↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
アイドルとは!  作者: Aramaki_mai
第五章 ここから!
PR
58/63

第56話 平日の昼

挿絵(By みてみん)

アルノアと契約してから、ひと月あまり。会社を辞めて最初の火曜日、ひよりは午後一時から練習場にいた。


「……火曜の昼にここいると、会社さぼってるみたい」


ひよりが壁の時計を見て呟くと、床で靴紐を結んでいたアンが顔を上げた。


「辞めたんだから、さぼりようがないじゃん」


「分かってる。分かってるんだけど、なんか落ち着かない」


窓の外は明るかった。少し開いた窓から入る風も、頬に当たって冷たくない。少し前なら、昼休みを終えてパソコンの前に戻っている時間だ。午後になると少し眠くなって、数字を打ち込みながら次の休憩まで何時間あるか考えていた。今は練習着を着ている。昨日も昼からレッスンだった。明日も午後に予定がある。


退職して最初の朝には、目覚ましが鳴ってから一瞬だけ、会社へ行かなくていい理由が分からなかった。そのまま二度寝しかけたことは黙っている。


「まひる、突っ立ってないで伸ばしたら?」


ナツに言われ、ひよりは慌てて肩を回した。


「してます」


「今してなかったよ」


「今からしようとしてました」


「便利だね、それ」


ナツは笑いながら、自分も腕を頭の後ろへ回した。


「ナツさんは平気なんですか」


「何が?」


「研究所行かなくなったの」


「ああ」


ナツが少し考える。


「今朝、前と同じ時間に目覚ましかけてた」


アンがすぐ振り返った。


「行った?」


「行かないよ」


「玄関まで?」


「行ってない」


「駅は?」


「何で進んでいくの」


ナツがタオルを投げる真似をすると、アンが笑って身を引いた。


「何年も同じ時間に起きてたら、目覚ましくらい残るでしょ」


「消せばいいじゃん」


「消したよ」


「今日?」


「さっき!」


ひよりも笑った。


「アンは朝起きてる?」


「今日は早かった。欲しい服、発売日だったから」


「買ったの?」


「……見ただけ」


アンの目が壁際の鞄へ動いたので、ひよりもつられてそちらを見る。アンは慌てて鞄を引き寄せたが、その後ろから店の袋が倒れてきた。


「上着だから。仕事でも着るし」


「それ、まだ何も聞いてないよ」


ナツが笑い出したところで、扉が開いた。


「ごめん。ゼミ長引いた」


リオが鞄を肩から下ろしながら入ってくる。急いできたらしく、前髪が少し乱れていた。アンが時計を見る。


「三分」


「連絡したでしょ」


「見た」


「ならいいじゃん」


「一人だけ学校帰りだなって」


「大学」


「同じようなもんでしょ」


「全然違う」


リオは言い返しながら上着を脱いだ。アンが高校を卒業してから、学校帰りにここへ来るのはリオだけになっていた。ひよりが聞く。


「今日も授業あったの?」


「ゼミ。来週もあるよ」


「大変そう」


「辞めてないからね」


リオはそれだけ言って、鞄を壁際へ置いた。


「先に着替えてくる」


「あ、リオ」


ナツが呼び止める。


「何?」


「十分後に始めるから――」


言いながら、ナツが自分の格好を見る。まだ練習着ではない。アンも見る。ひよりも見る。


「……何」


ナツが二人を見返した。


「ナツさんも着替えてないよ」


「分かってるよ!」


「今、完全に自分以外を動かそうとしてた」


「してない!」


リオが笑った。


「じゃあ一緒に着替えよう」


「最初からそうするつもりだったの!」


二人が更衣スペースへ向かう。その背中を見送りながら、アンが小さく言った。


「絶対してた」


「してたね」


ひよりが答える。


「聞こえてる!」


奥からナツの声が飛んできた。


*


「じゃあ、頭から一回」


四人が鏡の前へ並んだ。『ここから!』のイントロが流れ始める。デモ音源を初めて聞いた夜から、ひよりは何度もこの曲を聞いていた。聞くたび、身体の中に動きが増えた。


最初は自分一人だった。そこへリオが入り、ナツが入り、アンが入った。実際に四人で合わせ始めると、頭の中ではうまくいっていた場所が何度も崩れた。それでも、少しずつ形になっている。


音に合わせて右へ出ると、リオの肩がすぐそばを通った。ひよりは腕を引き、ナツが中央へ入る隙間を空ける。その向こうから前へ抜けたアンの顔を鏡の中で見つけたところで、サビが来た。


