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幻想白夜のサーカステントで、君と秘密の恋宙ブランコ ~王立国庫査察官に溺愛される、優雅で甘い月夜の巡業~  作者: 団田図


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第10話 恋色に染まる舞台裏

 鉱山街ルベルでの滞在も、いよいよ最終日を迎えていた。


 テントの裏手にある薄暗い備品倉庫を兼ねた執務室で、アリシアは手元の帳簿を見つめ、信じられないものを見るように何度も瞬きを繰り返していた。


「すごい……すごいです、スパーダさん!」


 アリシアは弾かれたように顔を上げ、目の前で腕を組んで立つ漆黒の外套がいとうの男――査察官のスパーダに、キラキラと輝く尊敬の眼差しを向けた。


「ルベルでの初日はあんなに客席がまばらだったのに、昨日の公演はほぼ満席でした! 利益も、これまでの三倍以上出ています!」


 スパーダがこのサーカス団に介入して数日。彼の指導は容赦なく、口を開けば「無駄だ」「非効率だ」と小言ばかりだった。しかし、彼の指摘はすべて的確だった。

 彼が指示した座席の配置変更、ラットリアの広報活動におけるターゲット層の絞り込み、そして機材のメンテナンス効率化による無駄な待機時間の削減。それらは魔法のように見事な結果を叩き出したのだ。


 連日、客数は目に見えて右肩上がりに増え続け、エトワール・メモリアの至高のエンターテインメントは街中で大きな話題となっていた。


「これなら、王都での大公演までに莫大ばくだいな興行税を全額納付するのも夢じゃありません! スパーダさんって、本当に魔法使いみたい!」


 アリシアは帳簿を胸に抱きしめ、まるで欲しかったおもちゃを買ってもらった少女のように、ぴょんぴょんと飛び跳ねて喜んだ。数日前まで重くのしかかっていた解散のプレッシャーから解放され、心からの安堵と喜びに満ちた無邪気な笑顔だった。


「……このくらいで騒ぐんじゃない。なんてことはない経営戦略だ。君たちが今までどんぶり勘定で赤字を垂れ流していただけのことだろうに」


 スパーダは冷たく言い放ちながらも、その口調にはいつものような鋭いとげはなかった。純度百パーセントの称賛と好意を真っ直ぐに向けられ、少しだけ居心地が悪そうに視線を逸らしている。


「ふふっ、ありがとうございます。さあ、明日の水都シアンへの移動に向けて、備品の整理を終わらせちゃいますね!」


 上機嫌のアリシアは帳簿を机に置くと、倉庫の奥にある高い棚へと向かった。そこには、次の公演で使うための魔法の粉や、シルヴィが使う衣装の装飾品が入った木箱が積まれている。


 アリシアは背伸びをして、一番上の棚にある木箱に手を伸ばした。しかし、小柄な彼女の指先は箱の底にギリギリ届く程度で、上手く引き下ろすことができない。


「うーん……あと少しなのに……」


 少し無理をして箱の端に指を引っかけ、グッと力を込めた瞬間。バランスを崩した木箱が、アリシアの頭上に向かって傾いて落ちてきた。


「あっ!」


 思わず目をつむり、肩をすくめたアリシアだったが、いつまで経っても鈍い衝撃は降ってこなかった。

 代わりに、背中からふわりと覆い被さるような、大きな影と温もりを感じた。


「……届かないなら、素直に助けを呼べ。君が怪我をして興行に穴を開けたらどうするつもりだ」


 すぐ耳元で、低く落ち着いた声がした。

 ハッとして目を開けると、スパーダがアリシアの背後から両腕を伸ばし、落ちてきた木箱を軽々と受け止めていた。


 アリシアは彼の腕の中に完全にすっぽりと収まる形になっていた。振り返らなくてもわかる。彼の広い胸板が背中に触れるほど近くにあり、昨日ハンカチから香ったのと同じ、爽やかで清潔な石鹸せっけんの匂いがアリシアを包み込んでいる。


「す、すみません……」


 スパーダが片手で木箱を持ち直し、もう片方の手を棚の縁についた。その時、棚の縁を掴もうとしたアリシアの小さな手の上に、彼の手が重なった。


「ひゃっ」


 ごつごつとした、男らしい大きな手。重い機材を軽々と扱うその手から伝わる確かな熱に、アリシアの心臓がドクンと大きく跳ねた。


「……いつでも俺を使うがいい」


 スパーダは顔を少しだけ下に向けた。振り返ったアリシアの視線と、至近距離で交差する。普段の冷たい査察官の顔ではなく、どこか甘さを帯びた、吸い込まれそうなほど深い瞳だった。


 息がかかるほどの距離で見つめ合い、二人の間に時間が止まったような、甘く張り詰めた空気が流れる。


 その時だった。


 ポォッ……と、倉庫の壁に掛けられていたランタンの中の炎が、不自然なほど明るく輝き始めた。

 照明技師である手のひらサイズの炎の精霊、イグニスだ。彼はアリシアの感情のたかぶりに敏感に反応する。普段は温かいオレンジ色の炎なのだが、あろうことか今のイグニスは、アリシアの心臓の爆発しそうなドキドキを正確に読み取り、目もくらむような「どピンク色」に発光し始めたのだ。


 薄暗かった倉庫が、一瞬にして最高にロマンチックなピンク色の光に包み込まれる。


「えっ!? ちょ、ちょっとイグニス!? なんでピンクなの!?」


 アリシアは顔を火の出るように真っ赤にして慌てふためいた。スパーダも突然の生々しいピンクの照明に目を丸くし、重なっていた手をパッと離した。


「にゃはははっ!」


 さらに不運なことに、頭上の高いはりの上から、猫獣人ねこじゅうじんのチャイのからかうような笑い声が降ってきた。彼はいつの間にかそこに寝そべり、長い尻尾を揺らしながら下を見下ろしていた。


「査察官の旦那とアリシアちゃん、随分いい雰囲気だにゃー! イグニスも空気読んで妖艶な色にしてるにゃ!」


「ち、ちがっ……! 違うのチャイ、これはその、箱が落ちてきて……!」


「熱いねぇ、若いねぇ。邪魔しちゃ悪いからオレは向こうに行くにゃー!」


 チャイはニヤニヤと笑いながら、身軽な動きで梁を伝って倉庫の外へと消えていった。


 残されたのは、異常なまでにピンク色に光り輝くランタンと、顔から湯気が出そうなほど茹で上がったアリシア、そして木箱を持ったまま僅かに固まっているスパーダの二人だけ。


「あ、あのっ! 箱、ありがとうございました! 私、他の備品も確認してきます!」


 耐えきれなくなったアリシアは、高傾斜から放たれたブランコの如く身を翻し、倉庫から逃げるように駆け出していった。


 一人取り残されたスパーダは、ピンク色に照らされた空間で小さくため息をつき、アリシアの温もりが微かに残る自分の手のひらを、複雑な表情で見つめていた。


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