第39話 星の紋章が繋ぐ未来
しばらくして。
外でバカ騒ぎを続けていた団員たちの前に、スパーダが姿を現した。
その瞬間、マグダが目を丸くし、バルガスが持っていたジョッキを取り落としそうになった。
「お、おい……お前、その服……」
スパーダが身に纏っていたのは、いつもの漆黒の外套でも、仕立ての良い白シャツでもなかった。
それは、着任したての頃にシルヴィが徹夜で縫い上げ、彼が「査察対象からは受け取れない」と冷たく突き返した、あの『裏方用の作業着』だったのだ。
厚手で丈夫な生地の胸元には、エトワール・メモリアの誇りである『星の紋章』が、金糸で丁寧に刺繍されている。
「あらやだっ!!」
沈黙を破ったのは、シルヴィの甲高い悲鳴のような歓声だった。
「ちょっとスパーダの旦那! やっとアタシの愛を受け入れてくれたのね!? ほら見なさい、アンタの広い肩幅にぴったりじゃないの! でも少しウェストが緩いわね、ちょっとサイズ直してあげるから今すぐここで脱ぎなさい!」
シルヴィが人型の姿をくねらせながらスパーダの腰元に手を伸ばす。
「触るな。サイズは合っている。これ以上いじる必要はない」
スパーダは飛んでくるシルヴィの手を鬱陶しそうに払い除けたが、その顔に本気の怒りはなかった。
「お前……なんでその服を着てるんだ?」
ゴルダンが、不思議そうに尋ねた。
スパーダは軽く咳払いをして、団員たち全員を見渡した。
「……王立隠密衛兵隊の上層部と交渉してきた」
スパーダの口から出た言葉に、団員たちの顔に緊張が走る。
「俺は、組織を辞めたわけではない」
その一言に、アリシアの肩がビクッと跳ねた。やはり、彼は国に帰ってしまうのか。
「だが」
スパーダは、胸の星の紋章を右手でそっと撫でた。
「長官に、こう進言した。国中を巡業し、あらゆる階層の客を集めるこのサーカス団は、情報収集の拠点としてこれ以上ない価値があると。……結果として、俺はこの幻想白夜サーカス団の『専属護衛兼、特務諜報員』という特別なポジションを勝ち取った」
団員たちが、ポカンと口を開ける。
「えっと……それって、つまり?」
バルガスが蹄を鳴らして首を傾げた。
スパーダは、呆れたように小さく息を吐き出し、そして、これまでにないほど柔らかく、温かい微笑みを浮かべた。
「俺の任務地は、ここだということだ」
スパーダは、真っ直ぐにアリシアを見つめた。
「俺は、国ではなく、君たちのサーカスを守ることを選んだ。……これからも、ここに残らせてもらう」
数秒の沈黙の後。
「うおおおおおっ!!!」
鼓膜が破れんばかりの、凄まじい歓声がテントを揺らした。
「ドワッハッハ! そうこなくっちゃな! お前がいなけりゃ、このうるさい連中を誰がまとめるんだ!」
ゴルダンが最高級の酒が注がれたジョッキをスパーダに押し付ける。
「おっしゃあ! 今日からお前も正式な家族だな! よし、まずは俺と腕相撲で勝負だ!」
バルガスが涙ぐみながら、スパーダの背中をバンバンと力強く叩く。
「うにゃはは! 新人の裏方さん、しっかり働くんだにゃー!」
チャイが頭上からクラッカーのように魔法の粉を散らす。
足元では、ちびゴーレムのAゴレたちが「親方ぁぁっ!」と言わんばかりにコトコトと激しく音を立てながら、スパーダの足にすがりついて歓喜のダンスを踊っていた。
「お、おい、やめろ、酒がこぼれるだろうが! バルガス、背中を叩く力が強すぎる!」
もみくちゃにされながら文句を言うスパーダだったが、その表情は心底嬉しそうに綻んでいた。
「あ、そうだ」
スパーダは押し寄せる団員たちを片手で制し、咳払いをした。
「俺が特務諜報員として残ることは、あくまで国との極秘事項だ。表向きは、これまで通りただの『経理や雑用』の新人裏方として働くことにしてほしい」
「なんだい、相変わらず水臭いねぇ!」
マグダが豪快に笑いながら、熱々のシチューの皿を差し出した。
「隠密だろうが雑用だろうが、あんたがうちの家族だってことは変わらないさ! さあ、腹が減っては帳簿の計算もできないだろう。たっぷりお食べ!」
「……ああ、いただくよ」
スパーダは、出されたシチューを一口食べ、目を細めた。
孤児として育ち、生きるために感情を殺してきた彼が、ようやく見つけた、本当の居場所。もう、一人で冷たいご飯を食べる必要はないのだ。
騒ぎの輪の少し外側で、アリシアは両手で口元を覆い、嬉し涙を流していた。
彼が残ってくれる。共に苦難を乗り越え、笑い合えるこの場所で、彼と一緒に生きていける。
スパーダが、喧騒を抜け出してアリシアの元へ歩み寄ってきた。
「……また泣いているのか、団長」
「だって……嬉しくて……」
アリシアが涙を拭いながら見上げると、スパーダは彼女の頭にポンと優しく手を乗せた。
「帳簿の後半の計画、あれを実現するには、まだまだ君に頑張ってもらわないといけないからな。……これからも、よろしく頼むぞ。団長殿」
「はいっ!」
アリシアは、大粒の涙をこぼしたまま、世界で一番美しく、幸福な笑顔を咲かせた。
光る魔石のランプが温かく照らし出す巨大テントの中。
スパーダは、本当の家族たちの笑い声に包まれながら、かけがえのない大切な未来へと、力強い一歩を踏み出したのだった。




