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アイドルとは!  作者: Aramaki_mai
第一章 誕生
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第6話 見習いちゃん

挿絵(By みてみん)

照明が落ちても、拍手は止まらなかった。ナツに手を引かれ、ひよりは暗い舞台袖へ入った。リオもすぐ後ろから戻ってくる。客席から声が追いかけてきた。


「見習いちゃーん!」


ひよりは肩を跳ねさせた。振り返りそうになって、やめる。もうステージは見えない。黒いカーテンの向こうで、まだ青い光が揺れているのが少しだけ見えた。


「お疲れー!」


ナツが繋いでいた手を離し、そのままひよりの背中を叩いた。


「すごかったじゃん!」


「……何がですか」


「何がって」


ナツが笑う。


「全部」


ひよりは返事ができなかった。身体中が熱く、胸がまだ上下している。髪を留めたピンの下から汗が耳の横へ伝う間にも、さっきの自分が浮かんできた。客に向かって手を伸ばし、耳に手を当て、ハートまで作っていた。知らない男の人が失敗したハートを、わざわざ真似までしたのだ。


ひよりは両手で顔を覆った。


「……私、あんなことしてました?」


「してたしてた」


「止めてくださいよ」


「なんで?」


「なんでって……!」


顔から手を離すと、ナツは楽しそうに笑っていた。


「すごいウケてたじゃん」


「だから余計に恥ずかしいんですけど!」


思っていたより大きな声が出て、ひよりは口を閉じた。ナツが一瞬目を丸くしたかと思うと、また笑い始める。


「喋れるじゃん」


「喋れますよ」


「さっきまでずっと、すみません、はい、すみません、だったから」


「そんな言ってないです」


「言ってたよ」


横からリオが入った。


「五回くらい」


「数えてたんですか?」


「数えてないけど」


リオはマイクをスタッフに返しながら、ひよりの前まで来た。ステージで大きく笑っていた顔は、もう真面目な表情へ戻っている。額にはまだ汗が残っていた。


「あの間奏、何するか決めてた?」


「いえ。声をかけられたので、耳に手を当ててみたら、また返してくれて」


ひよりは片手を耳へ寄せかけ、途中で下ろした。さっきの客の声まで思い出してしまった。


「ハートも、前の人たちがやってくれたから。あの人、何回直しても斜めになって……」


つい笑いかけたが、リオはまだ真剣な顔をしていた。


「最後、後ろの方まで見てたよね」


「人がいたから」


リオは黒いカーテンの方を見た。ひよりもつられて振り返ったが、もう客の顔は見えなかった。


「初めて立って、振り覚えるだけでも大変なのに。途中から一人ずつ見てたでしょ」


「最初は、顔なんて上げられなかったです」


「それが途中からできてたんだよ」


そう言われると、否定もできなかった。最初は顔を上げるのも怖かった。なのに最後は、次にどの人を見るかまで考えていた。ひよりは自分の胸元を見た。大きな青いリボンが、呼吸に合わせて揺れている。


「楽しくなっちゃって」


小さく言った。リオがまたこちらを見た。その後ろから佐伯が歩いてきた。


「三人とも、お疲れさま」


片手にはスマートフォンを持ったままだった。


「榎本さん、大丈夫? 気分悪くない?」


「大丈夫です」


「水飲んで」


受け取ったボトルへ一口だけのつもりで口をつけたが、なかなか離せなかった。ようやく顔を上げると、ナツが笑っていた。


「喉からっからじゃん」


「暑かったので」


「歌ってないのにね」


「ちょっと歌いました」


「歌ったの?」


「最後だけ」


「マイクないのに?」


「だから歌ったんです」


ナツが声を上げて笑った。佐伯も口元を緩めたが、リオだけは少し考えるような顔をしていた。


「社長」


「ん?」


「廊下で見たときから、こうなると思ってた?」


佐伯はすぐには答えなかった。ひよりはボトルを両手で持ったまま、二人を見比べた。


「踊れるとは思ったよ」


佐伯が言った。


「止まるところも、重心の移し方もきれいだったから。でも」


一度、舞台の方を見る。


「客まで見るとは思ってなかった」


「……そんなに変なんですか?」


「変っていうか」


ナツが口を挟んだ。


「褒められてるんだよ」


「だったら最初からそう言ってください」


また、少し大きな声が出た。ナツが笑い、佐伯まで笑った。ひよりはボトルを口につけた。もう水はほとんど残っていなかった。


*


「なに、この子。元気じゃん」


聞き覚えのある声に振り向いた。さっき舞台袖ですれ違った、ピンクの飾りをつけた女の子が立っていた。後ろには、白、緑、オレンジの衣装を着た三人もいる。前半にステージへ出ていた四人だった。


