手を滑らせ、その勢いで閾を跨いでしまう。神速の反応を見せた哪吒は、咄嗟に姜子牙を支え、突然声をあげた秦天君を睨みつける。


「すまない。陣内の姚天君にも聞こえるように声を張ってしまった。大事無いようでなにより」

謝罪の言葉を述べる秦天君。しかし哪吒は収まりがつかない。怒気を発する哪吒を宥めるように姜子牙は提案する。

「ささ、この落魂陣の見分はこれで終《しま》いじゃ。次の陣に案内してくれんかのう」

「承知。兌《だ》(東南)の風吼陣に参りましょう」

秦天君は符を虚空に飛ばしながら、姜子牙と哪吒を案内する。兌の方位と聞いた姜子牙は、昨夜の楊戩との話を思い出し、やはり左旋を続けるかと警戒を深める。

その場にとり残された形となった姚天君は、茫洋と一行を見送った。


その後、風吼陣(兌:東南)についた一行、見分の後は、金光陣(離《り》:東)、紅砂陣(震《しん》:東北)、紅水陣(坤《こん》:北)と残りの陣も大過なく見分する。紅水陣を出るころには、大きく日も傾き、黄昏時となっていた。

昨日と同じく秦天君に盛大な嫌味を言われるかと思い身構える哪吒。普段頼りになるはずの姜子牙はあろうことか、見分の最中から、頻《しき》りに欠伸《あくび》をし、あからさまに集中力を欠いている。もともと師父達、十二仙が救援に来るまでの時間稼ぎではあったが、あまりにあからさまに刻を無為にする様子に、流石の哪吒も肝を冷やしていた。そして、紅水陣を出るころには、哪吒の肩を借りて歩く始末。そんな姜子牙の様子を見ていた秦天君は、哪吒に声をかける。

「姜道友の様子を見るに、今日は急かしてすまなかったな。疲れたであろう、今日の所は自軍に戻られるとよろしい……そうだな、お互い万全の調子で陣比べとしたい。十日の休息の後としようではないか。いかがかな?」

昨日とは打って変わって、気遣う様子の秦天君に違和感を抱くものの、そうした機微には疎い哪吒は、単純に師叔の体調を慮ってのことと受け取り、喜んで礼を言う。更には、十日の免戦も受け入れる。

「さて、我らの十絶陣を見分いただいたが、それも今日まで。明日からは十日の免戦といえど、陣に近づけば容赦しないので、留意するよう伝えて欲しい」

それもそうだと考えた哪吒は元気に返事をする。

「あい承った! 皆にも十日の免戦の間はこの十絶陣に近づかないよう伝えておくよ。それでは失礼! ……つかまつる!」

そう言って哪吒は姜子牙を背負って陣に戻る。

その後ろ姿を見送った秦天君は、姚天君の秘術が姜子牙を蝕んでいることを確信し、口の端を上げるのだった。


時は少し遡る。


一行の姿が見えなくなった、落魂陣の門。茫洋と見送っていたはずの姚天君は、這いつくばり何かを探している。やがて目的の品を見つけた姚天君は、安堵のため息をついた。

そして懐から取り出したのは、草を編んで作られた人形《ひとがた》。それに先ほど手に入れた髪の毛を編みこむ。作業が終わると今度は袖から符を取り出した。符には『姜子牙』と書かれている。左手に人形を、右手に符を持った姚天君は、その両の手を重ねるように眼前に持ち上げ、

「融《ゆう》」

と口訣を唱える。果たして人形と符は一体となった。

「できた!」

満足そうに呟いた姚天君は、それを懐に入れ、門から三基の催魂灯を下し、閾の下からは七基の促魄灯を取り出して、陣の中央へと向かう。


陣の中央に来た姚天君は、土で台を組むと、その上に八基の香炉を置き、中央に人形を安置した。

即席の祭壇といったところか。そして、周囲の八方に配置した香炉の上をなぞるように袖をふると、それぞれの香炉の灰の中央が赫灼《かくしゃく》としだす。その上に八種の香を焚《く》べ、燻《くゆ》らせていると、しずしずと煙が立ち込める。そして待つこと半刻と少し。陣内の視界はすっかり幽霧のような香の煙に支配されていた。


