第1話 灯りをつけるだけの無能
「ルカ・エルネスト。お前を、本日付で王都聖灯局から追放する」
王都中央広場。
大聖灯の前に立たされた俺は、冬の夜気よりも冷たい視線に晒されていた。
見上げれば、王都の空を照らす巨大な聖なる灯りがある。
王都の象徴。
夜の魔物を遠ざけ、呪いを祓い、人々に安眠を与えるとされる大聖灯。
その真下で、俺は罪人のように断罪されていた。
「理由は……やはり、昨夜の魔物侵入ですか」
俺がそう尋ねると、聖灯局長グレゴール・バルザックは、いかにも重々しい顔で頷いた。
「当然だ。大聖灯の管理を任されていたにもかかわらず、貴族街に影狼を侵入させた。幸い被害は軽微だったが、一歩間違えれば王都の威信に関わる大惨事だった」
「ですが、昨夜の大聖灯の中枢調整は、俺の担当ではありません。俺は下層灯路と街灯網の点検を——」
「黙れ」
グレゴール局長の一言で、俺の声は切り捨てられた。
周囲に並ぶ聖灯局の職員たちが、くすくすと笑う。
その中でも一番大きく鼻で笑ったのは、同僚のオルド・ライゼンだった。
「まだ言い訳するのかよ、ルカ。お前の仕事なんて、どうせ街灯に火をつけて回るだけだろ?」
「……街灯の調整は、王都の夜を守るために必要な仕事だ」
「はっ。聞いたか? ろうそく係が偉そうに王都を守るだってよ」
笑い声が広がる。
俺は反論しようとして、やめた。
もう何度も言ってきた。
大聖灯だけを強く輝かせても意味はない。
王都を守っているのは、大聖灯から伸びる無数の小灯路だ。
路地裏の街灯。
橋のたもとの灯篭。
貧民街の祈り灯。
地下水路の封魔灯。
それらが細い網のようにつながって、夜の魔物を押し返している。
だが、派手な聖光魔法を扱う上層部にとって、そんな地味な作業は価値のない雑用でしかなかった。
そして俺のスキルも、同じように価値がないとされていた。
「ルカ・エルネスト。スキル【小さな灯】」
グレゴール局長が、わざとらしく羊皮紙を読み上げる。
「戦闘能力なし。治癒能力なし。大規模結界の形成能力なし。ただ、手のひらほどの灯りをともすだけの外れスキル」
周囲から、また笑いが起きた。
「まったく、聖灯局に入れたこと自体が奇跡だったな」
「雑用係としては便利だったんじゃないか?」
「夜道を歩く子どもには喜ばれそうだ」
俺は手を握りしめた。
怒りよりも、悔しさよりも。
ただ、胸の奥が冷えていく。
俺が十年間守ってきた灯りは、この人たちには何も見えていなかったのだ。
「よって、お前を王都より永久追放とする。聖灯局の名を名乗ることも、王都内で灯火業に関わることも禁ずる」
「……俺が抜けたら、下層灯路の調整は誰が?」
思わず口に出た。
心配だった。
昨夜の事故の後、大聖灯の光にわずかな濁りが出ている。
貴族街の影狼侵入も、本当の原因は大聖灯の出力過多ではない。
灯りの流れが偏っている。
小さな灯りたちの声を聞かず、ただ中央の光だけを強めたせいだ。
放っておけば、数日以内に王都の北区から影が染み出す。
「まだ自分が必要だと思っているのか?」
グレゴール局長は、心底呆れたように言った。
「王都には優秀な聖灯師がいくらでもいる。お前のような無能一人が消えたところで、何も変わらん」
「……そうですか」
「ああ。さっさと行け。二度と王都の灯りに触れるな」
