第46話 また、まひるのグループ
グラニス・レコードの女性を見送り、佐伯が事務所の扉を閉めた。廊下へ向けていた顔が、四人へ戻る。
「……返事は今日じゃなくていいわよ」
さっきまで外向けの声だったのに、もういつもの佐伯だった。
「向こうにも、四人で話したいって伝えてあるから」
ひよりは膝の上へ目を落とした。テーブルの向こうには、まだ女性が使っていた椅子がある。
メジャー。四人で。そこまでは、欲しかった言葉だった。そのあとに続いたのが、天野まひるを中心に、だった。
「……でも、メジャーだよ」
アンが言った。誰もすぐには返さない。
「四人ともデビューできるんでしょ?」
「そうね」
「じゃあ、すごい話じゃん」
「すごいよ」
ナツが答えた。アンはリオを見る。
「リオは?」
「何?」
「どう思う?」
リオは少し考えた。
「私は、まひるがセンターなのは別に悪くないと思う」
アンの口元がわずかに動いた。
「まひるのことになると甘いじゃん」
「それは関係ない」
返事が早かった。アンが眉を上げても、リオは続けた。
「今一番知られてるのがまひるなのは事実でしょ。入口を一人にするって考え方も分かるし」
「じゃあ、私がセンターでもいい?」
リオの返事が、一拍だけ遅れた。
「……今の話とは違うでしょ」
「まひるなら、すぐいいって言えたのに」
「だから、そういう意味じゃないって」
リオが声を強めた。アンはひよりを一度見てから、またリオへ顔を戻した。
「じゃあ、同じくらい考えてから言ってよ」
「考えて言ってる!」
「はい、そこまで」
ナツが手を上げた。
「今ここで勝ち負け決めない」
「別に喧嘩してないし」
アンが言う。
「してる人はだいたいそう言うの」
「リオにも言ってよ」
「二人に言ってる」
リオも黙った。ひよりは三人を見ていた。自分の名前が出るたび、座っている場所まで変わったような気がする。
「あのさ」
三人がこちらを見る。
「私、センターって言われたの、ちょっと嬉しかった」
アンが瞬きをした。リオも何も言わない。
「ちょっと?」
「……思ってたより嬉しかった」
「増えたじゃん」
「今分かったの」
ひよりは自分の膝を見た。
「ちゃんとライブ見てくれてたし。私が客席見てるところまで分かってたし。その人に真ん中やってほしいって言われたら……嬉しいよ」
口にすると、少し恥ずかしかった。でも、取り消したいとは思わなかった。
「やってみたいとも思う」
リオがこちらを見る。アンも今度は茶化さなかった。
「ただ」
ひよりは顔を上げた。
「ずっと私って決められるのがいいのかは、まだ分かんない」
「そこは私も気になるかな」
ナツが言った。
「センターがまひるなのと、全部まひるから始めるのは、少し違うし」
「でも向こうが言ってるの、たぶん後者でしょ」
アンが返す。
「宣材も、テレビも、個人の仕事も。まずまひるって」
佐伯は口を挟まなかった。
「それが一番届きやすいって話だったね」
ナツが言う。
「実際、今までそうだったし」
その言葉で、また全員が黙った。否定できなかった。
佐伯が立ち上がる。
「今日は帰りなさい」
「え?」
「そんな顔で決めても仕方ないでしょ。水曜、また練習あるんだから」
アンが椅子から立つ。
「練習と関係ある?」
「あるかもしれないし、ないかもしれないわよ」
「適当」
「今決めるよりマシ」
それには誰も反論しなかった。
*
水曜。鏡の前に四人が並んだ。
「一回さ」
ナツがスピーカーの横で言った。
「まひるを真ん中にしたまま、やってみない?」
「何を?」
「この曲」
次のライブで使う曲だった。普段はパートごとに前へ出るメンバーが変わる。
「グラニスの形、ってこと?」
アンが聞く。
「完全に同じじゃないけど。考えてても分かんないし」
ひよりは鏡を見る。真ん中。
「やってみる」
「早」
アンが笑った。
「やりたいって言ったし」
「言ってたね」
リオが少しだけ笑う。音が流れた。ひよりが中央に立つ。赤、黄、紫が左右と後ろへ広がった。
最初は普通だった。むしろ形が分かりやすい。鏡の真ん中に青がいて、三色が動く。リオが横を抜けても、ひよりは中央へ戻る。
