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アイドルとは!  作者: Aramaki_mai
第五章 ここから!
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第57話 ここから!

挿絵(By みてみん)

楽屋の前を、知らない人が何人も通っていった。首からカードを下げたスタッフが立ち止まると、大きなカメラを抱えた人が、その横を身体を斜めにして通り抜ける。ひよりは椅子に座ったまま、扉の向こうを目で追った。


「さっきの人、また通った」


「まひる、見すぎ。何か忘れたの?」


隣でアンが、鏡に向かって前髪を直している。


「違う。あの大きいカメラも、うちら撮るのかなって」


「他に誰撮るの。今日はうちらの日でしょ」


そう答えたアンも、鏡から顔を離して廊下を覗いた。カメラを抱えた人が会場の方へ曲がり、二人は同じところまで見送った。


「アンも見た」


「どのカメラか確かめただけ」


アンはすぐに前髪へ手を戻した。ひよりも自分の頬を指で押さえる。あれに大きく映るのだと思うと、さっきまで気にならなかった口元まで確かめたくなった。


鏡へ向き直る。青い衣装の自分。その横には赤、黄、紫。四人で衣装を着て並ぶこと自体は、もう珍しくない。それなのに今日は、鏡の端に映る開いた扉の向こうまで気になった。


廊下の壁には、アルノア・ミュージックの名前が入った案内が貼られている。


――リトルフレア メジャーデビュー記念ライブ。


会場へ入ったとき、一度その前を通り過ぎた。すぐ戻って、もう一度見た。本当に、自分たちの名前だった。


「アン」


「何」


「客、見てきた?」


「さっき。前は埋まってきたけど、後ろはまだ空いてる」


ひよりは腰を浮かせかけた。


「私もちょっと見てこようかな」


「だったら私も――」


アンが椅子から背を離したところで、扉が開いた。


「見に行かない!」


レイだった。アンが顔を上げる。


「まだ立ってないじゃん」


「顔に書いてあるのよ。あんた、さっきも見に行ったでしょうが」


「増えてるかもしれないじゃん」


「五分で?」


「一人くらい」


「その一人を確認して、どうすんのよ」


「気分が違う」


「知らないわよ」


レイは時計を見る。


「あと十分。もう落ち着いてなさい」


「はいはい」


「その返事!」


「分かったって」


アンが椅子の背へ身体を預けた。レイはまだ何か言いたそうだったが、今度はリオを見る。


「衣装、大丈夫?」


「大丈夫」


「ナツ、喉は?」


「平気」


「まひる」


「はい」


「今日ちゃんと寝た?」


「寝ました。一時前には」


「その時間でよく言い切れるわね」


「昨日の練習の動画、最後のところが気になって」


「最後だけ見るつもりだったんでしょ」


アンが横から覗き込んでくる。ひよりは膝の上へ目を落とした。一度閉じたのは本当だった。ただ、布団に入ってから、客席からどう見えるか気になってまた開いた。


「ちゃんと、最後まで見てから閉じたよ」


「何周目の最後?」


言い返そうとして、ひよりは口を閉じた。ナツまで笑っている。


「それじゃ、いつまでも寝られないよ」


「二人ともうるさい」


顔を逸らしたところで、リオと目が合った。


「まひる」


「何?」


「手」


言われて、自分の手を見る。指を絡めたまま、強く握っていた。ひよりは離した。


「緊張してる?」


「してない」


「してるじゃん」


アンが答えた。


「何でアンが答えるの」


「分かりやすいから」


「アンだって客見に行ってたじゃん」


「あたしは客入りが気になっただけ」


「さっき、私が見に行こうとしたら立ちかけたくせに」


「だから、増えてるか――」


廊下で足音がして、アンが扉へ顔を向けた。ひよりもつられて見たが、スタッフはそのまま通り過ぎていった。


「二人とも、ここにいようね」


ナツに言われ、ひよりは顔を戻した。アンと目が合う。先に吹き出したのはアンだった。ひよりも、今度は否定する言葉を探せずに笑った。


*


袖へ出ると、客席の音が一気に近くなった。いつもの地下ライブハウスより広い。それでも、人の顔が見えなくなるほど遠くはない。


前方に青いペンライトがある。眼鏡くんだ。少し離れたところでは、タンクトップくんが誰かと話している。鉢巻くんもいた。見慣れた顔を見つけるたび、肩から少しずつ力が抜けていく。


