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第29話 黒聖灯広場

 階段を上がるたびに、黒い圧が強くなった。


 頭上では、黒聖灯が脈打っている。


 ごおん。


 ごおん。


 鐘の音ではない。


 灯りの心臓が、黒く鼓動している音だった。


 祈り火室でともした小さな灯りたちが、背中の下で揺れている。


 屋台の火皿。


 宿灯。


 祈り火。


 点検灯。


 修理灯。


 それぞれが、それぞれの役目を失わずに、細い線となって俺のランタンへつながっていた。


 俺一人の光ではない。


 下層の灯りを連れて、俺たちは黒聖灯広場へ向かっている。


「ルカ」


 前を行くセラが、短く呼んだ。


「上、広い場所に出るわ」


「はい」


「人が多い。見張りも多い。焦らないで」


「分かっています」


「それと」


 セラは少しだけ振り返った。


「何を言われても、ひとりで背負わないこと」


 その言葉に、胸の奥が少し軽くなった。


「はい」


 ミリアが後ろから小声で続ける。


「あと、グレゴールってやつが偉そうなこと言っても、言い返す前に灯具を見る」


「灯具を?」


「王都の大聖灯を黒聖灯にされたんでしょ。あれは灯具でもある。言葉より、構造を見た方が早い」


「職人らしい助言ですね」


「でしょ」


 ポルカが肩の上で、ぽう、と鳴いた。


 ノインは点検灯を抱え、緊張で顔を青くしている。


 それでも足は止めていない。


「この先に出ると、広場の南側です。中央に黒聖灯。その正面に裁き台が設けられているはずです」


「公開裁きの場所ですね」


「はい」


 ノインの声が震える。


「本来、聖灯広場は祝祭や祈りの場所です。裁きの場にするなんて……」


 俺はかつての広場を思い出した。


 金色の大聖灯。


 白い石畳。


 朝と夕方には、人々が足を止めて手を合わせる場所。


 子どもたちが走り、露店が並び、旅人が王都に着いたことを実感する場所。


 そして俺が、追放された場所。


 胸が痛まないと言えば嘘になる。


 でも、もう足は止まらなかった。


 階段の最後の一段を上がる。


 目の前に、黒い昼が広がった。


     ◇


 黒聖灯広場は、人で埋まっていた。


 王都の民。


 聖灯局員。


 黒燭商会の者たち。


 貴族らしき者もいる。


 皆、中央にそびえる巨大な灯柱を見上げていた。


 いや、見上げさせられていた。


 かつて金色に輝いていた大聖灯は、今や黒い芯を抱えた異様な灯りになっている。


 外側の硝子は同じだ。


 白銀の装飾も、王都の紋章も、そのまま残っている。


 だが中心部に、太い黒い火が立っていた。


 火なのに、明るくない。


 光っているのに、照らしていない。


 黒い光が広場へ降り注ぎ、人々の影を濃くしていた。


 広場の端には、古い灯具が積まれている。


 店灯。


 手灯。


 祈り灯。


 宿灯。


 どれも黒い縄で縛られ、処分を待つ罪人のように並べられていた。


 その光景に、ミリアの息が鋭くなる。


「……灯具を、こんなふうに」


 裁き台の上には、グレゴール・バルザックが立っていた。


 王都聖灯局長。


 白かったはずの礼服には、黒い縁取りが入っている。


 胸元には、黒聖灯の新しい紋章。


 彼の横には、ヴァルハインがいた。


 黒布で顔の下半分を覆い、細長い黒蝋燭を手にしている。


 さらに少し離れた位置に、オルドもいる。


 こちらを見つけた瞬間、彼はにやりと笑った。


「来たか」


 グレゴールの声が、広場全体へ響いた。


 拡声灯具を使っている。


 その声には、黒聖灯の圧が混ざっていた。


「民よ、見よ。これが王都の灯火を乱す反灯者、ルカ・エルネストである」


 人々の視線が一斉に俺へ向いた。


 恐怖。


 警戒。


 嫌悪。


 そして、わずかな期待。


 黒聖灯の声に飲まれている人ばかりではない。


 下層で橋灯や祈り灯を見た人たちも、この中にいる。


 まだ小さな灯りを覚えている人がいる。


 俺はランタンを握った。


「ルカ・エルネスト」


 グレゴールは裁き台の上から俺を見下ろす。


「お前は大聖灯事故を引き起こし、王都を危険に晒した。その罪により追放された身でありながら、辺境で黒聖灯事業を妨害し、王都下層に混乱を広げた」


