第7話 最弱テイマーの初めての仕事②
作業はほぼ終わり、店内と庭がすっかり綺麗になった頃、老婆のルイーサは埃を払いながら柔らかく笑った。
「本当にありがとう、見違えるように綺麗になったわ。……もうお昼前ですし、少し休憩しましょう。二人とも中に入って。お茶とお菓子を出しますから」
ティアが遠慮しようとすると、ルイーサは頑なに首を振り、エプロンを外しながら言った。
「いいのよ。せっかく来てくれたんだもの。エリオスも久しぶりでしょう?」
片付けた店内を改めてみると、全体的に落ち着いたモダンな雰囲気だった。木と布を基調としたインテリアが、温かみを感じさせる。
ルイーサは奥の厨房で手際よくお茶を淹れ、焼きたてのスコーンとベリーのタルト、蜂蜜のケーキをテーブルに並べた。甘い香りが店内に広がる。
「どうぞ、遠慮なく食べてね」
ティアは恐縮しながら席に着いた。向かい側にエリオスが座り、自然と視線が合う。ティアは内心で少し身を固くした。
(近い……やっぱり距離が近い……!)
エリオスは優雅に紅茶を一口飲んでから、くすりと笑った。
「ルイーサ婆さんのスコーンは相変わらず最高だね。ティアも遠
慮なく食べて。ここのスイーツは街でも評判なんだよ」
ティアがスコーンを一口頰張ると、ほろほろと崩れる食感と優しい甘さが口の中に広がった。
「美味しい……!」
(本当に、嵐の後で作ったとは思えないくらい……紅茶のぬくもりも疲れた身体を芯から温める……癒されるぅ~)
ティアは頬が緩むのを感じた。
それを見たルイーサが目を細めて嬉しそうに笑う。
「ありがとう。あなたのスライムさんたち、本当に優秀ね。特にあの土色の子の力はすごかったわ。あの根元から折れた木を綺麗に蘇らせてくれて……。お爺さんが大切に育てた木なの、本当にありがとう」
ルイーサは窓の外の庭木に目をやり、表情を緩めた。
代わりに、先ほどまで和んでいたエリオスは、ルイーサを見つめると表情を引き締めた。
「店は片付いたけど建物の損傷は思った以上に大い。窓ガラスが何枚も割れて、壁にもヒビが入ってる。このままじゃ次の嵐が来たら危ないよ、婆さん」
ルイーサはカップを置いて小さくため息をついた。
「ええ……私もそう思うんだけどね。一人で直すには大変で……」
エリオスはルイーサに向き直った。声のトーンが少し優しくなる。
「ルイーサ婆さん……実は、父さんから伝言を預かってきたんだ。息子夫婦のところに引っ越さないか、って。向こうの街はここと違って治安もいいし、孫たちも大きくなって、婆さんのことをずっと心配してるよ」
ルイーサは一瞬驚いた顔をしたが、すぐに寂しげな笑みを浮かべた。
「エリオス……あなたはわざわざそんなことを言いに来たの?」
「放っておけないよ。店は大事だけど、婆さんの身体の方がもっと大事だ。この店は……その、売るなり誰かに任せるなりした方がいい」
楽しげだった空気が、少しだけしんみりとしたものに変わった。
ティアは二人の会話を聞きながら、静かに紅茶を飲んでいた。こんな家族のやり取りを聞いていると、なんだか胸がざわつく。
(……家族か。異世界転移した私にはもう、遠い存在になってしまったものね……)
『……ティアもさみしい?』
身体を振るわせながら念話を送るマーロを見て、ティアは優しく微笑み、はぐらかすようにそっと撫でた。
エリオスはそんなティアに気づき、身を寄せながら柔らかい笑顔を向けて話題を変えてくれた。
「ティアは最近この街に来たばかり? 印象はどう? 居心地はいい?」
ティアは慌てて微笑み返した。
「ええ……まだ一日だけですけど、すごく活気があって。人も親切ですし……」
ルイーサがくすくすと笑いながら、からかうように言った。
「エリオスは、こう見えて結構親切なのよ? ただちょっと、女性に優しすぎるのが玉に瑕だけどね」
「婆さん、それは言い過ぎだよ」
エリオスが苦笑いする横で、ティアは鼓動が早くなり、また頰が熱くなるのを感じた。
(……この人、確かに優しそうだけど……心臓に悪い! 物理的にも距離感が近いのは、ただの性格? それとも……)
甘いお茶とスイーツに囲まれながら、ティアの異世界生活は、少しずつ人間関係の機微を帯び始めていた。
ルイーサはカップを静かに置くと、穏やかだがはっきりとした声で言った。
