第26話
「こっちにローズヒップとルイボスのハーブティーをください! ねえ、このクッキー、シェアしない?」
「いいわ、お茶だけじゃ物足りないものね。クッキー盛り合わせを一つと、私も同じものを」
女性客二人は、目を輝かせながらティアにオーダーを伝えた。カウンター越しに漂うハーブの甘い香りと、焼きたてクッキーのバターの匂いが、店内を優しく満たしている。
「ローズヒップとルイボスのハーブティー二つに、クッキー盛り合わせを一つですね。はい、ご注文承りました」
ティアは笑顔で復唱しながら、素早くメモを取った。心の中では、ほっとした安堵と小さな達成感が広がっていた。
『癒しのスライムカフェ』は、あの日以降、急速に忙しさを増し、店内は穏やかな活気に満ちていた。
「あの、ジンライのそよ風椅子のサービス……利用できますか?」
「申し訳ございません。ただいま利用中のお客様の後でしたらご案内出来ますが……予約なさいますか? ヒョウカのひんやり椅子でしたら、すぐにご案内出来ますが……」
「えー、寒いのはちょっと……。次の順番で10分……いいえ、20分お願い!」
「ジンライのそよ風椅子20分コースですね、承りました! ――ミアちゃん! ジンライのそよ風椅子20分コース、一名様ご予約入りましたー!」
「はーい! 20分ですねー!」
ティアが女性客の注文を伝えると、ミアから威勢のいい返事が返ってきた。
ミアには『時間計測』という、時間を秒単位で完璧に見極める固有スキルがある。10分2,000チルのスライム椅子サービスを、時間管理も含めて総合的に任せられる彼女は、本当に頼れる仲間だ。
討伐者支部と総合ギルドの女性職員たちが、我先にと店を訪れるようになったのは、すべてクレシアの「宣伝効果」のおかげだった。彼女が持ち帰った熱い「体験談」は瞬く間に女性陣の間で広がり、今やスライム椅子の癒しは連日順番待ちが起きるほどの盛況ぶりだ。
(……本当に、クレシアさんには感謝しかないわ)
ティアは厨房でハーブティーを淹れながら、ふと胸の内で呟いた。
オープン当初は閑古鳥が鳴いていた店内が、今は女性客の明るい笑い声と、心地よいスライムたちに癒された人たちの、満ち足りた笑顔で溢れている。日常の疲れを溶かしていく様子を見るたび、ティアの胸は温かくなった。
(みんなが癒されるお店を作りたい……ただそれだけだったのに、こんなにたくさんの人が来てくれるなんて)
彼女は静かに喜びを噛みしめた。
借金のプレッシャーや経営の不安はまだ残っているが、今日の賑わいは確かに「前進」の証だった。
ティアはトレイにハーブティーとクッキーを丁寧に並べ、客席へと運んでいった。女性客の一人が、クッキーを頰張りながら嬉しそうに言った。
「やっぱりここに来ると、なんだか心が軽くなるのよね……ティアさん、ありがとう!」
その言葉に、ティアは柔らかく微笑み返した。
(……この気持ちを、もっとたくさんの人に届けられたら)
癒しの香りと笑い声に包まれた店内で、ティアの新しい一日は、静かに、しかし確実に続いていく。
そんな順調で忙しい毎日を送っていると、ある日、久しぶりの顔ぶれが店にやってきた。
「よう! 様子を見に来たが、流行っているな」
「こんにちは~。久しぶりねティアちゃん」
ゲオルグとセラフィナだ。ティアが店を継いてからは、これが初来店になる。
「ゲオルグさんとセラフィナさん、いらっしゃいませ! お久しぶりです、こちらのお席にどうぞ!」
ティアはパッと表情を輝かせ、空いているテーブル席へと二人を案内した。ルイーサの引っ越しを見送って以来の再会に、自然と声が弾む。
「ルイーサさんのお見送り以来ですね。その後、いかがでしたか?」
席に着いたゲオルグは、深く椅子に腰掛けながら豪快に頷いた。
「おう、ルイーサの婆さんなら心配ねえ。きっちり隣町まで送り届けてきたぜ。道中もすこぶる元気で、むしろ俺たちのほうが振り回されたくらいだ」
「ふふ、本当にね。隣町への旅を誰よりも楽しんでいたわよ〜」
セラフィナも悪戯っぽく笑いながら、努めて明るい調子で言葉を添える。
二人の口から直接無事を聞けたことで、ティアの胸のつっかえは綺麗に取れ、温かい安堵が広がっていった。
「本当に良かったです……! あ、お疲れのところ引き止めてしまってすみません。ご注文はお決まりですか?」
「そうねぇ……落ち着いた感じのハーブティーってあるかしら?」
「ティアの店はハーブティーが自慢だと聞いた。俺は良く分からんから、セラフィナと同じものを頼む」
セラフィナは曖昧な指定で、ゲオルグは……ある意味、男らしいお任せの注文だ。
「でしたらカモミールのハーブティーがお薦めです。緊張の緩和やストレスを和らげてくれるんですよ。お仕事の合間や、リラックスしたい時に最適です」
「素敵な響きね。じゃあ、それをいただくわ〜」
「俺はそうだなぁ……噂のホウジョのマッサージ椅子ってのを体験してみたい。空いてるか?」
お茶の注文に続き、ゲオルグからスライム椅子の追加オーダーが入る。
「ホウジョはどうだったかしら……確認しますね。ミアちゃん!」
