第11話 最弱テイマーの受け継ぐもの①
翌朝、ティアがお店に着いた頃には、朝陽が店内の木のテーブルを柔らかく照らしていた。昨日の慌ただしさが嘘のように静かで、美味しそうなパンの香りがまだ微かに残っている。
「ふう……今日から本格的に介護のお仕事ね」
エプロンを締め直しながら小さく息を吐いた瞬間、店の扉が開いた。
「おはよう、ティアちゃん」
「よっ、朝から元気か?」
入ってきたのはゲオルグとセラフィナだった。ゲオルグは相変わらずの豪快な笑顔で力こぶを作って見せ、セラフィナは眠そうに目をこすりながら杖を突いている。
「力仕事で男手が必要と依頼書に書いてあったし、ルイーサの婆さんには昔から世話になってるからな。他に受けたヤツはいなかったみたいだから、今日は一日付き合うぜ」
「私は治癒魔法が使えるから何かあっても安心なんですって~。だからここで休めって言われて……休日なのにゲオルグに無理やり依頼受けさせられたのよ。ほんと迷惑よね~」
セラフィナはそうぼやきながら、窓際の明るいテーブルに陣取ると、杖を椅子に立て掛け、さっそく大きな本を広げた。表紙には三角と丸で構成された複雑な魔法陣が描かれている。どうやら魔法に関する専門書らしい。
ティアは思わず苦笑した。
(この二人は本当に仲が良いんだな……)
「それじゃあ、私はルイーサさんの様子を見てきますね」
「おう、なんかあったらいつでも言ってくれ!」
「行ってらっしゃ~い。無理はしないでね~」
二人に見送られ、ティアは階段を上った。木の階段がきしむ音が、静かな店内にやけに大きく響く。
(……介護か。大丈夫かな。私、こういう経験ほとんどないのに……)
昨日訪れたルイーサの部屋の前で深呼吸をし、ティアは優しくノックした。
「ルイーサさん、起きてますか? 入っても構いませんか?」
「ティアちゃんね……どうぞ、入って」
少し弱々しいが、温かい声が返ってきた。
ティアが恐る恐る扉を開けると、ベッドの上で上体を起こしたルイーサが、右肩を抑えながら微笑んだ。顔色は昨日より少し優れない。
「右肩も痛むのですか?」
「ええ……起きたらずきずきするの」
ティアがセラフィナを呼ぼうとした瞬間、ルイーサが慌てたように手を伸ばした。
「ティアちゃん、ちょっと……」
ルイーサは手招きをし、ティアをベッドの近くに呼んだ。そして耳元で、消え入りそうな小さな声で囁いた。
「……あのね、もう限界で……その……お手洗いに……」
その瞬間、ティアはルイーサの耳まで真っ赤になっていることに気づいた。昨日昼過ぎからほとんど動けず、ずっと我慢していたのだ。高齢者としての深い羞恥と無力感が、痛いほど伝わってきた。
(……当然だよね。異性にまで見られるなんて、どれだけ辛いだろう……)
当人にしか分からない感情に、ティアは胸が締め付けられるような感覚を覚えながらも、なるべく穏やかな声で答えた。
「分かりました。すぐにゲオルグさんとセラフィナさんを呼んできますね。少しだけ待っていてください」
階段を急いで下りながら、心臓が速く鳴っているのを感じた。
店に戻ると、二人に声をかけた。
(……これが、介護の現実なんだ)
まだ始まったばかりの朝に、ティアは早くも介護の重さと難しさ、そして人間の尊厳を守ることの大切さを、静かに実感していた。
「ゲオルグさん、セラフィナさん、さっそく出番です。お願いします!」
「おう、任せろ!」
ゲオルグは頼もしげに胸を叩いた。セラフィナは本に栞を挟んで閉じ、杖を手に静かに頷く。
再び三人で部屋に戻ると、ルイーサはゲオルグの姿を見て一瞬不安げな表情を浮かべたが、ティアが事情を小声で説明すると、覚悟を決めたように頷いた。
セラフィナがまず右肩に治癒魔法をかけ、痛みを和らげた。
「昨日みたいに背負えばいいんじゃないか?」
そういって首を捻るゲオルグ。
「刺激を与えると羞恥心が飛び出すんです! だからあまり揺らさないよう、気を付けて運んで下さい!」
「お、おう? 何だかよくわからんが、気を付ければいいんだろ?」
