第8話 最弱テイマーの初めての仕事③
翌日から、ティアの新しい日常が始まった。
朝早くに店へ行き、床掃除やテーブルの準備、庭の手入れをする。ヒョウカが水を操って床を綺麗に洗い、ジンライが風で埃を飛ばし、グレンが適度な熱で湿気を飛ばす。ホウジョは庭の植物の世話を、マーロはティアの傍で常に警戒しながらついて回る。ルイーサが一人で切り盛りしていた時とは違い、ティアが働き出してから、開店準備はあっという間に片付くようになった。
ルイーサはティアの働きっぷりをとても気に入っていた。
「本当に助かるわ。スライムさんたちも可愛いし、ティアちゃんの仕事は丁寧で……まるで孫ができたみたい」
常連客たちも、新しい若い店員に興味津々だった。
特にエリオスは、仕事終わりの時間に顔を出すことが多くなっていた。
ある日の午後、夕陽が店内に差し込む頃、彼はいつものように扉を開けて入ってきた。
「ティア、ただいま。……今日も可愛いエプロン姿だね。似合ってるよ」
「え……!? こ、こんにちは……」
ティアはエプロンの裾を無意識に直しながら、思わず後ずさりした。エリオスはカウンターに軽く肘をつき、顔を近づけて笑う。距離が近い。相変わらず近い。
「庭の花も綺麗に咲いてる。ホウジョくんのおかげかな? 君のスライムたち、本当に優秀だね。僕も一匹欲しいくらいだよ」
「そ、そんな……マーロたちは私の大切な仲間ですから、渡せません」
ティアが頰を少し赤らめながら答えると、エリオスは楽しそうに目を細めた。
「残念だな。じゃあ、せめてティアと一緒に働ける権利を譲ってほしいくらいだ」
ルイーサが厨房から顔を出して笑う。
「エリオスったら、またティアちゃんをからかっているの?」
「からかってないですよ、婆さん。本心です」
彼は悪びれもせずに言い、いつもの席に座った。ティアは注文を取りながら、内心で小さくため息をつく。
(……この人、毎日こんな感じで……本当に距離感がおかしい……! でも、嫌な感じはしないのがまた困る……)
忙しいながらも、焼きたてのパンの香り、常連客たちの穏やかな会話、ルイーサの優しい気遣いに囲まれる日々は、ティアの心を少しずつ溶かしていった。
ただ、心配なことが一つ。
「ティア、お会計を頼む」
「かしこまりました、お会計は……」
ティアはルイーサの顔色を窺った。
「エリオス、500チルでいいわよ」
エリオスは眉がわずかに下がり、困ったように目を細める。
食事もとったのに、支払いは紅茶一杯の値段を提示されたからだ。
(相場はおおよそ把握したけど、1チル=1円くらいなのよね。日本と相場が大きく異なる物もあるから油断できないけど)
ルイーサは柔らかく笑っているのに、逃げ道を塞ぐような圧がある。
「じゃあ、これで……」
「500チル頂戴いたします。ありがとうございます」
子供のころを知られているルイーサには敵わないと、エリオスは肩をすくめ、諦めて五百チルを払った。
ルイーサにとって従姪孫のエリオスは、いつまで経っても孫のように可愛らしいのだろう。
毎回こんな様子だけど、お店の経営、大丈夫なのだろうか?
店を出るエリオスの背中を見送りながら、ティアはそんなことを考えていた。
◇
『モルン・ティーサロン』
街の少し外れ、木々に囲まれた落ち着いた通りにある、モダンでありながら温かみのある外観の喫茶店。店内から望む庭は丁寧に整備されている。
そんなルイーサ婆さんが一人で営む隠れ家的な名店を訪れた人から、珍しい”黒髪黒目”若い店員が働き始めたと小さな噂が流れ、珍しいもの見たさに新たな客を呼び込んだ。
ティアが働き始めて数日が経った日のことである。
仕事に慣れてきたとはいえ、日に日に忙しさは増していき、処理が追い付かなくなることもしばしば。
「ルイーサさん! 紅茶に添えるスコーンが、いま出た分で最後です!」
「あら、そうなの? 作り置きはたくさん用意したのに……。あらやだ小麦粉もないわ……。二階から持ってきて次のを焼くわ。それまで代わりにクッキーを添えてちょうだい」
「わかりました!」
客席は満席。
商売繁盛はいいことだが、客にも良し悪しがある。
ティアがトレイを片手に客席を縫うように歩いていると、通りすがりの若い男がニヤリと笑って声をかけてきた。
「ティアちゃん、今日も可愛いね。笑顔見てるだけで紅茶が甘くなるよ。僕の分も特別にサービスしてくれない?」
「ねえティア、仕事が終わったら少し付き合ってくれない? この街の夜景、君と一緒に見たいんだけど」
本心か分からない誘い文句に、ティアは内心で深いため息をついた。
(この忙しいのに……!)
「ナンパはお断りです!」
バッサリと断ってその場を離れようとした瞬間——
「……なあ、ティアちゃん」
「ですからナンパはお断りです! 忙しいんですから!」
苛立った表情でティアは振り返ると、そこにいたのは顔なじみの常連客ゲオルグだった。頰をかきながら、若干引きつった笑顔を浮かべている。
「……いや、注文なんだが」
「……え」
一瞬の沈黙の後、ティアの顔がカァッと熱くなった。
「あっ……! ゲオルグさん、ごめんなさい! いつもありがとうございます! ご注文ですね、すぐにお伺いします!」
自意識過剰な勘違いに、ティアは心の中で盛大に自分を殴りながら必死に取り繕った。
(うわぁ……やっちゃった……34歳のくせに何やってるの私……!)
ゲオルグおじさんは苦笑しながらも、優しく言った。
「ははっ、まあ元気なのはいいことだ。紅茶のおかわりと、今日のタルトを一つくれ」
ティアは耳まで真っ赤に染まる。
オーダーを控えたティアがその場を離れようとした瞬間——