俺は深く頭を下げた。
抗議の言葉は、もう出なかった。
足元に置かれた小さな鞄を拾う。
中身は、着替えが二着。
古い工具箱。
灯油の小瓶。
そして、父から譲られた真鍮の携帯ランタン。
俺が十年間、聖灯局で積み上げてきたものは、それだけになった。
広場を出る時、背後でオルドの声が聞こえた。
「辺境にでも行って、村人相手にろうそく屋でもやればいいさ」
笑い声。
誰も、俺を引き止めなかった。
誰も、昨夜の事故の本当の原因を調べようとしなかった。
ただ一人。
白い神官服を着た少女だけが、人垣の奥から苦しそうに俺を見ていた。
聖女候補のイリス様だ。
彼女は何か言いたげに唇を動かしたが、隣に立つ神官に肩を押さえられ、結局こちらへ来ることはなかった。
俺はもう一度だけ大聖灯を見上げる。
巨大な光。
まぶしすぎる光。
けれど、その中心に。
ほんの針の先ほどの黒い染みが浮かんでいた。
「……やっぱり、濁ってる」
俺の呟きは、誰にも届かなかった。
◇
王都を出て三日目の夜。
俺は辺境行きの乗合馬車に揺られていた。
行き先は、ノクスヴェイル地方。
黒森と呼ばれる魔境の手前にある、王都の人間ならまず近づかない辺境だ。
御者には「本当に行くのか」と三回聞かれた。
同乗していた商人には「夜になる前に村へ入れなかったら終わりだぞ」と脅された。
どうやら、そのあたりでは夜に魔物が出るらしい。
王都でも夜の魔物は出る。
だが、大聖灯と街灯網があるため、普通の人間が襲われることは少ない。
辺境では事情が違うのだろう。
俺は馬車の窓から外を見た。
すでに日は沈みかけている。
空は薄紫から濃紺へ変わり、遠くの森が黒い壁のように見えた。
妙な静けさだった。
虫の声がしない。
鳥の声もしない。
ただ、馬の蹄と車輪の軋む音だけが夜に吸い込まれていく。
「おい、御者さん。少し急いだ方がいいんじゃないか」
商人が青い顔で言った。
「分かってるよ。だが、道が悪いんだ。これ以上飛ばしたら車輪がやられる」
「冗談じゃないぞ。俺は黒森の夜なんて初めてなんだ」
「だったら祈っとけ」
御者の声にも余裕はなかった。
俺は鞄から古いランタンを取り出した。
真鍮の表面は傷だらけで、蓋の蝶番も少し緩い。
それでも、俺にとっては一番馴染んだ道具だ。
「……火をつけるのか?」
隣に座っていた商人が、俺の手元を見て眉をひそめた。
「はい。日が落ちますから」
「やめとけ。辺境の夜に灯りをつけると、逆に魔物が寄ってくるって聞いたぞ」
「普通の火なら、そういう場合もあります」
「普通の火なら?」
俺はランタンの芯に指を近づけた。
スキルを使う時、特別な詠唱はいらない。
ただ、心の中で灯りを思う。
暗い道を歩く人の足元。
眠れない子どもの枕元。
帰りを待つ家の窓辺。
そういう、小さな明かりを思う。
「【小さな灯】」
ぽっと、ランタンの中に柔らかな光がともった。
炎ではない。
けれど冷たくもない。
淡い金色の光が、ランタンの硝子越しに馬車の中を照らす。
商人は拍子抜けしたように笑った。
「なんだ。本当に小さい灯りだな」
「ええ。小さいんです」
俺も苦笑した。
王都では、ずっとそう言われてきた。
小さい。
弱い。
地味。
役に立たない。
だが、馬車の中にいた老婆が、ふと顔を上げた。
