第四幕 絶望の十絶陣 其の五
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※本作は『封神演義』の世界を舞台にしつつ、現代的な言葉遣いや独自の歴史解釈を多分に含んだ「IFファンタジー」です。神仙たちのシリアスな戦いと、メタ的なコメディ要素のギャップを笑って楽しんでいただければ幸いです!
其の五 虚実の旋律、即興曲を奏でる
■ 悠久の金鰲島・白鹿島にて
**時は殷周革命中。白鹿島の雷臨、虚実を喰らうは飛頭**
金鰲島に住む馴染みの道友を訪ねて来た聞仲太師。さて誰の洞府から尋ねようかと、墨麒麟に跨り、無窮の奇景を空から眺めていると、様子がおかしいことに気づいた。
常ならば、金鰲島を基点とした環礁の中に点在する島々で、各々が勝手気まま、気の向くままに己を研鑽している。しかし、あろうことか、白鹿島に尋常ならざる気配が十ばかり集まっているではないか。
件の白鹿島は、まさに先の戦闘において傷ついて体を癒すため頼ろうとした長命術の錬丹師、秦完の洞府のある島。すわ、一大事か? ただ事ではないと、墨麒麟を駆り、島に舞い降りた。
洞府に近づくと、中から妙に尖った気勢があがる気配がする。
常ならぬ事態に慎重に近づき、その入り口で眠っている猛虎の姿を認めた聞仲太師は、驚きつつも、額の第三の目から三昧火を三尺ばかり噴きだして咆哮する。
「その額の白い王の字、白額虎だな! 何故、我が道友の洞府に蟠っておるか! 返答の如何によっては、そのそっ首、ただちに引きちぎってくれるわ! 出てこい闡教の走狗め!」
尋常でない聞仲太師の覇気にあてられた白額虎。
――哀れ、誇り高き霊獣の面影もなく震えあがり、地に伏している。
その怒号に、洞府内からは、何事かと色を失った十天君と申公豹が飛び出してきた。
――一同、自らの衣装の乱れにも気づかぬほどの慌てようである。
しかしさるもの、怒号の主が聞仲太師であったと見てとるや、秦完が落ち着くよう、聞仲太師を宥める。
「おお、聞道兄ではないか。無事で……とは言えないが、壮健そうでなによりだ。まずはその傷を癒そうではないか」
道友達が無事な姿を見せたことに安堵する聞仲太師。
自らの満身創痍の身体を思い出したのか、肩で一息ついで応える。
「道兄諸君は息災のようで重畳、重畳。そこな闡教の走狗を見て、万が一を考えてしもうたわい。して、その飼い主の申何某よ。なぜ截教の本拠地である金鰲島にいるのじゃ? 儂の目は、貴様の言の虚実を見抜くぞ! 心して答えよ」
「聞道兄、その剣幕で詰問されれば、誰とておいそれとは答えられんよ。そこな申道兄はな、そこもとの大難を我らに知らせてくれた義の士であるぞ」
なおも仲裁しようとする秦完。根は善人なのだろう。申公豹を庇う。
しかし聞仲はなおも言い募る。
「ふんっ! 儂はその義の士とやらの身内であろう闡教の姜子牙と、崑崙の門徒によってたかってやられたのじゃ。いくら秦道兄の言とはいえ、おいそれとは信用できぬよ」
申公豹はここぞと前に進みでて、うやうやしく拱手して頭を下げる。
「姜子牙どもの無礼の件、幾重にもお詫びを。道を損ねんとする兄弟子を止められなんだ貧道を責めてくださって結構。先ほどの言にもあるよう、貧道の首を飛ばしますか?」
「恥知らずめ! 知らぬとでも思うてか。貴様の『飛頭術』知っておるぞ。首を飛ばしても元に戻る。まさに今の場に相応しい術よな。それを見越して習得していたのならば先見の明だけは褒めてやろう」
すさまじいまでの侮辱にも申公豹はどこ吹く風と言を重ねる。
「これは失言でしたな。重ねて非礼をお詫びし申す。そのような考えは毛頭なかったのですがな。失敬、失敬。しかし、吾輩の姜子牙を許すまじとの思いは本物。この思いに噓偽りはないということを、その眼で見ていただけますでしょうかの」
