第21話 哀しき決別と消えゆく炎
「……だが、俺はもう一つの真実を追っている」
スパーダは、自分でも驚くほど絞り出すような声で言った。
「もう一つの……真実?」
「……お前の父親、先代団長グロリアントの死についてだ」
その名が出た瞬間、アリシアは弾かれたように顔を上げた。
「お父様の……? お父様の死は、不慮の事故です! それが、密輸事件と何の関係があるんですか!」
スパーダは一瞬だけ目を伏せ、やがて重い口を開いた。
「俺は、あれが事故だとは思っていない」
「え……?」
「過去の検死記録や、当時の公演を見ていた観客の目撃証言を徹底的に洗い直した」
スパーダの口調は、感情を押し殺した冷徹な捜査官のものへと戻っていた。
「記録にはこうある。『グロリアントは、まるでそこにバーがあるかのように、何もない空間をしっかり掴もうとして落ちた』と」
「それは……極度の疲労で、手元が狂ったから……」
アリシアは首を横に振った。サーカスの演目は常に死と隣り合わせだ。どんな達人でも、一生に一度のミスが命取りになる。だからこそ、団員たちはあの悲劇を『痛ましい事故』として受け入れてきたのだ。
「一般人や、現場の警備兵ならそう片付けるだろう。だが、俺たち隠密衛兵隊の見解は違う」
スパーダは一歩、アリシアへと近づいた。
「何もない空間を、そこにあると確信して掴もうとする。その行動は、俺たちが追っている密輸組織が扱う『空間認識を狂わせる危険な魔法薬』の典型的な症状と、完全に一致しているんだ」
アリシアの息が止まった。
頭の芯が真っ白になり、周囲の音が遠のいていく。
「空間認識を……狂わせる、魔法薬……?」
「ああ。摂取すれば、一時的に上下左右の感覚が完全に反転する。高所で宙を舞う瞬間に薬効が発動すれば、本人は確信を持って虚空に手を伸ばし、自ら落ちていくことになる」
スパーダの言葉は、あまりにも残酷な真実を突きつけていた。
「つまり……先代団長の死は、事故ではない。彼がサーカスを利用した密輸に気づき、口封じのために暗殺された可能性が極めて高いということだ」
「嘘……」
アリシアはその場にへたり込んだ。
大好きだった父。世界一美しかった空中ブランコ乗り。彼の死が、自身のミスではなく、誰かの悪意によって仕組まれた『殺人』だったというのか。
父が事故ではなく殺されていた可能性があることを初めて知り、アリシアは激しく動揺した。吐き気がするほどのショックが彼女の全身を貫き、震えが止まらない。
「そして、その暗殺を実行できるのは……普段から彼に近づき、舞台裏で機材や飲み物に触れることができる人間だけだ」
スパーダの冷たい声が、容赦なく追い打ちをかける。
「だから俺は、このサーカス団の内部に、密輸組織と繋がっている犯人がいると睨んでいる」
「やめてっ!」
アリシアは両耳を塞ぎ、叫んだ。
「そんなの、絶対に嘘です! みんなは……マグダも、バルガスも、ゴルダンも、シルヴィも! みんなお父様のことを心から愛していました! お父様が亡くなった時、みんなあんなに泣いて……悲しんで……!」
「犯罪者は、いつだって善良な顔をして他人に取り入る。お前が信じているその『家族』の絆も、犯人にとっては都合のいい隠れ蓑に過ぎないかもしれない」
「違う! みんなはそんな人たちじゃない!」
アリシアは涙ながらに、共に強い絆で結ばれている団員たちを庇った。
「私たちは、一緒に苦しい時を乗り越えてきたんです。貧しくて、ご飯が食べられない時も、みんなで分け合って……舞台の上では命を預け合って……! そんな大切な仲間の中に、お父様を殺した犯人がいるなんて、絶対に信じない!」
アリシアの悲痛な叫びは、テントの天幕に反響し、スパーダの胸に深く突き刺さった。
彼女の言う通りだ。
スパーダ自身も、マグダの温かい手料理を食べ、バジュラたちの馬鹿騒ぎに巻き込まれ、共に汗を流してテントを設営する中で、彼らの絆が偽りではないことを肌で感じていた。
(俺だって……この中に犯人がいると思いたくない)
スパーダの胸の内に、捜査官としての冷徹な理性と、一人の人間として芽生えかけた感情が激しく衝突していた。
孤児として育ち、裏社会の騙し合いの中で生きてきた彼が、生まれて初めて見つけたかもしれない『帰る場所』。もしこの中に真犯人がいれば、その温かい幻想は根底から崩れ去ってしまう。
スパーダは自分が家族を知らない孤独な存在であることを、これほどまでに痛感したことはなかった。
「……信じるか信じないかは、お前の自由だ。だが、事実は事実だ。俺は捜査を続ける。証拠が出れば、誰であろうと容赦なく捕縛する」
スパーダは、震える己の感情を分厚い氷の下に閉じ込め、あくまで冷徹な潜入捜査官として言い放った。
アリシアは、涙でぐしゃぐしゃになった顔を上げ、スパーダを強く睨みつけた。
その瞳には、かつて彼に向けていた淡い恋心や絶対的な信頼は微塵も残っていない。あるのは、裏切られた深い悲しみと、大切な家族を疑われたことへの怒りだけだった。
「……バッジは、お返しします」
アリシアは立ち上がり、手の中にあった銀色のバッジを、スパーダの胸元へと乱暴に押し付けた。
バッジを受け取ったスパーダの手に、彼女の冷え切った指先が一瞬だけ触れる。
「私は、みんなを信じます。このサーカスの中に、お父様を殺した犯人なんて絶対にいない」
アリシアは、震える声で決然と言い放った。
「あなたがどんなに疑おうと、私は絶対にみんなを守ってみせます。……この話は、私の胸の内に留めておきます。誰かが犯人かもしれないなんて、そんな話でみんなを疑心暗鬼にさせて、無用な混乱を起こしたくないから。……あなたは勝手に捜査を続ければいい。でも私は、お父様が残してくれたみんなの日常を、絶対に守り抜きます」
アリシアはそれだけを言うと、スパーダに背を向けた。
彼女の小さな背中が、重い足取りでテントの出口へと向かっていく。
「……アリシア」
スパーダの口から、無意識のうちに彼女の名がこぼれ落ちていた。
引き止めなければならない。そう頭では分かっているのに、彼女の拒絶の意志があまりにも明確で、伸ばしかけた手は空を切るしかなかった。
ランタンの中でピンク色に光り輝いていたイグニスは、アリシアの深い悲しみと絶望に同調し、シュンと音を立てて火の勢いを弱め、やがて消え入りそうなほど暗い、凍てつくような青色へと変わってしまった。
テントの天幕が持ち上げられ、アリシアの姿が夜の闇へと消えていく。
外からは、まだ何も知らない団員たちの、陽気な宴の笑い声が聞こえてくる。その温かい喧騒が、今はスパーダの孤独をさらに際立たせていた。
誰もいなくなった薄暗いテントの中。
スパーダは一人立ち尽くし、手の中にある王立隠密衛兵隊のバッジを強く、血が滲むほど強く握りしめた。
彼の心に空いた暗く冷たい穴には、夜風が容赦なく吹き込んでいた。




