表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
14/51

第14話 黒燭を暴く夜

 明日の正午まで。


 黒燭商会のバルドは、そう言って村の外に天幕を張った。


 北門の向こう、黒森へ続く道の手前。


 黒い荷馬車が三台並び、黒い礼服の男たちが淡々と荷を降ろしている。


 まるで、もうこの村に黒燭を置くことが決まっているかのように。


 村人たちは、広場からその様子を不安げに見ていた。


 王都聖灯局公認。


 黒燭導入契約。


 無認可灯具の撤去命令。


 どの言葉も、この小さな村には重すぎる。


 俺は広場の灯柱の下で、黒燭商会が置いていった契約書の写しを見つめていた。


 セラが腕を組み、隣で低く言う。


「明日の正午までに、村として拒否する理由を示さないといけない」


「はい」


「ただ危ない気がする、では弱いわ」


「証拠が必要です」


「王都に対しても、村人に対してもね」


 セラの視線は、広場に集まる人々へ向いていた。


 村人たちは、俺たちを信じたいと思ってくれている。


 ニナの安眠灯。


 ロッテさんの宿。


 ガルム爺の月送りの灯。


 北門守護灯。


 それらを見てきたからだ。


 けれど同時に、王都の名前は大きい。


 王都が公認した商品。


 王都が安全だと言った灯り。


 それを拒むことは、村人にとっても怖いはずだった。


 俺は契約書の印を見た。


 王都聖灯局の認可印。


 その隣に、黒燭商会の蝋燭紋。


 見れば見るほど、胸の奥が冷える。


「この印は本物ですか?」


 セラが聞く。


「少なくとも、俺が知っている聖灯局印と一致しています」


「偽造ではなく?」


「断言はできません。でも、かなり精巧です。印影の欠け方まで本物に近い」


「つまり、聖灯局の誰かが関わっている可能性が高い」


「……はい」


 口に出すと、改めて重かった。


 王都聖灯局。


 俺を追放した場所。


 それでも俺は、あの組織が完全に腐っているとは思いたくなかった。


 街灯網を守るために遅くまで働いていた下級職員もいた。


 貧民街の祈り灯を気にかけていた老技師もいた。


 俺に工具の磨き方を教えてくれた先輩もいた。


 だが、上層部は違う。


 局長グレゴールなら、派手な成果と貴族の評価のために、黒燭のようなものを導入してもおかしくない。


 彼は、小さな灯りの価値を見ようとしなかった。


「ルカ」


 セラが俺の顔を覗き込む。


「つらいなら、無理に聖灯局の話をしなくてもいい」


「大丈夫です」


「本当に?」


「はい」


 俺は契約書を丁寧に畳んだ。


「王都で何があったとしても、今守るべきなのはこの村の灯りです」


 セラは少しだけ目を見開いた。


 それから、小さく頷く。


「分かった」


 そこへ、ミリアが大きな木箱を抱えて走ってきた。


「実験台、持ってきた!」


 木箱の中には、壊れた小型灯、魔石片、銅線、反射板、古い布、そして黒燭を隔離するための硝子筒が入っていた。


 ポルカもその後ろをとことこと歩いてくる。


 昨夜の疲れはまだ残っているはずなのに、尻尾を小さく光らせている。


「ぽう」


「ポルカ、今日は無理しない約束です」


「ぽう?」


 首をかしげられた。


 たぶん分かっていない。


 あるいは、分かっていて聞こえないふりをしている。


 ニナなら「ポルカはルカ兄ちゃんに似てる」と言いそうだ。


「で、どう実験する?」


 ミリアが木箱を広げながら聞いた。


「黒燭が灯りを吸うところを、村の人たちにも見える形で確認します」


「広場灯を危険に晒すのは嫌」


「同感です。だから、試験用の小灯を作りましょう」


「黒燭の近くに置いて、光の減り方を見る?」


