第10話 最弱テイマーの初めての仕事⑤
「まだ明かりがついていたから来てみたんだけど……忙しかった?」
そう言って店に入って来たのはエリオスだった。食器が片付けられていないテーブルを見て、彼は怪訝そうに眉をひそめた。
ティアは事情を簡潔に説明した。ルイーサの階段からの転落、骨折の可能性、セラフィナの診断——。
「――そんなことが……。ゲオルグさん、それと……」
「セラフィナよ」
「セラフィナさんありがとうございます」
「私の治癒魔法で痛みは引いたけど、骨折したままで歩けないわ。それにいまは気付かないけど、あとから他の場所も痛めたりする場合もあるから注意が必要ね」
セラフィナはそう助言をする。
エリオスは顔を曇らせ、すぐに二階へ見舞いに向かった。
ゲオルグたちとお茶を飲んで一息つき、やがて退店する二人を見送ると、残されたティアは店内を見渡した。
客はすっかりいなくなり、店内は不自然なほど静まり返っていた。食器が片付いていないテーブルや、床に散らばったままの小麦粉が、先ほどまでの慌ただしさを寂しく物語っている。
「……まずはテーブルを片付けないと」
ティアは小さく息を吐き、エプロンの裾を直した。疲労が一気に押し寄せてくるのを感じながらも、手を動かし始めた。
『……マーロも手伝う! グレン達も手伝うって~』
スライムたちが元気よく念話を飛ばし、店内に散らばっていく。小さな体でぴょこぴょこと動き、グレンが触手を伸ばして食器を集め、マーロがそれを体内に収納して厨房へ運ぶ。ヒョウカは床の小麦粉を湿らせて固め、ジンライが風で優しく吹き飛ばす。
愛らしい姿に、ティアの頰が自然と緩んだ。
(みんな……本当にありがとう。あなたたちがいなかったら、今頃パニックになっていたわ)
スライムたちの力を借りて、あっという間に閉店作業は終わった。店内はいつもの清潔な状態に戻り、ティアは最後に売り上げの集計を済ませた。
外はすっかり暗くなり、街灯の柔らかな光が窓から差し込んでいる。ティアは大きく深呼吸をした。
(今日は……本当に疲れた。でも、ルイーサさんが無事でよかった……)
戸締まりをしようと鍵を手に取った、その時——
トントントンと踏板を叩く足音が聞こえ、エリオスが階段を降りてきた。
戻ってきた彼は、深刻な表情でティアに切り出した。
「爺さんが居た頃のように店に活気が戻って、婆さん喜んでいたけど……張り切り過ぎて無茶して、落ち込んでた。足をつくと痛みが走るから、歩けそうにないって」
「……そう、お店はしばらく休業ね。私も仕事を探さなくちゃ」
「ティア……婆さんの介護を、少しの間だけでいいから頼めないだろうか? 僕が説得する時間を稼ぎたいんだ」
ティアは即座に首を横に振った。
「無理よ」
「そんな……ティアはルイーサ婆さんのことを嫌っているのか?」
「違うわよ! ただ……介護って一人でできるものじゃないの」
ティアはため息をつきながら、指を折って説明した。
「まず男手が必要。今日だってルイーサさんを運べなかったからゲオルグさんに頼んだのよ。それに女性も必要。一日中付きっきりになるなら交代要員もいるし、夜中にトイレに行きたくなったらどうするの? 長時間労働になるから、ちゃんと休みも取らないと……」
エリオスは目を丸くして聞き入っていたが、しばらくして小さく笑った。
「……なるほど。完全に認識が甘かったよ。ごめん、ティア」
彼は真剣な目で続けた。
「でも、それでも少しでも手伝ってくれないか? 婆さんが安心できる相手は、君が一番だと思う」
ティアはしばらく黙って考え込んだ。お金になるなら……という打算と、ルイーサへの恩義が胸の中でせめぎ合う。
人情だけでは生活できない、ティアはそれを知っていた。
「……わかったわ。労働時間はきっちり守る。残業はしない。夜勤も基本的に無理。それで良ければ引き受ける」
「ありがとう、ティア。本当に助かる」
エリオスは安堵したように微笑んだ。
こうしてティアは、予想外の形で『モルン・ティーサロン』に深く関わることになった。
「それじゃあ、これまでの店の手伝いは終了にして、その条件で介護の依頼をギルドに提出しておくよ」
「明日の朝、依頼を受けてからここに来ればいいのね?」
「いや、日も暮れてきた。ティア一人では心配だから、ギルドまで一緒に行こう」
エリオスは当然そう言って、ティアの隣に並んだ。距離が近い。いつものこととはいえ、夕暮れの薄暗がりの中で彼の体温や爽やかな香りがふと近く感じられ、ティアは内心で慌てた。
(相変わらず距離感が近い! そして顔が良すぎて本当に心臓に悪い……!)