「ふぅ……これで陰府《いんふ》(冥界)と陽明《ようめい》(現世)の境が揺らいできたかな……」


立ち込める煙を見渡して満足そうに頷く姚天君。

「えーっと」

呟きながら、乾《けん》(南)の方位を向く。手に持った、三基の催魂灯と三本の籤《せん》を淡々とした口訣と共に空に投げる。


「胎光《たいこう》、爽霊《そうれい》、幽精《ゆうせい》」


上空でくるくると回る催魂灯。突如灯りを燈し、四方八方を照らす。そのうち、台に安置された人形を照らしたかと思うと、ぴたりと回転を止めて地上に落ちてくる。と、同様に投じられた三本の籤が人の背丈ほど(一丈)の細くしなやかな竹竿となり、大地に刺さる。その各々の切っ先には催魂灯がぴたりと吸い付くように鎮座した。


「三台星《さんだいせい》はこれでよしっと」

ほっとしたように呟き、坤(北)の方位を向く。今度は、足元に並べた七基の促魄灯と七本の籤を、これも淡々とした口訣と共に空に蹴り上げる。


「尸狗《しこう》、伏矢《ふくし》、雀陰《じゃくいん》、呑賊《どんぞく》、非毒《ひどく》、除穢《じょわい》、臭肺《しゅうはい》」


先と同じく上空でくるくると回る促魄灯。突如灯りを燈し、四方八方を照らす。そのうち、台に安置された人形を照らしたかと思うと、ぴたりと回転を止めて地上に落ちてくる。と、同様に投じられた七本の籤が人の背丈ほど(一丈)の細くしなやかな竹竿となり、大地に刺さる。その各々の切っ先には促魄灯がぴたりと吸い付くように鎮座した。


「七星《しちせい》も滞りなしっと」

これまた、ほっとしたように呟く。

 

――香炉と人形を置いた台を挟んで都合十基の燈篭は、上空から見る者があれば七元解厄星君《しげんかいやくせいくん》(北斗七星)とそれを支える三台星を大地に写しとったかのように見えるだろう――


三基の催魂灯と七基の促魄灯の灯りを燈した姚天君は祭壇の前に立つ。その笑顔は消え失せ、表情から一切の感情が抜け落ちる。


「我、左輔《さほ》の理《ことわり》を宿し、七元解厄星君の通力、拝借するものなり」


姚天君の左眼が冥色《めいしょく》を帯び、共鳴するかのように催魂灯、促魄灯も冥色に染まる。星辰の通力と祭壇に安置された草の人形とに縁《えにし》が結ばれた証《あかし》か。

術式を完成させた姚天君は、満足げに十絶陣を出ようとしたところ、はたと立ち止まり、振り返る。その視線の先には、七基の促魄灯が煌々と燈っている。


「あ、いけない。尸狗を散じないと……」

とことこと、貪狼の位置にある促魄灯の前に立つと、袖をさっと振る。

促魄灯は、数回明滅すると、ふっと灯りが潰えた……


かくしてここに、姚天君最大の秘奥『九皇三台縛魂散魄咒《きゅうこうさんだいばくこんさんぱくじゅ》』が解き放たれた。

燈篭の灯火がすべて潰えるまでの刻限は――あと十日。



■ 乾元山 金光洞

 **時は殷周革命中。出陣の門前**


更に時は遡り、西岐に十絶陣が敷かれる前。

十絶陣での決戦を前に駆けつけることとなった、翠と雲中子と玉鼎真人。まだ遁術が使えない翠は、雲中子の光遁で同行という案が出るも、陣に駆けつけるのにそれでは示しがつかないと三人で頭を悩ませていた。そんな折、雷火輪を持った金霞童子が現れる。

「師父からです。『直しておいたぞ』との言付けです」


受け取った翠は、元の形状に戻った雷火輪にご満悦だ。

「多謝、多謝。これがあれば百人力ね」

さっそく、雷火輪を浮かせて飛び乗る翠。その流れるような一連の動きは洗練されたもの。その後、手早く小周天で気を巡らせると、口訣を唱え、術式を展開しようとする。そんな翠を微笑ましく見ていた雲中子。しかして翠の足元にある雷火輪を見て血相を変える。


