第27話 暗闇の隠れ家
水都シアンでの最終公演は、割れんばかりの拍手とスタンディングオベーションの中で幕を下ろした。
青と緑の幻想的な照明が消え、観客たちが熱狂の余韻とともに広場を後にすると、すぐさま夜の静寂を打ち破るように撤収作業が始まった。
「みんな、気をつけて作業してね! 次はいよいよ王都グラン・エルディスでの大公演よ!」
アリシアが声を張り上げると、団員たちは疲労を見せるどころか、むしろ気合に満ちた声を返した。ケンタウロスのバルガスが重い鉄柱を運び、上空では猫獣人のチャイが身軽にロープを解いていく。膝丈ほどのちびゴーレムたちも、コトコトと石の体を鳴らしながら驚異的な怪力で機材を次々と荷馬車へ積み込んでいた。
その騒がしい撤収作業の最中、アリシアの視線は無意識のうちに一人の男の姿を探していた。
漆黒の外套を羽織った潜入捜査官、スパーダだ。彼は少し離れた場所から、いつものように冷徹な眼差しで作業の進捗を監視しているように見えた。しかし、二人の目が合った瞬間、彼はわずかに顎を引き、小さく頷いた。
――準備はできているな。
言葉を交わさずとも、その視線だけで彼の意図が伝わってくる。昨夜、二人は「サーカス団の中にいるであろう真犯人を炙り出す」ための決死の罠を張ることで合意していた。
アリシアは小さく深呼吸をし、ギュッと拳を握りしめた。
+++
深夜。巨大テントはすっかり解体され、すべての荷物が十台の馬車に積み込まれた。
本来ならば、このまま夜通し街道を進み、次の目的地へと出発する手はずだ。しかし、アリシアは団長として皆の前に立ち、あえて明るい声を張り上げた。
「みんな、撤収作業お疲れ様! 実はね、王都に着くまでのスケジュールに少し余裕ができたの」アリシアは、用意していた『団長としての嘘』を口にする。
「だから、出発は明日の朝一番に変更します! それまで馬車はこのままにして、みんなにはシアンの街で自由時間を与えるわ。王都での大勝負の前に、美味しいものでも食べて英気を養ってきて!」
その宣言に、団員たちから「うおおおっ!」という歓声が上がった。
「ドワッハッハ! 粋な計らいじゃねえか団長! シアンの酒場を飲み尽くしてやるぜ!」竜人のゴルダンが豪快に笑い、ゴブリンのジグも「夜の街に繰り出すぜ!」と囃し立てる。団員たちは嬉々として連れ立ち、次々と煌びやかな水都の夜街へと散っていった。
広場に置かれた荷馬車の列が、意図的に「無人」の空白状態となる。犯人が荷物を積み込むための、絶好の隙を作り出したのだ。
団員たちの背中を見送ったアリシアが、緊張で冷たくなった手をさすっていると、不意に背後から柔和な声が降ってきた。
「素晴らしいご決断ですね、アリシア団長」
振り返ると、新聞記者のダンビローグが、いつものような人当たりの良い笑顔を浮かべて立っていた。彼はサーカスの密着取材と称して同行している外部の人間だ。
「ダンビローグさん……」
「皆さんの労をねぎらう、見事な采配です。どうでしょう、もしよろしければ団長もご一緒に街へ飲みに行きませんか? これまでの成功を祝して、私にご馳走させてください」
穏やかな誘い。しかし、アリシアの背筋に冷たい汗が伝った。
「お誘いありがとうございます。でも、私は王都に向けた帳簿の最終確認が残っているので、馬車で仕事をしてから休みます。ダンビローグさんも、水都の夜を楽しんできてくださいね」
「……そうですか。ご無理はなさらないように。ではでは、おやすみなさい」
ダンビローグは優しく微笑んだまま、静かに踵を返し、暗がりへと消えていった。
彼の姿が完全に見えなくなった瞬間、アリシアは膝から崩れ落ちそうになるほど深く息を吐き出した。
「……よくやった。自然な演技だったぞ」
暗闇から音もなく現れたスパーダが、アリシアの細い肩を支えた。
「スパーダさん……っ。心臓が、破裂するかと思いました……」
「犯人が誰であれ、これで確実に網にかかる。行くぞ」
+++
団員たちが去り、静まり返った広場。
アリシアとスパーダは足音を忍ばせ、列の最後尾に配置されたゴルダンの『竜の馬車』がよく見える物陰へと密かに移動した。
「ここで息を潜める。……だが、少し開けすぎているな。月明かりで姿を見られる危険がある」
スパーダが周囲を警戒して目を細めた、その時だった。
――コトッ、コトトッ。
足元から、微かな石の音が聞こえた。見下ろすと、特別な魔石を埋め込まれたちびゴーレムのリーダー、Aゴレと数体の仲間たちが立っていた。
彼らは二人の張り詰めた空気を察して、大好きな『親方』であるスパーダの手助けをしたいのか、広場の隅に積まれていた空の木箱や、不要になった天幕の切れ端を驚異的な怪力でササッと運び込んできた。
そして、あっという間に二人の周囲を囲むように組み上げ、外からはただの「資材の山」にしか見えない、完璧なカモフラージュ用の『隠れ家』を作り上げてしまったのだ。
「お前たち……」
スパーダが目を丸くすると、Aゴレたちは「任せてくだせえ!」と言わんばかりに胸を叩くジェスチャーをし、コトコトと音を立てながら馬車の列の下へと隠れていった。
「ふふっ……すごいですね。これなら絶対に見つかりません」
アリシアが少しだけ緊張を解いて微笑んだ。
しかし、ちびゴーレムたちが作ってくれたその隠れ家は、外から見えない完璧な作りである反面、大人二人が入るには極端に『狭すぎた』。
木箱と天幕に囲まれた暗く小さな空間。二人が身を隠すためには、必然的に肩と肩が触れ合い、互いの息遣いすら聞こえるほどの距離で密着せざるを得なかったのだ。
「……少し、窮屈だな」
スパーダが気まずそうに視線を逸らす。彼から漂う爽やかな石鹸の香りと、すぐ隣から伝わってくる高い体温に、アリシアの心臓は先ほどとは違う意味で、激しく高鳴り始めていた。
真犯人を待つ、長く恐ろしい夜。
しかしその暗闇の隠れ家の中には、二人だけの甘く張り詰めた空気が密かに満ちていた。