その周りには、知らない顔が以前よりずっと多かった。赤、黄、紫、青。ペンライトを持っている人もいれば、何も持っていない人もいる。


少し後ろで、一人の女性が腕を組んでステージを見ていた。誰かと話しているわけでもない。ただ、待っている。ひよりは何となく、その顔を覚えた。


「結構いる」


ナツが小声で言った。


「うん」


アンの目は、客席の端から端まで動いている。


「後ろ、まだ入るけど」


「そこ見るんだ」


「見るでしょ」


リオは客席より先にステージを見ていた。床の立ち位置を目で追い、照明の位置を確かめる。


「昨日より広く見える」


「昨日、客いなかったからじゃない?」


ひよりが言うと、リオが振り返った。


「そうかも。今日は端の方にも人がいるから」


リオはもう一度、床から客席へ目を移した。


「リオが行く方、赤い人いたよ」


「……見えた」


言いながら、リオの足が小さく前後した。さっきより深く踏み込むように靴底を床へ押しつけ、そのまま自分の出る方を見ている。


照明が落ちた。四人とも黙る。客席のざわめきが変わった。場内アナウンスがリトルフレアの名前を呼び、続けてメジャーデビューを告げる。


歓声が上がった。まとまった声が、ひよりの胸へぶつかってくる。その中に、自分の名前もあった。


「行くよ」


ナツが言った。四人が袖を出た。


*


「まひるー!」


「リオ!」


「ナツー!」


「アン!」


照明の中へ入った瞬間、四人の名前が飛んできた。ひよりは最初の位置につく。リオが隣へ入り、ナツとアンもそれぞれの場所に立つ。イントロが鳴った。


『ここから!』


一曲目。昨日まで何度も聞いた音なのに、客席があるだけで違って聞こえた。


ひよりは床を蹴った。リオとすれ違い、向きを返した先には、鏡に映る自分の代わりに、腕を上げた眼鏡くんがいた。


笑い返したところへ、ナツの声が入った。中央から伸びる声に黄色い光が高くなり、その向こうで、隣の人と話していた客が口を閉じる。ペンライトを持たずに下ろしている手まで、ひよりは目で追った。


この人も、やってくれるかもしれない。


前へ抜けたアンが、客席脇のカメラへ顔を向けた。ひよりも一瞬レンズが気になったが、アンはもう正面の客へ笑っている。その先を見ると、少し後ろに腕組みの女性がいた。袖から見たときと同じ顔で、こちらを見ていた。


最初のサビが来た。大きく右へ腕を出す。左へ返して、上。客席でもできるように、四人で何度も直したところだ。ひよりは頭の上へ腕を伸ばしながら、客席の手を探した。


誰もやっていない。


ペンライトは振られている。声も聞こえる。もう一度やってみせると、眼鏡くんは笑って青を振った。その腕も、ひよりと同じ向きには動かなかった。


簡単にしたのに。


練習場で思い浮かべた客席には、もう同じ腕がいくつも上がっていた。今は見慣れた顔を探しても、まだ返ってこない。


もう少し大きく。


次の手を簡単に。


今なら変えられる。


身体の中で、新しい動きが浮かびかけた。


リオが目の前を横切った。ひよりは足を運び、ナツが入ってくる場所を空ける。反対側から来たアンは、迷わず次の腕を出していた。顔はもう客席へ向いている。


昨日、何度も踊り直して決めた動きだった。ここで変えたら、アンはまた途中で気づき、出した腕を変えることになる。ひよりは浮かんだ動きを入れず、決めた通りに腕を返した。