じっと聞仲太師の額を見つめる申公豹。ややあって、額の第三の目が静かに閉じられ、三昧火も掻き消える。聞仲太師からは怒気が抜かれ、これまでの疲れが一気に出たように応える。
「そうじゃの。そなたの姜子牙を許すまじとの言に嘘はないようじゃ。信じよう、すまなんだの」
「信じてもらえたことに感謝を」
そう言ってまた拱手して頭を下げる申公豹。
(ふん。切れ者と評判の聞仲もこの程度か。まあ、嘘は言っておらんからな。全ても語ってはおらんが。簡単なことよ)
拱手した腕で頭を隠し、下を向いたままなので、その表情は誰もうかがい知れない。
なにより、あまりの緊迫した事態に、当事者たちよりも、周囲のものがほっと息をつく。中には呼吸を忘れるあまり、そのまま封神台に飛びかねないものもいたようだ。申公豹は自分の誘導がうまくいったことにほくそ笑みそうになるところをこらえて続ける。
「それでは皆の衆、聞道兄を助けるため、陣を練る作業を続けようぞ」
(陣を練ったとて、あんたたち截教徒が勝てるかどうか……吾輩の知ったことではない。精々、派手に踊ってくれや)
聞仲太師の申公豹を認めるような発言で、ますます十天君の信を得た申公豹。その導く先が封神台であるかどうかは誰も知る由もなかった。
■ 泰然の乾元山・金光洞(魔窟)にて
**時は殷周革命中。千客万来の金光洞、三矩仙の詰問**
霊峰崑崙に連なる乾元山は金光洞。
最近は喧騒に満ちた活気ある洞府であったが、今は静まり返っている。
常ならば何かしらの宝貝がおかれている机の上には塵一つなく、射干玉色に光り、招かねざる三柱の仙人を拒む夜の帳のようだ。机を挟んで対峙する洞府の主の苦り切った表情がその由を物語る。
三柱のうち、朽葉色の道服を着た仙人が、どこからともなく雲床を取り出す。おもむろに残る二柱と太乙真人の間ぐらいに陣取り、右脇臥の姿勢をとる。
「すまない。腰をやってしまったようでな。話が長くなりそうなので、ご寛恕賜りたい」
言葉とは裏腹に、まったく悪びれる様子もなく青銅製の二尺ほどの煙管を手にし、主に声をかける。
「急にすまないな。太乙。お前が作ってくれた『しがー』で投じる煙薬がよく効いて、最近、臓腑の調子がいいようだ。助かるよ」
そう言いつつ、手にした煙管を咥え、何やら吸い込むとふぅっと煙を燻らす。立ち昇る煙は何をどうしたのか、『大謝』の文字となり虚空に吸い込まれるように消えた。
「麻姑洞よ。それだけなら感謝は受け取った。疾くと去ね。俺は忙しい。それから、渡した煙管にそんな権能はなかったはずだが?」
「かーっ、太乙よ、解ってて言っちゃうかな。はいそうですかとは帰れないのよ。その忙しい由をね。教えて欲しいかなって」
麻姑洞と呼ばれた黄竜真人は、煙管を左右に振りながら飄々と返す。
「ふふっ。煙の字は、煙術っていうの作っちゃった。便利でしょ?」
「何が『ちゃった』だよ」
横道にそれそうな会話に、蘇芳色の道服の仙人が声をあげようとしたが、それを制した胡粉色の道服の仙人。こちらもどこからともなく雲床を取り出して腰の位置で固定するとひょいと座り、片足だけ胡坐をかくように雲床に乗せる。所謂、半跏思惟像の姿勢だ。それから柔らかく問いかける。
「太乙君……君のご自慢の前庭、少々見苦しくはないかね? 霊草も霊木も無残に荒れ果てておるようだが、よもや仙界の重宝まで灰燼に帰してはいまいね? それで玉虚宮に叱られたのかい? それとも何だ、祝融峰の霊草、焚岩蘭でも育てようとしたのかな?」
ゆっくりと問われているのに、何故か口が挟めない。そして確実に追い込まれようとしている実感だけがある太乙真人。