「雷っ!」

「ま、待つでござる! 翠殿!」

雲中子の制止は一手遅く、雷の精が雲霞《うんか》の如く押し寄せてくる。過度の雷の精により、飽和した電荷が引き起こす現象は当然ながら昇雷《しょうらい》となる。


ドオォーン


「きゃあぁぁー」


大気を劈《つんざ》く轟音。雷の精に好かれるというのも時によりけりか。昇雷に天高く持ち上げられた翠は、カタパルトで射出されたかのように東南へと飛んで行く。悲鳴が遅れて聞こえたのは音速を超えた証左であろうか。


「だから止めたのでござる……太乙殿が手を入れた宝貝は、何が仕掛けられているか分からないでござるからなぁ……」

遠い目をする雲中子。玉鼎真人は、瓢を呷るついでに東南の空を見ながらそれに応える。

「雲中のぅ、追いかけんでよいのか? あやつ東南の方位へと飛んでいったぞ……」

顔を見合わせる二人。もとより行先は西岐の戦場、乾元山から見て北だ。


「逆でござる! 玉鼎殿、追うでござるよ」

「応っ!」


二人は光遁を借り、即座に翠を追った。



■ 仙界上空

 **時は殷周革命中。一路、西岐戦場へ?**


なんとかバランスを立て直し、雷火輪で疾駆する翠。突然の爆発と射出には驚いたものの、遠く崑崙山を眺めながら雲海の上を行く。雲中子師伯と玉鼎師叔は当然の如く、すぐに追いつくであろうと高を括っていたが、一向に姿が見えない。


少し地上に近づいて、方位を確かめようと下降する。雲海が割れると、地上には大きな水面が広がっている。まさか海に出たのか? と周りを見れば、切り立つ断崖や、四方に山岳が見えたため、どこかの湖であろうと当たりをつけた。


巨大な湖と周辺の大湿地帯を越えることしばし、またもや湖に出る。ここは龍脈が流れこんでいるのか静謐なれど、気の充実を感じる。その証左か、遠くに霊峰が見え、白い糸のように流れ落ちる滝が見える。この距離で見えるとなると、いわゆる名だたる瀑布だろうか。翠のサブカル脳に記憶されている瀑布といえば、どこぞの女神を守る少年の修行の場か。更に進むと、眼前には丹霞《たんか》と呼ばれる切り立った奇岩絶壁《きがんぜっぺき》が目立ってきた。これはまずいと立ち止まり二仙を待つことにする。ちょうど目印となりそうな松の木を見つけたので、そこを目指して舞い降りることにした。


時は少し遡る。


翠の雷火輪による暴走に遅れることしばし、二仙は光遁を借りて後を追っていた。東南へ飛翔すること数刻、最近体得した仙気の集中により視力を強化した玉鼎真人が目ざとく何かを見つける。

「雲中のぅ、あれやもしれん。雲海が割れている」


玉鼎真人が指す方位をみた雲中子。現在地からあたりをつける。

「玉鼎殿、あれは雲夢澤《うんぼうたく》のあたりでござるな。その先となると……匡廬《きょうろ》の霊峰があり、その先……五夷山《ごいざん》でござるか」

「む、五夷山か? なら蕭のぅ(蕭升《しょうしょう》)と曹のぅ(曹宝《そうほう》)がいるのう。ならこちらが早い」

言うや否や光遁を降りた玉鼎真人は、得意の酒遁で姿を消した。一方、置き去りにされた雲中子。五夷山の散仙《さんせん》の名を聞いたところで、恐らくは旧知であろうと当たりをつけ、光遁のまま、後を追った。



■ 五夷山 松の木の下

 **時は殷周革命中。五夷山にて**


ごつごつと赤く切り立った崖の一角にそびえる松の木。樹齢千年は越えているかのような枝ぶりだ。その下で、囲碁に興じる二つの影。その脇に置かれた盃が突然波打つ。驚いた二人は飛びのいて、遠巻きに盃を見ていると、何故か大量の飛沫《しぶき》と共に、一人の大男が飛び出してきた。