「エリオス……あなたの気持ちは嬉しいわ。でも、この店は私がお爺さんと一緒に始めたの。思い出が詰まりすぎていて……働ける限りは、ここで続けたいのよ」
その言葉には、静かな決意が込められていた。エリオスは一瞬言葉を詰まらせ、複雑な表情を浮かべた。
「婆さん……お爺さんとの思い出は大切だよ。でも、婆さんが無理をして倒れたら、お爺さんもきっと悲しむんじゃないかな? 孫たちも、婆さんが元気でいてくれることの方が一番嬉しいんだ」
ルイーサは少し目を伏せ、寂しげに微笑んだ。
エリオスはそこで言葉を切り、ふとティアに視線を移した。そして、真剣な顔で提案する。
「……ねえ、婆さん。だったらティアを雇ってみてはどうだろう?」
「「え……?」」
ティアとルイーサが同時に声を上げた。
エリオスは続けた。
「彼女はスライムテイマーで、今日の仕事ぶりを見てもとても頼りになる。スライムたちも優秀だし、婆さん一人で無理をするより、誰か一緒にいてくれた方が僕も安心できる。どうだろう?」
ルイーサは驚いた様子でティアを見た。ティア自身も目を丸くし、内心で動揺していた。
(え、急に……!? 雇うって……接客の仕事? 私、未経験なのに……)
頭の中で計算が回る。今はクレシアから借りた十万チルの返済を抱えている身だ。安定した収入源ができるのは正直ありがたい。しかし、接客業という未知の領域に飛び込むことへの戸惑いも大きかった。
(でもこれって……ルイーサにここでの生活のことを聞けるチャンスだわ! 仕事なら認識のすり合わせが必要だものね。それに仕入れにかこつけて日用品や相場も学べるわ!)
ルイーサの優しい眼差しを見ていると、申し訳ないと思いながらも、そんな下心が顔を覗かせてしまう。
ルイーサはティアの顔をじっと見つめ、しばらく考え込んだ後、柔らかく微笑んだ。
「……ティアちゃんさえ良ければ、お願いしたいわ。うちは小さい店だけど、居心地のいい場所にしたいの。スライムさんたちも一緒にいてくれるなら、心強いわ」
ルイーサの優しい眼差しと、この店に漂う温かい空気に心が傾いた。
「……はい。未経験ですが、頑張らせていただきます。よろしくお願いします」
こうして、ティアは『モルン・ティーサロン』で働き始めることになった。
甘いスイーツの余韻と、ほのかな不安、そしてこれから始まる新しい日常への淡い期待を胸に、ティアは初めての依頼を成功裡に終えた。
仕事を早く終えたティアは、まだ日のある時間に総合ギルドへと戻った。扉を開けると落ち着いた館内に、わずかに残る商人たちの話し声が響いていた。
受付カウンターにいるクレシアの姿を見つけ、ティアは少し緊張しながら近づいた。
「クレシアさん、初依頼、終わらせてきました。こちらが報告書です!」
明るく声をかけると、クレシアは柔らかい笑顔で受け取った。
「ありがとうございます、ティアさん。……ふふ、依頼主のルイーサさんからのサインもありますね。内容も問題ありません。よく頑張りました」
クレシアは手早く手続きを進め、依頼料の入った小さな革袋をティアに差し出した。
「では、依頼料一万チルのお支払いです。領主への税はあらかじめ引いてありますので、ご安心ください」
ティアは袋を受け取りながら、内心で小さく納得した。
(所得税……というか、街の運営税みたいなものが引かれるのね。当然といえば当然か。現代日本と似た仕組みがあるなんて、少し意外)
重みのある革袋を握りしめ、ティアはふっと息を吐いた。
一万チル。借金の返済にはまだまだ遠いが、初めて自分で稼いだお金だ。三十四歳の自分が、十五歳の体で異世界で「初給料」を受け取っているという現実が、なんだか不思議で、少しだけ誇らしい気持ちになった。
(……少しずつ、だけど確実に、前へ進めてる)
ポケットの中でマーロが「ぷるるんっ」と嬉しそうに震えた。まるでティアの気持ちを察したかのように。
ティアは小さく微笑み、ギルドの扉をくぐって外に出た。夕暮れの街はオレンジ色に染まり、どこか優しい空気に包まれている。
初めての仕事は無事成功した。
そして明日からは、『モルン・ティーサロン』での新しい日常が始まる。
甘いスコーンの味を思い出しながら、ティアは静かに、次の一歩を踏み出した。




