第一章 【24】 聖浄騎士④
〈カエデ視点〉
「……はあ……はあ……はあ」
「……ん、ん〜? もう、気は済んだのかな〜? 雌ギツネちゃあ〜ん?」
それから、小一時間ほども。
森の中を、駆けずり回って。
大樹に背を、預けた状態で。
とうとう動けなくなってしまった、狐人のクノイチ……カエデは。
満身創痍といった、有様である。
(……流石に……もう、限界、ですか……)
他者に、己の魔力を注入することで。
肉体には、負荷や損耗を。
魔力には、阻害や減衰を強いる。
干渉魔法の一種、呪詛魔法。
その使い手である、聖浄騎士の爪痕が。
全身の、至る所に。
刻まれていた。
(身体が……燃えるように……熱い……手足が言うことを、聞いてくれません……)
もはや右腕と左足は、己の意思で動かせず。
ただただ、神経を鑢で削るが如き激痛を。
生み出すだけの存在と、なっていた。
それ以外の斬り傷も。
尋常ならざる、熱と痛みを帯びており。
垂れ流しの、出血量も災いして。
クノイチの肉体はすでに、魔能による誤魔化しすら効かない状態まで、追い込まれていた。
(それに……囲まれて、しましましたね……)
億劫に、視線を持ち上げれば。
半死半生の、カエデの頭上には。
獲物の死期を待つ、禿鷲のように。
三体の人造天使が、旋回しており。
さらに周囲には、増援として駆けつけた。
浄火軍の兵士たちが、見てとれた。
(……ここまで、ですね)
逃げ場はない。
完全に、詰んでいる。
とはいえ、時間は稼いだ。
拠点からは十分に、引き離したし。
逃走の途中で、共鳴板など。
仲間の手がかりに、成り得るものを。
廃棄することも、できた。
となればあとは……
自らを、処するのみ。
(南無っ!)
最期の力を、振り絞って。
カエデは、握り締めていたクナイを。
己の喉元に、突き立てようと……
「……ダ〜メっ♪」
高速で繰り出された、刺突剣が。
クナイを握っていた左手を、貫通。
背後の樹へと、縫い付けた。
「……あっ! ぐうっ!?」
「きゃはははっ! んもう、ダメダメっ、ダあ〜メだよっ! 今さらだよお! 遅すぎだよお〜っ! 自決したいんなら、ここまでに何度でも、やるタイミングがあったよね? でもそれをしなかったのは、キミじゃないか。きゃはははっ! ざあ〜んねんっ、もう死なせてなんて、あげないよお〜っ♪」
「……っ!」
改めて。
聖浄騎士から、指摘されるまでもなく。
機を逃し続けていた、自覚はある。
もう少し、時間を稼いでから。
もう少しだけ、敵を引きつけてからと。
選択の機会が、訪れるたびに。
そうした言い分が、脳裏を過ぎって。
結論を、先延ばしにしてしまった。
その結末が、現状である。
(……拙は……拙は……)
無論。
それらは全て、正論であり。
拠点から、聖浄騎士を引き離すという。
カエデの目論見は、成功していた。
その一方で。
(なんと……愚かなのでしょうか……っ!)
それが、本音でないことぐらい。
自分自身が一番よく、理解している。
(拙が、こんなにも女々しい、『女』だったとは……っ!)
知りたくなかった。
考えたことすらなかった。
まだ、名前もない。
魂が宿っているかすら不明瞭な、息吹を。
己の胎に宿しただけで、こんなにも。
未練がましく、なるなんて。
優先すべき、大義よりも。
我が子の命を。
惜しんで、しまうだなんて……
(……拙は、クノイチ失格ですっ!)
これではもう、あの小さな聖人を。
子煩悩だと、笑うことなどできやしない。
「……くっ、殺せっ!」
「きゃははは、殺さない、殺さないよおっ♡ んもう、わかってるくせに〜っ♪」
呪詛魔法の使い手である、聖浄騎士が。
命を、奪う気がないことは。
カエデも気付いていた。
なにせ他国に繋がる、貴重な情報源だ。
それを生け捕りにしたいと、思うのは。
不思議なことでは、ないだろう。
だからこそ、聖浄騎士はこうして。
増援による包囲網が、完成するまで。
獲物を泳がせて、いたのだし。
それを理解した上で、カエデは。
命を賭して、哀れな逃走者を。
演じていたのだ。
「大丈夫大丈夫。教会の治癒士たちは、とお〜っても優秀だから、さ。もう死にたくても、死なせてもらえないよ〜? それに拷問官も優秀なんだから、無駄な苦痛を味わう前に、とっとと情報を吐いちゃってね〜? そしたら早めに、牧場に連れて行ってもらえるからさ〜♪ きゃはははっ!」
「……」
だからこの結末に、悔いはない。
己の命に、未練などない。
ただ、詫びる。
もはやこの腕に、抱くことが出来ないであろう、小さな命に。
そして、それを授けてくださった。
敬愛する、主君に。
(……ごめん、なさい……っ!)