「桃園洞と雲霄洞までお出ましとはな」
広成子と赤精子をそれぞれの洞府の名で呼び、太乙真人は眉をひそめながら続ける。
「俺が忙しいのは新しい弟子ができたからだ。前庭は新しい宝貝の威力試しのせいだ。他に語ることはない」
ほうと片方の眉を器用に上げる広成子。しかしてその姿は半跏思惟像の姿勢のままだ。この姿勢に何かしらの強制力があるとでもいうのか……
「ふむ。新しいお弟子さんですか? 玉虚宮には報せていますかな? で、その新しいお弟子さんはどちらに?」
自分からなぜ弟子の話をしてしまったのか、疑問を感じた太乙真人。洞内に設置した星々の家御謹製、全てを見通す神具『ウジャトの目』を見るも反応はない。術が使われていないことを示す、静謐を湛えた蒼い光を放っているだけだ。
「ま、まだだ。色々と忙しくてな。今は玉柱洞と使いに出ている」
「なるほど。それで雲中子君がいないのだね。新しいお弟子さんを預けるとは、相変わらず君たちは仲睦まじいですね。善哉、善哉」
そう言って、にこにこと微笑む広成子。太乙真人の視線を追い、壁の宝貝らしき蒼い宝石を一瞥するも特に何をするでもない。
一方、一度は制されたものの、黙っていられず割ってはいる赤精子。彼だけは広成子の半歩後ろに控え、両手を後ろ手に組んでいる。もし翠が見たら、どこぞの応援団の団員のようだと評しそうだ。
「おい、太乙殿。――否、太乙真人! その新しい弟子とは、どこの誰だ? 闡教に相応しかろうな? 出自は?」
「り、李家の者だ」
咄嗟に答えた太乙真人。またしても常なら有り得ぬ失言に気づくも時すでに遅し、何食わぬ顔をするのが精一杯となる。やり取りを見ていた黄竜真人は、いつにない太乙真人のやらかしに、やれやれという表情だ。
「李家? はて? 君には哪吒君がいるが、新しいお弟子さんというには無理があるかな。詳しく話をしてもらえますか?」
第一席の貫禄か。笑顔で詰める広成子。そこに事態の急転直下を告げる声が洞府に響き渡る。
「師父ー ただいま戻りました」
天を仰ぐ太乙真人、微笑む広成子は入り口を振り返る。
「おや。どうやら、その詳しいお話、ご本人から伺えそうですね」
■ 泰然の乾元山・金光洞(魔窟)にて
**時は殷周革命中。千客万来の金光洞、弟子の帰還**
時は少し遡る。夾竜山は飛雲洞にて土行孫との新たな縁を紡いだ翠は、意気揚々と楊戩の水遁に連れられて乾元山に戻ってきていた。
「乾元山が見えてきたでござる」
波の先頭に立つのは雲中子。
「翠道兄も、水遁に乗る姿が堂に入ってきましたね。高天原にも同じような術があるのですか?」
「ど、道兄なんて畏れおおいです。翠と呼んでください。術ではありませんが、波に乗る遊びはありました」
「……では、翠嬢と。遊興ですか。風流ですね」
不慣れだろうとサポートしてくれている楊戩。やはりイケメン道士は細やかな気配りにも嫌味がない。そんな親友の推しのやさしさに、場違いにも親友の審美眼に感心する翠。実のところはマリンスポーツの経験などなく、その卓越した体幹と運動神経がなせる業であったが言わぬが花。こうして和やかに戻ってきた一行。しかし、目ざとい楊戩が玉麒麟の不在に気づいた。
「おや? 天化道兄は戻られたのかな? 彼の玉麒麟がいないようですね」
「本当でござるな。まぁ、太乙殿に聞けば事の次第は分かろうでござるよ」
二仙のやり取りに、推しがいないと聞いて少しがっかりする翠。しかし、帰還したことは師父に知らせねばと洞府内につかつかと入っていく。
「なんでござるこの匂いは? 香でもなく何かの薬を燻したかのような……様子がおかしいでござる。翠殿! 待つでござるー」
