第一章 【12】 魔生樹④
〈ヒビキ視点〉
人里離れた、森の中に。
数メートルの、距離を置いて。
対峙して睨み合う、豚鬼と擬似樹の、姿があった。
「……こおおおッ、ほおおおおッ!」
『ウボオオオ……オアアアアアッ!』
魔生樹の目前で、繰り広げられる。
挑戦者と番魔獣の、戦いにおいて。
先手を取ったのは。
『ボオオオ……ウボオオオオオッ!』
頭部の人面じみた、樹洞穴から。
悲鳴のような、鳴き声を木霊させる。
直径が三メートルを超える、人型を模した。
奇怪なる、番魔獣であった。
『ボオオオオオッ!』
ゴオオオッ、と。
風を、引き裂いて。
振り下ろされる、古木のような見た目をした、魔獣の腕が。
魔力を纏うことで。
岩石並みの、硬度を宿す。
「ブッ……ギいイイイイイッ!」
同じくこちらも、魔力を纏うことで。
鋼鉄と化した、両腕を。
頭上で、交差させることで。
ズンッ……と。
大股を開いていた、両足が。
大地に、めり込んだものの。
番魔獣の殴打を、ヒビキは見事に、耐えきってみせたのだった。
(クッソ……重てえ、なあッ! よく燃えそうな枯れ木のクセして、中に鉄骨でも、仕込んでやがんのか!?)
とはいえ、ビリビリと。
魔力を込めた両手は、痺れている。
力試しとして、まずは一発。
受け止めてはみたものの。
何度も、これに耐えることは。
正直、利口とは言い難い。
『ウボオオオッ! ボオオオオオ……ッ!』
番魔獣としても。
小さな獲物の抵抗が、癇に障ったのか。
人面じみた頭部から、怒りの咆哮を噴出しつつ。
人型を模した、左右の手を、振り回して。
交互に、大質量の連打を。
放ってきた。
(ヤロウ……デクノボウの分際で、キレ散らかしやがって! しゃらくせえッ!)
先の一撃で、敵の馬力は確認できた。
力押しで、勝てないことはないと思うが。
真っ向から、それと力比べをするのは。
非効率だと、判断して。
「……ブぎッ!」
ヒビキは両足を、地面から引き抜きつつ。
武の構えを、防御を主とした『山式』から。
回避を主とする『風式』へと、切り替えた。
(ブンブンと、景気よく、ぶん回すのは勝手だがよお! ンなもんにわざわざ、付き合ってられるかッ!)
魔力鍛錬を開始して、早々に。
魔力の扱いが、不得手であると。
師事する鬼人……テッシンから。
言い渡された、ヒビキは。
複雑な魔力操作技能が必要とする、魔術や。
武器を必要とする魔技などを、切り捨てて。
己の長所である、肉体を活かすための、魔能や体術を。
戦闘の主軸として、仕込まれてきた。
そのひとつとして。
テッシンが修めている『ライヅ流』に、基礎として伝わる、『風林火山』の構えがある。
速度においては『風式』を。
隠密においては『林式』を。
火力においては『火式』を。
防御に追いては『山式』と。
状況に応じて、それらの戦術を。
切り替えることのできる、ヒビキが。
此度、選択したのは。
速度重視の『風式』であった。
(……シッ!)
どっしりと。
重心を落としていた、『山式』とは対照的に。
踵を浮かせて、俊敏性を保ちつつ。
体内で発動させている、魔能の配分も。
構えに適した、比率へと。
供給魔力を、調整する。
(〈増強〉が二割、〈加速〉三割、〈感応〉四割に、余力を一割っと!)
体内に形成された、魔力経路が。
多重発動して、絡み合うことで。
雑音が、遠ざかり。
視界から色が、抜け落ちて。
ゆっくりと流れる、景色の中で。
目に映る、敵の動きだけでなく。
肌に感じる、空気の流れや、魔力圧。
鼓膜から聴き取る、立体的な位置関係や。
鋭敏化した嗅覚によって得られる、情報などに。
師匠から、実践形式で叩き込まれた、数多の戦闘経験を。
加味することで。
(……そこッ!)