瞼を強く、閉ざして。
込み上げるものを、無理やりに、押さえつけようとする。
狐人の、悲痛な葛藤など。
まるで無視して。
「……」
ふと、気づけば。
寸前まで。
狩人の愉悦を浮かべていた聖浄騎士から……ストン、と。
感情が、抜け落ちていた。
「…………」
その視線は、刺突剣によって。
樹に縫い付けられた、カエデの左手首。
一部が血に、染まってしまった。
刺繍編輪に、注がれている。
「……なんで?」
「……くはっ!」
能面じみた、無表情のまま。
カエデの細首を、喉輪して。
強引に、背後の樹へと。
押さえつけた、聖浄騎士は。
「……ねえ、なんでなの?」
ズブリッ、と。
カエデの手首を、貫いていた。
刺突剣を、引き抜いて。
そのまま編輪を、切断。
「……なんでなんでなんでなんで……」
そして、スルスルと。
切先に引っ掛けた、編輪を。
刺突剣の根本まで、滑らせると……
「……んあむ」
唇で咥え。
舌で引き込んで。
ムシャムシャと、咀嚼した。
「……ああ……やっぱり……この味……この臭い……この不快な、舌触り……色が変わっているけど、間違いないっ!」
ギンッ、と。
感情を取り戻した、聖浄騎士の瞳には。
(……ッ!? な、何事ッ!?)
死を覚悟した、クノイチをして。
圧倒するほどの『狂気』が。
燃え盛っていた。
「……どこだッ!? どこだどこだどこだよどこだどこ何処何処どこおおおおおおッ!?」
メシメシッ、と。
握り締めた喉を、圧迫しながら。
瞳孔を見開く、聖浄騎士が。
激しく、唾を飛ばした。
「何処だッ!? あいつは、どこにいる!? あのクソ売女はいったい、どこにいるんだッ!? っていうか、出せッ! 今すぐ差し出せよおッ! さあ、さあさあさあさあさあさあさあさあ今すぐにほらここにアイツを連れて来いって、言ってるんだよオオオオオッ!」
「……くっ! かはあっ!」
答えろ、と言われたところで。
こうも喉元を、圧迫されては。
悲鳴すら、漏らせない。
「ちょ、ダリアさん!?」
見かねて。
増援部隊と一緒に、合流していた。
先の遭遇現場にいた、青年神官が。
聖浄騎士に、呼びかけるものの。
「このままではせっかくの情報源が、台無しになってしまいます! とにかく、落ち着いてください!」
「うるさい黙れえッ!」
仲間の静止すら、振り払って。
目を血走らせた、聖浄騎士は。
憎悪に塗れた言葉を、垂れ流す。
「言えッ! 言え言え言えッ! どこだどこだ、何処にいる!? あの白豚は、どこに隠れてるんだよおッ!? ねえ、教えてよお! イジワルせずに、教えておくれよおっ!」
「……こっ……かひゅっ」
喋れ、答えろ、と。
威圧的に、懇願しながらも。
喉を締め付ける圧力は、強まるばかりだ。
完全に、矛盾している。
(く……狂って……っ!)
常識が、通用しない。
正論が、成り立たない。
目の前の、聖浄騎士の精神が。
木っ端微塵に、破綻していることを。
カエデは改めて、確信した。
そして直感する。
(……も、もしや……こやつの狙いは、拙たちではなく、マリアン殿……っ!?)
