第32話 怒りの追跡劇
ボンッ!という破裂音と共に、濃密な白い煙が水都シアンの広場一帯を包み込んだ。
視界を完全に奪う、軍事用の強力な煙幕弾だ。
「ゲホッ、ゴホッ……! 見えない、みんなどこ!?」
アリシアが煙に巻かれて咳き込む中、すぐ隣でチッ、とスパーダの舌打ちが聞こえた。
彼は左腕から血を流しながらも、一切の躊躇なく煙の奥へと駆け出そうとする。しかし、その動きを、力強い手がガシッと引き止めた。
「待て、役人の旦那!」
煙が薄らいだ視界の先、巨大な馬の下半身を持つケンタウロスのバルガスが、スパーダの前に立ち塞がっていた。
「お前は腕をやられてるだろうが。それに、ここは俺たちの庭だ。家族を傷つけ、サーカスをコケにしたあのゲス野郎は、俺たち『エトワール・メモリア』が絶対に逃がさねえ!」
「バルガス……」
バルガスの言葉に呼応するように、団員たちが次々と煙の中から姿を現した。
自由時間でシアンの街を楽しんでいたはずの彼らは、胸騒ぎを覚えて急いで戻ってきたのだという。そして今、恩人と信じていた新聞記者ダンビローグの残酷な裏切りと、先代団長の死の真相を知り、彼らの瞳にはかつてないほどの怒りと、家族を守るという強固な決意が燃え盛っていた。
「グルルルルォォォォォッ!!」
突如、地響きのような咆哮が夜空を震わせた。
睡眠薬を嗅がされて眠っていたはずの火竜が、主であるゴルダンの怒りに呼応して強引に目を覚ましたのだ。巨体を揺らし、口の端からチロチロと炎を漏らす相棒の背を、ゴルダンがバンッと力強く叩く。
「よく起きたな、相棒! 俺たちの寝床をコケにしやがった報いを、たっぷりと味わわせてやろうぜ!」
「うにゃはは! 高いところからの監視なら、オレの耳と目に任せるにゃ!」
猫獣人のチャイが、身軽な動きで近くの時計塔の屋根へと跳躍し、夜の街を見下ろす。
「アタシたちの大切な団長を、これ以上泣かせはしないわよ!」
スライムのシルヴィが、両手に七色に輝く魔法の粉を握りしめ、人型の姿を怒りで震わせている。
スパーダは、彼らの圧倒的な気迫と、種族を超えた『家族の絆』の強さを前に、息を呑んだ。
潜入捜査官として、自分一人で事件を解決しなければならないと気を張っていた。しかし、彼らは単なる守るべき対象などではない。誇り高く、強力で、何よりも温かい、最強のサーカス団なのだ。
「……スパーダさん」
アリシアが、スパーダの無事な右腕をそっと握った。彼女の瞳は、涙を拭い去り、決意に満ちていた。
「行きましょう。私たちのサーカスを、家族を、取り戻すために」
スパーダは小さく息を吐き出し、血の滲む左腕を庇いながらも、力強く頷いた。
「ああ。……俺が逃走経路を先読みする。お前たちは、その特技で奴を追い詰めろ」
+++
水都シアンの美しい石畳の街道を、ダンビローグはなりふり構わず全力で疾走していた。
「くそっ、くそぉぉっ! なんであの化け物どもが戻ってきているんだ!」
顔面をスパーダに殴られ、鼻血でぐしゃぐしゃになった顔を歪ませながら悪態をつく。
彼の計画は完璧だったはずだ。サーカスを利用して密輸を働き、邪魔な先代団長を事故に見せかけて暗殺し、世間の同情を誘う記事を書いて経営を操る。すべてが自分の手のひらの上で踊っていると確信していたのに。
あの生意気な小娘と、冷酷な隠密犬のせいで、すべてが台無しになったと思っていた。
(だが、街の構造は頭に入っている。このまま入り組んだ路地裏に逃げ込んで、運河の小舟を奪えば……!)
ダンビローグが薄暗い路地裏へと曲がろうとした、その瞬間だった。
――グォォォォォンッ!!