胸の前で手を返し、肩を入れて足を踏み替える。その勢いのまま、もう一度。自分の身体には気持ちよくつながる動きだった。けれど、鏡の四人へ目を広げると、忙しく返している手が思ったより小さく見えた。


最後に四人が左右へ分かれたところで音が止まった。ひよりは腕を下ろしかけ、もう一度だけ胸の前で手を返した。


「待って」


ひよりが言った。アンが壁際に固定していたスマートフォンを取りに行く。


「何」


「サビ、ここ変えたい」


「また?」


「またって何」


「今日もう三回目」


「よくしたいんだからいいでしょ」


ひよりはさっきの位置へ戻った。


「この細かいところ、一回だけ簡単にしたい」


リオが手を動かす。


「ここ?」


「そう」


「何で?」


アンが聞く。


「客席でもできるように」


ひよりは細かく返していた両手をやめ、大きく右へ腕を出した。左。最後に上。


「これなら一回見たら、次できそうじゃない?」


もう一度。右。左。上。自分たちを初めて見る客が、一回目は眺めている。二度目には少し腕が動く。そんな光景がすぐに浮かんだ。


ひよりは腕を下ろした。


「……変えていい?」


「撮るからもう一回」


アンが答えの代わりにスマートフォンを構えた。


「今のでよくない?」


「確認するの」


「はい」


もう一度踊る。アンはすぐ録画を再生した。


「地味」


「え」


「思ったより地味」


「客席からできるようにしたんだから、多少は――」


「多少じゃなくてサビで弱くなってる」


「そこまで?」


「自分で見て」


渡されたスマートフォンで、ひよりは自分の動きを見た。一回では返す気になれず、もう一度再生した。


「……ダサくはない」


「誰もダサいって言ってない」


「顔が言ってる」


「顔に字幕でも出てんの?」


アンが手を伸ばしたが、ひよりは返す前にもう一度だけ再生した。


「……もう一回くらい見てもいいでしょ」


最後まで見てからスマートフォンを渡し、両腕を組む。アンは取り戻した画面を見ていて、ひよりの顔には何も言わなかった。


確かに、踊っているときより画面では物足りなかった。でも気に入っていた。簡単で、一緒にできる。それを一言で地味と言われると腹が立つ。


「まひる」


今度はリオだった。


「何」


「その動き、私もちょっと気になる」


「リオも?」


「全員でやると横に広がりすぎる」


「でも客は――」


「客の話じゃなくて、四人がどう見えるか」


ひよりは黙る。


「一回やってみて」


リオが位置を動かした。


「まひるが半歩前。私とナツは一拍遅らせる。アンは反対側」


「それ、客は同じ動きできる?」


「腕は変えないよ。位置だけ」


「ああ」


「でもこれ」


ナツが腕を上げた。


「歌いながら最後までやると、ちょっときつい」


ひよりが振り向く。


「そんなに?」


「やってみる?」


「歌えないです」


「じゃあ信じて」


「信じてます」


「今の間は何」


「何もないです」


ナツが疑わしそうな目をする。アンが笑った。


「機嫌悪くなってる」


「なってない」


「なってるじゃん」


「なってないって」


ひよりは鏡へ向き直った。やればいい。自分の案なのだから、自分が一番分かっている。そう思いかけて、画面で見た自分を思い出した。


地味だった。少しだけ。本当に少しだけ。


「……ナツさん、どこなら平気?」


「最後だけ腕下げたい」


「こう?」


ナツがやってみせる。ひよりも真似する。


「それなら歌える」


「アン、今のも――」


「撮ってる。あとで見比べようと思って」


「……頼む前から分かってるの、なんか腹立つ」


アンは笑ったまま、録画中のスマートフォンをひよりへ向けた。


「その顔も残す?」


「踊ってるところだけにしてよ」


リオが鏡を見ながら、ひよりの足元を指した。


「まひる、もう少し後ろ。さっき半歩前って言ったけど、出すぎてる」


「半歩って言われた通りに出たんだけど」


「まひるの半歩でかいんだよ」


ひよりは小さく下がったが、鏡を見ているリオの顔が変わらず、もう片方の足を動かすのはやめた。


「ここでいいの?」


「いいから一回やろう」


ナツが音を戻した。アンがスマートフォンを壁際に固定し直す。今度は誰も返事をせず、四人ともそれぞれの位置へ入った。曲が始まる。


サビで、ひよりは半歩前へ出た。腕の動きは簡単なまま、一拍遅れて続くリオとナツ、反対へ動くアンが鏡に映る。ナツが最後だけ腕を少し下げ、アンが正面へ顔を向けたところで曲が止まった。


