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アイドルとは!  作者: Aramaki_mai
第四章 選ばれる四人
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47/61

第45話 天野まひる中心で

挿絵(By みてみん)

数日後の金曜、練習が終わったところで、佐伯が扉の前に立った。外へ出る前に羽織ろうと、四人分の上着が壁際の荷物へ重ねてある。練習中は邪魔だった上着も、帰りにはまだ必要だった。


「ちょっと、帰る前にいい?」


床へ座って靴紐を結んでいたアンが、顔だけを上げる。


「何?」


「話があるの」


「怖いやつ?」


「なんで最初から怖がるのよ」


ひよりは鞄へ入れかけていたタオルを止めた。リオも鏡の前から離れ、ナツは飲みかけのペットボトルを持ったまま佐伯を見る。


「四人いるわね」


「見れば分かるじゃん」


「アン、今日いちいち突っかかるわね」


「別に」


佐伯は一度だけアンを見てから、四人へ向き直った。


「レコード会社から、リトルフレアに話が来てる」


アンが立ち上がった。片方の靴紐がほどけたままだった。


「どこ?」


「早いわね」


「どこ?」


「グラニス・レコード」


「え、本当に?」


「本当」


「向こうから?」


「向こうから」


「メジャーの話?」


今度はリオだった。


「そうよ」


誰も続かなかった。部屋が急に静かになった。ひよりは三人を見る。アンは片方だけ靴を履いたまま立っている。ナツはペットボトルを握ったまま動かない。リオは佐伯の顔をじっと見ていた。


「……メジャー?」


口にすると、アンが振り向いた。


「あんた、この前行きたいって言ったじゃん」


「言ったけど、こんなすぐ来ると思わないでしょ」


「私はずっと待ってた」


アンがひよりの方へ一歩来ようとして、ほどけた靴紐を踏んだ。よろけた身体をナツに支えられ、そこで初めて自分の足元を見る。


「……まずそれ結ぼうか」


「今それどころじゃないし」


「転びながら話聞くの?」


アンがしゃがむと、ひよりも鞄を下ろした。もう帰るつもりではいられなかった。ナツが笑いながら、佐伯へ顔を向けた。


「でも、すごいね。向こうからなんだ」


「渋谷のサーキットを見てたみたい。前から動画も追ってたって」


「いつ話すの?」


アンがすぐ聞いた。佐伯が眉を上げる。


「あんた、本当にこういうときだけ早いわね」


「こういうとき遅くてどうすんの」


アンはそう言ってから、リオとナツを見る。最後に、ひより。


「やっとじゃん」


嬉しそうだった。


「何が?」


「四人ともメジャー行きたいって揃った途端に来たんだから」


「私のせいみたいに言わないでよ」


「一番遅かったのまひるじゃん」


「それはそうだけど」


ひよりも笑った。数日前、自分の口から出したばかりの言葉だった。メジャーへ行きたい。四人で。まだその言葉に自分が追いついていないうちに、今度は向こうから近づいてきた。


*


翌週の夜、FRAME WORKSの事務所に四人が揃った。普段は書類や菓子の袋が置かれているテーブルが片づけられ、椅子がきれいに並んでいる。それだけで、いつもの場所ではないように見えた。