「はい。ただし、それだけでは弱い。比較用に、俺の【小さな灯】だけを入れた灯具、ミリアの普通灯、安眠灯に近い柔らかい灯りの三つを用意します」


 ミリアの目が職人のものになる。


「なるほど。黒燭がどの灯りを先に食うかを見るんだ」


「そうです」


「たぶん、弱くて優しい灯りから食う」


「俺もそう見ています」


 ミリアは歯を食いしばった。


「最低だね」


「はい」


 強い灯りを避け、弱い灯りから食う。


 もしそうなら、黒燭が最初に奪うのは、子どもの寝室灯や老人の手元灯、宿の窓明かりのような小さな灯りだ。


 王都の大聖灯の下では、気づきにくいかもしれない。


 巨大な光がある場所なら、黒燭の害は目立ちにくい。


 しかし、この村のように小さな灯りで暮らしを守る場所では、致命的だ。


「実験は村人全員の前で行うわ」


 セラが言った。


「ただし距離を取る。子どもは近づけない。ニナの安眠灯は使わない」


「はい。あの灯りはニナのものです。実験には使いません」


 俺がそう言うと、広場の端で聞いていたニナが安堵したように安眠灯を抱きしめた。


「よかった」


 その小さな声だけで、黒燭を許せない理由は十分だった。


     ◇


 夕方。


 広場に簡易の試験場を作った。


 中心には、黒燭商会が実演に使った黒燭と同じ型の一本。


 それを硝子筒の中に入れ、外側を隔離灯の金具で囲む。


 黒燭から三歩離れた場所に、小型灯を三つ置いた。


 一つ目は、普通の油灯。


 二つ目は、俺の【小さな灯】を留めた試験灯。


 三つ目は、ミリアが作った柔らかい灯りの試作品。


 子ども部屋用の安眠灯に近いが、ニナのものとは別に作った。


 さらに、その周囲をロープで囲み、村人たちは十分離れた場所から見守る。


 セラが広場の中央に立った。


「これから、黒燭が本当に安全な灯りなのか確認します。危ないと感じたら、すぐ家に戻って。子どもたちは大人の後ろへ」


 村人たちが緊張した顔で頷く。


 ロッテさんは宿の入口に立ち、万一に備えて温かい布と水を用意している。


 ガルム爺は帽子を握りしめ、じっと黒燭を見ていた。


 ドルトンさんも証人として残っていた。


 黒燭商会の天幕からは、バルドたちがこちらを見ている。


 止めには来ない。


 むしろ、試すなら試してみろと言わんばかりだった。


 自信があるのか。


 それとも、何か仕込んでいるのか。


「始めます」


 俺は黒燭に火をつけた。


 赤黒い火が、ゆっくりと芯に宿る。


 周囲の空気が冷える。


 村人たちから小さな悲鳴が漏れた。


 黒燭の火は、やはり明るくない。


 燃えているのに、闇を増やす。


 最初に反応したのは、普通の油灯だった。


 炎が少しだけ揺れる。


 だが、すぐには消えない。


 次に、俺の試験灯が揺れた。


 黒燭の火が、そちらへ細い糸を伸ばす。


 俺はランタンの光でその糸を照らした。


「見えますか」


 村人たちが息を呑む。


 黒い糸。


 それが試験灯へ向かって伸びている。


「本当に、灯りに向かってる」


「夜霧じゃなくて?」


「黒い線が見える……」


 ミリアが記録を取る。


「黒燭点火から十呼吸。普通灯に弱い干渉。ルカの試験灯に黒糸発生」


 黒い糸は試験灯に触れた。


 瞬間、試験灯の光が少し弱まる。


 俺はあえて手を出さなかった。


 村人に見せる必要がある。


 黒燭が何をしているのかを。


 やがて、三つ目の柔らかい灯りが大きく揺れた。


 黒燭の火が、明らかにそちらへ反応する。


 まるで獲物を見つけた獣のように。


 赤黒い火が伸びる。


 柔らかい灯りの周囲に、黒い靄が絡みつく。


「あ……」


 ニナが老婆の後ろで小さく声を上げた。


 彼女には、あの灯りが自分の安眠灯に似ていると分かったのだろう。


 柔らかい灯りは、みるみる弱っていく。


 ミリアの手が震えた。