得意げなスマイルを浮かべるゲオルグを見て、ティアは内心でため息をついた。
(……不安だ)
「よっこらせ……首に腕を回してくれ。そうすれば安定するぞ」
ゲオルグはルイーサを慎重に、しかし力強く抱きかかえた。子供を腕に座らせるような安定した抱き方だった。ルイーサは異性に身を預けなければならない羞恥で耳まで真っ赤になり、必死にゲオルグの首に腕を回した。
(いくら顔馴染みでも……生活の部分を見られるのは、きっとすごく辛いわよね……)
ティアは胸が痛みながらも、冷静に指示を出した。
「私が扉を押さえます。ゲオルグさんはそのままトイレまでお願いします。揺らさないように……」
「おう、わかった」
無事にトイレを済ませ、ルイーサの尊厳は守られた。再びベッドに戻した後、セラフィナが右足に添え木と固定を施した。
「これで少しは楽になると思います」
ルイーサは力なく、しかし心からの笑みを浮かべた。
「ありがとう……ティアちゃん、ゲオルグさん、セラフィナさん……本当にありがとう」
その震える声を聞きながら、ティアは静かに思った。
(まだ始まったばかりなのに……介護って、こんなに心が重くなるものなんだ)
「おう、この店が無くなると寂しいからな。元気になったらまた店を再開してくれ」
ゲオルグは照れくさそうに笑いながら、そう言って部屋を出て行った。その大きな背中を見送り、ティアは胸の奥がじんわりと温かくなるのを感じた。
「何かあったら声を掛けてください。そうだ、食事はまだですよね? 何か作って持って来ますね。食材と厨房をお借りします」
「ええ、自由に使ってくれて構わないわ。ありがとうティアちゃん」
ルイーサの許可を得て、ティアは部屋を後にした。階段を降りるたび、木の軋む音が静かな店内に響く。朝の柔らかな光が窓から差し込み、埃がきらきらと舞っているのが見えた。
一人になった階段の途中で、ティアは小さくため息をつき、ポケットの中で温かく震えているマーロにそっと話しかけた。
「ルイーサさん……元気なかったね。声は届かない気がする。どうにかならないかな……」
『……ルイーサが呼んでいたら、ティアに念話するよ?』
「えっ……そんなことまでできるの?」
『……うん。グレン達の誰かをルイーサの部屋に置いておけば、念話が通じるからね』
「それならマーロをルイーサさんの部屋に残しておけば?」
『……それはヤダ』
即答だった。マーロの念話に、どこか拗ねたような響きが混じっているのが伝わってきて、ティアは思わず小さく笑ってしまった。
(……私の側を離れたくないんだ)
その純粋な気持ちが嬉しくて、胸の奥がふんわりと温かくなった。
厨房に入り、朝食の準備をしながら、ティアは静かに考えを巡らせた。出来上がった温かい粥と柔らかい卵焼き、煮込んだ野菜をトレイに載せ、再びルイーサの部屋へ向かう。
「ルイーサさん、ずっとベッドの上では退屈でしょう。何かあればいいのですが……そうだ! 話し相手代わりにグレンを部屋に残しますね」
ティアは無理やり理由をこじつけて、炎のような赤いスライムをルイーサのベッドサイドに置いた。グレンは「ぷるるんっ!」と元気よく震え、ルイーサの顔を覗き込むように近づいていく。
「ありがとう、ティアちゃん。ふふっ、ぷるぷるして可愛いわね。グレンちゃん、よろしくね」
ルイーサは優しく微笑み、グレンの柔らかい体にそっと指を触れた。
「あ、そうだティアちゃん。そこにお裁縫道具があるから取ってもらえるかしら?」
「あ、はい。わかりました」
ティアは部屋の隅の綺麗に整頓された棚から裁縫箱を見つけ、ルイーサの傍らに置いた。
ルイーサは裁縫箱を開け、刺繍糸の色を選び始めた。指先はまだ少し震えていたが、集中している様子がうかがえる。
(……怪我で弱っていると、考え事ばかりして不安が募るものよね。何かに集中できれば、少しは気持ちが楽になるはず)
ティアはルイーサの横顔を見ながら、静かに胸の内で願った。
この穏やかな朝が、彼女にとって少しでも安らかな時間になりますように——。