 昔と同じだ。


 彼は断定する。


 証拠ではなく、声の大きさで人を押さえる。


 王都聖灯局長という肩書きで、疑問を持つことすら罪にする。


 以前の俺なら、ここで震えていたかもしれない。


 自分の言葉が誰にも届かないことを知っていたから。


 でも今は違う。


「俺は大聖灯事故を起こしていません」


 俺は言った。


 広場がざわめく。


 グレゴールの眉がわずかに動いた。


「今さら見苦しい弁明か」


「弁明ではありません。事実です」


「では、あの日、大聖灯に黒い染みを見つけたと言ったのは誰だ」


「俺です」


「そして、その直後に影狼が侵入した」


「はい」


「ならば、お前の小さな灯が大聖灯を乱したのだ」


「違います」


 俺は黒聖灯を見上げた。


 巨大な黒い芯。


 その奥に、かすかに金色の残光が見える。


 完全には死んでいない。


 大聖灯の本来の光は、黒い芯の奥で押し込められている。


「あの日、俺が見た黒い染みは、今日の黒聖灯と同じものです」


 広場のざわめきが大きくなった。


「大聖灯は、あの日すでに黒く汚され始めていました。俺はそれを報告しただけです」


「黙れ」


 グレゴールの声が低くなる。


 黒聖灯の芯が、どくん、と脈打った。


 人々の顔から表情が薄れていく。


 恐怖と疑問が、黒い圧に押し潰される。


 まずい。


 言葉だけでは勝てない。


 ミリアが小さく囁いた。


「ルカ、灯具」


「はい」


 俺は黒聖灯の根元を見た。


 巨大な灯柱の下部。


 そこには本来、各地の小灯から届けられた祈り火を受ける受け皿があるはずだった。


 だが今は、黒蝋で塞がれている。


 黒い芯が、大聖灯本来の受け皿を乗っ取っている。


 そして広場周辺の街灯へ、黒い糸を伸ばしている。


 街灯が黒く揺れるたび、人々の目から色が抜ける。


「黒聖灯は、人々の灯りを食っています」


 俺は言った。


 グレゴールは笑った。


「黒聖灯は夜霧を食う。王都を守るための新たな聖灯だ」


「なら、なぜ下層の橋灯を消そうとしたんですか」


 俺が問うと、グレゴールの目が細くなった。


「旧式灯具は新時代に不要だからだ」


「なぜ祈り灯を黒く染めたんですか」


「迷信にすがる古い灯りを整理しただけだ」


「なぜ灯具職人や灯番を捕らえたんですか」


 今度は広場のあちこちから、ざわめきが起こった。


 裁き台の脇には、捕らわれた人々の一部が並ばされていた。


 俺たちが祈り火室で助け出せなかった、別の職人たちだ。


 彼らは黒い縄で手を縛られ、黒燭商会の男たちに囲まれている。


 その中の一人が、顔を上げた。


「そうだ……俺たちは黒燭を拒んだだけだ!」


 黒礼服の男が彼を黙らせようとする。


 だが、その声は広場へ届いた。


 別の灯番も叫んだ。


「黒聖灯がともってから、祈り灯が泣いている!」


「うちの店灯は黒燭に食われた!」


「子どもが黒燭を怖がったんだ!」


 声が増える。


 グレゴールは片手を上げた。


 黒聖灯の鐘が鳴る。


 ごおん。


 その瞬間、叫んでいた人々の声が詰まった。


 目が虚ろになり、体が硬直する。


 黒聖灯が、彼らの意志を押さえ込んでいる。


 ヴァルハインが低く笑った。


「見ろ。人は大きな灯りの前では静かになる」


 俺はランタンを握りしめた。


「違います」


 胸の奥で、祈り火室の灯りが震えている。


 下層の灯りたちが、まだつながっている。


 広場の下。


 水路。


 祈り灯。


 店灯。


 橋灯。


 逃げ人の祠。


 ノクスヴェイル。


 小さな灯りたちが、黒い鐘の音に耐えている。


 俺はランタンを高く掲げた。


「皆さん、黒聖灯を見ないでください!」


 広場の人々がざわめく。


「足元の灯りを見てください。自分の家の灯りを、店の灯りを、祈った灯りを、帰り道を照らした灯りを思い出してください!」


「無駄だ」


 グレゴールが冷たく言う。


「民は強き灯りを望む。不安な時ほど、大きな光に従う。お前の小さな灯など、誰も求めていない」


 その時だった。


 広場の南側で、小さな光がともった。


 南下層橋灯三号から伸びてきた灯りだ。


 次に、祈り灯七番。


 次に、南通り店灯。


 屋台の火皿。