「え、ええ。そうね……お願いするわ」
戸惑いながらも、ティアは店の戸締まりを済ませ、エリオスと共に石畳の道を歩き始めた。夕陽の残光が二人の影を長く伸ばし、街灯が一つずつ灯り始める中、ティアは小さく息を吐いた。
(介護か……。まさかこんな展開になるとは思わなかったわ)
隣を歩くエリオスの横顔をちらりと見ながら、ティアはこれから始まる新しい役割に、ほのかな不安と期待を抱いていた。
◇
夕方遅く、エリオスに連れられて総合ギルドに戻った頃には、館内は人がまばらになっていた。受付カウンターには昼間とは別の女性が立っており、疲れた様子で書類を整理している。
エリオスはティアを軽く背に庇うようにして、カウンターに近づいた。
「すまない、依頼の終了と別の依頼の手続きをしたいのだが……」
「依頼者のお名前と、依頼内容をお願いします。それとこちらが新規依頼の申込書になります」
受付の女性は手慣れた様子で対応を始めた。エリオスは「ありがとう」と言いながら申込書を受け取り、事情を簡潔に説明した。
「私はエリオス。彼女が依頼を受けていたティアだ」
「ティアです」
女性は控えの書類を確認しながら、少し困った顔をした。
「ご本人が居なければ依頼の取り下げは難しいのですが……念のため確認しますが、依頼書の控えはお持ちですか?」
「はい、ここに」
ティアは依頼書の控えを差し出した。出勤簿のように丁寧にルイーサのサインが並んでいるのを見て、女性は頷いた。
「……日払い計算の月末締めですね。これでしたら本日で締めて報酬のお支払いができます」
ティアは胸の内で小さく息を吐いた。
(本来なら今日の分も受け取るべきだけど……フルで働いていないし、事情も知っているから……気が引けるわ)
結局、今日の報酬は遠慮することにした。社会人としての遠慮と、15歳の体で「欲しがるのはみっともない」という妙な羞恥心が混ざり合っていた。
女性は淡々と続けた。
「依頼の取り下げについては、こちらの委任状をお渡しいたしますので、依頼主にサインをいただいて改めて窓口までお越しください」
「分かりました」
エリオスは素直に引き下がった。ティアは内心で思う。
(うん、お役所仕事だね……。ステータス画面で本人確認はできるのに、親類縁者の確認ができないから、その場での代行は無理があるらしい。これだけ対策しているってことは、知り合いを語って依頼料を吊り上げる詐欺とか、実際にあったんだろうな……)
温かい人たちが多いこの街で、こういった裏側の仕組みを見るのは少し嫌な気分だった。
エリオスは続けて新しい依頼書を差し出した。
「これを頼む。一人目の受注者はティアだ」
「はい、お預かりいたします。……ルイーサ様の介護依頼、ですね。承りました。受注の手続きも行います、少々お待ちください」
女性が書き物を始めた間、ティアは控えを受け取りながら小さく呟いた。
「エリオスさん……本当にありがとうございます」
「気にしないでくれ。婆さんのことを思えば当然だよ」
しばらくして、女性が控えを二枚差し出してきた。
「エリオス様、こちらが発注の控えになります。ティア様、こちらが受注の控えになります。無くさないようご注意ください」
受け取った控えに目を通すと、確かにルイーサの介護と店の手伝いとして、エリオスが正式に発注した形になっていた。
(依頼書の控えを無くすと、完了のサインが貰えず報酬も支払われなくなるから……後でマーロに収納してもらおう)
ティアは控えを丁寧に折りたたみながら、心の中で決めた。
エリオスは女性に向かって、最後に真剣な声で言った。
「急かすつもりはないんだけど……明日から来てほしいんだ。できるだけ早く、頼めるかな」
その声音には、ルイーサへの本気の心配が滲み出ていた。受付の女性もその切実さに気づいたのか、わずかに表情を和らげて頷いた。
「分かりました。優先的に確認しておきます」
ギルドを出た頃には、すっかり空が暗くなり始めていた。
エリオスはティアの横を歩きながら、ふっと息を吐いた。
「すまない、急に巻き込んで。……でも、ティアがいてくれると僕もすごく助かる。本当にありがとう」
ティアは小さく微笑み、ポケットの中で温かく震えるマーロにそっと触れた。
(……こうして少しずつ、この街に根を張っていくんだ)
新しく始まる仕事と、人との関わり、そして不安と心配。
15歳の体で、34歳の心を抱えた彼女の、穏やかで少し波立つ日常が、本格的に動き始めていた。




