第13話 最弱テイマーの受け継ぐもの③
翌朝、ティアは昨日と同じ時間にモルン・ティーサロンへ向かった。朝陽が木の扉を優しく照らし、店はまだ静かに朝の訪れを迎えていた。
「おう! ティアはこれから働くのか、がんばれよ」
「無理しないようにね~」
ゲオルグは一晩中待機していたのか、少し眠そうな顔をしながらも力こぶを作って見せ、セラフィナは十分に睡眠を取ったのか、比較的すっきりした表情で杖を突いている。
「はい、がんばります。お二人もお気をつけて」
ゲオルグは片手を上げ、セラフィナは振り返りながら軽く杖を振って去っていった。
「今日は別の男の人が来るのかな……」
ティアは小さく息を吐き、喫茶店の扉を開けた。
少し遅れて、見知らぬ細面の男性がやってきた。頼りなげな体つきで、体力仕事には少し不安が残る印象だった。
「依頼を受けて来ました。モルン・ティーサロン……ですよね?」
「ええ、私も同じ依頼を受けています。一緒に頑張りましょう」
ティアがそう伝えると、彼はほっとしたように頷いた。
ルイーサに朝食を運んだ際に話を聞いたところ、ゲオルグとセラフィナが寝起きのお世話も済ませてくれたようで、新しい男性の出番は当分先になりそうだった。
昼食後、ルイーサはその男性のお世話になることになった。
よたつきながらも落とすことなく仕事をこなしていたが、ルイーサは明らかに不安を覚えた様子で、男性が去る際にティアを呼び止めた。
「ティアちゃん、少しお話ししましょう」
「はい、ルイーサさん。何かご用ですか? あ、そうだ、グレンは役に立ちましたか?」
「グレンちゃんは助かったわぁ。その……懐に入れるとほんのり暖かくて気持ちがいいの」
ルイーサは恥ずかしげに微笑んだが、その笑顔はすぐに翳りを帯びた。
「言いたいことはそうじゃなくって……」
ルイーサはそこで言葉を切り、窓の外に視線を移した。朝の柔らかな光が彼女の皺の深い顔を優しく照らしている。しばらく沈黙した後、彼女は震える声で続けた。
「……やっぱり、ティアちゃんにこのお店を譲りたいの」
その言葉は、静かではあったが、強い想いを孕んでいた。ティアは息を呑んだ。
「エリオスさんには少し考えさせてほしいと……」
「そうなの……?」
ルイーサの声が、わずかに掠れた。彼女は膝の上の手をぎゅっと握り、目を伏せた。
「この店はね……お爺さんと二人で、ほとんどゼロから始めたの。最初は小さくて雨漏りするような店だったけど、お爺さんが毎日一生懸命直して、こうして温かいお店に育ってくれた……。ここには、私たちの思い出が、全部詰まっているのよ」
ルイーサの目には、うっすらと涙が浮かんでいた。
「だから、誰かに売るのは寂しい。でも……ただの他人に渡すのはもっと嫌。もしティアちゃんがこの店を継いでくれるなら……お爺さんもきっと喜んでくれると思うの。あなたなら、この店の温かさを、ちゃんと守ってくれる気がするから……」
ルイーサはティアの目を見つめ、力の限り微笑もうとした。しかしその笑みは、痛々しいほどに寂しげだった。
「エリオスには悪いけど……私はこの店で、できる限り長く過ごしたいの。ここで、静かに年を重ねていきたい……それが私のわがままなのよ」
店内に、静かな重みが落ちた。
ティアは胸が締め付けられるのを感じた。ルイーサの想いの深さと、店に対する執着の強さに、言葉が出てこない。
(……こんなに想いを込めていたなんて……)
ルイーサはティアの手をそっと握り、かすれた声で最後に言った。
「急いで答えを出さなくていいわ。でも……どうか、考えてみてくれないかしら?」
ルイーサの想いを受け、ティアは静かに目を伏せた。
胸の内で様々な感情が渦巻いていた。
この店を譲り受けるということは、ただの「仕事」ではなく、ルイーサとお爺さんの思い出そのものを背負うということだ。そんな大きな責任を本当に負えるのか——。
しかし、同時に温かい決意も芽生えていた。