 宿灯。


 橋下修理場の携帯小灯。


 それらの光が、広場の敷石の隙間から細い線となって浮かび上がる。


 人々が足元を見る。


「これは……」


「うちの店の灯りだ」


「祈り灯の光……」


「橋灯が、ここまで」


 小さな灯りの線は、人々の足元で止まった。


 無理に押しつけない。


 ただ、そこにある。


 黒い大きな光を見上げなくても、足元に灯りはある。


 そのことを知らせるように。


 俺は息を吸った。


「【小さな灯】」


 ランタンから、大きな光は出さない。


 細い糸のような光を、広場の下にある旧祈り火路へ流す。


 祈り火室でともした灯りたちが応える。


 下層の灯りが応える。


 ノクスヴェイルの灯火網が、遠くから応える。


 黒聖灯の鐘の音が、金色の網に引っかかり、鈍る。


 人々の目に、色が戻り始めた。


 その瞬間、ミリアが叫んだ。


「今! 広場の街灯、黒糸が浮いてる!」


 ポルカが肩から飛び降り、白い月明かりを広場へ広げる。


 黒聖灯から伸びる黒い糸が、街灯や裁き台、捕らわれた職人たちの縄へ絡んでいるのが見えた。


 人々が息を呑む。


「黒い糸……」


「灯りから伸びてるのか?」


「違う、黒聖灯からだ!」


 グレゴールの顔が険しくなる。


「ヴァルハイン」


「承知」


 ヴァルハインが黒蝋燭を掲げる。


 黒い糸が一斉に暴れ、広場の小さな光を食おうと伸びた。


 セラが動く。


 裁き台へ一直線に走り、黒燭商会の男たちを牽制する。


「職人たちを解放して!」


 彼女の声に、下層から来た人々が動いた。


 ユーベルが靴直しの道具で黒縄を切ろうとし、ティナさんが黒蝋の結び目を見つけ、バスクさんが携帯小灯を配る。


 広場の端で、抑え込まれていた職人たちが一人、また一人と動き出す。


 ミリアは裁き台の下へ走り、黒聖灯の根元を見上げた。


「ルカ! 受け皿が黒蝋で塞がれてる! 小灯の火が入らないようにされてる!」


「開けられますか!」


「一人じゃ無理!」


「行きます!」


 俺が走ろうとした瞬間、オルドが立ちはだかった。


 顔を歪め、黒燭を握っている。


「行かせるかよ、無能」


「オルドさん」


「黙れ! お前が戻ってきたせいで、全部めちゃくちゃだ! 下層の連中まで調子に乗りやがって!」


「調子に乗ったのではありません。自分の灯りを取り戻そうとしているだけです」


「それが邪魔なんだよ!」


 オルドの黒燭が燃え上がる。


「俺は上へ行くんだ。局長に認められて、黒聖灯の新体制で上級監督官になる。そのためには、旧式灯具も、下層も、お前も邪魔なんだ!」


 黒い火が刃の形になって襲ってくる。


 俺はランタンで受け止めた。


 金色と赤黒い火がぶつかる。


 重い。


 黒聖灯の近くでは、黒燭の力が強い。


 だが、俺の背後から小さな灯りが支えてくれる。


 橋灯。


 祈り灯。


 店灯。


 屋台灯。


 俺は一歩も下がらなかった。


「オルドさん」


「何だ!」


「あなたは、灯りを見ていません」


「偉そうに!」


「役職しか見ていない」


 オルドの顔が怒りで赤くなる。


 彼はさらに黒燭を押し込もうとした。


 その時、横から青白い点検灯の光が差した。


 ノインだ。


 彼は震えながらも、オルドの黒燭へ点検灯を向けている。


「副監督官、黒燭の火が橋灯と同じ黒糸を出しています」


「ノイン、貴様!」


「記録します」


 ノインの声は震えていた。


 だが、言い切った。


「王都聖灯局下級補佐ノイン・ラート。黒燭が旧式灯具を侵食している事実を確認しました」


 オルドが怒鳴り、ノインへ黒燭を向けようとする。


 その瞬間、ポルカが飛びついた。


「ぽう!」


 白い尻尾がオルドの顔をぺしんと叩く。


「ぐわっ!」


 力は弱い。


 だが、隙はできた。


 俺はランタンの光を細く絞り、オルドの黒燭の根元へ入れる。


 黒い火が弾けた。


 黒燭にひびが入り、赤黒い火が消える。


 オルドは呆然と手元を見た。


「俺の……黒燭が……」


「灯りではないものは、消えます」


 俺は短く言い、彼の横を抜けた。


     ◇


 黒聖灯の根元へ駆け寄ると、ミリアが黒蝋の受け皿に灯路針を差し込んでいた。


 額に汗がにじみ、手が震えている。


「固すぎる……! 月守狐の黒蝋より濃い!」