「久しいのう。蕭のぅ、曹のぅ、儂じゃ。玉鼎じゃ」


囲碁の勝負に水をさされ、甚《はなは》だしく憤慨《ふんがい》していた両名は、その名を聞き、途端に喜色を表して歓迎する。

「おうおう、玉鼎殿か。久しいのう。まだ今年の匡廬の霊峰の瀑布仕込みの酒はできておらんぞ?」

蕭升はそう言って、もう一つ盃を袖から出して、玉鼎真人のために瓢から酒を注ぐ。

「うむ。そちらも気になるが、今日は違っての。太乙のぅの弟子である娘子が、こちらに飛んできているはずでの、それを探しに来たというわけじゃ」


「儂らはずっとここで碁を打っていたが、誰も来とらんよ」

そう答える曹宝。

「ふむ……雷と炎を纏った宝貝に乗っておるのじゃ。目立つからまだやも知れぬのぅ」

「ほう、宝貝とな。ならこれが使えるやもしれん」

そう言った蕭升が懐中から取り出したのは、中央に方孔のあいた、一寸半ほどの一枚の金銭。

「む? その金銭は何じゃ? 玄都の銭ではないか」

「これは、『落宝金銭《らくほうきんせん》』と言っての、どんな宝貝でも飛んできたものを打ち落とすことができる宝貝だ」

蕭升の手元にある銭の表面には、古めかしく荘重な古籀《こちゅう》の文字で『昊天通宝《こうてんつうほう》』の四文字が刻まれていた。


「ほうほう、してどうやって使うのじゃ?」

「これはな、こうして空に投げての……」


蕭升は親指の上に乗せた『落宝金銭』を空中に弾いた。すると、くるくると空に舞っている金銭から一対の羽が生えたかと思うと、猛然と北西に向かって飛んで行った。


「なんとっ!」


軽く弾いて見せたつもりの蕭升と、それを見守っていた曹宝。突然『落宝金銭』が飛び出したことに驚嘆する。何の宝貝に反応したのかが分からないからだ。


「おおう」


北西に飛ぶ『落宝金銭』を見送った玉鼎真人、その宝貝の行く先、まさに空から降りてこようとしていた見覚えのある姿を見て、目を剥いた。


「翠のぅ! 避けろーーっ!!」


突然の玉鼎真人からの怒声に、下を見やると、目標にしていた松の木の下に三人の人影と共に、何か羽を広げた物体が突撃してくる。咄嗟に、翠は雷火輪に右手をかけ、空中で身体を斜めに捻りながら後方へと跳んだ。

「よっ!」

いわゆる『フロントサイド・アンダーフリップ』だ。


「おおっー」


見事な曲芸じみた回避劇に、揃って歓声をあげる三人の酔っぱらい。

突撃を躱《かわ》された落宝金銭は、空中で急旋回し、再度後方より猛烈な突撃を敢行する。


「危ないぞー」


言葉は注意喚起だが、声音は何かしら、酒の肴となりうる見世物に対しての期待に満ち溢れている。釈然とはしないが、その期待に応えるが如く、翠は風切り音を頼りに、今度は前傾姿勢から逆回転で鋭く宙を舞う。

「おっと!」

いわゆる『バックサイド・アンダーフリップ』だ。


「おおっー」


鮮やかな逆回転の回避劇に、またもや歓声をあげる三人の酔っぱらい。今度は拍手喝采付きときた。

しかして、二度までも鮮やかに避けられて獲物を見失った落宝金銭は、急制動をかけると、再び急旋回をすると思いきや、そのまま速度を上げて三人の酔っぱらいに突撃する。どうやら次の標的(宝貝)を見つけたようだ。


