第34話 朝日に願う最後の同行
水都シアンでの激闘と、それに続く朝まで続いた祝杯の余韻。それらを乗せた十台の荷馬車は、魔法国家エルディス王国の中心である王都グラン・エルディスへと続く街道を、規則正しい轍の音を立てて進んでいた。
馬車の中は、深い寝息に包まれていた。
無理もない。団員たちは昨夜、真犯人であるダンビローグを捕縛するための決死のゲリラショーを演じ切り、その後は安堵と歓喜に沸く盛大な宴を朝まで繰り広げたのだ。極度の緊張から解放された彼らは、揺れる荷台の上で泥のように眠りこけている。
アリシアもまた、スパーダの向かいの席で、安心しきったような無防備な寝顔を見せていた。
スパーダは、窓から差し込む朝の光に照らされる彼女の横顔を、静かな瞳で見つめていた。その表情には、潜入捜査官としての冷徹な仮面は欠片もなく、ただ一人の少女を愛おしむ、柔らかな色が浮かんでいる。
――コトッ、コトトッ。
足元で、微かな石の音が鳴った。
視線を落とすと、リーダー格のAゴレをはじめとするちびゴーレムたちが、スパーダの左腕に群がっていた。彼らは昨夜の戦闘でダンビローグの凶刃からアリシアを庇って負ったスパーダの傷を、不器用な手つきで治療しようとしているのだ。
Aゴレが清潔な布を包帯代わりに巻きつけ、別のゴーレムが薬草をすり潰した特製の軟膏を一生懸命に塗り込もうとする。
「……おい、痛いぞ。あまり強く巻くな」
スパーダが声を潜めて小言を言うと、ちびゴーレムたちは「すみません親方!」と言わんばかりにビクッと石の肩をすくめ、今度は壊れ物に触れるような極端に優しい手つきで包帯を巻き始めた。
スパーダは小さくため息をついたが、その口元は微かに綻んでいた。
「……まあ、悪くない手当だ。助かった」
彼がそう言ってAゴレのゴツゴツとした頭を撫でてやると、ちびゴーレムたちは嬉しそうにコトコトと音を立て、スパーダの足元にすり寄った。
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王都へ入る手前の関所で、隊列が短い休憩をとった時のことだ。
スパーダは団員たちがまだ眠っているのを横目に、一人で馬車を降り、街道から少し外れた鬱蒼とした森の影へと足を踏み入れた。
「――報告は受けている。見事な手際だったな、スパーダ」
木漏れ日すら届かない暗がりから、声もなく一人の男が姿を現した。王立隠密衛兵隊の上官である。
「ダンビローグの身柄は、シアンの治安維持部隊から既に我々が引き継いだ。奴は新聞記者という身分を利用した密輸の全貌と、黒幕である組織のアジトの場所を完全に吐いたよ。現在、王都周辺に潜伏していた組織の残党は、我が隊が総力を挙げて壊滅させているところだ」
「そうか。ならば、俺の任務は完了ということになるな」
スパーダが淡々と応じると、上官は満足げに頷いた。
「ああ。お前はよくやった。すぐに王都の拠点へ帰還し、次の任務に備えろ」
帰還命令。
それは、彼がエトワール・メモリアという「家族」から離れ、再び孤独な闇の世界へと戻ることを意味していた。
スパーダの脳裏に、アリシアの真っ直ぐな笑顔や、マグダの温かい手料理、バジュラたちの騒がしい笑い声がフラッシュバックする。彼にとって、組織は生きるための「職場」でしかなかったが、あのサーカステントこそが、生まれて初めて見つけた「帰る場所」だった。
「……いや、待ってくれ」
スパーダは、踵を返そうとした上官を低い声で引き止めた。
「まだ組織の残党が完全に消え去ったわけではないはずだ。ダンビローグに恨みを持つ者が、サーカス団に報復を企てる可能性が捨てきれない」
スパーダは、あくまで冷徹な捜査官としてのロジックを装い、言葉を紡いだ。
「王都での大公演が終わるまで、俺は引き続き『国庫管理局の査察官』として彼らに同行し、内部から監視と護衛を続ける。それが最も確実だ」