「はーい! どうしました、ティアさんっ?」
ミアがハキハキとした声で、弾むように振り返る。
「ホウジョのサービスはいま埋まってたわよね? 次は空いていたかしら?」
「いまの利用客なら、あと30秒で終わりです! 次に行くなら、すぐ移動しちゃってもらった方がいいですね!」
「なら次のお客さんにゲオルグさんを入れて。ゲオルグさん、次で大丈夫そうです」
「なら……30分で頼む」
ゲオルグはたっぷり時間をかけるようだ。
そんな話をしている間にホウジョのマッサージ椅子は空き、ミアはすぐさまゲオルグを案内した。
「それじゃあミア、ゲオルグさんに説明をお願いね」
「了解です、ティアさん! ゲオルグさん、ばっちり極上のリフレッシュに案内しますから、ついてきてください!」
ゲオルグはミアのテンションに若干圧倒されつつも、初めての体験に逸る気持ちを隠せず、足取り軽くついて行った。
ティアは厨房に戻り、注文を受けたハーブティーを用意した。二人分のカモミールをトレイに乗せ、セラフィナが待つテーブルに運ぶ。
「お待たせしました、カモミールのハーブティーです」
「う~ん、いい香りね……。どことなく甘い香りがするわ。どんな味かしら?」
セラフィナは読んでいた魔導書に栞を挟み、待ちかねたようにカップを手に取った。一口含み、じっくりと味わうように舌の上で転がす。
「なにか繊細な果物みたいな味がするわ~。それに、とても落ち着く……。これが癒されるってことなのね~」
セラフィナは満足げな笑みを浮かべた。
「楽しんでいただけて何よりです。ごゆっくりどうぞ」
ティアはもう一つのカップを手に、パーテーションで区切られたリラクゼーションスペースへと向かった。サイドテーブルにハーブティーを置き、ゲオルグに視線を向ける。
さっそくマッサージを体験しているゲオルグは、ホウジョの巨体に埋もれるように座っていた。否、すでに膝から下は完全にスライムの中に呑み込まれている。
「ありがとう。ティア、この椅子、調子いいな」
「とても気持ちがいいですよね。疲れている時は、特に! ――あ、ホウジョ、『強』でやってみて」
『……ホウジョに伝えたよ~。特別に3分だけ強くするって~』
「ありがとう、マーロ。ホウジョもがんばってね」
すると、間もなくしてパーテーションの奥から、なんとも言えない声が漏れてきた。
「あ゛あ゛あ゛ぁぁぁ~………ぎも゛ぢぃ~……」
強面のゲオルグの口から出たとは思えない、とろけきった声。
ホウジョは細やかにその形状を変え、肩から腰にかけてをリズミカルに叩き、揉みほぐしていく。さらに、ふくらはぎを重点的に圧迫し、足裏のツボをじっくりと刺激する。まさに全身をもみほぐす至高のマッサージだ。
「ティア、最高だぁぁ……ん? ――おい、弱くなったぞ?」
至福の表情を浮かべていたゲオルグが、急に刺激が優しくなったことに気づき、怪訝そうな顔をした。
「ふふ、ゲオルグさんへの特別サービスです。3分だけ力強くマッサージしたんですよ」
「そんな素晴らしいサービスがあるなら、いまのヤツをもっと長く続けてくれ!」
「ですが、あんまり強くするとホウジョが疲れちゃうので、1時間に10分だけと制限しているんです。……ホウジョ、もっとできそう?」
『……できるって~。頑張るから、今夜のティアはホウジョの上で寝て欲しいって~』
「ふふ、分かったと伝えてもちょうだい」
『ほーい』
――ちなみに。
この「強力マッサージ」は通常コースの三倍の負荷がかかるため、お値段も10分で6,000チルと圧倒的に高額になる。
(……あ、あの。あとでミアちゃんから金額を伝えてもらおうっと……)
あまりにも気持ちよさそうに蕩けているゲオルグに、今この場で「追加料金は高額です」と伝える勇気は、今のティアにはなかった。
(い、癒しをこれだけ実感してもらえれば、きっと……必ず納得して払ってもらえる、はず……っ!)
ティアは心の中でそっと手を合わせ、そそくさとその場を後にするのだった。
会計を済ませたゲオルグは、ふと足を止めると、満足げな笑みを浮かべて見下ろしてきた。
「良いな、好きになったぜ」
ド直球な言葉を、あろうことか爽やかなノーモーションで言い残し、彼はそのまま背を向けて退店していく。
(は、はいぃぃーーっ!?)
時間差で脳に届いた言葉の破壊力に、ティアの心臓が跳ね上がった。
(私のこと!? いやいや違う、お店のこと! もしくはホウジョのこと! そうに決まってる、主語を省略しないでよっ!!)
心の中で大絶叫するティアを、隣のセラフィナは見逃さなかった。
「ティアちゃん、私も好きよ〜」
楽しげに杖を振りながら、お調子者な声が追い打ちをかける。
「ご、ご利用……あ、ありがとうございましたぁ……」
もはや噛まずに言うのが精一杯。プロ根性だけで辛うじて紡いだ挨拶は、情けないほど震えていた。
(……なんなのよ、もう!)
嵐のように去っていった二人の後ろ姿を見送り、静まり返った店内で、ティアは顔を真っ赤にして一人悶々と頭を抱えるのだった。