滅多にお目にかかれない曲芸を、酒の肴としていた酔っぱらい三人にとっては青天の霹靂だ。しかしさるもの玉鼎真人はすぐに体勢を整え、斬仙剣で迎え撃つ。

「すまぬが、斬るぞ!」

「あ、待たれよ!」


曹宝の制止も虚しく、斬仙剣が振るわれる……が、次の瞬間、玉鼎真人の身体が斬仙剣をその場に残して宙を舞い、錐揉みしながら落ちてくる。


その光景を雷火輪に急制動をかけながら見ていた翠は、落宝金銭の二枚の羽が、牛の角の如く見え、某悪魔超人の必殺技を喰らった筋肉の超人を幻視していた。


常人ならそのまま地面へ激突するところだが、間一髪体勢を立て直して着地した玉鼎真人。しかし絶対の斬撃を躱されたのならともかく、理由も分からないうちに弾き飛ばされ、あろうことか、相棒たる斬仙剣を手放したことに呆然とし、己の手を見ている。激突の現場では、主を失った斬仙剣は大地に突き刺さり、落宝金銭はその場に羽を失って落ちていた。


「玉鼎殿。無事で善哉」

「やはり、こうなり申したか」


蕭升はその身を案じ、玉鼎真人を制止した曹宝は、この結果を予見していたようだ。

玉鼎真人は視線で続きを促し、曹宝が落宝金銭の理を説明する。


「銭というものはの、もとより羽が生えたように人の手を離れ飛んでゆくものじゃ。とくに仲間と連れ立ってのぅ。落宝金銭はその『理《ことわり》』を宿しておるゆえ、宝貝という仲間を見つければ、そこに自ら羽ばたいて飛んでいき、吸い付くのじゃ。そうなると宙に浮いておられんで、一緒に落ちてくるのじゃよ」

「もともとは、放たれる宝貝から身を守るべく作られたものでした。ところが、此度の玉鼎殿のように、宝貝を手に持ったまま落宝金銭が衝突すると、何故かその宝貝の主だけが先ほどのように弾き飛ばされてしまうのです。これしか宝貝を持っていないのであればよいのですが、うかつに宝貝を身に着けたままだと、その宝貝に吸い付いてしまうのでどうにかしたいところですが……」


曹宝の説明を引き継いで、蕭升が玉鼎真人の身に何が起こったのかを説明する。

説明を聞いた翠はアメリカンクラッカーのような弾性衝突実験(ニュートンのゆりかご)の玉を思い浮かべた。それについて説明をしようとするが、まだ正式に挨拶を交わしていないことを思い出し、玉鼎真人を見やる。

翠の視線を受けた玉鼎真人は、心得たとばかりに、二仙を翠に紹介する。


「蕭のぅ、曹のぅ、この娘子が先に申した太乙のぅの弟子、李翠《り すい》じゃ。哪吒の妹じゃな」

「太乙師父の弟子にして、李家が末娘、李翠と申します。よしなに」

翠は二仙に拱手する。

「翠のぅ、こやつらは儂の呑み友じゃ」

「なんじゃ、その紹介は。娘さん、突然驚かせてすまなんだのう。貧道は五夷山の散仙、蕭升と申すもの。よしなに」

「貧道は同じく五夷山の散仙、曹宝と申すもの。よしなに。驚かせたお詫びに何枚か落宝金銭を持って行かれよ」

二仙も翠に拱手したあと、一掴みの金銭を革の小袋に入れて渡してきた。


と、そこに遅れていた雲中子が到着する。

「やっと追いついたでござるよ。かなり反対方向に飛んだでござる。急ぎ戻らねば……む?」


そこには、陽気に吞み直そうとしている三人の酔っぱらいと、顔色を蒼白にした翠が立ち尽くしていた。


「翠殿? 顔色が優れないようでござるな。具合が悪いでござるか?」

心配そうに覗き込む雲中子。翠は手渡された革袋を握りしめたまま、雲中子を見つめ首を振る。

「そういえば……あの二人も名が……」

翠の様子から、玉鼎真人と陽気に吞み交わしている二仙の天命を察する雲中子。

「助けたいのでござるね?」

頷く翠。雲中子はしばらく天を仰ぐが意を決して頷き返す。

「翠殿が間違って五夷山に辿り着いたのは、新たな天命かもしれんでござる。何かあっても太乙殿がなんとかしてくれるでござるよ」


二人のただならぬ雰囲気に、酒盛りを止めて様子をうかがっている三仙。

「……蕭道兄、曹道兄。信じられないかもしれませんが、聞いてください。私の識る未来では……お二人は遠からず、この山へ逃げてくる『燃灯師伯《ねんとうしはく》』を助け、『趙公明《ちょうこうめい》』という強大な道士と対峙することになります」