ナツの歌に入ると、横から声が飛んできた。普段なら一歩前へ出るところなのに、今日はそこに残っている。ひよりは反射的にナツを見た。
「まひる、前」
リオの声。
「あ」
正面へ戻ると、次はダンスの間奏だった。リオの足が速く入れ替わる。いつもなら中央へ入ってくる赤が、今日は横で踊っていた。
ひよりはその場所を空けず、中央に残った。ちゃんと揃っているし、形も崩れてはいない。それでも鏡の中で、何度もリオを見てしまった。
最後のサビ。アンがカメラを意識する振付の位置へ来る。今はカメラなどないのに、顔が一瞬で変わる。それも横だった。
曲が終わった。四人とも鏡を見る。
「……悪くはない」
最初に言ったのはアンだった。
「私もそう思う」
リオが続ける。
「むしろ形は分かりやすい」
「でしょ?」
ナツがひよりを見る。
「真ん中どうだった?」
「楽しい」
「即答」
「だって楽しいよ」
ひよりは笑った。真ん中に立つ。三人が横や後ろで動く。客席があれば、一番先に見つけてもらえる場所なのだろう。
「でも」
ひよりは鏡の中のナツを指した。
「ナツさんが歌ってるとき、そっち見たくなった」
「私は?」
リオが聞く。
「間奏もリオ見てた」
「じゃあ前見てなかったじゃん」
「だってリオのところじゃん、あそこ」
アンが笑う。
「センター向いてないんじゃない?」
「それは違う!」
「何でそこだけ必死なの」
「やりたいから!」
言ってから、ひよりは自分で笑ってしまった。リオも少し笑った。
「私は、まひるが真ん中でも成立すると思う」
ただ、そのあとに続けた。
「でも、あの間奏は私が前やりたい」
さっきまでの笑いが少し静かになる。
「前よりもっと、やりたい」
リオは鏡を見た。
「まひるが向いてるところはある。でも、それで最初から全部決まるのは嫌」
ひよりは頷いた。
「うん」
「……うん、でいいの?」
「何が?」
「私、まひるより前に出たいって言ってるんだけど」
「出ればいいじゃん」
「簡単に言うね」
「だって私が決めることじゃないでしょ」
アンが壁際へ座った。
「リオは実力で取りたいんでしょ」
リオがアンを見る。
「……そう」
「だったら最初から決まってんの、そりゃ嫌か」
アンは自分のスマートフォンを手に取った。
「でも見せ方としては、まひる真ん中分かりやすいよ」
「アンは賛成なの?」
ナツが聞く。
「そういう意味じゃない」
「じゃあどっち?」
「だから」
アンが少し苛立つ。
「分かるのと、やりたいのは別じゃん」
ナツは何も言わなかった。アンが続ける。
「短い動画とか、初めて見る人に一人覚えてもらうなら、まひる真ん中でいいと思う。私でもそうする」
ひよりはアンを見た。アンが『シュガー・ステップ』を撮った日を思い出す。
「でも、それでずっと行くのは嫌」
アンは画面を消した。
「私も名前で呼ばれたいし」
それ以上は言わなかった。
「ナツは?」
ひよりが聞く。
「私?」
「まだ言ってない」
ナツは少し困ったように笑った。
「私は……受けてもいいかなって、ちょっと思ってた」
三人が見る。
「え?」
アンが一番驚いた。
「だって、メジャーだよ」
「それ私が最初に言ったじゃん」
「だから。入口がまひるでも、そこから私たちを見てもらえるなら、それでもいいのかなって」
「今も?」
リオが聞く。
ナツはすぐには答えなかった。
「分かんない」
「ナツさんもそれ使うんだ」
ひよりが言う。
「まひるに言われたくない」
「私のなの?」
「さっきまで散々使ってたでしょ」
少しだけ笑いが戻る。ナツはペットボトルを持った。
「ただ、歌ってるときくらいは私を見てほしいかな」
小さく笑う。
「そこまでずっとまひるだったら、たぶん嫌」
「それは私も嫌」
ひよりがすぐ答えた。
「何でまひるが決めるの」
「ナツさん歌ってるのに、私見られても困るし」
「困りはしないでしょ」
「もったいない」
ナツが少しだけ目を丸くした。それから、
「ありがと」
と笑った。
アンは三人を見ていた。
「……結局さ」
声が低くなる。