路地の奥から、鼓膜を震わせるような凄まじい爆音が響き渡り、巨大な鉄の塊が猛スピードで突っ込んできた。
「ヒャッハー! 通行止めだぜ、ホラ吹き三流記者!」
ゴブリンの特攻隊長ジグが駆る、巨大な一輪の魔導車だ。
ジグは巧みな車体制御でダンビローグの目の前に急ブレーキをかけ、タイヤを激しくスピンさせて火花と白煙を巻き上げた。
「ひぃっ!?」
ダンビローグが慌てて後ずさる。
「逃がさねえぞ、ゲス野郎! とっととあきらめて降参しな!」
ジグがエンジンを空ぶかしし、威嚇の轟音を鳴らす。
ダンビローグは舌打ちをし、別の路地へと踵を返した。しかし、そこにも巨大な影が立ちはだかっていた。
「グルルルォォォッ!!」
建物の屋根から飛び降りてきたのは、ゴルダンの相棒である巨大な火竜だった。竜は鋭い牙を剥き出しにし、ダンビローグの足元に威嚇の炎を吐き出す。
ジュワッ!と石畳が焦げ、熱風がダンビローグの顔を炙った。
「ヒィィィッ!!」
「ドワッハッハ! 俺の竜を臭ぇ煙で眠らせた落とし前、きっちりつけてもらうぜ!」
ゴルダンが竜の背から豪快に笑う。
魔導ホイールの機動力と、火竜の圧倒的な威圧感。
ジグとゴルダンは、ダンビローグを傷つけることなく、巨大な壁となって彼の退路を次々と塞ぎ、ある一定の方向へと意図的に誘導していた。
(チィッ、どいつもこいつも……! こうなったら、人通りの多い大通りに出て、一般人を盾にしてでも……!)
ダンビローグは焦燥に駆られ、唯一開かれていた道、シアンの中央広場へと向かって死に物狂いで走り出した。
+++
シアンの中央広場には、深夜にもかかわらず、まだ酒場帰りの陽気な街の人々がまばらに歩いていた。
ダンビローグは息を切らしながら広場に飛び込むと、近くを歩いていた若い女性を捕まえて人質にしようと手を伸ばした。
しかし、その手は空を切った。
彼が広場に足を踏み入れた瞬間、周囲の空気がガラリと変わったのだ。
「皆様、お待たせいたしました! これより、この街を発つ前に感謝のしるしとして、幻想白夜サーカス団『エトワール・メモリア』による、一夜限りの特別ゲリラショーを開幕いたします!」
広場の中心に立つ噴水の上から、アリシアの高く澄んだ声が響き渡った。
彼女は、街の人々を血生臭い戦闘に巻き込まないため、そして犯人捕獲の騒ぎを「演出」にすり替えるため、とっさの機転でこれを「ゲリラ的なサーカスのショー」に見せかける作戦に出たのだ。
「ゲ、ゲリラショー……!?」
ダンビローグが呆然と立ち尽くす。
街の人々は、大盛況だったサーカスの団長が突如として現れたことに歓声を上げ、興味津々で広場を囲むように集まり始めた。
「さあ、見事な逃走劇を演じる悪役の足元にご注目!」
アリシアの合図と共に、阿修羅族のバジュラが六本の腕を風車のように回し、燃え盛る松明をダンビローグの足元へ次々と寸分の狂いもなく投げ落とした。
「そらそらそらっ! 悪党は火炙りの刑だぞ!」
「うわぁぁっ!」
ダンビローグは足元に突き刺さる松明を避けるため、無様にタップダンスのようなステップを踏まされる。街の人々からは「おおっ、見事なステップだ!」「コミカルな悪役だな!」と笑いと拍手が巻き起こった。
ダンビローグは恥辱と怒りで顔を真っ赤にし、短剣を構えてバジュラに飛びかかろうとした。
その瞬間。
「悪役に相応しい、とびきりのキラキラメイクにしてあげるわ!」
頭上のバルコニーから、スライムのシルヴィがオネエ言葉と共に、大量の魔法の粉をダンビローグの頭上からバサァッ!と散布した。
「目、目がァァッ!!」
キラキラと輝く細かいラメの粉が目に入り、ダンビローグは完全に視界を奪われた。さらに、ラメの光が街灯を乱反射し、彼の方向感覚を狂わせる。
「仕上げよ、イグニス!」
アリシアが叫ぶと、ランタンの中から飛び出した炎の精霊イグニスが、広場を取り囲む街の魔石ランプを一斉にハッキングしたかのように明滅させ始めた。
チカチカと激しく点滅する光の渦。それは、視界を奪われたダンビローグにとって、まるで自分が異空間に放り込まれたかのような強烈なめまいを引き起こした。
「あああっ、くそっ、どこだ、ここはどこだ!」
ナイフを振り回しながら、広場の中央で無様に千鳥足になるダンビローグ。
街の人々からは、「光と粉の魔法だ!」「なんて幻想的なんだ!」と、さらに割れんばかりの拍手が送られる。
血生臭い戦闘ではなく、人々に夢と至高のエンターテインメントを見せる芸術的な世界観。それこそが、エトワール・メモリアの戦い方だった。
彼らは、殺意をむき出しにする犯人を、サーカスの技術と演出という圧倒的な『美しさ』で完全に包囲し、無力化しつつあった。




