第20話 あれがメジャー
歓声が収まらないうちに、桐谷レナがステージの中央まで進んだ。白石ユイと神崎ミアが、その左右へひらく。少し前、通路で挨拶した三人だった。ミアは笑って手を振ってくれた。レナも普通に頭を下げ、ユイも写真で見るより少し眠そうな目をしていた。その三人が、ステージへ出ただけで別人に見えた。
レナが顔を上げる。
「レナー!」
客席からすぐに名前が飛んだ。大きく手を振ったわけでもない。ただ笑っただけなのに、ひよりまでつられてレナを見る。
最初の音が鳴った。三人が一斉に動き出す。レナが前へ出ると、ユイとミアが左右へ流れた。次の拍子ではユイが中央へ入り、レナがその背後を抜ける。さらにミアが二人の間へ滑り込み、今度はレナが端へ回る。位置は次々に変わっている。なのに、誰かに合わせるため慌てて動いている人が一人もいない。さっきまで自分たち四人が立っていたステージなのに、使っている広さまで違って見えた。
ひよりは隣を見る。リオはステージから目を離していなかった。レナだけを見ているわけではない。中央が変われば目も動き、ミアが端へ抜ければそちらを追う。
「リオ」
「ん」
返事だけが来た。ひよりの方は見ない。
再びレナが一人前へ出た。歓声が一段大きくなる。やっぱりこの人が一番目立つ。
そう思った直後、その後ろでユイが身体を返した。肩まで流れた髪が大きくひらき、次の音でぴたりと止まる。反対側ではミアが客席へ手を伸ばし、正面とは別の場所から笑顔を引き出していた。レナが目立つほど、なぜか二人まで見えてくる。ひよりには、どうしてそうなるのか分からない。
次の拍でユイが中央へ入るより先に、リオの目がそこへ動いた。ひよりが気づいたときには、もう三人の位置が入れ替わっている。リオは踊りを追っているというより、三人で作っている形そのものを見ているようだった。手元で、空になりかけたペットボトルが少しへこんだ。
*
ユイのパートへ入った。マイクが上がり、声がまっすぐ客席へ伸びる。ひよりは反射的にナツを見た。ナツもユイを見ていた。高い音へ上がっても、声が細くならない。それだけなら、ひよりにはナツとどちらが上なのか分からなかった。
ナツは口を閉じたまま、ユイが息を吸うところまで見ている。ひよりも次の高い音を待つうちに、言いかけていた感想を忘れてしまった。
客席では、ユイが次の歌詞へ入る前から何人かが身体を揺らしていた。ひよりが今、続きを聴きたいと思った声を、あの人たちは初めから待っていたらしい。
「あ」
ひよりは客席の端に、さっきの男を見つけた。スマートフォンはもう手にない。友人と肩を寄せて何か言い合いながら、最初からステージを見ている。ユイの声が伸びると、その男も笑った。
ナツが歌って、やっと上がった顔だった。今は最初から向こうを向いている。ひよりはペットボトルのラベルへ指を押し込んだ。
「すご……」
隣から小さな声がした。アンだった。けれど、アンが見ているのはステージだけではない。前方から後ろへ視線を送り、そこからさらに端の客まで確かめている。
「何が?」
ひよりが聞くと、アンは一度こちらを向いた。
「いや。あとでいい」
すぐに客席へ顔を戻す。
*
一曲目が終わった。三人が頭を下げると、拍手と名前を呼ぶ声が重なった。
「ありがとうございます!」
最初にマイクを上げたのはミアだった。
「まだ元気ありますかー!」
「おー!」
すぐに声が返る。ひよりは少しだけ肩の力を抜いた。これなら、自分たちにもできた。ナツと目を合わせようとしたが、その前にミアの声が続いた。ミアが笑いながら、もっと遠くへ声を飛ばす。
「後ろまで聞こえてるー?」
間も置かず、大きな返事が戻ってきた。
「いたいた!」
ミアが楽しそうに笑う。その勢いのまま身体を横へ向けた。
「そっちもいける?」
また声が上がる。すると反対側からも、まだ呼ばれていないのに負けじと声が飛んだ。
「あ、待って待って。そっちもいるじゃん!」
客席に笑いが広がる。ミアも笑う。遠いところまで反応を確認しているようには見えなかった。本当に、客と遊んでいるだけだった。そして声を向けた先には、いつも返事をする準備ができた人がいる。
「全部返ってくるね」
ひよりが言った。
「うん」
ナツが答える。
ナツはステージを見ながら、少しだけ口元を曲げている。まだ声を出し足りない客がミアを呼び、ひよりはその勢いに、次の言葉を挟めなくなった。
ミアが中央へ戻る。その瞬間にはレナとユイがすでに左右へずれていて、真ん中に一人分の場所ができていた。
「今の……」
ひよりが呟く。
「あそこ、最初から空けてた」
リオが言った。
「え?」
聞き返したときには、三人はもう次の形になっている。ひよりには、今の一瞬だけでは分からなかった。でもリオには分かったらしい。
「リオ」
「何?」
「さっきから全然喋んないね」
「見てるから」
ひよりもステージへ顔を戻した。レナが向きを変えるところで隣から小さく息を吸う音がしたが、リオは何も言わない。
「あとで、今の教えて」