(……この店を守りたい。ルイーサさんが大切にしてきた場所を、ただの物件として誰かに渡してしまうのは嫌だ)
ティアは深く息を吸い、顔を上げた。
「あのっ!」
「何かしら?」
「前向きに検討しますから、少し席を外してもいいですか? お金のことで総合ギルドに相談に行きたいんです」
ティアの声は、思ったよりしっかりしていた。ルイーサの力になりたいという思いが、彼女の背中を押していた。
「いいわよ。……ありがとう、ティアちゃん」
ルイーサの優しい微笑みを受け、ティアは部屋を後にした。階段を降りる足取りは、朝より少し重かった。
店舗で待機している男性介護者に、ルイーサの許可を得て外出する旨を告げると、ティアは足早に総合ギルドへと向かった。
石畳の道を歩きながら、彼女はポケットの中で優しく震えるスライム達にそっと触れた。
(……本当に、大丈夫かな。私に、あのお店を守れる資格なんてあるのかしら……)
不安と覚悟が交互に胸をよぎる中、ティアはギルドの重厚な扉に向かって、静かに歩を進めていた。
昼下がりの街は活気に満ち、総合ギルドのホールも人ですれ違うほどの混雑ぶりだった。
討伐者の窓口にクレシアの姿を見つけ、ティアは胸をなでおろしたものの、心臓は依然として早鐘のように鳴り続けていた。
「クレシアさん! ご相談があります!」
「えっと、ティアさん? 唐突ね……どうしたの?」
ティアの逼迫した様子に、クレシアは一瞬目を瞬かせたが、すぐに表情を引き締めた。
「ティアさん。こちらも報告があります。……ドラゴンスケイルの件です」
後半を言うとき、クレシアは左右を素早く確認し、カウンターに身を寄せて小声になった。
ティアも慌てて身を乗り出し、声を落とした。しかしその手は、カウンターの縁を強く握りしめていた。
「私もその件で話したいんです……! 実は……ドラゴンスケイルはまだあるんです」
声がわずかに震えてしまった。クレシアの目が少し大きくなった。
「そう……なのですね。それをお売りに?」
「ええ。事情があって、お金が必要になったんです……。どうにかなりますか?」
ティアの胸はざわついていた。
ドラゴンの素材を大量に売るという行為が、どれだけ目立つのか。もし調べられたら、自分の出自や森での出来事が明るみに出るのではないか——そんな不安が、頭の中でぐるぐると回っていた。
クレシアは少し考え込み、決断したように頷いた。
「ここでは詳しい相談はできません。討伐者支部で打ち合わせましょう」
「討伐者支部?」
聞き慣れない言葉に、ティアの不安はさらに膨らんだ。
クレシアは受付を同僚に代わってもらい、ティアを連れてギルドの外へ出た。支部は門の近くにあり、近づくにつれて空気に血生臭さと獣の匂いが混じり始めた。建物自体が重厚で荒々しく、まるで「ここは危険な場所だ」と警告しているようだった。
「ここがそうです。この辺りは少し治安が良くないので、私のようにギルドの制服を着ていないと、女性が一人で歩くのはおすすめしません」
「え……そんなに危ないんですか?」
ティアの声が上ずった。クレシアは真剣な目で続けた。
「討伐者であればペナルティーが科せられます。最悪、解雇ですね。それと、公的職業と知って害意を持って行動に移すと……」
「……ゴクリ」
「ステータス画面が赤くなります」
「犯罪者になるんですか……!?」
ティアは背筋が冷たくなるのを感じた。
神の意志による監視があるとはいえ、赤いステータスという烙印を押される恐怖は、想像しただけで胃が重くなった。
「だから帰りもお送りしますね」
「あ、はい……お願いします」
ティアは小さく息を飲みながら、クレシアの後をついていった。足取りが自然と重くなる。
(あ、これって……打ち合わせにもそのまま参加する流れだ)
ドラゴンスケイルを売るという決断が、思った以上に大きな波を引き起こそうとしていることを、ティアは肌で感じていた。
胸の奥では、不安と焦りと、ほんの少しの期待が、激しく渦巻いていた。