突然、未来を語りだした翠。その荒唐無稽《こうとうむけい》とも言うべき内容に目を丸くする蕭升と曹宝。


「趙公明……あの截教の高名な道士か? 儂らがそんな大物と?」

「はい。お二人はその落宝金銭を使い、趙公明が放つ強力無比な宝貝――『定海珠《ていかいじゅ》』と『縛竜索《ばくりゅうさく》』を見事に撃ち落として奪うことができます」

「なんと! あの『縛竜索』を退けるか!?」

仙界の者であれば誰もが知る宝貝に、落宝金銭が打ち勝つと聞き、舞い上がる二仙。

「なんと! あの『定海珠』を趙公明殿が所持してござったか!?」

玄都《げんと》を照らしていた盗まれた秘宝の行方に驚く雲中子と玉鼎真人。


「む? 宝貝を封じたのであれば、心配することはないのではないか?」

疑問を口にした蕭升。

「はい。落宝金銭は強力無比です……宝貝に対しては……しかし、宝貝でないものには無力です」


翠の言葉に静まり返る一同。

「趙公明は強力な宝貝の他に、神鞭《しんべん》を放ってきます。これは『九天玄鉄《きゅうてんげんてつ》』を彼の三昧真火《さんまいしんか》で鍛え上げたものです。術に頼らず、重さと硬さを極限まで追い求めたもの。宝貝の強さを持つ宝貝ではないもの、です。これに打たれて……蕭道兄は数百年の修行をふいにします」

静まり返ったままの一同。誰かが喉を鳴らす音だけが響く。


「わ、儂は?」

曹宝が尋ねる。

「はい、その後趙公明との対決が続きますが、燃灯師伯と協力して退けます。その後、そのまま西岐の戦場、蕭道兄の敵討ちとして参戦し、そこで曹道兄も長年の修行の成果をふいにします」

顔を見合わせる二仙。

「で、ではどうすれば? 燃灯道兄を見捨てるわけにもいくまい」

「はい。先ほども申したとおり、落宝金銭で定海珠と縛竜索を奪ったら、燃灯師伯と協力して趙公明から逃げてください。間違っても彼の神鞭に落宝金銭を投げないでください。逃げ切ったらその後はここ五夷山で、革命が終わるまでのんびりと隠れていてください」


まっすぐな翠の必死な訴えに、蕭升と曹宝は顔を見合わせ、深く頷いた。

「相分かった。娘子がそこまで案じてくれるのじゃ、無駄死には御免被《ごめんこうむ》る。宝貝を叩き落としたら、即座に土遁で隠れるとしよう」

「西岐の陣にも近づかんよ。ここで大人しく碁を打っておる」

二仙の誓いを聞き届け、翠はようやく胸を撫で下ろす。そして落宝金銭の入った革袋を、雲中子へと手渡した。


「雲中子師伯、お願いがあります。この落宝金銭を太乙師父に届けていただけませんか?」

「太乙殿にでござるか?」

「はい。術理としては、この羽があることで、飛び回れるのだと思います。このままだと私の雷火輪や他の宝貝に引っ付いてしまいます。羽を取れば、あるいはまっすぐ飛んで、宝貝に当たれば吸い付いて落ちてくるようになるのではないかと伝えてください。あとは師父が良いように術を施していただけると思います」

「うーん。太乙殿に任せるのは、少しいただけないでござるが……今はそのような場合ではないでござるしな。相分かった、承知したでござる。味方の宝貝に当たらないようにして欲しいと伝えるでござるよ」


そう言って雲中子は光遁を借りて姿を消した。

「翠のぅ、儂らは今度こそ西岐に向かうぞ。蕭のぅ、曹のぅ達者でな。今年の瀑布の名酒を楽しみにしおるぞ」

そう言って、光遁を借りて玉鼎真人も姿を消した。翠は二仙に会釈して、雷火輪を操作し、一路西岐を目指して飛び立った。


蕭升と曹宝は、老松の木の下で、飛び去る翠の後ろ姿を温かく見送っていた。

最後までお読みいただき、ありがとうございます!

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