霊獣の不在と微かに香る、嗅いだことのない匂いが雲中子の警戒心を刺激する。命のやり取りではなく、嫌味のやり取りを幻視した。しかし時はすでに遅し。翠は洞府の入り口から元気よく声を張り上げていた。
「師父ー ただいま戻りました」
頭を抱えた雲中子。振り返ると、符を握りしめ、苦い薬湯を飲んだかのような表情をした楊戩が仕舞ったばかりの水遁を用意していた。
「師父から火急の報せを受けました。金霞洞に戻ります」
雲中子に気づかれたと悟った楊戩は言い放ち、水遁を借りようとした刹那、突然、頭から倒れそうになる雲中子。咄嗟の出来事に楊戩の動きが一瞬止まった。
雲中子師伯が倒れた?と思った次の瞬間、にこにこと笑顔の雲中子が片手で楊戩の袖を持ち、残る手で楊戩の借りた水遁を散らしている。
「何処に行くでござるか?」
状況を理解できず口をパクパクとさせている楊戩。
「ああ、貧道がつまずいたと勘違いしたのでござるね。あれは翠殿に教わった『縮地』という武術の歩法でござるよ。仙術の『縮地』を模したものだそうでござる。術理は教わっていたが、行うのは初めてでござったよ、上手くできたようでなによりでござる」
事も無げに雲中子は説明する。
「して、その符にはなんとあるでござるか?」
観念したように楊戩は、雲中子に握りしめた符を見せる。
『来三矩仙(三矩仙がやってくる)
危乾元山(乾元山は危ないぞ)
遁走我先(儂は先に逃げる)
饗宴解散(お楽しみは終わりだ)』
「……流石は玉鼎殿……」
何故か、雲中子の掌に乗せられた符が灰になって風に流される。
「……何か申し訳ありません……」
「翠殿を追うでござる」
■ 泰然の乾元山・金光洞(魔窟)にて
**時は殷周革命中。千客万来の金光洞、三矩仙との遭遇**
翠がいつもの房に立ち入ると、そこには天を仰ぐ師と、にこやかに佇む胡粉色の道服の仙人が待っていた。
雲床に腰をかける胡粉色の道服の仙人を見た翠は、何故か京都の修学旅行で拝観した菩薩像を彷彿とさせたがよくは思い出せない。後ろに応援団のように仁王立ちしている蘇芳色の道服の仙人の所為かも知れない。また、少し離れたところで煙管を吹かし、仰臥している仙人と、なかなかの混沌ぶりに頬が引きつるのを感じる翠。しかして、このまま硬直する訳にもいかず、意を決して房内に入る。
とりあえず、関係者だろうとあたりを付けた翠は無言で作揖をする。すると胡粉色の道服の仙人は鷹揚に頷いた。蘇芳色の道服の仙人からは「太乙殿の弟子にしては礼儀を弁えておるの」と聞こえてきた。位置的に仰臥している仙人には目礼をすると、煙管を振って合図をしてくれたのでよしとする。翠は自分の取った行動が間違ってはいなかったことに安堵し、その後、師に拱手する。
「……師父、弟子 翠 只今帰参しました」
「良い時に戻ったな。弟子 翠よ。して、玉柱洞は?」
いつものやり取りとは違う雰囲気に咄嗟に合わせる翠。
「……はっ、共に戻りましたゆえ、今にもここへお見えになるかと」
訝しみながらも、土行孫との盟約が上手くいったことを伝えなければと、再び翠が口を開く。
「師……」
「遅いぞ! 玉柱洞! 太素宮はなんと?」
「……父?」
ちょうど房に入ってきた雲中子と楊戩。喰い気味の太乙真人の呼びかけと、三矩仙の姿を認めた雲中子は、天才的な空気を読む才能を遺憾なく発揮する。
「これ、太乙殿。いつもその言葉遣いを正せと言っておろうが。その件は首尾よく運んだ。九天玄女様にもお目通りが叶ったよ」
そして胡粉色の道服の仙人に向かって拱手する。
「これはこれは広成子殿。息災のようで善哉。善哉。赤精子殿、黄竜殿もな。して、太乙殿に何用かの?」
広成子も静かに雲床から降り、拱手で応える。
「いえいえ雲中子師伯こそ、息災のようで善哉。善哉。太乙君には、まさにその太素宮のことで罷り越した次第。なんでも瑶池から赤符が乾元山に向かったと報せがありましたもので」