敵の繰り出す、攻撃の軌道を予想して。
肉体を安全圏へと、滑り込ませていく。
結果。
『ウボオオオッ! ボオオオッ……ウボオオオオオオンッ!!』
ひらひら、と。
暴風に舞う、木の葉のように。
手の届く距離にありながら、掠りもしない、豚鬼の存在に。
巨樹の人型は、相当に。
苛ついているようだった。
徐々に、攻撃が大振りに。
単調に、なっていくことで。
ヒビキの、付け入る隙が生まれる。
(――今だッ!)
切り替えは一瞬。
瞬き以下の、時間で。
体内の魔能比率を、回避の『風式』から。
攻撃の『火式』へと、組み替えたヒビキは……ズダンッ!
打ち上げられた、砲弾のように。
大地を蹴って、飛び上がり。
暴れ狂う番魔獣の、丸太のような両腕の隙間を、縫うようにして。
一直線。
「ぶッ……ぎイいいいいいッ!」
巨人の胴体に、背中から。
ぶち当たる。
(とっておきだッ!)
その姿は。
前世の八極拳における、鉄山靠。
厳密には、術理が異なるのだが。
転生者が、そのような感想を抱いて。
テッシンが弟子に、〈衝波〉を超える鬼札として、伝授したのが。
現在のヒビキにおける、最大火力の魔技。
名を、〈圧壊衝波〉という。
(くたばり……やがれえええええッ!)
単純に。
対象との、接触面積が。
前者のそれよりも、大きくなるため。
必然として。
対象にかかる、物理的な負荷と。
魔力的な圧力も、激増する。
つまりは……
『……ウボアアアアアッッッ!』
ズバアアアアンッ……!!
あたかも、幼子の無邪気によって。
無慈悲なる暴力で吹き飛ばされた、砂山のように。
自身の半分ほどしかない、豚鬼から。
反撃を受けた、擬似樹は。
呆気なく。
上半身を、粉々に。
爆散、させたのだった。
(……うっし!)
確かな手応えを、感じつつ。
巨人の胴体に、魔技を叩き込んだヒビキは。
姿勢を崩すことなく、着地して。
即座に振り返つつ、念の為に。
残心の姿勢をとるものの……
(……うん、確実に仕留めた!)
上半身を吹き飛ばされた、番魔獣が。
再び動き出す、気配はない。
(あとは残る魔獣を掃討して、魔生樹から魔晶石を抜き取れば――うえいっ!?)
直後に、グルンッと。
世界が、反転。
否、ヒビキの視界が百八十度ほども、『回転』したのだ。
(はっ!? え!? なんでっ!?)
一瞬の混乱。
しかし――戦場で心を乱すのは死と同義である、と。
懇々《こんこん》と、痛みを伴って。
教え込まれた、師の教えが。
目の前の恐慌を、上回ったことで。
(……ああ。なるほど、そういうことかいッ!)
ヒビキはすぐさま、冷静に。
自身の現状を、把握して。
己の勘違いを、理解した。
(クソッ、まぎらわしいなあッ! 『あっち』が、本体かよッ!)
いま、こうして。
自分の足首に、巻きついて。
身体を空中へと、吊り上げながら。
ブンブンと景気よく、振り回してくれているのは。
地面から、飛び出した。
巨大な、植物の『根』であり。
そしてヒビキが討伐した『つもり』になっていた、番魔獣とは。
十メートルほども先にある、魔生樹の太い幹に、巻き付いていた……
しかし今は、『擬態』をやめて。
ゆるりと、鎌首をもたげている。
大蛇のような奇形樹の、『分体』であったのだ。
(擬態樹って、そういうことかよ!)
先ほどの、巨大な人型も。
地中から這い出た、触手も。
全ては本体に繋がる、末端に過ぎない。
目立つ巨人で、獲物の気を引いて。
あからさまな隙を、作り出し。
地中から忍ばせた触手で、捉えることが。
あの狡猾なる番魔獣の、常套手段なのだろう。
しかもこの触手には、捕縛した対象の。
魔力を吸収する効果まで、あるようで。
(……クソッ! 思うように、魔力が練れねえ!)
