第4話 最弱テイマーの始まり④
街の巨大な防壁が目の前に迫ってきた。高さ十メートル以上もある灰色の石壁は、重厚で威圧感たっぷりだ。夕陽が壁の上部をオレンジ色に染め、ところどころに苔が生えているのが見える。ティアは肩に止まったマーロとポケットの中で小さくなった四体のスライムたちの温かい気配を感じながら、ゆっくりと息を吐いた。
(やっと……人里に着いた。でも、これからが本番よね。異世界の常識もルールも、何も知らない私がどうやって生きていくのか……)
「はぁ……緊張するわ。みんな、勝手に動かないでよ? 特にグレン、あなた火気厳禁だからね」
ポケットの中から小さなぷるるん、という振動が返ってきた。まるで「わかってるよ」と答えているようで、思わず苦笑がこぼれる。肩のマーロが特に優しく震えるのが、服越しに心地よく伝わってきた。
門に近づくと、二人の衛兵が槍を構えてこちらを鋭く睨んだ。
「止まれ! お嬢ちゃん、どこから来た?」
年配の衛兵が、厳しい目でティアを上から下まで値踏みする。ティアはとっさに笑顔を作ったが、心臓の音が自分の耳にうるさく響いた。手のひらがじんわりと汗ばむ。
「森……から、ですけど」
「森だと?」
衛兵の顔色が一瞬で変わった。
「昨日から嵐がひどくてな。昨夜なんか雷雨が一層激しくて、果ては魔物の叫び声まで聞こえていた。家族は震え上がって、厄災の前触れじゃないかと怯えていたんだが……お前はあの森を抜けてきて、なんともなかったのか?」
衛兵の声には明らかな不審と警戒が混じっていた。ティアは背中に冷たい汗が一筋流れるのを感じた。
(やばい……ドラゴンが死んでたの、衛兵が言う雷雨と関係ある
のかしら? 正直に話したら絶対に面倒なことになる!)
ティアはため息を押し殺し、苦笑しながら用意しておいた作り話を並べた。
「え、えっと……実は嵐の最中は大きな木の根元に隠れてじっとしていました。魔物の声は聞こえましたけど、遠くだったみたいで……運が良かっただけです。怖かったですけど」
「ふむ……まあ、生きてここまで来られただけでも奇跡だな」
衛兵はまだ半信半疑の様子だったが、ひとまず納得したようだった。
「念のため、ステータスを確認させてもらう」
「ステータス……ですか?」
「そうだ。犯罪者はステータスが赤く染まるから、街に入り込もうとするのを未然に防げるんだ」
ティアは「ステータス」と呟いて画面を呼び出したが、衛兵は何も見えない様子で首を傾げた。
「他人には見えないんだよ。『ステータスオープン』と言わなければな」
「あ……そうなんですね」
ティアは素直に「ステータスオープン」と言うと、淡い青白いウィンドウが空中に展開した。ティアの無知に「どこの田舎もんだ」と呟きながら衛兵が近づいて覗き込む。
その瞬間、ティアの視界の端に門番のステータスがはっきりと浮かび上がった。
【名前:ガルド】
【年齢:42】
【職業:衛兵】
【固有スキル:警戒眼】
(見えてしまった……! 説明するのに彼もステータスオープンと言っていたわ)
ティアは慌てて目を逸らした。門番は笑いながら言った。
「これくらい見られても平気だ。ステータスの後に『フルオープン』と続けなければ、全ては見られないから安心しろ。まあ、ほとんどの人は見られたくない部分があるからな」
ガルドはティアのステータスを眺め、ふっと表情を緩めた。
「ほう……職業なし、固有スキルはテイマーでスライム系とはな……。テイマー自体は悪くはないが、スライムは最弱の魔物って言われるから、戦力としては期待薄だな……おっといけね。まあ、なんだ。色んな武器をそつなく使えるより、一つに絞って極める方が強くなれる! ってな?」
ガルドは慌ててフォローを入れた。
沈黙が過ぎた……。
気まずくなったガルドは視線を外すと、ティアの肩に注目した。
「ん? その肩の白いヤツ、スライムか?」
「ええ、森でテイムしました」
「へ~、白いスライムは珍しいな。回復能力を持つと聞くが……随分と小さいな。能力も相応……か? まあ、諦めるなよ。まだ若いんだ、頑張れ!」
ガルドに気を遣われたティアは、マーロの姿を偽っていることに心苦しく思い、胸がちくりと痛んだ。
(いまのマーロは弱そうに見えるものね。私でもそう思う。でもマーロは聖神守護だし、他にも帝だのついた巨大スライムを合わせて五体も……。あっ、絆魂約の部分は見えてないのかしら? この人には、私が抱えているものが全く見えていないんだ……)
「ありがとうございます。頑張ります」
ティアは苦笑を浮かべながら礼を言った。根は優しいガルドの言葉が、意外と心に染みた。
「ギルドに登録するといい。仕事も情報もそこで手に入る。まあ、最初は雑用からだろうが……テイムしたスライムも魔物証をつける必要がある。今日のところは見逃すが、明日以降つけていなかったら討伐されても文句は言えない。気をつけろよ」
「はい、気をつけます。ギルドにも行ってみますね」
ガルドにギルドの場所を聞き門をくぐり、街の中へ足を踏み入れた瞬間……ティアは目を奪われた。
石畳の道が広がり、中世ヨーロッパを思わせる木造と石造りの建物が立ち並んでいる。行き交う人々の活気ある話し声、子供の笑い声、焼きたてのパンの香ばしい匂い、露店で揚がる肉の油の匂い、遠くから聞こえる鍛冶の金属音——すべてが新鮮で、胸の奥が熱くなった。
(……生きてる。ちゃんと、生きてるんだ。ここは夢じゃなくて、現実なんだ)
異世界転移した直後の出来事を考えると、そのギャップにティアは生を実感した。
右肩の上でマーロが小さく震えた。『……ティア、街の中、すごいね』という念話が届き、ティアはそっとマーロを撫でた。
「うん……すごいわ。本当に、別世界」
ポケットの中で四体のスライムたちも、興奮したように小さく震え続けていた。ティアは彼らの温かさを感じながら、夕陽に照らされた石畳の道を、ゆっくりと歩き始めた。
まだ見ぬ未来への不安と、ほんの少しの期待を胸に抱いて。