上官は少しの間、怪訝そうにスパーダの顔を見つめた。これまで任務以上の感情を挟んだことのない、氷の刃のような彼が、自ら任務の延長を申し出るなど前代未聞だったからだ。
しかし、スパーダの瞳に宿る決して譲らない強い意志を感じ取ったのか、上官は短く息を吐いた。
「……よかろう。ただし、王都公演の千秋楽が終われば、直ちに帰還しろ。これは命令だ」
「了解、した」
上官が影の中へ消えていくのを見届け、スパーダは静かに森を後にした。
タイムリミットは、王都公演が終わるまで。
だが、彼の中ではすでに、国ではなく彼女のサーカスを守り抜くという決意が、揺るぎない岩のように固まっていた。
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巨大な城壁と、天を突くような白亜の尖塔。魔法国家エルディス王国の心臓部、王都グラン・エルディス。
石畳が敷き詰められた大通りには数え切れないほどの人々が行き交い、これまでの街とは桁違いのスケールと活気に満ち溢れていた。
王都の指定された広場に到着し、目を覚ましたアリシアと団員たちが馬車から降り立つと、そこには異様な光景が広がっていた。
「おい、エトワール・メモリアが来たぞ!」
「本当だ! あの記事のサーカス団だ!」
広場の周囲には、すでに黒山の人だかりができていたのだ。
困惑するアリシアたちの前に、先遣隊として王都に入っていたエルフのラットリアが、興奮した様子で新聞の束を抱えて飛んできた。
「みんな、大変よ! 王都中が私たちの話題で持ちきりなの!」
ラットリアが広げた王都の主要新聞。その一面には、巨大な見出しが躍っていた。
『著名記者ダンビローグの裏の顔! 密輸組織の壊滅と、偉大なる空中ブランコ乗り暗殺の真実!』
新聞記者が黒幕を吐き、組織のアジトが潰されたこと。そして何より、先代団長グロリアントの死が、決して彼自身のミスによる事故などではなく、空間認識を狂わせる魔法薬を使った巧妙で卑劣な暗殺であったことが、大々的に報じられていたのだ。
この残酷な真実と、彼らが悲しみを乗り越えて真犯人を捕らえたという劇的なドラマは、王都の市民たちの心を強く打ち、凄まじい反響を呼んでいた。
「チケットの予約所には長蛇の列よ! 王都での大公演、すでに全日程が完売する勢いなのよ!」
ラットリアの報告に、団員たちは信じられないという顔を見合わせ、やがて爆発的な歓声を上げた。
「やったぁぁっ! これで王都の大公演は絶対成功だ!」
「ドワッハッハ! 先代の親父さんも、天国でさぞ喜んでるだろうぜ!」
バルガスが前足を跳ね上げ、ゴルダンが豪快に笑う。
しかし、その浮かれきった熱水に、冷や水を浴びせるような低く鋭い声が響いた。
「騒ぐな、喜ぶのはまだ早い」
漆黒の外套を羽織ったスパーダが、いつものように腕を組んで団員たちを冷徹に見下ろしていた。
「話題が沸騰しているからといって、実力が伴っていなければどうなるか分かるか? 王都の客の目は厳しい。期待を裏切るような陳腐なショーを見せれば、翌日には容赦ない批判が殺到し、チケットの払い戻しで莫大な借金を抱えることになるぞ」
スパーダの容赦のない『査察官』としての正論に、団員たちはピタリと動きを止めた。
「お前たちがやるべきことは、浮かれてバカ騒ぎをすることではない。今すぐテントを設営し、王都の客を黙らせるだけの完璧な舞台を作り上げることだ。……さあ、動け。少しでも手を抜けば、このテントごと国に差し押さえられるからな」
身分が隠密衛兵隊だとバレた後でも、相変わらずの憎まれ口。
しかし、団員たちはもう、その小言の裏にあるスパーダなりの不器用な優しさと、サーカスを成功させようとする本気の愛情を知っていた。
「ヒャッハー! 相変わらず口の減らねえお堅い役人だぜ!」
「言われなくても、最高のエンターテインメントを見せつけてやるよ!」
ジグが魔導ホイールのエンジンを轟かせ、団員たちは文句を言いながらも、顔をほころばせて一斉に設営作業へと走り出した。