「見る」


アンが自分からスマートフォンを持ってきた。四人が画面へ集まる。


「さっきよりいい」


アンが言う。ひよりがすぐ顔を上げた。


「でしょ」


「何でまひるが勝ったみたいな顔してんの」


「元は私だから」


「だいぶ変わってるけど」


「だいぶではない」


「数える?」


「数えなくていい!」


リオが画面を巻き戻した。


「ここ」


「何?」


「アン消えてる」


「え」


再生する。ひよりの肩の後ろへ、アンの顔が半分隠れた。


「……一瞬じゃん」


「一瞬でも消えてる」


「でもこれ以上戻ったら――」


「まひる」


アンが言う。


「あたし消えてるけど」


「分かってるって」


「じゃあ戻って」


「今戻ろうとしてた!」


「してないじゃん」


「今から!」


ひよりは少し強く床を踏んで、自分の位置へ戻った。半歩。もう半歩は下がりすぎる。鏡を見る。


「ここ?」


リオも見る。


「そこ」


「最初からそう言って」


ひよりは自分のつま先を見下ろし、鏡へ目を戻した。アンの顔が全部見えている。さっきの場所と、ほんの少ししか違わない。


「……ここの半歩、すごい狭い」


「まひるが広いの」


リオが笑った。ひよりは言い返しかけたが、アンまで鏡の中で大きく頷くので、口を尖らせた。


「もう一回やれば分かるよ」


ナツが音源へ手を伸ばした。


「はい、最初から」


ひよりが振り向く。


「ナツさん、結局仕切ってるじゃん」


ナツの指が止まった。


「……これは進まないからいいの!」


アンが吹き出す。リオも笑った。ひよりも堪えきれずに笑う。


「じゃあお願いします」


「最初からそう言いなさい」


アンがスマートフォンを壁際に置き直したところで、音が始まった。


*


最後のサビで、ひよりは前へ出た。右、左と腕を動かすと、リオとナツが続き、アンが開く。二度目は四人で同じ腕を上げた。難しくない。初めて見た人でも、たぶん二度目には真似できる。


ひよりは鏡の向こうに、まだいない客席を思い浮かべた。眼鏡くんとタンクトップくん、鉢巻くんの後ろには知らない顔がある。最初は見ているだけだった誰かも、次のサビでは腕を上げる。


曲が終わった。


「……どう?」


息を整えながら、ひよりが聞く。


アンが録画を再生すると、四人で画面へ顔を寄せた。一度見終えてから、もう一度。ひよりは最後のポーズまで、今度こそアンの顔が隠れないかを確かめた。


「いいんじゃない」


アンが言った。


「今度は地味じゃない?」


「うん」


「ほんとに?」


「しつこい」


リオも頷く。


「形もこれが一番いい」


ナツは水を一口飲んだ。


「歌える」


「じゃあ、これでいく?」


ひよりが聞く。三人を見る。ナツが蓋を閉めた。


「もう一回やってから」


「まだ?」


アンが言う。


「本番でやるんだから」


「それナツさんが言うんだ」


「歌うの私なんだから確認したいの」


リオはすでに位置へ戻っていた。


「私はもう一回やりたい」


「リオまで」


「アンは?」


三人が見る。


「……やるよ」


アンもスマートフォンを壁際へ置いた。ひよりが笑って定位置へ戻る。そこで扉が開いた。


「ちょうどいいわ」


レイだった。手に紙を持っている。


「何?」


アンが振り向く。


「来週のデビューライブ。セットリスト決まった」


四人が止まった。レイが紙を上げる。


「一曲目――『ここから!』」


ひよりは鏡を見た。四人しか映っていない。来週、この向こうには客がいる。さっきまで想像していた腕も、本当に上がるかもしれない。


「……もう一回やろ」


アンが呆れた顔をする。


「休憩は?」


「終わってから」


「さっき聞いた」


「じゃあ分かるでしょ」


「それ私が言ったやつ」


「いいから早く!」


ひよりが最初の位置につくと、リオが隣へ入り、ナツも水を置いて戻ってきた。アンはまだ文句を言いながら並んだが、イントロが流れ始めると四人で前を向いた。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。