「これ、私座っていいやつ?」


「椅子なんだから座っていいでしょ」


アンに言われ、ひよりは端の椅子を引いた。


「何か緊張する」


「今さら?」


「ライブと違うじゃん」


「まだ相手も来てないよ」


ナツが笑う。その隣では、リオがいつもより少しだけ背筋を伸ばしていた。


「リオも緊張するんだ」


「するよ」


「こういうの得意そうなのに」


「こういうのって?」


「大人とちゃんと話すやつ」


「私も大人なんだけど」


「あ、そっか」


「そっかって何」


扉が開いた。佐伯が先に入り、その後ろからスーツ姿の女性が入ってくる。


「お待たせしました。こちら、グラニス・レコードの方です」


佐伯の声から、いつもの調子が一瞬で消えていた。アンが横で口元を押さえる。佐伯が見る。アンはすぐ真顔になった。


「初めまして。今日はお時間いただいてありがとうございます」


女性が頭を下げる。四人も慌てて立ち上がった。


「よろしくお願いします」


リオが先に頭を下げ、三人も続く。座り直すと、女性は四人の顔を順に見た。


「先日の渋谷のサーキット、拝見しました」


「ありがとうございます」


「映像では以前から見ていたんですが、ライブで見ると印象がかなり違いました」


ひよりは少しだけ顔を上げた。


「最初、皆さんのことを目当てにしていないお客さんも多かったですよね」


「多かったです」


アンが答えた。


「次の会場の時間見てる人もいたし、途中で出てった人もいたし」


「そうですね」


女性は頷いた。


「でも、最後はかなり客席が変わっていた」


ひよりにも覚えがある。後ろで腕を組んでいた人が、途中から前を見ていた。ナツが歌ったときに会話をやめた人。リオが前へ出たところで声を上げた人。イベントのカメラへアンが笑ったあと、同じアンへ紫の光を向けた人。そして『シュガー・ステップ』で、初めて腕を動かした人。


「天野さんの動画を知っていた方が、途中からほかの三人を見ているのも印象的でした」


女性が続ける。


「水瀬さんの歌を聴いていたり、瀬名さんのダンスを追っていたり、星川さんの特典会へ行っていたり」


アンの膝の上で、組んでいた指が少し緩んだ。


「映像だけで見ていたときより、四人でいる意味がよく分かりました」


ひよりは三人を見た。あの日、自分を見ていた人が、帰る頃には別の誰かを見ていた。それを嫌だと思ったことはない。むしろ面白かった。自分が知らないところで、四人の見られ方が変わっていく。


女性は手元の資料へ視線を落とした。


「ですので、本題なんですが」


アンの膝が少し動く。


「弊社として、リトルフレアをメジャーで展開できないかと考えています」


メジャー。今度は聞き間違えなかった。数日前、自分で言ったばかりの言葉だ。言ったときには、まだ何の形もなかった。それが今、向かいに座っている人の口から出ている。


アンが先に口を開いた。


「それって」


一度止まる。


「四人で、ですか?」


「はい」


女性は迷わず頷いた。


「リトルフレアとしてのお話です」


「四人とも?」


「もちろんです」


アンの肩から、ほんの少し力が抜けた。ナツも笑う。リオがこちらを見る。ひよりも見返した。


「……すご」


声に出ていた。アンが見る。


「今?」


「今やっと実感した」


「遅いんだって」


「しょうがないでしょ」


向かいの女性が笑ったので、ひよりは慌てて姿勢を戻した。


「すみません」


「いえ。普段もこんな感じなんですね」


「だいたい」


アンが答える。


「誰のせいよ」


「まひる」


「何で私?」


「静かにしなさい」


佐伯に低い声で止められ、四人とも口を閉じた。女性は資料を一枚めくった。


「ただ、最初の売り出し方については、一つ提案があります」


アンの顔から、さっきまでの笑いが少し引いた。


「提案?」


「はい」


女性がひよりを見る。


「まず、天野さんで知ってもらいたいと考えています」


ひよりは自分を指した。


「私?」


「はい。今のリトルフレアには、すでに強い入口があります。『シュガー・ステップ』を見たことがある方、天野さんの名前だけ知っている方は、グループ名を知らない層にもかなりいます」