なるほどなるほどと頷く雲中子。これまたいつもと違う口調の雲中子に怪訝な表情となる翠だが、
幸いにも三矩仙の視線は雲中子と、その後ろに控える楊戩に注がれている。
「ふむ。そういうことであったか。あいやすまぬの、要らぬ気づかいをさせたようじゃ。ほら、そこな娘、『李 翠』と申してな、先ほど言っておったように太乙殿の新たな弟子なのじゃが、哪吒の妹でもあるのじゃよ」
雲中子が哪吒の名を出した瞬間、広成子が目をすぼめる。赤精子からは「なんじゃと」という独り言が聞こえ、黄竜真人からは、値踏みするような視線が翠に送られる。
「とはいえ、道姑であるゆえ、九天玄女様にお目通りを願い、ほれその道服を下賜いただいたわけじゃよ」
皆が一斉に翠を見る。深碧の道服に注目され、物理的な圧を感じた翠は咄嗟に気を巡らせてしまう。刹那煌めいた辟邪の瞳。それまで値踏みするように翠を眺めていた黄竜真人は瞬間瞠目するも、煙管をふかし、目を背ける。ややあって広成子が異を唱える。
「雲中子師伯。それでは赤符の由がよく分からないのですが……?」
「そ、その件か」
意味深に楊戩を見た雲中子。その後太乙真人を見てうなずくと、太乙真人が口を開く。
「……あれは だな、飛熊(姜子牙のこと)が あの『柏鑑』を助けたと聞いてな……」
広成子が首を傾げる。
「あの『柏鑑』とは、もしかして……?」
太乙真人が頷く。
「そう、火雲洞の三聖と隠棲している帝だったやつの将軍の一人……だ」
翠は既視感に囚われながら、呟く。
「それって確か『涿鹿の戦い』の……?」
翠の呟きに反応したかのように、赤精子が割り込む。
「おお、太乙殿の弟子にしては礼儀があるうえに、しかと学んでおるようじゃの。善哉。善哉。そうじゃ……千年以上も前になるが『涿鹿の戦い』という戦があっての」
そう、その姿はまるで誘蛾灯に誘われる夏の虫の如く……
『涿鹿の戦い』という戦の伝説は、一部の漢を饒舌にする効果があるらしい……
饒舌になった赤精子の様子に太乙真人は獲物がかかったと確信したが、表情には出さずしかめっ面をしている。
雲中子は下を向いているが、わずかに肩が揺れている。それに気づかないのか、嬉しそうに赤精子は話を続ける。
「そうそう。雲中子師伯と翠殿は、九天玄女様に拝謁したと言っておったな。そうその九天玄女様じゃ。ああ見えて、かの軍神は千年以上も前でも活躍をして(ビシィッ)(ビシィッ)痛っ? 痛っ? のだ」
翠の深碧の道服から二条の紫電が迸る。赤精子は鼻を抑え、黄竜真人は瞠目し、広成子は両の眉があがる。
金霞童子がまたもや血相を変えてやってくる。
「師父! 赤精子師伯に赤符です! 太素宮からです! 見たこともないほど霊圧が高く、火急を要するようです!!」
青天の霹靂の如く。赤精子は鼻を抑えたまま、首を傾げながらも、雲中子、広成子らに断り、太素宮へと向かう。
そんな赤精子を見送りながら、太乙真人は広成子に向かって告げる。
「桃園洞よ、あんたが聞いたという赤符は金霞洞への沙汰だ。その由はあんたが今見たそのものだよ」
始め広成子は眉をあげ、事態の成り行きに半ば押され気味ではあったが、光遁を借りて消える赤精子の背中を見、首を振っている楊戩を見たことで、何とか理解が追いついた様子。
そんな広成子を尻目に、今度は俄かに芳醇な酒精の香りが漂いだす……
そして虚空の裂け目から半裸の巨漢が、ぬるっと現れる。誰あろう、玉鼎真人だ。
予期せぬ闖入者いや、この場合は珍入者か。今度は太乙真人、雲中子、楊戩が天を仰ぐ。
広成子と黄竜真人は、なんだと目を見開いたままだ。
顕現した玉鼎真人は、天を仰ぐ太乙真人の姿を見とめると、不思議そうに首を傾げる。