物理的な、拘束と。
魔力的な、減衰によって。
空中に囚われた、間抜けな豚鬼は。
醜態を、晒さざるを得なかった。
『ブシュララララ……ッ!』
そうした獲物を、嘲笑うように。
擬態を解いた奇形樹は……かぱあ、と。
さながら、毒蛇の如く。
鎌首をもたげた先端を、裂いたうえで。
シュウウウッ……、と。
口腔から、濃緑の煙を、吐き出して。
さらには、その内部に生やした、無数の突起からも。
ジュウジュウ、と。
地面に悪意を、滴らせていた。
(んんんっ! まっずい!)
あきらかに、それらは。
猛毒に、類するものである。
そして手足を拘束した、獲物に。
本体である、樹毒蛇が。
ゆっくりと、距離を詰めてくる意味を。
理解できぬ、ヒビキではない。
(なっ……めんなああああああっ!)
それでも。
たとえ、四肢が拘束されようとも。
多少の魔力阻害を、受けようとも。
必死に肺を、膨らませて。
体外魔力を取り込み。
体内魔力を練り上げる。
(この程度でッ、諦めて……たまるかよおおおおおっ!)
少なくとも。
見届け人である狐人……カエデは。
まだ、手出しをしていないのだ。
「……っ!」
彼女のしては珍しい、険しげな表情で。
狐尾をパンパンに、膨らませながらも。
じっと、ヒビキの抵抗を。
見守っている。
(……ッ!)
であるならば、まだ。
終わってなどいない。
カエデは、ここから逆転できると、信じてくれているのだ。
その期待を、裏切るような真似を。
できようはずもない。
(上等だッ! 手足が使えねえんなら、噛みついてでも、抗ってやるよッ!)
テッシンとの訓練で、何度となく。
手足の骨など、粉砕されてきた、ヒビキである。
この程度の窮地で、心が折れるようならば。
そもそも、今日この場に立つことなど。
許されてはいない。
(こちとら伊達に、立派な鬼牙を、生やしてねえんだよ! 慣れるまで散々と口の中を血だらけにしてくれたんだ、鋭さは保証してやるぜッ!)
下顎から突き出した、ふたつの鬼牙を。
ガチガチと、カチ鳴らせて。
威嚇する、ヒビキに対して。
『ブシュルルルッ……』
恐怖を、煽るようにして。
先端から、毒樹液を滴らせながら。
じりじりと、距離を詰めてくる番魔獣。
そんな両者が、接触しようとした――
寸前である。
――ギンッ!
と。
世界が、凍りついた。
(……ッ!?)
そう、錯覚してしまうほどに。
圧倒的で、濃密な。
溺れるほどの、魔力圧である。
おそらくは魔法どころか、精錬魔力としてすら、圧縮すらされていない。
感情の昂りによって、溢れ出しただけの。
絶対強者による威圧。
そんなものが、一瞬。
ヒビキの鼓動を、静止させて。
「……ぷはあ!」
暴風のように。
凍てつく波動が、『通過』したのちに。
慌てて肉体は、機能を取り戻したのだった。
(……はあ、はあ、な、なんだったんだ今の……殺気ッ!? でも、誰の――)
必死に、呼吸を繰り返しながら。
思考を、回転させる。
までもない。
(――い、今のって、まさか……っ!?)
考えるまでもなく。
直感として、理解できる。
それこそ、生まれる以前から。
この身を、包み込んでいた。
慣れ親しんだ、魔力である。
だけど、以前は暖かな木漏れ日のように、感じていたそれが。
密度を変えて。
敵意を加えれば。
こんなにも凶悪な重圧に、なることを。
ヒビキは初めて、思い知った。
思い知らされた。
『シュ……ブシュルルル……』
余波を受けた、ヒビキですら。
そのような、有様なのだ。
それをまともに浴びてしまった、番魔獣に。
もはや、抗う気概など。
残されている、はずもなくて。
『……シュウ……』
ポッキリ、と。
毒樹液を滴らせていた、突起以上に。
心が折れてしまったらしい、擬似樹は。
見る間に、萎びて。
収縮していく。
「……」
その過程で。
触手から、解放されて。
四肢の自由を取り戻した、ヒビキは。
『……シュルルウ……』
完全に、生気を失って。
力無く萎れ落ちた、蛇型の頭部に向かって。
「……なんか、ごめんな」
心からの、謝罪を述べながら。
せめてもの、手向けとして。
己の拳を、振り下ろしたのだった。
【作者の呟き】
ママ「い、一歩も、動いていませんから!」




