第二章 【50】 魔人③
〈ヒビキ視点〉
「……すう……はあ」
何度か深く、深呼吸をして。
先ほどの会話の間も、ずっと練り上げていた魔力を、体内に循環させる。
ズッ……ズズッ……と。
魔人の出産という、大役を終えたあと。
ろくに養分を補給できていないためか。
見上げるほどに巨大な魔樹が、悲鳴じみた鳴動をあげる、地下空間において。
魔獣たちに囲われた、闘技場の内側で。
向き合う二人と、一体のうち。
「……しゃあああ、いっくぜエえええええッ!」
初動をとったのは。
漆黒の西洋鎧を纏う半血鬼であり。
全身と、両手に構える片手剣が、濃密な血色の魔力で覆われている。
アブラヒムが体得している種族魔法、操血魔法のひとつ。
全身の血流や血圧を操作することで、肉体性能を飛躍的に上昇させる〈狂乱踊血〉の発露であった。
「うおラああああああアアアアアッ!」
当然ながら。
生物という精密機械に莫大な負担をかけるそれは、使用者の体力を著しく消耗させ、目や鼻などの粘膜が破裂して、出血すら促す。
引き換えに、得られた身体能力は、爆発的であり。
視認すら難しい高速の斬撃を、飛翔剣を交えて繰り出す、アブラヒムに対して。
「あああぎああああっ!」
こちらは二本の装甲腕と、二本の鎌腕を、器用に振り回しながら。
計四本となる魔剣に、魔人はその場から一歩も引かずに対抗する。
その間に。
(今だッ!)
ドンッ、と己の拳で胸元を殴りつけて。
ヒビキは己の体内に宿る、魔道具に語りかけた。
(目覚めやがれ、〈天聖宝珠〉ッ!)
人類学的にヒビキが分類されている鬼人に、創造神から種族魔法として授けられた〈解放魂魄〉とは、高位の魔獣などから採取した魔晶石に宿る魂の残滓に、己の魂を共鳴させて、その力の一部を借り受けるというものだ。
そしてヒビキは肉体こそ、豚鬼であるものの。
本質は勇聖教会によって生み出された、人造生命体であり。
生まれながらにして体内に、教会が天聖宝珠と名付けた、対象に『魂を定着させる魔道具』を有している。
本来ならば、それは。
異世界から召喚された魂を、この世界に定着させるための『器』であり。
しかしヒビキはそこに、自分以外の『誰か』が混じっていること、すでに察していた。
であるならば。
(勝手に俺の中に住み着いてやがんだ、家賃くらい払いやがれえええええっ!)
原理としては、他者の魂と共鳴して、その力を引き出す〈解放魂魄〉の延長であり。
ヒビキは己の内側に宿る魔道具から、自分以外の『何者か』の力を、引き出すことに成功している。
物質世界の、もうひと階層下に存在する、精神世界。
さらにその下に存在する根源世界の『誰か』と。
繋がって、魔力線を設けることで。
ズオオオオオッと、防水壁の水栓を開いたかのように。
大量の魔力が、身体の内側から溢れ出してきた。
(んぎぎぎぎぎぎっ!)
一方で、身の丈に合わない力というものは、所有者の身体を蝕む猛毒でもあり。
一瞬でも気を緩めれば手足が破裂して吹き飛んでしまいそうなほどに、体内で荒れ狂う魔力を、ヒビキが御せる時間は短い。
もって十秒から、二十秒といったところ。
戦闘で用いるには、まだまだ練度が足りないが。
たった一撃に臨むだけならば、十分過ぎる時間である。
(い、くっ、ぜええええええっ!)