「アンー!」


前へ出たアンへ、紫の場所から名前が飛んだ。ひよりはその声のした方を見て、また客の手を追っていた。振付は変えなかったが、腕が上がらないことは気になったままだった。


ひよりは前へ戻り、もう一度、眼鏡くんの手を探した。


二度目のサビで腕を出すと、今度は眼鏡くんが動いた。一拍遅れている。それでも、ひよりが見せたのと同じ動きだった。

ひよりの口元が緩む。次にはタンクトップくんも真似し、その横でも一人、ペンライトを持ったままぎこちなく腕を上げた。


前の方だけ。まだ少ない。それでも、さっきはなかった。嬉しくなった。もっと大きく踊りたくなる。


ひよりは一歩を踏み出しかけ、予定の位置で止めた。すぐ横をリオが前へ抜け、その肩の向こうで赤い光が上がる。ひよりは身体を返し、リオが戻ってくる場所を空けた。


ナツの声が背中から伸びてくる。その終わりにアンが客席へ声を投げると、さっきまで腕を動かしていた客まで、今度は口を大きく開けて応えた。ひよりもつられて声を出した。


もっと前へ行きたい。けれど今は、リオの肩越しにあの手を見ながら踊った。次に三人と並んで腕を伸ばすところまで、待ち遠しかった。


最初より大きくなった声を聞きながら、最後のサビで四人が前へ出た。ひよりが腕を上げると、前方でいくつも腕が動き、少し遅れてその後ろでも上がる。

そこで、ひよりの視線が止まった。


あの女性だった。組んでいた腕をほどき、前の人たちの手を目で追っている。


右、左。まだ手は胸のあたりで小さく動いていた。ひよりが頭の上へ腕を伸ばすと、そこだけは待っていたように、女性の両手も高く上がった。


ひよりは笑いそうになった。もう、上げるところを覚えている。


次の一歩で女性が前の人の陰に隠れた。予定の位置へ戻ると、また見える。今度は胸の前に手を引っ込めず、そのままこちらを見て踊っていた。


ひよりも大きく腕を伸ばした。視線が合った気がして笑うと、女性の口元も緩んだ。


そのまま最後の位置へ入る。四人が止まった。音が切れる。歓声と拍手が重なった。


ひよりは息を切らしたまま客席を見た。赤、黄、紫、青の光が揺れ、その間では何も持っていない手も拍手している。


少し後ろ。あの女性も拍手していた。ひよりは頭を下げた。


*


歓声が残るうちに二曲目へ入り、そのまま三曲目へ進んだ。昔からの客はイントロだけで反応した。知らない客は、最初はその声を聞いているだけだった。タンクトップくんのコールに笑う人がいた。眼鏡くんの振る青を見て、同じタイミングでペンライトを動かそうとする人もいた。


『フライング・ハート』では、古くからの客の声が特に大きかった。ひよりが初めてステージに立った日から歌ってきた曲。もう振付を考える必要はない。身体が全部覚えている。


客席を見れば、初めから一緒に動く人がいる。何も知らずに見ている人もいる。ひよりは、その両方へ目を向けた。


一曲目で腕を上げた女性は、まだ帰っていなかった。『フライング・ハート』の振付は知らない。それでも、曲の終わりでは拍手していた。


途中のMCで、アンが客へ声を投げた。前から返る。少し遅れて後ろからも声が来る。全部ではない。黙って見ている人もいる。それでもライブが始まったときより、こちらを向いている顔が増えていた。


最後の曲が終わる。四人で並んだ。


「ありがとうございました!」


頭を下げる。歓声が落ちてくる。ひよりは顔を上げた。あの女性がまだいた。今度は腕を組んでいなかった。


*


「一曲目、最後の方、後ろもやってたよね!」


袖へ戻った瞬間、アンが言った。


「見た!」


ひよりもすぐ返す。


「二回目から増えてた」


リオが息を整えながら言う。


「最初、ほんとに誰もやってなかったけど」


「言い方」


ナツが笑った。


「ほんとじゃん」


「ほんとだけど」


ナツもまだ息が上がっている。それでも笑っていた。


「歌ってるこっちからも見えたよ」


「最後の方にいた人見た?」


ひよりが聞く。


「誰?」


「後ろの方。最初ずっと腕組んでた人」


「そこまで見てたの?」


「見えるもん」


アンがタオルで首元を拭く。


「今日、新しい人結構いたよ」


「数えた?」


「全部は無理」


「アンなら数えてそう」


「ライブ中に? あたしも踊ってたんだけど」


タオルを下ろしたアンと目が合い、ひよりはペットボトルへ口をつけた。リオとナツの笑い声が聞こえる。


ひよりは水を飲みながら、さっきの客席を思い出した。最初は腕を組んでいた。『ここから!』の最後には、覚えたばかりの振付で両手を上げていた。


そのあとの曲は知らなかった。それでも帰らなかった。最後までいた。それだけが、妙に嬉しかった。


「はい、浮かれるのそこまで」


レイが来た。四人が振り返る。手には予定表がある。アンが嫌な顔をした。


「もう反省会?」


「違う。明日」


「明日?」


ひよりも聞き返した。


「朝六時集合。テレビ収録」


四人が止まった。


「……六時?」


「六時」


「学校行ってたときより早いんだけど」


アンが即座に返す。


「仕事だから」


「分かってるよ」


ナツがひよりを見る。


「まひる、起きられる?」


「起きるよ!」


リオが聞く。


「今日何時に寝る?」


ひよりは口を開いた。少し考えた。


「……早く寝る」


「何その顔。十二時までには寝るよ」


「遅いよ。六時集合だよ?」


ナツに即答され、ひよりは口を尖らせた。帰って風呂に入って、今日見られなかった動画だけ見たら、十二時くらいにはなる。


「じゃあ、帰ったらすぐ寝る」


「スマホは?」


リオに聞かれ、ひよりは鞄へ目を落とした。


「……充電する」


「枕元じゃなくてね」


アンに言われ、ひよりは鞄の上からスマートフォンのある辺りを押さえた。まだ何を見るとも言っていないのに、三人ともそこまで決める気らしい。


レイが予定表を丸める。


「寝坊したら置いてくからね」


「起きる!」


「ほんとに?」


「起きます!」


ひよりは鞄からスマートフォンを取り出した。明日の集合時間を見る。アラームを設定する。


一つ。少し考えて、もう一つ。さらに五分後。横からアンが画面を覗いた。


「三個?」


「保険」


「その前に寝なよ」


「寝るって」


ひよりはスマートフォンを伏せた。明日の朝には、もう次の仕事が始まる。


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