「ステージ行く前、めちゃくちゃ怯えてなかった?」


「レイ、最初からそこ言う?」


白い衣装の女の子が笑った。


「まずお疲れさまでしょ」


「あ、そうだった。お疲れ」


ピンクの子がひよりの肩を叩く。


「すごかったじゃん。途中から普通に客さらってたし」


「さらってはないです」


「さらってたさらってた。私、袖から見てたもん」


「レイは声が大きい」


オレンジの女の子が言った。その人は四人の中で一番落ち着いて見えた。ひよりの前へ来ると、畳んだタオルを差し出す。


「先にこれ使った方がいいよ。汗、すごいから」


「あ、ありがとうございます」


受け取って額を押さえる。


「リサ、そういうとこお母さんっぽいよね」


緑の女の子が言った。


「それ嫌いって言ってるでしょ」


「ごめん」


謝るのが早かった。白い衣装の子がひよりを覗き込んだ。


「で、この子、名前なんていうの?」


「榎本ひよりです」


「本名じゃなくて」


「え?」


「ステージの名前」


ひよりが佐伯を見ると、向こうもひよりを見ていた。二人が顔を見合わせている横で、ナツが口を開いた。


「ないよ」


「ないの?」


「今日いきなり連れてきたんだから」


白い子は一度瞬きをしてから、吹き出した。


「じゃあ本当に見習いちゃんなんだ」


「見習いでもないです」


ひよりは思わず訂正した。


「私、お客です」


一瞬、誰も何も言わなかった。レイが佐伯を見る。


「社長、客をステージに上げたの?」


「事情が事情だったんだよ」


「いや、それは聞いてるけど」


「それで踊れちゃったのが、この子」


ナツが言った。緑の子が、ひよりの胸元を見た。


「でも青、似合ってたよ」


「これ、借りただけです」


「そっか」


そう言いながら、青いリボンをじっと見る。


「そのままでもよさそうなのに」


ひよりは何と答えればいいか分からず、またタオルで額を押さえた。リオが隣から言った。


「左から、レイ、ミオ、ユナ、リサ」


「雑!」


レイが振り返った。


「ちゃんと紹介してよ」


「今したじゃん」


「名前並べただけでしょ」


「覚えられないよ、一気に言われても」


ミオにつられて、ひよりも少しだけ笑った。知らない人が一気に四人増えて、何を話せばいいのかは今も分からない。いつもなら、それだけで困っていた。


けれど、さっきまで声をかけてきたのは、もっと大勢の知らない人たちだった。名前も知られないまま呼ばれていたときに比べれば、目の前の四人は顔が見える。


「あの」


ひよりは四人へ頭を下げた。


「今日は、勝手に入ってすみませんでした」


「勝手に入れたの社長だから」


レイが即座に言った。


「そうそう」


ユナも頷く。


「責任取るならそっち」


「俺だけ悪者にしないでくれる?」


佐伯の声に顔を上げると、リサはまだ笑っていた。ミオはひよりよりも、佐伯の困った顔を見て楽しんでいる。それを見ているうちに、ひよりも口元が緩んだ。


*


ライブハウスを出た眼鏡の男は、階段の上で足を止めた。後ろから上がってきた男が肩へぶつかりそうになり、横へ避ける。


「何してんの」


「いや」


手に持ったペンライトを見る。


ペンライトは、まだ青く光っていた。


「さっきの青、誰?」


「見習いって言ってたじゃん」


「見習いちゃん?」


「知らん」


「次も出るかな」


後ろから、タンクトップ姿の男が上がってきた。


「出るなら見たい!」


「声でかいって」


「今日よかったじゃん!」


眼鏡の男がペンライトの電源を切ると、青い光が消えた。そのままスマートフォンを取り出した。


今日のライブについて投稿している人が、すでに何人かいた。投稿には、リオの歌やナツの声、新曲を褒める感想が並んでいた。その中に、一つだけ気になるものを見つけた。


――最後に出てきた見習いちゃん、何者?


