第25話 最弱テイマーの波乱の前触れ⑤
「いや、待て待て! 俺は……」
「言い訳は結構です! ごめんなさいねティアさん。こんなケダモノと二人っきりにして……。さあ、こちらに来てください」
ヴィクトルの必死の弁明を冷ややかに切り捨てると、クレシアはティアの華奢な肩をそっと抱き寄せた。開け放たれた扉から、逃げるようにして一階のロビーへと戻っていく。
クレシアはティアをいたわるように、職員たちがせわしなく立ち働く受付カウンターの内側へと誘導した。そして、わざとらしく周囲に聞こえるような通る声で告げた。
「先ほどお話しした、例の店主を務めている彼女よ。危うく、あの支部長に傷物にされるところでしたわ」
その言葉が落ちた瞬間、カウンター内の空気が一瞬で凍りついた。
「「「ええぇぇぇぇっ!!」」」
一斉に上がった驚愕の悲鳴が、ロビーに響き渡った。
ティアは慌てて口を開いたが、
「あ、いえ。違うんです……」
その声は、興奮した女性職員たちの勢いに完全に飲み込まれてしまった。
「まさか、あの支部長がそんなことを!?」
「何があったの? 詳しく、一から十まで教えて!」
女性陣が詰め寄る迫力に、ティアはただただ圧倒されるしかなかった。
(……違う、本当に違うのに……!)
背中に受ける身に覚えのない励ましに、今のティアはただただ戸惑うばかりだ。
ひとしきり騒ぎ立て、女性陣の興奮がようやく落ち着きを見せた頃、クレシアは「見たまま」の状況を余すことなく説明し始めた。
――だたし、巧みな言葉選びで「狼藉」へと誘導されて。
ティアにはそれが、どう好意的に解釈しても悪意ある誤解を生むための誘導尋問にしか思えなかった。
「……さて、そろそろヴィクトルも反省した頃でしょう。私も一緒に向かいますから、話し合いを始めましょうか」
クレシアは、まだ顔を引きつらせているティアの手を優しく取り、再び二階の応接室へと促した。背後からは、女性職員たちの熱い視線と、まるで戦地へ赴く戦士を送り出すかのような声が飛んでくる。
「ティアさん、絶対に負けないでね!」
「大丈夫、私たちがついているわ!」
(……違う、本当に違うのに……!)
冷徹なギルドの現実と、クレシアの「圧」に、ティアはただただ圧倒されていた。
応接室の扉を開けると、そこにはハンカチで左手を痛々しく縛ったヴィクトルが、居心地悪そうにポツンと佇んでいた。重苦しい沈黙の中、気まずげに視線を泳がせるヴィクトルと、ティアの目がばっちりと合う。
「支部長、まずは座りましょう。弁明はその後で」
「いや、ちょ……」
「座 り ま し ょ う ?」
クレシアの笑顔の裏から、有無を言わせない絶対的な圧力が放たれた。大柄なヴィクトルが、その気迫に押されて思わずソファーに深く腰かける。
「支部長にも言い分はあるでしょうが、長くなりそうです。まずは本題の用件を済ませてしまいましょう」
「待て」とか「話を聴け」と小声で抵抗を試みるヴィクトルの声を完全に封殺し、クレシアは書類を開いて事務的に進行を始めた。
「まずはドラゴンスケイル移送の護衛についてですね。ティアさんにも説明しますが、護衛費用は支部からも支払われますが、それはあくまで一般的な金額になります。はっきり言って、高額な取引が期待されるドラゴンスケイルの護衛としては、貧相としか言えない額でしょう」
「そうなんですか……?」
公的な組織である討伐者支部からの依頼と聞き、相応の手厚い報酬が出るものと思い込んでいたティアは、意外な事実に目を瞬かせた。
「普段はそれでも賄えるのです。オークションへの出品物となると、それを持ち込む討伐者も相応の実力者に限られます。普通は『自分の出品物なら自分で護衛する』のが暗黙の了解でしたので、今回のように討伐者ではない方が所有しているケースは非常に稀なのです」
クレシアがそこまで説明し終えるや否や、ヴィクトルはこれまでの気まずさを押し殺し、ギルド支部長としての冷徹な声音で淡々と告げた。
「だから、討伐者支部が出す基本の護衛費用に上乗せして、個人の懐から有能な護衛を募る必要がある」
「それが、私の負担に……?」
ティアは不安に胸を締め付けられながら呟いた。
「そうなる」
ヴィクトルは一言、非情に締めくくった。親身になってくれているようで、実は出て行く金に関しては恐ろしくシビアな討伐者支部の現実に、ティアは内心で愕然とするのだった。
「金額についての細かい交渉は追々進めるとして、次はドラゴンの皮、ですね。ティアさん、そちらは今どんな状態になっていますか?」
「ええと、じっくりと眺めたわけではないんですが……中身はマーロたちが綺麗に食べちゃったので……」
「見た方が早いだろう。移動するぞ」
クレシアの問いにティアが言葉を濁すと、ヴィクトルはさっさと席を立ち、長い足を大股に動かして応接室を出て行った。向かう先は言わずもがな、例の地下解体場だ。クレシアとティアも、その後を追うように歩を進めた。