「なぜ、太乙のがいるのじゃ? 太素宮に呼ばれたのではないのか? 後のことは儂に任せて、はよぅ 馳せ参ぜぬか」
「ここは俺の洞府だ。居て何が悪い。お前ではあるまいし」
そういいながら、広成子の方に視線を送る。
その視線の先を見た玉鼎真人は何かを思い出したようだ。
「おお、そうであった。三矩仙が来ておったであるな。であれば儂は出直すとするかのう」
翠はその玉鼎真人の物言いに、彼がポンと拳を掌で受ける仕草を幻視した。
とはいえ、流石にそのまま姿を消すのはまずかろうと、広成子に向かって拱手する。
が、黄竜真人の姿は見えるが、いつも広成子の後ろに立っているはずの赤精子の姿がない。
何か腑に落ちたようにごちる玉鼎真人。
「ふむ。赤精のぅが呼ばれたのか」
訳知り顔の玉鼎真人。それを見逃さない広成子。さも訳が分からないという素振りをする。
「ふむ。玉鼎君は赤精子君が太素宮に呼ばれた由が分かっているようだね。太乙君に聞いても、君と同じだと言って教えてくれなかったのだよ。浅学の私に教えていただけないであろうか?」
広成子の言葉を聞いて猛烈な勢いで首を横に振る雲中子と目頭を揉む太乙真人。息を吞むのは楊戩か。黄竜真人は面白そうに煙管を吹かしながら見守っている。普段なら絶対に聞けないような広成子の教えを乞う言葉に気を良くした玉鼎真人は厳かなうなずく。
「ふむ。そうまで言うのなら教えて進ぜよう」
これはまずい流れだ。『涿鹿の戦い』という魔法の言葉が再び発せられる前に、翠は玉鼎真人を止めねばと声をかけようとしたその時、刹那の差で広成子が言葉を発する。
「おお、それは僥倖。『涿鹿の戦い』が関係しているらしいとは察したのだがね……」
と、声をかけようとした動きの翠を視線で牽制し、言葉を紡ぐ。
「……そこな翠君や九天玄女様との関係が分からないのだよ」
再び発せられた魔法の言葉。そして翠はまたもや誘蛾灯に誘われる夏の虫を幻視する。
「ふふ。広成のぅも覚えておろう。かの戦『涿鹿の戦い』を。そして千年も前の戦で名を馳せた戦女神……(ビシィッ)(ビシィッ)(ビシィッ)……違うのじゃ。口がすべった(ビシィッ)……あ痛っぁー」
途中、何かに気づいた玉鼎真人。時はすでに遅し。またもや翠から三条の紫電が発せられ、更に余計な言い訳にも追加の一条が空を切り裂く。
再び金霞童子が血相を変えてやってくる。
「師父! 玉鼎師叔に赤符です! 太素宮からです! 先ほどよりも信じられないぐらい霊圧が高く、火急を要するようです!!」
茫然自失となる玉鼎真人。太乙真人は楊戩の方を振り向き、顎でその師を指す。
全てを諦めた表情の楊戩は、師の腕をとり、水遁の準備をする。
「なるほど……玉虚宮ではないということですね。女神の星辰の運行に触れるとはいささか無粋ですね。邪魔したようですね。今日は退散させてもらうとするよ」
何かの悟りが開けたのか、晴れ晴れとした表情の広成子は、そういうと水遁に消えた師弟を追うように、土遁を借りて去っていった。
一方、一連の出来事を鑑賞していた黄竜真人は、ひとしきり大笑いし、
「太乙。俺も戻るわ。今度はその娘さんの辟邪の瞳について話を聞かせてくれや」
と、煙を燻らせ、その中に消えていった。
「一人で来たらな」
太乙真人は煙に向かって呟いた。
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まだ幕は閉じませんが、一度間章を挟み、その後再開します。
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次回は明日23時に更新予定です。引き続きよろしくお願いいたします!