「黒燭点火から三十呼吸。柔灯に強い干渉。光量、半分以下」


「まだ続けます」


 俺は言った。


 自分でも苦い声だった。


 実験とはいえ、灯りが食われるのを見るのはつらい。


 ミリアは唇を噛みしめながら頷いた。


「続けて。ちゃんと記録する」


 黒燭の火が、さらに大きくなる。


 すると、柔らかい灯りの周囲に、小さな影が浮かび始めた。


 影狼ではない。


 もっと小さい。


 子どもの悪夢に出てくるような、黒い手の形。


 村人たちがざわめく。


「ニナの夢に出ていたのと同じ……」


 老婆が青ざめて呟いた。


 ニナは安眠灯を抱きしめ、震えていた。


 俺はそこで灯りを割り込ませた。


 金色の光で黒い糸を断つ。


 ポルカが尻尾を振り、月明かりを補う。


 黒い手は霧のように溶けた。


 柔らかい灯りは、消えずに持ち直した。


 村人たちの間から、怒りに似た声が上がる。


「今のは何だ」


「黒燭は悪夢を避けるんじゃなかったのか」


「逆じゃないか」


「子どもの灯りを食ってたぞ」


 バルドたちのいる天幕の方を見ると、黒礼服の男たちが無表情にこちらを見ていた。


 バルドだけが、薄く笑っている。


 嫌な笑みだった。


「まだ終わりではありません」


 俺は黒燭の火を見た。


「黒燭は、灯りを吸ったあと、何かを残します」


「何か?」


 セラが聞く。


「昨夜、宿の部屋に黒い蝋の滴が落ちていました。今回も出るはずです」


 俺たちは黒燭の下を見る。


 しばらくして、火の下から黒い滴が落ちた。


 蝋のようで、蝋ではない。


 それは地面に触れると、小さな紋を作った。


 蝋燭の紋。


 そして、そこから冷たい夜霧がじわりと滲む。


 ミリアが息を呑む。


「黒燭は、夜霧を消してない。濃縮して、下に落としてる」


「はい」


「つまり、置いた場所が汚染される」


「そうです」


 俺は村人たちへ向き直った。


「黒燭は、最初だけ夜霧を吸って安全になったように見せます。でも、実際には周囲の小さな灯りを食い、悪夢の影を呼び、最後に黒い蝋として呪いを残す」


 広場に沈黙が落ちる。


「これを家に置けば、家の灯りが弱ります。子どもの寝室に置けば、安眠灯が食われます。井戸に置けば、水源の周囲に呪いが残る。北門に置けば、守護灯が削られる」


 ニナが、はっきりと言った。


「いらない」


 小さな声だった。


 でも、広場に届いた。


「わたし、黒いのいらない。ルカ兄ちゃんとミリア姉ちゃんの灯りがいい」


 老婆がニナの肩を抱いた。


「私もだよ」


 ガルム爺も頷く。


「わしも、月送りの灯を黒燭に替えられるのはごめんだ」


 ロッテさんが静かに言った。


「宿にも置かない。あれは客を眠らせる灯りじゃない」


 村人たちの間に、次々と声が広がった。


「うちもいらない」


「黒燭は入れない」


「王都公認でも、あれは怖い」


「うちの子の灯りを食うものなんか置けるか」


 セラはその声を聞き、深く息を吐いた。


 安堵ではない。


 決意の息だった。


「村としての答えは決まったわね」


 彼女は俺を見た。


「明日、黒燭商会に正式に拒否を伝える」


「はい」


「でも、相手は引かないでしょうね」


「そう思います」


 俺は黒燭の火を消した。


 黒い蝋の滴を隔離灯の中へ封じる。


 証拠は残った。


 村人たちの証言もある。


 ミリアの記録もある。


 これで、黒燭が安全ではないことは示せた。


 だが、相手が権威を盾にしてくるなら、これで終わりではない。


     ◇


 夜。


 証拠を整理するため、俺たちはあかり宿に集まった。


 食堂灯が温かくともっている。


 テーブルの上には、黒燭の試験記録、黒い蝋の滴、割れた黒蝋燭、黒い札、ドルトンさんの証言を書いた紙、そして黒燭商会の契約書の写しが並んでいた。