全身から湯立つような蒸気と、魔力を迸らせながら。
大地を蹴ったヒビキに合わせて、アブラヒムも攻勢を強めた。
「――ッらアッ!」
目にも止まらぬ速度で乱舞していた飛翔剣が、それぞれ魔人の装甲腕の関節を貫き、空中に縫い留めて。
ギギインッと、左右の片手剣で。
頭上の鎌刃を、同時に弾き飛ばしたのちに。
先ほどの意趣返しだ、とでも言わんばかりに。
至近距離から全力の前蹴りを、見舞おうとした半血鬼に対して。
「――にひいっ!」
ゾルルルッ、と伸びてきたのは。
魔人の尾骶骨あたりから生えた蠍尾であり。
鋭利な先端が猛烈な勢いで、見事に、西洋鎧の胴体を貫いた。
「――ッ!?」
それでも魔人が、驚愕の表情を浮かべた理由は。
歯を食いしばるアブラヒムが、体内で発動した魔能、〈操血硬皮〉によるものだった。
体内の血中成分と濃度を操ることで、鋼鉄すらも上回る強度を得た血液による皮膜により、奇襲を防がれた魔人の胴体に、今度こそ半血鬼の正面前蹴りが突き刺さる。
「――ぐへえッ!?」
たまらず、姿勢を崩した魔人に向かって。
アブラヒムの横を駆け抜けたヒビキが、そのまま魔人の真正面へと突貫した。
(――一ッ!)
まず対象に触れたのは、手のひら。
ズンッ、と暴力的な魔力をもって、相手の魔力抵抗を貫通させて。
(――二ッ!)
そのまま手のひらを滑らせて。
前腕が、対象に触れたことで。
さらにズズンッと、体内に撃ち込まれる魔力が上乗せされて。
(――三四ッ!)
そこから流れるように、後腕、肩と。
対象に触れるたびに、破壊的な魔力を打ち込み続けて。
(――五ッ!)
最後に背面を、密着させた瞬間に。
ヒビキは残る魔力を全て、全力で対象に叩き込んだ。
(――〈連撃、衝波〉おおおおおっ!)
本来ならば一撃で完結する工程を。
幾重にも重ねがけすることで。
その破壊力を『掛け算』ではなく『乗算』として跳ね上げる魔技は、今のヒビキに出せる最大火力であり。
「……ぎいっ」
計四回分の〈衝波〉と、トドメの〈圧壊衝波〉を。
乗算方式で同時に叩き込まれた魔人は。
「いいいいいい――――ッ!」
絶叫をあげて。
バボボボギギバギバギッ、と全身から歪な音を鳴らしながら。
関節の一部や、穴という穴から、青い体液を撒き散らしつつ。
遥か後方へと、吹き飛んでいく。
『ギイイッ!?』『キイキイキイッ!』『グルゴアアアアッ!』
それに慌てふためいたのは。
勝負の行方を見守っていた、ヒビキたちを包囲する魔獣たちであり。
『――キイキイッ! キイッ!』
それらの指揮官であるらしい最後の擬蟻人は、ほとんどの魔獣を、吹き飛んでいった魔人の元へ向かわせながら。
『キイイイイイッ!』
自らは、一部の魔獣を引き連れて、ヒビキたちへと特攻してきた。
(あ……まずっ!)
押し寄せる魔獣たちを前にして。
反射的に、迎撃の構えを取ろうとしたものの……
ガクッと、全身から力が抜けて。
姿勢を崩し、地面に片膝をついてしまう。
(反動が、思ったよりキツい!)