「……あったかい灯りだねえ」
「え?」
「いや、なんとなくね。少しだけ、胸が楽になったよ」
老婆はそう言って、膝の上で眠る小さな女の子の髪を撫でた。
その子は七歳くらいだろうか。
栗色の髪を二つに結んだ、小さな少女。
さっきからずっと、苦しそうに眉を寄せて眠っている。
「お孫さんですか?」
「ああ。ニナっていうんだ。黒森の近くの村に住んでるんだけどね、王都の医者に診せても治らなくて」
「病気ですか」
「悪い夢を見るんだよ。毎晩、毎晩。眠ると泣いて、起きると忘れてる。でも日に日に弱っていく」
老婆の声が震えた。
「王都じゃ、辺境の子どもに使う薬はないって言われちまってね」
俺はニナという少女を見た。
眠っているはずなのに、指先が小さく震えている。
そして、彼女の肩のあたりに。
薄い黒い靄のようなものがまとわりついていた。
「……夜の呪い?」
思わず呟いた瞬間だった。
馬が大きく嘶いた。
馬車が激しく揺れる。
「うわっ!」
「な、なんだ!?」
御者の怒鳴り声が響いた。
「影狼だ! つかまってろ!」
次の瞬間、馬車の外で何かが地面を蹴る音がした。
窓の向こう。
闇の中に、赤い目が浮かんでいる。
一つではない。
二つ、三つ、五つ。
黒い獣の群れが、馬車と並走していた。
影狼。
夜の魔力を食う魔物だ。
王都では街灯網の外側にしか出ないはずの魔物が、ここでは当たり前のように道の上を走っている。
「灯りを消せ! 寄ってくる!」
商人が叫んだ。
俺はランタンを見た。
小さな灯りは、揺れる馬車の中でも静かにともっている。
たしかに、普通の火なら影狼を刺激することがある。
だが。
ランタンの光に触れたニナの黒い靄が、ほんの少し薄くなっていた。
「消しません」
「何言ってるんだ、死にたいのか!」
馬車がさらに大きく揺れた。
影狼の一頭が横から飛びかかり、車体に爪を立てる。
木板が裂ける音。
老婆がニナを抱きしめる。
御者が鞭を打つ。
しかし道は悪く、馬車は速度を上げられない。
このままでは、囲まれる。
俺は立ち上がった。
「おい、何をする気だ!」
「灯りを、外へ出します」
「馬鹿か!」
商人の声を背に、俺は扉の留め金を外した。
冷たい夜風が流れ込む。
闇の匂いがした。
湿った土。
獣の息。
そして、呪い。
俺は馬車の外へ身を乗り出し、ランタンを掲げた。
影狼たちの赤い目が、一斉にこちらを向く。
恐怖がなかったと言えば嘘になる。
足は震えていた。
王都を追放されたばかりの俺に、戦う力なんてない。
剣もない。
聖光魔法も使えない。
あるのは、小さな灯りだけだ。
それでも。
馬車の中には、眠れない子どもがいる。
夜に怯える老婆がいる。
帰る場所へ向かう人たちがいる。
だったら、灯りを消すわけにはいかない。
「【小さな灯】」
俺はもう一度、スキルを込めた。
ランタンの光が、少しだけ強くなる。
まぶしいほどではない。
ただ、温かい。
夜道の端に置かれた、一つの家の窓明かりのように。
その光が、影狼の鼻先に触れた。
「ギャンッ!」
影狼が悲鳴を上げて飛び退いた。
続いて、他の影狼たちも足を止める。
赤い目が揺れる。
まるで、見えない壁にぶつかったかのように、群れは馬車へ近づけなくなった。
「……え?」
自分でも、間の抜けた声が出た。
影狼が、逃げた?