リオがようやくこちらを見かけた。その前に次のイントロが鳴り、目がまた三人を追った。
「……あとで」
ひよりは頷き、もう声をかけなかった。
*
曲が続くにつれ、ひよりは袖から一歩出たくなっていた。ミアが端へ走るたびに、その先で待っていた腕が上がる。あちら側にいたら、自分も手を振っていただろうか。
そう思ってから、ひよりは胸元の青いリボンに触れた。さっきまで、自分が振られる方だったのに。
隣のリオは笑っていなかった。レナが前へ出る拍で足元の踵を浮かせたが、踏み出すことなく、ユイとミアの着いた場所を見ている。空いた方の手で小さく拍を取っていた指も、そこで止まった。
ひよりは、その手とステージを見比べた。同じ三人を見ていても、今のリオには、ひよりが見つけられないものまで見えているらしかった。
*
短いMCのあと、レナがマイクを持ち直した。
「次が最後の曲です!」
「えー!」
客席から一斉に声が上がる。
ひよりも、もう終わるのかと思ってしまった。声には出さなかったのに、客席から上がった不満げな声と同じ気持ちになったことが、少し悔しかった。
「そんな顔しないで」
レナが笑った。
「最後、一緒にいける?」
「おー!」
大きな声が返る。
「じゃあ――『君色シグナル』!」
そのタイトルだけで歓声が上がった。曲が始まるより早い。PRISMIAのタオルを持った女性が隣の友人と顔を見合わせる。少し離れたところでも、何本ものペンライトが同時に上がった。
「これ、有名な曲?」
ひよりが聞く。
「代表曲」
アンが答える。
「結構流れてる」
「そうなんだ」
イントロが進む。客席で揺れる光の向きまで揃っていた。ひよりは、自分が初めてステージへ立った日のことを思い出す。知らない曲でも、サビへ入った瞬間だけは分かった。客の腕が同じところで上がったからだ。今は、それよりずっと早い。曲が始まった時点で、みんな次に何が来るのか知っている。
レナの歌にユイが重なり、ミアが続いた。サビへ入る。そのとき、ステージとは別の場所から声が聞こえた。ひよりは最初、近くにいる誰かが大声で歌っているのだと思った。
違う。
一か所ではない。前から聞こえる。後ろから同じ言葉が重なり、さらに離れた場所からも歌声が混じる。
客席が歌っていた。
ひよりは目を見開いた。三人は一度も「歌って」と言っていない。マイクを客席へ向けてもいない。それでも、次の歌詞を知っているから、客の方から声が入ってくる。
PRISMIAのタオルを持った女性が笑いながら歌っていた。タンクトップの男も声を出している。眼鏡の男は知らないところだけ口を閉じ、それでもサビになると周りと一緒に歌った。さっきまでスマートフォンを見ていた男まで、今は口を動かしている。少し離れたところには、黄色いペンライトを持った女性もいた。
ひよりは、いつもなら自分が返事をする青い光を見ていた。眼鏡の男の口から、自分の知らない歌詞が続いていく。そこへナツの歌で顔を上げた男の声まで重なり、客席の誰かを指さしても、もうこちらを向かない気がした。
PRISMIAは、返事を求めるより先に客から返されている。三人が歌い出す前から、曲そのものを待たれている。
次の歌詞が来る場所だけは、ひよりにも分かり始めていた。あの人たちと同じところで待ってしまう自分がいる。三人は気持ちよさそうに歌い続けていて、どうすれば自分たちもそこへ入れるのかは、見ているだけでは分からなかった。
ひよりがステージへ目を戻すと、レナが腕を伸ばすところだった。客席の光も同じ方向へ揺れる。その後ろでは、ユイとミアがすでに次の場所へ動いていた。
ナツは客席を見ている。アンも、どこまで歌声が広がっているのか確かめるように顔を動かしていた。ひよりもそちらを見た。自分たちへ笑ってくれた人たちが、今はもっと大きな声で歌っている。
最後に隣を見ると、リオだけはステージを向いたままだった。前へ出るレナ、その後ろで動くユイ、二人の間を抜けるミア。誰かが目立つたび、残った二人まで必要に見える。最後のサビまで、リオは三人から目を離さなかった。
*
最後の音が鳴った。三人の動きが止まる。次の瞬間、歓声が押し寄せた。
「レナー!」
「ユイー!」
「ミアー!」
「PRISMIAー!」
いくつもの声が重なり、誰の名前を呼んでいるのか分からなくなる。三人が手を繋いで頭を下げた。
「ありがとうございました!」
歓声がさらに大きくなる中で、ひよりは隣のナツが手を叩く音を聞いた。拍手するのを忘れていた。遅れて両手を合わせると、アンも拍手しているのが見えた。
リオも二度、三度と手を合わせた。けれど、その手は途中で止まった。
PRISMIAの三人が客席へ手を振り、袖へ戻っていく。照明が落ちたあとも、名前を呼ぶ声はしばらく残っていた。
アンが客席を見たまま呟く。
「……声、全然違った」
誰も答えなかった。ひよりが横を見ても、ナツとアンはまだ客席を向いている。
リオだけは違った。もう誰もいないステージの中央を、まだ見ていた。