「ヴァルハインの黒蝋燭に、月守狐の汚れた光が入っています」


「それをここに使ってるってこと?」


「おそらく」


 ヴァルハインは裁き台の上で、こちらを見下ろしている。


 彼の黒蝋燭は、白銀と黒が混ざった嫌な光を放っていた。


「正解だ」


 ヴァルハインは言った。


「月守狐から奪った黒き月灯。それが黒聖灯の芯を王都灯路へ定着させている」


 ミリアが歯を食いしばる。


「あんた……!」


「怒るな、職人娘。素材は使われてこそ価値がある」


「素材じゃない!」


 ミリアの声が広場に響いた。


「灯りも、月灯狐も、人の店も、祈りも、あんたたちの素材じゃない!」


 その叫びに、広場の人々が反応した。


 黒聖灯に押さえられていた表情が揺れる。


 ミリアは黒蝋の受け皿へ、さらに灯路針を押し込んだ。


「ルカ、下から灯りを!」


「はい!」


 俺はランタンを受け皿へ向けた。


 下層灯火網。


 祈り火室。


 旧灯路。


 すべてを通して、黒聖灯の根元へ小さな灯りを送り込む。


 黒蝋が抵抗する。


 強い。


 だが、俺たちは一人ではない。


「皆さん!」


 俺は広場へ叫んだ。


「自分の灯りを思い出してください! 大きな黒い灯りではなく、あなたを待っていた灯りを!」


 最初に応えたのは、マーサ婆さんだった。


 祈り灯七番へ花を置いた老婆。


 彼女は小さな携帯小灯を掲げた。


「息子の帰りを待つ灯りを!」


 次にユーベルが靴直し屋の吊り灯を掲げる。


「店を開ける灯りを!」


 屋台の女性が火皿を掲げる。


「娘に帰る場所を見せる灯りを!」


 下層の人々が、一人ずつ小さな灯りを掲げた。


 その光が広場の旧灯路へ流れ込む。


 貴族街の人々も、戸惑いながら胸元の手灯や家の守り火を見た。


 黒聖灯の黒い圧の中で、自分の小さな灯りを思い出そうとしている。


 グレゴールが叫んだ。


「やめろ! 黒聖灯を見るのだ! 王都を守る唯一の灯りを見よ!」


 だが、人々の視線は少しずつ下がっていく。


 黒聖灯ではなく、足元へ。


 自分の手元へ。


 誰かの掲げた小さな灯りへ。


 黒聖灯の芯が激しく脈打つ。


 受け皿の黒蝋に亀裂が入った。


「ミリア!」


「あと少し!」


 ミリアが灯路針を回す。


 ぽきん、と黒蝋が割れた。


 大聖灯本来の受け皿が、ほんの一部だけ露出する。


 金色の古い灯路紋が見えた。


 俺はそこへ光を入れた。


 小さな灯りたちの光を、一つの大きな炎にはしない。


 小さなまま、受け皿へ届ける。


「【小さな灯】」


 その瞬間、黒聖灯の根元から金色の線が走った。


 広場の旧灯路が起きる。


 下層灯火網と黒聖灯の根元がつながる。


 黒い芯が、大きく揺れた。


 王都全体を覆っていた黒い昼に、初めて亀裂が入る。


 空から、ほんの少し本物の昼の光が差し込んだ。


 広場にどよめきが起こる。


「空が……」


「青い」


「黒くない……」


 グレゴールの顔が歪んだ。


 ヴァルハインは、逆に笑っていた。


「素晴らしい。やはり、お前の小さな灯は黒聖灯の芯に届く」


「何を笑っているんですか」


「届くということは、引き込めるということだ」


 ぞくりとした。


 黒聖灯の芯が、急に俺のランタンへ黒い糸を伸ばした。


 速い。


 避けきれない。


「ルカ!」


 セラの声。


 ミリアの手が伸びる。


 ポルカが飛び出す。


 だが、黒い糸は俺のランタンと結灯環に絡みついた。


 強い吸引。


 下層灯火網ごと、俺の灯りを黒聖灯の芯へ引きずり込もうとしている。


 グレゴールの声が響いた。


「小さな灯を核にして、黒聖灯を完全化する。お前は最初から、そのために必要だったのだ」


 視界が黒く染まり始める。


 それでも、ランタンの奥で金色の火は消えていない。


 俺は歯を食いしばった。


 黒聖灯が俺を引き込むなら。


 その中に、こちらの灯りも届けられる。


 危険だ。


 分かっている。


 でも、ここまで来た。


 俺はランタンを握りしめた。


 黒い芯の奥で、かつての大聖灯の金色が助けを求めるように揺れている。


 まだ、終わっていない。

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