いや、違う。
怯えている。
俺の小さな灯りに。
「御者さん、このまま進んでください!」
「あ、ああ!」
馬車は軋みながら進む。
影狼たちは一定の距離を保ったまま、こちらを追ってくる。
だが、ランタンの光が届く範囲には入ってこない。
俺は扉の外に身を乗り出したまま、必死に灯りを保った。
指先が熱い。
胸の奥がじんじんする。
こんな使い方は、王都では一度もしたことがなかった。
俺の灯りは、街灯を安定させるためのもの。
そう思っていた。
なのに。
この灯りは、影狼を遠ざけている。
やがて、道の先に小さな明かりが見えた。
村だ。
ノクスヴェイル。
門の前に立つ見張りが、こちらに気づいて叫ぶ。
「馬車だ! 門を開けろ!」
馬車が村の中へ滑り込む。
門が閉じられると同時に、影狼たちは黒森の闇へ消えていった。
俺はようやくランタンを下ろした。
足の力が抜け、その場に座り込みそうになる。
「お兄ちゃん」
小さな声がした。
振り向くと、馬車の中でニナが目を覚ましていた。
老婆に抱かれたまま、ぼんやりとこちらを見ている。
「ニナ、大丈夫かい?」
老婆が慌てて声をかける。
ニナは不思議そうに瞬きをした。
そして、俺のランタンを見つめた。
「……こわい夢、消えた」
胸の奥が、どくんと鳴った。
「え?」
「いつも黒い狼がくるの。でも、お兄ちゃんの灯りがきたら、いなくなった」
ニナは小さな手を伸ばし、ランタンの光に触れようとした。
その肩にまとわりついていた黒い靄は、もうほとんど見えなくなっていた。
「この灯り、あったかいね」
ニナが、ふにゃりと笑う。
王都では一度も向けられたことのない笑顔だった。
俺は言葉を失った。
外れスキル。
小さな灯。
灯りをつけるだけの無能。
そう呼ばれ続けた力が、今、ひとりの子どもの悪夢を消した。
その時、馬車の外から鋭い声が飛んだ。
「あなた、今の灯りは何?」
門のそばに、一人の少女が立っていた。
濃い栗色の髪を後ろで束ね、旅装に近い村長服をまとった若い女性。
腰には短剣。
表情は険しい。
けれど、その瞳には警戒だけではなく、切実な希望が宿っていた。
「王都の聖灯師? それとも、黒燭商会の人間?」
「……いいえ」
俺はゆっくり立ち上がり、ランタンを胸元に引き寄せた。
「俺は、ただの灯火師です」
「灯火師……?」
「もう王都は追放されました。使えるのも、こんな小さな灯りだけです」
女性は俺のランタンを見た。
そして、馬車の中で眠たげに目をこするニナを見た。
「その小さな灯りで、影狼を退けたの?」
「……俺にも、よく分かりません」
正直に答えた。
本当に分からなかった。
ただの小さな灯りだと思っていた。
俺自身が、ずっとそう信じ込んでいた。
けれど女性は、まるで闇の中で最後の道標を見つけたような顔をした。
「私はセラ。ノクスヴェイルの村長代理よ」
彼女は一歩、俺に近づいた。
「この村は、夜になると魔物と呪いに襲われる。子どもたちは眠れず、老人は外へ出られず、宿も市場も日が暮れたら閉ざされる」
夜風が吹いた。
村の中は、驚くほど暗かった。
家々の窓は固く閉ざされ、街灯らしい街灯もない。
人々は扉の隙間から、怯えた目でこちらを見ている。
王都のような華やかな光は、どこにもなかった。
セラは、俺の目をまっすぐに見つめて言った。
「お願い。あなたの灯りを、もう一度見せて」
その声は震えていた。
命令ではない。
利用しようとする声でもない。
誰かを救ってほしいと願う声だった。
俺はランタンを握り直した。
追放された。
居場所を失った。
何も持っていないと思っていた。
けれど、この小さな灯りを必要としてくれる人が、ここにいる。
「……分かりました」
俺は静かに息を吸った。
そして、村の暗い通りへ向けてランタンを掲げる。
「【小さな灯】」
淡い金色の光が、夜にともる。
その瞬間。
村の奥で、何か黒いものが悲鳴を上げた。
閉ざされた家々の窓から、人々のざわめきが漏れる。
セラが息を呑む。
ニナが、小さく笑う。
「ほら。やっぱり」
少女は眠そうな声で言った。
「お兄ちゃんの灯り、怖い夜を追い払ってくれる」
俺はランタンの中の光を見つめた。
王都で無能と呼ばれた小さな灯り。
それが今、呪われた辺境の夜を、ほんの少しだけ押し返していた。