「向こう、間違ってないんだよね」
誰も返さない。
「私がグラニスでも、今ならまひるから売るよ」
はっきり言った。
「一番知られてるし。シュガー・ステップもあるし。まず一人覚えてもらって、そこから四人。普通にその方が早い」
リオも否定しなかった。ナツも黙っている。
「だから余計嫌」
アンが言った。
「何が?」
ひよりが聞く。
アンは鏡を見た。赤。黄。紫。青。
「また、まひるのグループじゃん」
ひよりは何も言えなかった。前にも聞いた言葉だった。悪口ではなかった。動画を見た人が、何気なく使っただけだった。
そのたびアンは、リトルフレアだから。そう言っていた。
「私、まひるが売れるの嫌じゃないからね」
「うん」
「そこ勘違いしないで」
「してない」
「ならいい」
アンはそこで一度黙った。
「メジャーも行きたい」
「うん」
「めちゃくちゃ行きたい」
その声だけは迷わなかった。
「でも、これ受けたら、たぶんずっと引っかかる」
ナツがアンを見る。
「それで始めたら、いつか揉めるかもね」
「今でも揉めてるけど」
「それ言ったら終わりなの」
リオが息を吐いた。
「私は、この条件のままなら受けたくない」
アンが見る。
「センターまひるでいいって言ってたじゃん」
「それと固定は別」
「そこは譲らないんだ」
「譲らない」
今度は返事が早かった。ひよりは三人を見た。
「私も」
言う。
「センターはやってみたい」
「知ってる」
アンが返す。
「さっき大声で言ってた」
「でも、この話のままは嫌」
それだけだった。ナツだけがまだ黙っていた。三人の視線が集まる。
「また私?」
「最後だから」
アンが言う。
「……ずるいなあ」
ナツは少し笑った。
「私は、まだ受けてもいいと思ってるところもあるよ」
アンの顔が止まる。
「でも」
ナツは三人を見る。
「三人が引っかかったまま始めるのは、もっと嫌」
「それでいいの?」
リオが聞く。
「よくはないよ」
ナツの返事は少しだけ強かった。
「私だってメジャー行きたいし」
四人とも黙る。
「だから、断ったあと後悔するかもしれない」
ナツは立ち上がった。
「それでも、今これで始めるよりはいいと思う」
アンは何も言わなかった。ひよりも。全員が同じ理由になったわけではなかった。
*
金曜。佐伯は四人の前でスマートフォンを持っていた。
「本当にいいのね?」
最初にリオが頷いた。
「はい」
アンも、
「うん」
と続く。ひよりも頷いた。ナツだけが一拍遅れて、
「お願いします」
と言った。佐伯は四人の顔を順番に見た。
「分かった」
佐伯が発信した。呼び出し音が続く間、アンは膝の上で指を組んでいた。やがて電話が繋がる。
「お世話になっております。FRAME WORKSの佐伯です」
声が変わる。いつもの佐伯ではない。
「先日はありがとうございました」
ひよりは自分の膝を見た。ほんの数日前。向こうからメジャーの話が来たと聞いて、四人で笑った。
「本人たちとも改めて話しました」
佐伯が続ける。
「今回のお話ですが、申し訳ありません。見送らせていただければと思います」
アンの指が止まった。
本当に言った。
何度か短いやり取りが続く。
「はい。条件が悪いということではありません」
少し間が空く。
「こちらの判断です」
また話を聞く。
「ありがとうございます。こちらこそ、今後ともよろしくお願いいたします」
通話が切れた。佐伯がスマートフォンを下ろした。誰も何も言わない。アンが先に立った。
「……すっきりしない」
「するわけないでしょ」
ナツが言った。
「そっか」
「メジャーの話、一本断ったんだから」
「分かってる」
アンは鞄を肩へ掛ける。リオも荷物を取った。ひよりはまだ座っていた。
断った。四人で行きたいから。そう決めたはずなのに、胸の中は全然軽くならなかった。
アンが扉を開ける。外へ出る前に、一度だけ振り返った。
「次、ある保証ないからね」
誰も大丈夫とは言わなかった。アン自身も、そう言ってほしそうには見えなかった。ひよりは立ち上がった。
「うん」
それだけ答えた。四人で事務所を出た。