 ミリアは眠そうな目をこすりながら、最後の図を描いている。


「黒燭から伸びる黒糸。柔灯への干渉。黒滴の発生……よし」


「十分な記録です」


「王都の偉い人が見て、分かるかな」


「分からせます」


 俺が言うと、ミリアは少し驚いた顔をした。


「ルカ、たまに強いよね」


「そうですか?」


「うん。普段はぼんやり優しいのに、灯りのことになると頑固」


 セラが食堂の入口で頷いた。


「それは分かるわ」


「セラさんまで」


「悪い意味じゃないわ」


 ロッテさんが温かい茶を置いてくれる。


「頑固な灯火師さんが来てくれて、この村は助かったのよ」


 どう返せばいいか分からず、俺は茶を飲んだ。


 体の中に温かさが広がる。


 その時、ポルカが急に顔を上げた。


「ぽう?」


 耳をぴんと立て、宿の扉を見る。


 次の瞬間、扉の外で小さな音がした。


 かさり。


 誰かが紙を差し込んだような音。


 セラがすぐに扉へ向かう。


 短剣を抜き、外を確認する。


「誰もいない」


 彼女は扉の下に落ちていた紙を拾った。


 黒い封蝋。


 蝋燭紋。


 黒燭商会からだ。


 セラが封を開き、紙面に目を走らせる。


 その表情が、みるみる険しくなった。


「何と?」


 俺が尋ねる。


 セラは紙をテーブルに置いた。


 そこには、整った文字でこう書かれていた。


『黒燭導入拒否の場合、王都聖灯局規則に基づき、ノクスヴェイル村の無認可灯火設備を危険物として撤去する。

 対象。広場灯柱、北門守護灯、井戸灯、あかり宿食堂灯、月送りの灯、月灯工房地下芯灯、その他すべての無認可灯具。

 なお、追放処分済み灯火師ルカ・エルネストによる灯火行為は違法行為として報告済みである。』


 最後に、署名があった。


 黒燭商会主任、バルド。


 そして、その下。


 見覚えのある名前が添えられていた。


『王都聖灯局長 グレゴール・バルザック承認』


 俺はしばらく、その名から目を離せなかった。


 グレゴール。


 俺を追放した男。


 大聖灯の異常を俺のせいにした男。


 小さな灯りを価値がないと切り捨てた男。


 その男の名が、今度はこの村の灯りを奪う命令に添えられている。


 ミリアが拳を震わせた。


「ふざけないでよ……」


 ロッテさんが食堂灯を見上げる。


 ガルム爺が月送りの灯の記録を胸に抱く。


 ニナは安眠灯をぎゅっと抱きしめた。


「ルカ兄ちゃん」


 小さな声がした。


「わたしの灯り、取られちゃうの?」


 俺はニナの前に膝をついた。


 安眠灯の光が、彼女の不安げな顔を照らしている。


 この灯りを奪わせるわけにはいかない。


 この宿も。


 北門も。


 井戸も。


 墓地道も。


 工房も。


 この村の夜を少しずつ取り戻してきた灯りを、王都の紙切れ一枚で消させてたまるか。


「取らせない」


 俺は言った。


 自分でも驚くほど、声は落ち着いていた。


「絶対に」


 その時、あかり宿の食堂灯が、ふわりと強く光った。


 北門の方角でも、小さく鐘が鳴る。


 一回。


 二回。


 三回。


 警戒の鐘。


 窓の外を見ると、黒燭商会の天幕から、黒い礼服の男たちが動き出していた。


 正午まで待つと言ったはずなのに。


 彼らは夜のうちに、村へ向かって歩き始めていた。


 手には、黒い蝋燭。


 狙いは分かっている。


 灯りの撤去。


 あるいは、強制的な黒燭の設置。


 セラが短剣を抜く。


 ミリアが工具を掴む。


 ポルカが俺の肩に飛び乗る。


 俺はランタンを掲げた。


 小さな灯りが、宿の中で静かに揺れる。


「行きましょう」


 夜の村に、黒い火が近づいていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