ひよりにも思い当たる。ライブへ来た初めての客から、


「動画見ました」


と言われることは増えた。サーキットでも、『シュガー・ステップ』が始まった瞬間だけ顔を上げた人がいた。


「なので、最初は天野さんを前に出したい」


アンが口を開く。


「センターも?」


「当面は天野さんで考えています」


返事はすぐに来た。自分の名前とセンターという言葉が並ぶのを聞いて、ひよりは息を止めた。嫌ではなかった。胸の奥が少しだけ熱くなり、横を見た。


リオも驚いた顔でこちらを見ていたが、嫌そうではない。目が合うと、その口元がほんの少し上がった。アンの視線が一度だけリオへ向き、すぐに女性へ戻った。


「センターだけですか?」


「いいえ。最初の宣材や映像、テレビなどでも、天野さんを入口にした方が届きやすいと考えています。個人で受けられる仕事があれば、それも積極的にお願いしたい」


「まひるから」


「基本的には」


アンの返事はなかった。ナツが聞く。


「四人で歌うのは変わらないんですよね?」


「もちろんです」


「でも、最初に見せるのはまひる」


「そうですね」


ナツは小さく頷き、それ以上は続けなかった。


「もちろん」


女性がリオ、ナツ、アンを見る。


「他の三人を軽く扱うという意味ではありません」


「分かってます」


アンが言った。思っていたより早い返事だった。


「さっき、ちゃんと四人を見てくれてたのも分かったし」


「ありがとうございます」


「確認しただけです」


アンは膝の上へ目を落とした。ひよりはその横顔を見た。まず、天野さんで知ってもらう。その言葉には覚えがあった。


水曜の練習場。休憩中に流れていた『シュガー・ステップ』。何となく身体を動かした自分へ、


「今のもう一回やって」


と言ったのはアンだった。アンはスマートフォンを向けて撮り、そのまま投稿した。それで終わらせず、四人でも撮ろうと言った。知られていないなら、まず知ってもらわないと始まらない。そう考えていたのもアンだった。


実際、その通りになった。動画を見た人がライブへ来た。リトルフレアの名前を覚えた。アンのところへ来る人も増えた。間違っていたとは思えない。


「天野さん」


「はい」


女性に呼ばれ、ひよりは顔を上げた。


「センターについて、今ここで返事をいただく必要はありません。契約の話も含めて、四人で考えていただきたいので」


「あ、はい」


少しだけ拍子抜けした。けれど、ほっとしたような、残念なような、自分でもよく分からない。リオがまだこちらを見ている。


「何?」


「今、ちょっと嬉しそうだった」


「私?」


「うん」


「リオもだったよ」


リオが口元を引き締めた。ひよりもつられて唇を結んだが、目が合ったままでは、かえって笑いそうになる。


「今それやる?」


アンが低い声で言った。


「あ、ごめん」


ひよりは前へ向き直った。女性は小さく笑ったあと、資料へ目を戻す。


「サーキットで見ていて、天野さんから入ったお客さんが途中からほかの三人を見ていた。それができるなら、入口を一人にすることは、四人を弱くすることにはならないと思っています」


アンの指が止まった。


「むしろ、四人を知ってもらうために使える」


その言葉も、ひよりには分かった。自分を見に来た人が、帰るときには別の三人を見ている。それは嬉しかった。アン自身も、ずっとそれを狙っていたはずだった。だから、誰もすぐには否定できなかった。


女性は最後に資料を閉じた。


「最初の一年は、天野さんを軸に売るのが一番勝率が高いと考えています」


勝率。その言葉を聞いて、ひよりはアンを見た。アンは数字を見る。再生数も、何人に届いたかも、その伸び方も気にする。こういう話なら、自分よりずっと分かっている。だから何か言うと思った。


アンは何も言わなかった。


怒っているようには見えない。困っているようにも見えない。ただ、さっき「四人とも」と聞いたときに浮かんだ笑顔だけが、もうなかった。


少し前。練習場の扉の前で、ひよりは三人へ言った。四人で。今の話も、確かに四人の話だった。誰も外されない。四人ともメジャーへ行ける。なのに、さっきまでと同じようには喜べなかった。


アンは最後まで、何も言わなかった。


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