眼鏡の男はその投稿に反応をつけた。画面を閉じかけて、やめる。投稿欄を開き、自分でも一つ打った。


――見習いちゃん、また出るなら次も行きたい。


短い文を一度だけ読み返し、そのまま送信した。


*


衣装を脱ぐと、急に寒かった。ひよりは会社にも着ていく薄いシャツへ袖を通し、自分のパンツを履いて鏡の前へ戻った。スカートの広がる感じは、もうない。


机の上に、ナツにつけてもらった青いリボンがあった。さっきまで胸の真ん中で揺れていたのに、衣装から外されると、ただの大きなリボンに見える。髪のピンも抜くと、前髪が落ちてきた。目元が隠れて、ひよりは少し安心した。


「はい」


リボンをナツに渡す。


「ありがとうございました」


「こっちこそ」


ナツは受け取ったが、すぐにはケースへ戻さなかった。


「ほんと似合ってたよ」


「もういいです、それは」


「なんで」


「恥ずかしいから」


「ステージであれだけやって?」


「ステージの話はしないでください」


「無理でしょ」


ひよりは鞄を持った。鏡の中には、白い衣装も青いリボンもない、いつもの自分がいた。化粧は少し残っていたが、それでもさっきステージで見た自分とは違って見える。


これで終わりなのだと思うと、変な一日だったという感想だけでは片づけにくかった。ライブを見に来ただけなのに、知らない曲を覚えて、知らない人たちと一緒に踊った。客に声をかけられ、自分へ向いた青い光まで見た。何より、楽しかった。


そこまで考えて、ひよりは鞄の持ち手を握り直した。楽しかった一日として終わればいい。今日だけなら、それで十分だった。


「社長」


リオの声がした。佐伯がスマートフォンを見ていた。


「アン?」


「うん」


楽屋の空気が少し変わった。ナツも青いリボンを持ったまま、佐伯を見る。


「連絡ついた?」


「ついた。無事だって」


リオの肩が少し下がった。


「よかった……」


その声に重なるようにナツも息を吐き、佐伯は画面を消した。


「話はあとでする。今日はこのままにはしない」


声は静かだった。それ以上、誰も何も言わなかった。


ひよりは机の上に残った紫の衣装を見た。本当なら今日ここにいたはずの人の場所へ、自分は青いリボンをつけて一曲だけ入った。やっぱり今日だけでいい、とひよりは思い直した。


*


「今日は、本当にありがとうございました」


ひよりは楽屋の入口で頭を下げた。


「こちらこそ。助かりました」


佐伯も頭を下げる。


「気をつけて帰って」


「はい」


「またね、ひよりさん」


ナツが手を振る。ひよりも小さく振り返した。リオは何か言いかけてから、結局「……お疲れさま」とだけ言った。


「お疲れさまでした」


階段を上がるにつれて、次の出演者の低い音が遠くなった。外へ出ると夜の空気が冷たく、さっきまでライトの下にいたせいか、街灯まで暗く見える。


ひよりはスマートフォンで時間を確かめた。帰ったら風呂に入って、汗のついた髪も洗おう。明日は休みだから、寝る前に今日見られなかったアニメの続きを――


「ひよりさん!」


後ろからの声に振り返ると、階段を駆け上がってきたナツが、扉を押して外へ出てきた。


「どうしたんですか?」


「ちょっと待って」


ナツは数歩近づき、息を整えた。


「言うの忘れてた」


「何を?」


ナツが顔を上げる。さっきまでつけていた黄色い飾りは外していた。それでも、ステージで見た笑い方だけは同じだった。


「ねえ、ひよりさん」


「はい」


「リトルフレア、入らない?」


ひよりは瞬きをした。後ろを車が一台通り過ぎた。


聞き間違えたと思った。けれどナツは、そのまま返事を待っていた。

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