ひんやりとした空気が満ちる解体場に着くと、以前と全く同じ光景がそこにあった。広い空間の真ん中で、難しそうな顔をして腕を組むヴィクトルの姿だ。
「出してくれ」
ヴィクトルが短く言い放つ。
「マーロ、お願い」
『……わかったー! ドラゴンの皮を出すよー!』
ティアの肩から勢いよく飛び降りたマーロは、解体場の中央付近までポンポンと跳ねていくと、自身の体からシュルンと音を立ててドラゴンの皮を吐き出した。どさりと床に広がったのは、ティアが初めて見た時と同様の、中身が綺麗に抜けてぺったんこになったドラゴンの姿だった。
「これがドラゴンの皮か……」
ヴィクトルは一歩近づき、鋭い目をさらに細めて品定めを始めた。
「何度も見た経験があるわけじゃないが……これはどちらかと言えば小ぶりだな。若いドラゴンか。だが、状態は極めて良い。目立った傷は見当たらないな。……お!? これは……翼の被膜も破れずにそのまま残っているじゃないか! 素晴らしい」
「……売れそうですか?」
ティアが恐る恐る尋ねると、ドラゴンの皮を穴が開くほど見つめていたヴィクトルの声が一気に弾んだ。
「ああ、もちろんだとも。特にこの被膜だ。空を飛ぶドラゴンを落とす際、普通は翼を優先的に狙うからな。素材がこれほど綺麗に、丸ごと剥ぎ取れるケースは滅多にない。市場でも滅多に見られない最高級の品だぞ」
そのあからさまな興奮ぶりに、これなら査定額もかなり期待できるかもしれない、とティアの胸に安堵の光が灯る。
しかし、その喜びの隙を、背後に立つ影が見逃すはずはなかった。
「それで、支部長……」
「なんだ、クレシア。いまは査定に集中したい。手短に話せ」
ヴィクトルは視線を素材に固定したまま、煩わしそうに応じる。
「では、お言葉に甘えて手短に……。支部長は先ほど、ティアさんに『本能的な恐怖』を植え付けましたよね?」
「うっ……」
ヴィクトルの身体がぴくりと強張った。
「そのことに大きな負い目を感じていらっしゃるのであれば……そのお気持ちを、この査定額に色をつけて反映させる、というのはいかがでしょうか?」
「……分かった。考慮しよう」
ヴィクトルは査定の手をピタリと止め、苦虫を噛み潰したような顔でしばし沈黙したあと、絞り出すように答えを同意した。
だが、クレシアの追撃はそれだけで終わらない。
「それともう一つ……。支部長の先ほどの『蛮行』は、すでに一階の女性職員全員の知るところとなりました。このままだと、今後のギルド内での女性職員からの支持は完全に失墜し、業務にも多大な支障をきたすかと存じますが?」
冷徹極まりないクレシアの物言いに、ヴィクトルは完全に自分が逃げ場のない外堀に追い込まれたことを察した。彼は大きなため息をつき、諦めたように肩を落とす。
「……何が望みだ」
「ティアさんのお店で、女性職員たちにお食事と癒しのサービスを受けられるよう、支部長が『全額負担』で手配をしていただければ……きっと皆様からの支部長の株も、大層上がるのではないでしょうか?」
「……分かった。つまり、俺が全員分を奢ればいいんだな?」
クレシアの提案という名の脅迫に、ヴィクトルは財布の軽くなる未来を幻視して顔を引きつらせながらも、渋々と了承の首を縦に振った。
こうして、なぜかティアの店で、ギルドの女性職員たちを慰撫する会が催されることが決定した。
一度体験してもらいさえすれば、スライムたちの癒しの力はきっと好意的に受け入れられるはず――ティアはそう考えていた。
図らずも、クレシアの手腕によって、絶好の宣伝と集客の機会が舞い込んできたのだ。ヴィクトルの財布が激しく痛む、という多大な代償と引き換えに。
ほっと胸をなでおろすティアの方を振り返ると、クレシアはそれまでの冷徹な仮面を外し、いたずらっぽく可愛らしく、パチンと片目を瞑ってみせた。
その完璧なウィンクを見て、ティアの脳裏に一つの疑念が浮かび、背筋に冷たいものが走った。
(たしかに……今考えてみれば、最初から直接この解体場に向かった方が、圧倒的に作業効率が良いはず……)
それなのに、クレシアはあえてあの狭い応接室に、ヴィクトルとティアの二人だけを残して部屋を出た。
(えっ? まさか……部屋を出たことも、女性職員を味方につけたことも、すべてクレシアさんの作戦だったの……!?)
目の前の微笑む美しき受付嬢の、底知れない策略の全貌に気づいてしまい、ティアはただただ愕然として目を丸くするしかなかった。
ドラゴンの皮には高額の査定くだり、それを元手にヴィクトルが推奨する実力者が護衛につけられることになった。
討伐者支部の女性職員達は、いつになく艶やかな表情で仕事に励んでいた。
ヴィクトルの財布という尊い犠牲のもとに……