すでに〈解放魂魄〉は解除しているものの。
前日から戦い通しだった肉体が、負荷に耐えきれていない。
「……かはッ!」
同じく強制強化による、負荷から。
息も絶え絶えといった様子のアブラヒムが。
それでも無理矢理に、片手剣を構えようとしたところで……
「おいおい、そいつは流石に、野暮ってもんさね!」
迫り来る魔獣たちと、ヒビキたちの間に。
颯爽と、割り込んできたのは。
「ハオ! 戦士の戦いに水を差す、無粋の極みヨ!」
彼女たちも遠巻きに、成り行きを見守っていたのであろう。
頼もしき、女蛮鬼と冒険者の姿であった。
「ハミュットさん! バオさん!」
「……おイおイ、ハイエナどもがア、美味しいとこだけもってくンじゃねえよオ」
「はんっ、そんだけ減らず口が叩けるなら、大丈夫そうさね!」
「子供の尻拭い、大人の役割ヨ! ここは任せるネ!」
そうした、女蛮鬼の大戦士と。
高位階梯の冒険者による、活躍によって。
半魔人の率いる魔獣の特攻部隊は、速やかに殲滅されて。
一分も経たないうちに、その場には。
魔族の死体が散乱するだけとなった。
戦場に再び、静寂が訪れる。
「……これで残るは、あっちのぶんだけだけど」
「どうするネ、ヒビキ? アブラヒム? 敗者の処遇決める、勝者の権利ヨ」
ハミュットとバオの見つめる先には。
先ほどヒビキが吹き飛ばしたまま、立ち上がる様子のない魔人の姿があって。
それを背に守るようにしてこちらを威嚇する、魔獣たちの残党があった。
「……ぶっちゃけエ、俺サマとしちゃア、アレだけきっちりカタあハメた相手にトドメってのはア、ガラじゃねえンだけどなア」
「でも相手は、魔人ですからね。悪いですけど、容赦はできませんよ」
たとえ本人に、悪意というものが無かろうとも。
生存戦略において敵対する存在を、見逃しておけるほど、人類にはまだ余裕がない。
「あいつは危険過ぎます。ここで確実に、仕留めるべきです」
ヒビキの判断はもっともであり。
処遇を委ねたハミュットも、バオも。
若干不服そうな表情を浮かべる、アブラヒムも。
否定の言葉を口にすることはなく。
それぞれが無言のまま、こちらを威嚇する魔獣たちに足を向けたところで。
……ズンッ!
と、その場の魔力濃度が、一気に上昇した。
(なん、だっ……この、ふざけた魔力圧は!?)
あまりに膨大な魔力圧に押されて。
その場から、動くことすらままならない。
地上よりもよほどに高い、高密度の魔力に満たされていたはずの地下空間が。
先ほどのまでのそれが、まるで浅瀬であり。
一気に深海に引き摺り込まれたかと錯覚するほどに膨大な魔力が。
世界を、満たしていた。
「……いかん! メメ、トト、すぐにあの者たちをここへ!」
やや、離れた場所から。
声を荒げたのは、自分たちの帰還を待っていた最後の転移者である女族長であり。
護衛である双子姉妹が、慌ててこちらに駆け寄ってくるものの。
それよりも早くに。
ズッ……ズズズッ……と。
ヒビキたちの目の前の空間が。
歪んで、撓んで、軋むことで。
異なる空間と連結された向こう側から、新たな人影が、この場に姿を現した。
「……ッ!」
それは煮え滾る激情を封じ込めたような、紅蓮の瞳と髪を宿した、精悍な顔つきの男であり。
その背後に続くのは、空間を歪めている術者であるらしい、生物として歪なほどに胸部を膨らませた、妖艶な女の姿であった。
だが、いくら姿形が、人類のそれに似ているとはいえ。
本能が、理解してしまう。
あれは自分たちと、同じ存在ではない。
蟻と象が、生まれた時点で生物としての格が異なっているように。
あれは自分たちとは、根底から異なる存在。
創造神が与えたもうた、人類にとって最大級の試練のひとつ。
先ほどまで目にしていた、産まれたての、赤子のような『魔人』ではなく。
膨大な経験と、それを乗り越えてきた実力に、そうして育まれてきた知性を宿した、正真正銘の『魔人』であると。
直感してしまった。
勝てない。
あれに勝てるはずがない、と。
(ヤバいヤバいヤバいヤバい、無理だ! あれには勝てない! たとえ万全の状態でも、今の俺じゃあ太刀打ちできねえ!)
そうしてヒビキが思い出すのは、およそ一ヶ月ほど前。
かつても己が土俵に立つことさえ許されなかった、師匠と聖人の決闘であり。
そのとき、ヒビキが選んだ行動は……
(……逃げる! それしか、生き延びる道はねえ!)
たとえ無様でも。
あとで臆病者と罵られても。
ヒビキが選んだのは、生へと繋がる選択だった。
「……貴様らか」
それを。
「我が同胞を、痛めつけた下郎どもは」
紅蓮を蓬髪にした男の放つ声音が。
そこに込められた、ありありとした怒りが。
無情にも。
(……ッ!)
自分たちに撤退など許さないと。
一瞬で、悟らせたのだった。
【作者の呟き】
豚鬼の新技は『二重⚪︎極み』とか『釘パン⚪︎』みたいなものだと、イメージしていただければ。