だとすれば、尚更に。
恩義ある、聖人にとって。
不利と成り得る、情報を。
自分が、漏らすわけにはいかない。
このまま首の骨を、砕いてもらえるなら。
いっそ、好都合だ。
「……くっ、駄目です! 完全に、暴走しています!」
そうして薄れゆく意識のなかで……
視界の片隅に。
先ほど拒絶された、青年神官が。
険しい表情を、浮かべながら。
腕を伸ばして。
重ね合わせた両手に。
魔力を、収束させていた。
「ならば……致し方、ありませんっ!」
ただしその、手のひらは。
敵である、自分ではなく。
仲間である、聖浄騎士へと。
向けられており……
「……ダリアさん、恨まないでくださいよっ! 主よ、荒ぶる御霊を鎮めたまえ――〈主は沈黙を尊ばれる〉!」
大和国で育まれた、忍術のように。
勇聖国独自の、魔法体系である。
聖術を唱えると。
「……んアアアアアあああッ!」
落雷にでも、打たれたかのように。
狂乱寸前だった、聖浄騎士が……ビクビクンッ!
痙攣するかのように、何度も跳ねて。
白目を剥きながら、崩れ落ちた。
「……あ……うあ……」
口から、泡を吹いて。
うわ言を漏らす、聖浄騎士は。
完全に、気を失っている。
「ろ、ロメオ様?」
「それは一体……」
「……保険、ですよ。彼女は元より、精神面に不安を抱えていましたからね。それを制御するために、教会が施しておいた制御魔法です」
動揺する兵士たちに、説明しながら。
気疲れした様子の、青年神官が。
この場に集った、十名ほどの。
浄火軍を見渡して。
「……他に、増援は?」
「いえ、それが……森のあちこちに、黒兎どもの痕跡が、見つかっているようでして……」
「一箇所に戦力を集中することはできないため、今ここに集合できるのは、我々で精一杯かと」
「……はあ。ならばやはり、『コレ』を使えるようにしておかなければ、不味いですよねえ……」
苦々しく、嘆息しながら。
「よろしい」
顔を上げて。
テキパキと、指示を下していく。
「では私は、あちらの荷台で、ダリアさんの治療を行いますので……そこの貴方と貴方は、彼女を運ぶのを、手伝ってください」
神官は、二名の兵士たちを指名して。
気絶した聖浄騎士を、回収させつつ。
停車させていた、幌馬車へと。
足を向ける。
「あとの方々は……そうですね。その間に少しでも『アレ』から、有益な情報を、引き出しておいてくださいね。勿論、絶対に死なせてはなりませんよ?」
そして、立ち去っていく神官たちと。
入れ替わるようにして……
「……へへっ。まあ、そういうことなら仕方ねえよな」
「ああ。こちとらご無沙汰なんだ」
「血塗れってのはあんまり趣味じゃねえけど……このツラなら、まあ問題ねえか」
欲望の箍が、外れたのだろう。
下卑た情欲を、隠そうともしない。
浄火軍の兵士たちが。
「おい、最初から口を使うなよ」
「調教されてねえ野良は、平気で噛みつきやがるからな」
「面倒臭えなあ……いっそのこと先に手足、斬り落とちまうか?」
地面に倒れ伏す、カエデに向かって。
乱雑に、服をはだけさせながら。
下卑た笑みを浮かべて、近づいてきた。
(このっ……下衆、どもめ……っ!)
身に迫る、貞操の危険に。
獣毛を逆立て、睨みつけるものの。
呪詛魔法に蝕まれた、カエデの肉体には。
理不尽に抗う力など、残されてはいない。
(この……身体さえ、動けば……っ!)
通常であれば。
術者からの魔力供給が、絶たれた場合。
解除されるはずの、干渉魔法であるが。
聖浄騎士による呪詛は、何故か。
復調の兆しを、見せていない。
(これが、あの聖浄騎士の、固有魔法……っ!)
聖浄騎士の、基本設計として。
魔力改造によって、素体となった人間は。
その身に宿る、勇者由来の能力を。
最大限に、高めているのだという。
となれば、おそらくは。
従来の法則に当てはまらない、この特殊な呪詛魔法こそが。
あの聖浄騎士が開花させた、固有魔法。
だからこそ、あの青年神官は。
回復の見込みがない、カエデを。
あっさりと放置、したのだろうし。
事実、指先すら動かせないクノイチは。
迫る獣欲から、逃れることができない。
(……だとしても、せめて、忠義だけは……守り抜いて、みせますっ! 拙の心は、お館様だけのものですっ!)
じきに始まる、陵辱を前にして。
せめてこの想いだけは、貫こうと。
カエデが、悲壮な覚悟を固めると……
「……ぶッぎいいいいっ!」
そんなもの。
許さないと、言わんばかりに。
怒れる豚鬼の、咆哮が。
森に、響き渡ったのだった。
【作者の呟き】
カエデさんはヒロイン枠ではありませんが、主人公が遅れて現れるのは、様式美ですので。




